『敵』の武術
「割とまあ、仮説に仮説を重ねた推理ではあったけども、結果的には真相に辿り着くことができたから、良かったと思うよ」
と、店の入り口に立つ『敵』は言うが。
「ああ、隆谷寺さん。本当にいたんですか」
「えっ」
駄目元で適当に言ってみたんだけれど、当たるものなんだな。
「うそーん……俺、嵌められたのかよ……」
「あははー」
いや、もう、当たって本当に良かった。もし店先に誰もいなかったらそれはそれで良かったけれど、違う人がいたら大恥をかくところだった。危ない危ない。
「いくつか不明な部分もありますから、その辺はあなたに直接訊いてみるしかありませんけれどね、隆谷寺さん」
さておき、肩を落とす隆谷寺さんに、わたしは言う。
「色々、話しましょうか」
「この状況で随分と余裕じゃないか。確かに、君を目当てにしているから君を最後に残したというのはあるけど、やっぱり君が一番脅威度が低いから最後に残したっていうのもあるんだよ?」
「わかっていますよ。でも、もう不意打ちはできませんし、ここは結構見晴らしの良い、広いお店です。地形的な有利不利はありません。わたしよりあなたのほうが格上だとは思いますけれど、まあ、これがあれば多少は何とかなるでしょう」
そう言って、わたしはナイフを取り出す。
ナイフや銃の扱いでは落ちこぼれだったわたしも、最近では訓練の成果として、ようやっと実戦でナイフを持たせてもらえるようになったのだ。余程の事が無い限りは使うなと言われているが、じゃあ今は使っても良いってことだろう。
こんな余程の事は、そうそう無い。
「ふうん……、意外と楽しめそうだ」
ナイフというのはかなり強力な武器だ。
小さくて軽いため、片手でも難なく振り回せる。素手とほぼ同じ速度での取り回しができる。しかし、破壊力は素手での攻撃を遥かに上回るのだ。
ナイフで刺すほうが正拳突きよりも強いに決まっているし、ナイフで斬るほうが手刀よりも強いに決まっている。勿論、打撃技には打撃技の良さがあるけれども、別にナイフを持っているからと言って打撃技が使えなくなる訳でもない。『武器に依存し、武器に使われる』というようなことが無ければ、単純に選択肢が増えるだけだ。
つまるところ、普通ならばナイフを持った相手に素手で勝つことは無理なのである。お互いの熟練度が同じなのであれば、不可能だ。
しかしそれでも、ナイフを構えるわたしを前に、隆谷寺さんのほうこそ随分と余裕があるということが、戦う前から格の違いをひしひしと感じる訳である。
別に、洋服店の場面で隆谷寺さんが上官から銃で撃たれたあの時、彼は被弾しても耐えたのではなく、単に射撃を避けただけなのだろうから、ナイフによる攻撃そのものが効かないくらい身体が頑丈だという訳でもないだろうに。
『ナイフが効かねえんだよ』という展開は無いだろうに。
「あの、とりあえず一通り、答え合わせをしときましょうよ」
「うん?」
せめてもの時間稼ぎを兼ねて、臨戦態勢に入りかけた隆谷寺さんに、わたしは尋ねる。
「まだ聞いていないことが色々あるので」
「ああ、そうだったね」
と、意外にも素直に応じる隆谷寺さん。
皆を狡猾に無力化した割には、付き合いの良い人だ。
『人』……だよな?
