国栖穴八束
「なあ馬垣、今度からは、久凪の確保と連行をあたしにもやらせてくれよな」
「あん?どうやってやるんだよ、お前の異能で」
ヘリコプターにいち早く搭乗して、後から来るであろう上官の搭乗を待っているわたしの正面で、隣合っていた馬垣くんに、国栖穴さんが話しかけた。
今馬垣くんの隣に座っている国栖穴八束さんだが、自衛隊としては例外的なことに、彼女はちょっと長めの黒髪をポニーテールに縛っている。まあ、例外的と言うなら、伸ばした髪を切りも縛りもしない御水見深海さんとかは例外中の例外なのだけれど……(ADFの抵抗者メンバーだけ、そういうことが特別に許されている)、それはともかく、加えて国栖穴さんは医師免許も持っているらしく、これだけ聞けば大人びたような理知的な印象を受けてもおかしくはないだろうけれど、そういった容姿や肩書きとはしかし、内面が一致しないのだ。
こうして喋っているところを見るのは、別にこれが初めてではないのだが、未だにどうも慣れないんだよな。
何故なら、この人は…
「いやぁほら、あたしの《硬化》で久凪の下腿三頭筋とかを固めてしまえば、それでもう終わりじゃん?くくく…」
「それで何だ?篠守の悶え苦しむところを見て楽しもうってか?そんな悪辣な金持ちの道楽みてえなことをしようと?」
「けけけっ、当たり前じゃねえか」
この人は、性格が悪いのである。
伸ばした黒髪、吊り上がったような眼、いかにも意地の悪そうなにやつき。慇懃無礼で不遜な女性である。
「人が悶え苦しむ光景ほど、気持ちのいいものは無いね。だったらあたしはやるさ、とことんやる。それが自分の快楽に繋がるのならば、如何様にもな」
「結局はあんたの趣味じゃねえかよ。こいつはその程度の痛みじゃ止まらねえってのに。第一、あんたの異能は動く的にも当てやすいものなのかよ?」
「あー、そりゃどうだろうな。例えば久凪がもし、超絶変則的なステップで逃げ出したりなんかしたらちっとばかし捕捉が困難だろうけどな、まあ大臀筋とかを固めればいけるだろ。なんて、こんなことを本人の前で言ったら、尚更対策されかねないわな。かははっ」
何故わたしをしょっぴくことが前提なのだろう。
どうしてわたしがまた逃げ出すようなことがあると思っているのだろうか。そんなにわたしを捕まえることが重要なのだろうか。ほっといてくれても良いのに。
ほっといてくれたら安心して逃げるのに。
「何でもいいんだけどよ…基本的に篠守を捕まえる時は一人じゃ駄目なんだぜ?こいつは鰻の如く、追っ手をすり抜けるように逃げ回るからな。逃亡のプロフェッショナルだ。いずれにせよ、他の誰かが協力しなければ無理な話だ。そして恐らくは上官の意向で、国栖穴、お前が篠守の捕獲に駆り出されることはねえな」
「誰が鰻なのかしら、馬垣くん?」
何でもよくはねえだろうが。
「協力ね、協力協力。しかし、そんなもんわかんねえだろ。むしろ足手まといがいるよりかは、一人のほうがやりやすいっていうこともあるだろ?例えばほら、実質的に久凪に対しては無能力も同然の、物を融かすしか能が無い誰かさんみたいな足手まといがいるよりかは」
「ほーん、俺に喧嘩を売ろうってのかよ?っつーか『物を融かすしか能がない』って、いやそれ、結構強力じゃねえかっていう話だけどな。自分で言うのもなんだが」
「『なんだが』?かははっ、もっとはっきり言えよ、自分を大きく見せようと自慢ばかりしている小物みたいな感じでクソだせえってな。けけけっ」
「てめえなあ…」
流石に不良として、ここまで舐めた態度を取られては黙っていられないと、それまで適当にあしらっていた馬垣くんが熱くなる。
いつもこんな調子なのだ、国栖穴さんは。この国栖穴八束という人間はともすれば、わたしよりも精神年齢が低いんじゃないかとすら思う。
それはさておき、やっぱりなんか変だよな、この会話。
「さっきからわたしが逃げ出すことが前提だけれど、まずその前提の正否をよく議論するべきだと思うのよ、わたしは。おわかり?お二人さん」
「国栖穴よお、お前の《硬化》は相手を仕留めるのに無駄に時間をかける悪趣味な異能じゃねえか。それが一瞬で相手を楽にしてやれる俺の《万物融解》よりも優れているとでも言いたげだが、そりゃあいやはやどうにも、強引じゃあねえのかなぁ?航空機さえ一人の筋力だけで牽引する某ミスターストロングマンの牽引力ばりに強引じゃねえのかと、俺はそう思う訳よ」
「ええと、あの、わたしの話を聞い…」
「はあ?馬鹿言ってんじゃねえや。その発想がだから無能だって言ってんだろ。てめえで言ってて気付かねえのか?一瞬で楽にして、それで何が得られるってんだ?道徳的満足感か?人道的美徳か?花より団子、そんなものでは腹は膨れねえし、目的も達成できねえんだよ。現に、てめえの異能は久凪には効かないけど、あたしの異能は久凪に効くんだぜ?ほら」
「ちょっと、わたしの話を、ぐっ!?痛っ…」
突然、わたしは尋常でない腹痛に見舞われる。
この女、《硬化》でいきなりわたしの腹の中を、胃の辺りを攻撃してきやがった!なんて外道だ…!
