武術家としては失格
「あああああああああああー!!!」
悲鳴を上げる。
喘鳴を上げる。
尋常外の痛みに絶叫する。
埒外の苦しみに悶絶する。
何故だ。何故?
どうして?怪我をしない筈のわたしの脚が。
何故、折れた?
「ああ、ごめんごめん、すぐに治すから。ちょっとほら、じっとしてて」
隆谷寺さんがわたしの元に駆け寄って来て、さっきまで戦っていた相手を介抱するかのように、もう決着は着いたとばかりに、わたしの脚に触る。
いや、じっとしていられるかよ、こんな状態で。
「いいから…よいしょっと」
「ぎゃっ!!!」
痛!?
ごきん、という音とともに、左膝に痛みが走った。
……って、ああ、いや、『痛い』ということはむしろ、マシになったということなのか。たった今まで、『痛い』と口に出すことは愚か、思うことすらできないくらいの痛みがあったのだから。
「よーし、治った治った」
「は……は……」
膝が治った時には、わたしはもはや、衰弱状態だった。呼吸が浅くなってしまっていた。痛みから解放されて、普通ならば深呼吸の一つでもするところなのに、むしろ呼吸がしにくい。
治りはしても色々とダメージは残っていて、汗をだらだらとかいてぐったりとその場に寝転んだまま、動けないのだ。
その動けないわたしに対して、隆谷寺さんは攻撃しようともせず、ただ勝ち誇るように、解説を始めた。
「今何をしたのかと言うとね、それは至ってシンプルで、下段蹴りだ。ローキックだよ、ローキック。ただし、足の甲ではなく脛の上部で蹴るタイプのローキックなんだけどね、まあでも、やったことはそれだけだよ。全力の下段蹴りを、君の膝関節に正確に横から当てた。これはわかるよね?」
へーそうだったのか。言われてみればそこはわかる。
しかし、問題はそこじゃない。
「それで、たった今君の膝が治ったことからも察しているかも知れないけど、君の膝は折れたんじゃなくて、外れたんだよ。怪我は怪我だけど、君の肉体が壊れたという訳ではないから、そこは安心して欲しい」
外れた……脱臼したということか?
そうか……、なるほど。
「関節の構造は知っているね?骨と骨が靱帯によってくっ付いているっていう、簡単に言えばまあそんな感じなんだけど、この『靱帯』っていう部位は読んで字の如く靭かで、大きな力がかかれば多少は伸び縮みするものなんだ。それでもある程度大きな力がかかれば千切れちゃうんだけど、じゃあ千切れることだけは絶対に無いとしたら?」
もしも身体が頑丈すぎて、絶対に壊れなかったら。
靭帯が切れるという、最悪の事態だけは何があっても起こらないものと仮定するなら。
それなら、もっと伸びるに決まっている。
靭帯の『靭』はしなやかという意味の漢字だ。伸びてこその『靭帯』なのだろう。
「その通り。更に付け加えるなら、君はさっきまで、俺との格闘で激しくフットワークを使っていたから、その時から君の膝の靱帯にはある程度負荷がかかっていて、伸びやすくなってもいたんだよ。まあ、そうでもなければ、いくら俺の下段蹴りでもそこまで靭帯を伸ばしてやることはできなかっただろうしね。さて!」
話すだけ話して、さて、と隆谷寺さんはわたしに近寄り、起きあがろうとしていたわたしを再び押し倒して寝転がし、わたしの上に跨った状態でわたしの首に手をかける。どうやら、これからわたしを絞め落とそうということらしい。
わたしは手で金的を握り潰してやろうかとも思ったが、当然のように隆谷寺さんの膝がわたしの腕に乗っかってきて、それが邪魔で腕が動かせない。抜け目の無さも一流だ。
そうしてわたしを絞め落とした後は、恐らく、適当に縛った状態で背負ったりでもしてどこかに運んで行き、連れ去るのだろう。それで適当な建物を見つけて、その中のどこかにわたしを監禁しては、来る日も来る日もわたしのカラダを乱暴するのだろう。
「ねえ、その言い方やめない?」
わたしのカラダを乱暴するのだろう。わたしも信じがたいが、事実として彼の口から出てしまった発言から、隆谷寺さんはそういう人だったと考えるしかない。
「この状況でもまだ擦るのか、その話を……まあ、俺も言い方が悪かったけどさ。今の時代ではそういう意味合いで定着しちゃってるらしいしね」
呆れたように言う隆谷寺さん。『今の時代』ってなんだよ。じゃあいつの時代の人間なんだよ、あんたは。
まだ首は絞めてこないが、何故絞めてこないのだろう?