「もちろん人だよ。俺は貪食獣とかじゃないから。それで、一番気になっているのはアレかい?行方不明者とかが無事なのかどうかっていう話かな?それについては安心していい。俺はさっきの場面も含めて、これまでに一度も抵抗者隊員を含む自衛官を殺していないんだ。ちょっと気絶させただけだよ。行方不明者は今頃、その辺の建物の中に監禁されているところを発見されてると思うよ」
気絶、か。それは良かったけれど。
問題は……
「どうやって気絶させたんですか」
「え?いやまあ、脊髄とか延髄とか脳とかに打撃を…」
「殴ったんですか?」
「ん?ああ、いやいや、違う違う。いくら俺でも、女の子の顔面を殴ったりはしないよ」
そうか。なるほど、梨乃ちゃんの顎にパンチを入れて失神させたという訳ではなかったのか。
良かった良かった。ならばわたしは、冷静でいられる。
「梨乃ちゃんをやった時は、背刀で延髄に横方向の勁を……まあとにかく、俺だって野蛮なことはしたくないさ」
「それは結構。皆が無事ならそれで良いです。因みに、あなたに気絶させられた人の中には、『敵は触手を持つ怪物だったんじゃないか』と言う人がいたんですけれど、心当たりはありますか?」
「触手…?ああ、まあ、腕を触手のように柔らかく使う技も多様していたし、そう勘違いしちゃう人がいてもおかしくないかな」
「なるほど。まとめると、あなたは武術か何かの達人なんですね」
「あはは、達人ね。照れるなあ」
さて。まずは組織に属す人間として、必要最低限、質問しなければならないことは質問した。
ここからは、興味本位での質問をしよう。
「それで、あなたの動機についてですが」
自衛隊としては、あまり重要ではなく。
然るに、わたし個人としては最も気になっていた部分を、遂にわたしは質問した。
「うん、やっぱりそれを知りたいよね」
うふふ、と、不敵に笑う隆谷寺さん。
途端、鋭い目付きに変わった彼は、言う。
「俺はね、君の身体が目当てなんだよ」
「………」
…………
「えーと、それって……」
「え?あっ、いや!違う!違う違う違う!今のは言葉の綾!そういう意味じゃない!そういう意味じゃないから!」
「隆谷寺さん。わたし、あなたはそういう人間ではないんだと思いたかったです」
「違うって!君の『絶対に壊れない身体』っていうのが目当てだっていうだけなんだって!」
「どんだけ激しいプレイが好きなんですか」
「そうじゃない!そうじゃないんだって!一旦そういう下品なアレから離れてよ!」
「あなたから言い出したのに?」
「うわあああああ!」
……冗談はさておき。
「はあ、はあ……調子が狂う……いや、そのね?俺はただ武術家として、人間の形をしていて人間と同じ構造をしていて、そんでもって絶対に壊れないサンドバッグっていうのが欲しかっただけなんだよ」
気を取り直した隆谷寺さんは、また不敵に笑って。
「どんなに強く打っても壊れなくて、おまけに効いたか効いていないかが分かる打ち込み台なんて、最高じゃないか」
そう言って、再び臨戦態勢を取った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「くっ!」
「おっと。良いね、悪くない」
ナイフを振るうわたしに、纏わり付くように接近してくる隆谷寺さん。近寄ってきたかと思ってナイフを振るえばその時には遠ざっているし、それで安心かと思ったらまた近づいてくるし、全然気が休まらないというか、その……えーと。
わたしの攻撃を捌くにあたって、彼は両眼を別々に動かしているのだ。例えばある瞬間において、左眼はわたしの右手を、右眼はわたしの左手を見ていたりする。その顔面のビジュアルも相まって、何というか……うざい。
戦い方がうざい。
「良いね。ナイフっていうのは、そうやって当てる気のない斬撃や突きを繰り返して牽制しながら守りを固めていたほうが強いんだ。よく訓練されているね、君」
さておきこの男、戦いながら誉めてきやがる。
まるで、子供の全力の攻撃を軽く否す大人だ。
うざいどころか、まるで敵として扱ってくれない。
