砂の人形
御水見深海さん。彼女はいつも、水筒を手に持っている。
別に、福島県支部の再冉目品ちゃん(わたしより歳上だけれど、見た目が完全にロリだから『ちゃん』付けで呼ぼう)辺りが持っているような奇妙な難癖という訳ではなく、喉の渇きを我慢できないという訳でもなく、ただ自分の異能をいつでも活用できるようにするための習慣である。
《船幽霊》。一度に500mlまでの水の運動状態を自由自在に操るという、地味な印象を与えつつも、ともすれば最強なのではないかと考えられる異能だ。運動状態を変えることも、変えないようにすることもできるから、絶対に壊れない盾を水で作ることだってできる。能力の有効範囲も彼女から25m以内と、まあまあ長い。しかも運動状態というのは粒子の熱運動も含むため、勝手に水が蒸発したりすることも無い。
何かあった時にすぐ戦闘を始められるように、水筒はネジ系の蓋ではなくワンタッチ系の蓋を採用している訳だが……
今回は、それに助けられた。
「《固定斬撃》」
「《硬化》」
「いや、駄目だ!」
無数の砂粒が、明確な意思によって人の形を成す。
砂で出来た人形の攻撃に対して、梨乃ちゃんや国栖穴さんは咄嗟に異能を駆使して迎撃を試みたが、何せ相手は無数の砂粒の集合体だ。切ろうが固めようが関係ないし、日倭さんを始めとする上官からの射撃については、御水見さんが作った水の壁のせいでそもそもできないのだが、恐らくはそれも効かないのだろう。
今は御水見さんが水の壁を作って何とか防御してくれているが、砂の人形は高速で左右に動き回り、御水見さんの壁を横から回り込もうとしている。御水見さんもそれに合わせて水の壁を動かしてはいるが……
いつ、砂の怪物が御水見さんの防御壁からこぼれてこちらに襲いかかってくるか、わかったものではない。
「ぐぁっ!?」
……と。
もう既にこぼれていたようだ。
御水見さんの水の壁を、横から微量の砂が回り込んで通り過ぎて、上官を一人攻撃した。超高速で上官の腕にぶつかったことにより、その腕から血が流れる。
「篠守!」
と、日倭さんが叫ぶが、何を言われるまでもなく、わたしは自らの役割を察して走り出す。
この中で、攻撃を受けても怪我をしないのはわたしだけだ。だからわたしは、この砂の怪物を、わたしの身体で覆い被せるようにして押さえ込まなければならない……いや、違うか。
「くっ!!」
わたしは攻撃されている上官のもとに走り込んで、上官を追撃しようとした砂の怪物の攻撃を代わりに受けるため、さあどうするのが最も効率的かと考えながら、とりあえず攻撃されている上官に覆い被さる。
…砂が眼に入るのが嫌だったので、眼を閉じながら。
しかし、こんなことをしても一瞬の解決にしかならないだろう。わたしが盾になったところで、砂の怪物はわたしの脇を通り抜けて上官を攻撃するだろう。
通り抜けて…
あれ。
「うぐうぅっ!?」
やばい。普通にわたしを攻撃してくる。
上官を攻撃するのをやめて、今度はわたしに集中攻撃を浴びせてくる。
めっちゃ痛い。身体の至るところに、超高速で砂粒がぶち当たってくる。今まで数々の拷問訓練、もとい異能訓練を受けてきたわたしだったが、これはえげつない。今までで一番痛いかも知れない。
かと言って、苦痛に叫ぶ訳にもいかない。この意志持つ砂どもが口の中に入ってきたりしたら、色々と面倒というか嫌だ。
わたしはとにかく、うずくまるような姿勢で顔面を手でガードして、耐える。
誰か、誰か助けてくれ。
誰かいないのか?この砂の怪物を攻撃できる人は!
御水見さん…は駄目か。今わたしを攻撃しているのは、砂の人形のほんの一部、恐らくは手先の部分に過ぎないのであって、大部分は未だに御水見さんが防いでくれている最中だから、彼女はそっちにいっぱいいっぱいだろう。
まずい。いくら怪我をしないわたしとて、この痛みは…!
「うおらぁ!!!」
痛い、痛…熱!?
あっつ!!!何だ!?熱い!!!