早く絞め落とせば良いものを。
早く絞め落とせば、良かったものを。
「で?久凪ちゃん。最後に何か、質問とか…」
「今、しねって言いました?」
「はぇ?え、言ってないけど…?」
突然の、突拍子も無い質問に、彼は動揺を露わにする。
「いや、『定着しちゃってるらしいしね』の『しね』は違うじゃん。何?どうしたの?そんな、なんか変な言葉狩りみたいなことを急に言い出して…」
「わたしに死ねとは言わないんですね?」
「い、言わないよ。勿論、実際に殺しもしないよ。大切なサンドバッグだからね。というか殺せないし」
「わたしの場合はそうですね。でも、他の隊員の皆や福島県支部の皆さんは、何で殺さなかったんですか?」
「何でって、そりゃあまあ……無駄な殺しはしないほうが良いかなーって思って」
「そこですよ。実際、そんなに無駄でもない筈です。気絶させた人達を運んで部屋に隠して監禁して、見逃す人達にはそもそも自分の姿を見られないように工夫して戦術を駆使して、その時点で色々と手間がかかっているじゃないですか。それを省くための殺しだと考えたら、無駄ではない筈です」
「………」
隆谷寺さんは、何も言わない。
わたしは続ける。
「わたしをサンドバッグにするとか、そんなことのためだけに自衛隊を裏切るとか、そういう狂人じみた部分ばかりに気を取られて気付きませんでしたけれど、あなたは甘いんですよ。優しくはなくても、甘くはある。人を殺さないことに適当な理由を付けて、無意識に正当化しているだけでしょう?信念に基づいて殺さないのではなく、ただ甘さから殺していないだけなんじゃないんですか?」
「……それがどうしたんだい?」
図星かどうかが本当に分からない、動揺しても怪訝になってもいないように聞こえるいつも通りの声色で、隆谷寺さんは問うてくる。
わたしは答える。
「だから、助かったって言ってるんですよ。あなたの甘さに助けられた。今だって、わたしの弱点の説明とかしてないでさっさと絞め落としちゃえば良かったじゃないですか。そこで殊勝にもわたしの膝を治して、更に解説なんて始めちゃって、おまけにわたしに最後の質問なんて聞き出そうとするから、間に合っちゃうんですよ。いや、あなたからすれば、間に合わなかったと言うほうが適切ですね。だからあなたは、武術家としては失格です」
「何を……」
デパート中に響き渡るような悲鳴を上げるわたしを。
まるで誰かに助けを求めているかのように絶叫するわたしを、とっとと絞め落として黙らせるべきだったのだ。
隆谷寺愁弥さん。そういえば年齢不詳だが、相当な訓練を長年に渡って積んだのか、武術の技量は一流だろう。
しかし唯一弱点を挙げるとするならば、やはり甘さだ。
その甘さのせいで、わたしを気絶させるよりも前に、『彼』が駆け付けてきてしまったのだから。
「……ああ、なるほど。ミスったね」
あるいは、『彼』の直感の賜物か。彼はただの直感でAチームに残った。されども直感というのは莫迦にできないものだし、彼の直感に限っては尚のこと、信憑性がある。
今までにどんな人生を歩んできたのか知らないけれど、少なくとも彼が勝負師だということはわかる。いつだったか、彼は『勝てる相手と勝てない相手が判別できる』みたいなことを言っていたが、わたしがそれを聞いた当初に感じた疑わしさの一方で、今はあれが真実だったと確信できる。
しかも、勝てる相手・勝てない相手…だけじゃない。
例え相手が何なのか不明であっても、無意識に勝てる選択肢を選んでいたのだ。彼には、直感的に最善の選択肢が見えているのだ。
いや、まだ勝った訳ではないけれど、少なくともあそこで直感を信じてAチームに残ったことで、彼は隆谷寺さんの奇襲を受けずに、今こうして真っ向から相対することができているのだ。
わたしと同様に。
そして、わたしよりも遥かに強い彼が。
「てめえ、隆谷寺…!」
声を聞いて、隆谷寺さんが振り向くと。
店先に、馬垣くんが立っていた。