「逃げ回ってばかりだねえ。ほらほら、そんなんじゃいつまで経っても、どうにもならないよー?」
「いや、この場合は逃げればわたしの勝ちでしょ!」
「バレたか」
「っ!」
つい喋ってしまって一瞬気が抜けたわたしに対し、その虚を突くように間合いを詰めてくる隆谷寺さん。
わたしはナイフを構え、迎撃の姿勢を取る。
と見せかけて、わたしは大きく後退した。迎撃すると見せかけて後退するという作戦だったのだが……
「うい」
しかし、流石にもう読まれていたようで、隆谷寺さんは普通ならあり得ないくらいの深さの踏み込みで間合いを詰めてきたため、わたしの後退は意味を無くし、わたしは手を掴まれた。
意外なことに、ナイフを持っている右手をではなく、その逆の左手をだ。わたしは咄嗟にナイフで突き返したが、それはただ普通に避けられた。そして、わたしから見て左に避けた彼は、わたしの左手を掴んだままで……
瞬間、わたしの身体はふわっと持ち上がり、前に転倒しそうになった。その直後に隆谷寺さんのボディブローがわたしの腹のへその辺りに直撃し、わたしは後退りをしながらうずくまる。
今のは……普通に考えて、掴まれた左手から何かしらの力を加えられて前に転びそうになったのだろうけれど、しかしそんな感覚はあまり無かったのだ。もちろん、左手を捻られたような感じで関節を極められそうになったような感覚も少しはあったが、左手に何かされたというよりも、全身に何かされたという感じで、わたしは前方に転倒しそうになったんだ。
幸いなのか、うずくまるわたしに対して隆谷寺さんは、追撃を仕掛けてこなかった。
「ふう、ふう……」
「今の技、何だと思う?」
知らねえよ。余裕の笑みを浮かべながら言いやがって。
「まあ、わからないのも無理は無い。合気もやわらも擒拿術も、普通に生きていたら中々知る機会が無いからね」
「……良いんですか?こんな風に遊んでて。わたしを早く制圧しなきゃ、応援が来ちゃいますよ?あの御水見さんが本気で守りを固めたら、あなたの攻撃は通じません」
わたしは意味も無く、適当に挑発してみる。
「勿論それはあるから、多少は急ぐけども。ただ、君とはこれから長い付き合いになるんだから、ちょっとした交流をしておいたほうが良いかなーと思って」
「長い付き合い、とは?」
「だからほら、俺のサンドバッグとして、君をこれから持ち歩いて生きて行こうと思うんだよ。基本的には全身を緊縛した状態で持ち運んで、適当な部屋を見つけたらそこに監禁して緊縛を解いて、それから俺の打撃を食らわすんだ。食らっていくうちに段々身体が硬くなっていって、君は鋼鉄の肉体を手に入れることになるんだよ」
「まっぴら御免ですね」
「ならば精々抵抗者らしく、抵抗することだ!」
再び、隆谷寺さんは接近してくる。
わたしはナイフを構える。もう逃げ腰じゃ埒が明かないことはわかっているから、殺す気で挑まなければならない。
恐怖も不安もあるし、具体的に隆谷寺さんの攻撃をどう捌けば良いのかなんてわからないけれど、せめて意地だけでも負けないほうが良い。攻撃は最大の防御である。
「良いね!」
と、わたしの刺突を軽く避けて、連続で突くために引こうとしたわたしの右手をがっちりと掴みながら、わたしが攻勢に出たことにも全く怯まず、隆谷寺さんは誉めてくる。
わたしも(誉められながら)どうにかしようと試みるが、しかし掴まれた手は微動だにしない。男女の筋力差では到底説明が付かない程の、それこそ成人男性と幼児の差があると言っても過言ではない程の、それは圧倒的な万力だった。
不自然に隆起したイカつくてゴツい彼の手で、わたしの手首が握り潰されそうだ。
仕方なく金的蹴りを試みるわたしだったが、それも隆谷寺さんの脛の上部でガードされてしまう。隆谷寺さんの脛とわたしの脛がぶつかって、少なくともわたしの脛はめちゃくちゃ痛かったが、隆谷寺さんは全く痛そうにしない。
技量が違う。膂力が違う。頑丈さが違う。
わたしとは雲泥の実力差がある。
この人、こんな若さでどうやって、ここまでの境地に…!?