もちろんわたしは《不壊》の篠守、痛いだけで怪我はしないけれども、こんなの腹の中に尖った石ころが入り込んだようなものだ!あんまりだ!
「なんて酷いことをするんですか国栖穴さん…!もう怒った、馬垣くん、一発殴ってやって…!きっついのを…!きっついのを一発…!」
「いやいや、だからこいつを捕まえるのは、人数さえいれば良くて、異能は問題じゃねえんだって。異能ってのは貪食獣に通用すれば良いし、篠守を捕獲して連行したきゃ、適切な人数であたるだけで良い。お前が独断専行で久凪を捕まえようとしても無理だっていうことに変わりはねえよ、国栖穴」
「誰もわたしの言う事を聞かねえ!」
なんでだ。なんで話題にはなるのに、話を聞いてはもらえないんだ、わたしは。それに、馬垣くんは相手が女でも容赦なく殴る極悪人の筈なのに!一体どうして!?
「二人とも、そろそろやめてください。篠守さんの話を聞く必要は無いので、そろそろ口論をやめてください。上官が来ました」
「梨乃ちゃん、貴様もか」
口喧嘩の仲裁をしつつ、しっかりわたしを軽んじる発言は怠ることのない梨乃ちゃんだった。
やばい。この空間やばい。悪い人しかいない。
帰りたい。
「おーおー、お前らなんか騒々しかったけど、何だ何だ?おい、何かあったのかよ?」
怖い系の上官が搭乗してくる頃には、既に誰一人として私語をする者はいなかった。馬垣くんも国栖穴さんも、黙りこくって下を向いている。
「いいえ、篠守さんが帰りたい帰りたいとうるさかったので、皆で説得していただけです」
と、梨乃ちゃんがしれっと言う。
お前!わたしを売りやがったな!そういう奴だとは思っていなかったよ!真の敵はわたしのすぐそばにいたとは!
「ちょっとちょっと、いやいや、そんな…」
「またか篠守。いいか、これまで死なないために色々と訓練してきたし、必ずしも貪食獣と戦うとは限らないんだからな、勇気を出して行くぞ」
「い、いや、そうじゃなくて、わたしは…」
「何?まだ何か言いたいことがあるのか?」
「い、いえ…ありません」
つい、上官に気圧されてしまうわたし。
「まあ篠守、安心しろよ、訓練してきただろ今まで」
「そうだぜ久凪。いざという時は守ってやるからさ」
と、馬垣くんと国栖穴さん。
どういうことやねんお前ら。さっきまであんなに険悪だったのに、一瞬で口裏を合わせやがった…!
「久凪、ほら、帰ったらまた一緒に寝てやるから」
「え?」
「え?」
「え?」
国栖穴さん!?何を言っているんだ!?
「篠守さん、あなたやっぱりそういう…」
「篠守お前…」
ドン引きの梨乃ちゃんと馬垣くんだったが、いやいや、こんなの明らかに国栖穴さんのタチの悪い冗談だろ。
「国栖穴さん、嘘はいけませんよ嘘は」
「えぇ?嘘じゃねーよ、ちゃんと寝てやるよ」
「そうじゃねえ!」
あんたと寝たことなんて一度もねえんだよ。そもそも一緒に寝る機会があり得ないじゃないか、相部屋でもないのに。
「…ああ、なんだ、嘘だったんですか、国栖穴さん」
「けけっ、おうよ嘘だよ、嘘に決まってんじゃんよ」
笑いながら白状する国栖穴さんの悪役っぷりよりも、個人的には梨乃ちゃんが嘘だと気付く遅さのほうに対して困惑が甚だしいのだが。
「あー、嘘か。そうだよな、国栖穴は嘘ばっかり吐くからな。嘘ね、嘘嘘」
「馬垣くん、動揺のあまり国栖穴さんの口癖が移っているけれど、まさか一瞬でも本気にしたなんて言わないわよね?」
「言わねえし。そんな訳ないだろ、はは」
「もちろん私も嘘だと思っていましたよ」
こいつらマジで……
「お前ら私語はもう良いだろ!俺はそんなに黙認するつもりはないからな。それでは点呼を取る!」
黙認するつもりはないらしい怖い系の上官が一喝し、そこからは点呼と諸々の重要事項の確認をした。
そうしていよいよヘリは離陸して、この散々なメンバー達と共にわたしは、相も変わらず緊張感の無いままで、栃木県宇都宮市までの長距離移動を開始したのだった。