…と、わたしが突然頭部に感じた別の種類の痛みに驚いて顔を上げてみると、そこには地面に落ちていく無数の赤い光と、腕を振り回す馬垣くんが見えた。
そしてあっさりと、砂の攻撃は止んで。
「大丈夫か篠守?大丈夫だな?よし」
「いや、まだ何も言って…」
「うるせえ」
強制的に大丈夫だということにされてしまったわたしだったが、さておき今のはどうやら、わたしを攻撃していた砂たちを馬垣くんが《万物融解》によって融かしてくれたということらしい。
馬垣くんは異能を発動させたまま、その手で砂たちを扇ぐように振り回して、次々と融かしたのだ。
そして、融かされて超高温になった砂たちは、ただ地面に落ちていくばかりで、二度と動かない。
「斃した…のか?」
部分的にではあるが、砂の人形の一部…手だか足だか分からないけれど…それを斃すことに成功したと見ていいだろう。
言ってしまえば、これがこの砂の怪物、恐らく砂の貪食獣であろうこの化け物を殺す方法なのだろう。
これしか無い…!
「馬垣!御水見!お前らにしか対処できない!」
日倭さんの即断即決が、ここぞとばかりに活きる。
「馬垣と御水見を除いて、全員ここから離れるぞ!」
英断と言えば聞こえは良いが、良くも悪くも思い切ったその判断に、しかし当の馬垣くんと御水見さんは一切の不服を露わにしなかった。
今現在、このメンバーの中で砂の怪物たるこの相手に対処できるのは、馬垣くんと御水見さんだけだ。
他のメンバーがいても、戦闘の邪魔になるだけ。
ならば、他のメンバーはこの場から離れるべきだろう。
いや、よくよく考えてみれば、もしかしたら左門さんの《月下湖面》も有効なのかもしれないし、わたしだって盾になることはできるだろうけれど……
「盾って言うか、囮かな」
「あー何もできないですわたしは無力です今すぐ離れます」
そうしてわたし達は、馬垣くんと御水見さんをその場に残し、ある程度離れた位置まで移動した。
今は物陰から、二人の様子を見ている状況だが……
「馬垣くん!盾は必要!?」
馬垣くんと御水見さんの二人からそこそこの距離がある位置で、大声でそう訊いてみた。
「いらねえ!」
と、馬垣くんの返事を聞いて、もちろんそれは、盾ならば既に御水見さんの水の壁があるから要らないのだろうということは理解できる一方で、図らずも傷つくわたしだった。
なんだか、わたしの存在価値が危うい。
これで砂の怪物と戦っているのは、馬垣くんと御水見さんの二人だけになった。わたしを含む他の全員は、少し離れたこの位置から様子を窺っているが……
砂の怪物は様子を見るように、アウトボクサーさながらに左右の移動を繰り返していて、御水見さんがそれに合わせて水の壁を移動させている状況だ。馬垣くんは、砂が襲いかかってきた時に備えて構えている。
しかし、こうして遠くから見てみると、あの砂の怪物が人の形をしているという事実が、却ってわかりやすい。まさに砂の人形だ。泥人形でも土人形でもなく、世にも珍しい砂人形。
「あれじゃ膠着状態だな……左門、いけるか?」
と、枝倉さんが言い出す。
「僕ですか?」
「お前の怪魚なら、あの砂の怪物をどうにかできるかも知れないだろ?」
それはわたしも思っていた。左門さんの異能は、自分を中心とした半径40mの領域の中にいる動物を無差別に喰らい尽くすから、他の皆を巻き添えにするので使わないものとして考えていたけれど、御水見さんの異能で水で出来た風船のような物を作ってその中に入れば、巻き添えを食らう心配も無いだろう。
「じゃあ馬垣を離脱させて、代わりに左門を行かせて、左門と御水見の二人を御水見の《船幽霊》で防御した状態で、左門の《月下湖面》を発動させりゃあ良いじゃん」
と、やはり判断が早い日倭さんがそう言って、他に異論を唱える者もいなかったため、念のためもう少し安全な位置まで移動してから、そういう路線での作戦会議が進められた。
とは言え、作戦自体は今さっき言ったことが全てだ。御水見さんに防御を頑張ってもらいながら、馬垣くんと左門さんを交換して、御水見さんが風船状の水の壁を作って防御を完全なものにしてから、左門さんの異能を発動する。
そこまではいい。
目下の問題は、他の皆がどうするかだけれど……
そもそもの問題として、もう一つ大事な点がある。
「そもそも、あの砂の怪物が本当に、俺達の支部の隊員を襲った『敵』だとは思えないよ」
わたしも何となく勘づいていたことを、隆谷寺さんがはっきりと、他の全員に向けてそう言った。