「ぐっ…!」
そして、脛の痛みに思わず前屈みになったわたしの顎に、隆谷寺さんの掌底突きが飛んできた。同時に、掴まれていたわたしの右手も捻り上げられ、わたしは体勢を崩して踏ん張りが効かなくなり、後方に吹っ飛んで仰向けに倒れた。
「小手返しをする時の逆の手の使い道は、やっぱりこれだね」
と、余裕な隆谷寺さんの独り言を聞きながら、わたしは身体の動きが鈍くなっているような状態だった。
掌底を顎に食らった辺りから、何だか全身が麻痺しかけているかのような感覚がある。さっき銃でヘッドショットを食らった時もそうだったけど、これが脳震盪なのだろうか?
わたしはかろうじて、かろうじて起き上がるが……
そうだった。わたしの身体は外傷は負わないが、神経系がストレスに対して全く反応しなくなる訳ではない。神経の閾値が上がっている訳ではない。
脳に衝撃を受ければ、脳震盪くらいは起こるのだ。
隆谷寺さんを見てみると、さっきよりかは歩いてくる速度が速かった。恐らく、もうそろそろ片を付けてしまおうというつもりなのだろう。
参ったな。まさか無敵かのように思えたわたしの肉体の弱点が、顔面へのパンチというありふれた攻撃だったなんて。
「パンチじゃないよ、掌底だよ」
「同じようなものじゃないですか……、っていうか隆谷寺さん、女の子の顔は殴らないんじゃなかったんですか?」
「殴ってないよ、掌底だよ」
DV男が言いそうな謎理論だった。
「さて、そろそろ終わらせようか」
「…!」
まずいな。この人はその気になれば、いつでもわたしを気絶させて寝転がすことができる。わたしはそれをなるべく先延ばしにさせて時間を稼ぐ腹づもりだったのだが、予定より少し早い。
ごめん皆、もうこれ以上は保たない。
「あ、そうだ。君の弱点の一つとして脳震盪があるっていうのは今のでわかったと思うけど、多分、多分ね?もう一つくらい弱点があると思うんだよねー」
「何ですか?鞭による拷問ですか?」
「いや、痛みはほら、訓練次第で感じにくくなるじゃん?そうじゃなくて、俺が言いたいのはさあ……」
言いながら近づいてくる隆谷寺さん。当然、わたしは自分の弱点とか知りたくもないので、構わずに迎撃を試みる。
わたしももう余裕が無い。いや最初から余裕が無いのだけれど、とにかく仕方ないから、もう彼の命を奪ってしまおうと思う。この人は殺しでもしなきゃ、どこまでも追ってきそうな勢いだ。間違いなくこれは正当防衛である。
……とは言っても、わたしは実際には殺さないんだろうけどね。
そう、わたしはこの状況に陥っても尚、相手が人間であり、そして相手の標的が自分だけであり、自分以外の人間を殺した訳ではないという理由だけで、実際に相手を殺そうという気は持たないのだ。
あるいは、実際に殺す勇気が無い……か。
とにかく、だからわたしの場合は、『殺してしまおう』と意識するくらいが丁度良いのだ。
隆谷寺さんは、右の拳を握る。今度は正拳突きか?ついに女の子の顔を殴るのか?あるいは中段突きか、いずれにせよ、もうそろそろ彼の動きにも慣れた。避けてから決死の覚悟で踏み込んで、乾坤一擲の反撃を……
「…え?」
ーーー気が付けば、わたしは倒れていた。
隆谷寺さんの右の正拳突きを、わたしから見て左に避けようとした…と思ったら、わたしは左に倒れていた。
鈍くて鋭くて低くて高い音が鳴り響いて、それと同時にわたしの左脚の支えが無くなったかのような、そんな感覚で……
「ほら、こういうことだよ」
「あ、ああ……!!!」
直後、遅れて絶大な苦痛が襲いかかる。
苦痛だ。痛いし、苦しい。痛みと苦しみの合計値で言えば、過去最高の苦痛。
左足だ。左足に、何かされた。
わたしは、それこそ気絶しそうになるくらいの苦痛の中、何とか自分の左足のほうへ顔を向けて、脚の状態を確認することには成功したのだが。
わたしの左膝が、折れていた。




