前編
学校を出て最初にお勤めしたのは青山のオフィスだった。
笑っちゃうくらいにあどけないミーハーで、なまじ服飾に興味のあった当時の私は、青山のドレスコードにタジタジとなり……実家暮らしをいい事に全てをコーデにつぎ込んだ。
そしたら色々なものが見えて来て……「私にもできるかも?」と最初の転職でアパレルの世界に飛び込んだ。
でもそれは思い描いていた世界とは大きくかけ離れていて、私は女というイキモノにすっかり嫌気が差し(あ、業界の男ドモにもだけど)その挙句に悟ったのは『自分には創る才は無い』と言う事。
アラサーとなり、ストレスと絶望ですっかり疲弊した私の手の中に残ったのは……ゴッソリとローンが残っているマンションと「物を売る事ならなんとかできるのでは?」と言う淡い期待だけだった。
しかし、この歳でプーになってからの再就職は厳しく、書いた履歴書が百枚を超えても正社員の口は見つからない。
文字通り『食うに困り始めて』……近所の商店街のパン屋さんでは袋いっぱいのパンの耳が安く手に入ると聞きつけ、スウェット上下で出掛けて行った。
“パンの耳”の常連となりパン屋の女将さんとも世間話をする様になって……商店街と言う場所は決してオワコンでは無いのだと思えて来た。
その可能性に賭けてみようと思った。
私は目指す業界を変え、職安にも日参した。
その結果、どうにかこうにか就職できたのは日用品を扱う『カキタ』という会社だった。
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3か月の試用期間を過ぎ、初めて担当として持たされた太桂屋さんはそんな商店街の中にあった。
太桂屋さんの社長は業界の顔役で、いわゆる厳しい人だ。専務は社長の奥さんで美人だけどお店に立つタイプでは無い。結婚前は丸の内でお勤めしていて……当時、外商で出入りしていた社長が見初めてプロポーズしたらしい。
専務が私達セールスと話す内容は専ら“違算”についてで……若い男の子のセールスには寛容だがオジサンや女には手厳しい。この事は担当になってすぐに判ったので……前に担当していた乾課長(私の上司)がほったらかしにしていた違算処理を真っ先に行い、折り目正しくしていた。
次に担当として持たされた平野屋さんは住宅街の中にあるお店で、三階建てのビルの中に店舗と倉庫があった。隣がファミレスなので、私はしばしばファミレスの駐車場に車を停めて、そこから台車で商品を運び納品をしていた。
その様子をたまたまファミレスで食事をしていた平野屋の奥様(彼女が実質の決裁者だった)に見つかってしまい、私は平謝りしたが
奥様から「実はここの土地もウチの所有なの!売り買いの商売だけじゃなかなかやっていけないからね」と大らかに笑って許してくれただけでは無くランチまでご馳走になってしまった。
本来は逆に接待をしなければならない立場の私が……得意先でご馳走になったのはこれが初めてだった。
平野屋の奥様とは趣味が合って話が盛り上がり、商品のレイアウトのやり方のご教授から始まって……一緒にお出かけする程の仲になり、映画館や美術館、はたまた観劇まで連れて行って下さった。
その内の何割かは経費で落とす事ができたし、平野屋の奥様にはこの方面でも色々とお世話になり、私も少しはセンスと知識の幅を拡げる事ができた。
もし私が男だったらこうはならなかっただろう。
異業種に来て初めて、私は『女で得する事』と指折り数える事ができたのだった。
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私の所属する『独立店舗課』は乾課長が頭でこの間昇格したばかりの河野主任がその下に居る。乾課長と河野主任は同じ大学の出でサークルの先輩後輩と言う間柄で……そのサークルのそのまた後輩だったのが木戸さんと山下さん。
『独立店舗課』は私を含め6人だから、いかに“取り巻き”が幅を利かせているかは推して知るべしだ。
『量販店課』や『WEB特販課』に比べ『独立店舗課』の業績が良いとは言えないのは、決して昨今の購買情勢だけでは無く、所属しているセールスの営業力の低迷だと私は思う。
なぜなら私が担当した店舗は全店、売上が伸長しているからだ。
「女が配属されるって聞いたから、もっと可愛らしいヤツかと思った」なんて文言を平気で吐く様なレベルの低い取り巻きドモだから……独り立ちして早々に“結果を出した”私へのやっかみが激しく、何かと言うと「女のくせに!」を連発するウザい先輩達だ。
だから私はため息まじりで……『女で損する事』と指折り数える羽目となっている。
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そうやって順調に得意先の売り上げを伸ばしていた矢先に“事件”は起こった。
それはある朝、太桂屋さんで品出しをしていたのが発端だった。
「何を勝手な事してやがる!!」
店内にお客様が居るのにも関わらず、社長からいきなり大声で怒鳴られて、自社製品を棚に置く手が凍り付いた。
「女だと思って甘くしてるとこのザマか?! てめえオレを舐めてんのか!!!」
振り返らなくてもいかに社長が怒っているのかが分かる。私自身、“他社さん”がその様な目に遭ったのを目の当たりにしたことがあるから……
とにかく私は後ろを振り返りながら頭を下げた。
「申し訳ございません。すぐに撤収します」
私が棚に納めていた“イチ押し”の自社製品達を段ボール箱へ戻し、バックヤードに引っ込めようとすると社長からまた怒鳴られた。
「まだだ!! 倉庫に積んであるものも一切合切今日中に引き上げろ!!」
この『取引停止!!』を意味する言葉で、さすがに血の気が引いた。
『自社に割り当てられたスペース内の商品のやりくりは自由裁量』という暗黙の慣習の内の事なのに一体なぜ?!!
自問自答する私の耳に、口さがない“他社さん”の会話が入って来る。
「あそこまで社長を怒らせたら収拾つかねえよな!『カキタ』さんやっちまったな!」
「あの女、結構やってたからなあ 自業自得だよ!」
「やってた? ヒダヒダでか?」
「何エロボケしてんだよ! “やり部屋”は『ひだ清』だろ?」
丁度各メーカーのセールスがひしめいている時間で“他社さん”の注目を浴びながら上司に電話を掛けた。
「あの、乾課長!申し訳ございません!太桂屋さんでトラブりまして……」
『何だとっ!!』
スマホを押し当てた耳を課長の怒号が突き刺した。
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お客様の邪魔にならないように気を付けながら、あちこちの棚に置かれた自社製品を撤去していると同業他社の“男の子”が手伝ってくれた。
「フロアーチーフも手伝わないなんて大変だね」
「……仕方ないわ、社長の逆鱗に触れてしまったから」
「『カキタ』さん、何やったの?」
彼のエサになるのは『空いた棚』だけでいい! 彼が喜々として手伝ってくれているのは自社製品を入れ込む為の“陣取り合戦”の為だし……
怒鳴られた状況を口にして、こいつらの興味本位のネタになるのはごめんだ!
旧態依然としたこいつらは……女のセールスの武器は“枕営業”で、その成否でその後の商いが決まると思い込んでいる。
それは飛んでも無い事だ!!
私は“枕営業”なんてしていないし……第一、この太桂屋さんで万が一でもそんな事をしたら専務から目で射殺されるに決まってる。
台車に段ボールを積み、ため息を飲み込んでバックヤードを抜けると社長自らフォークリフトを操ってウチの商品をパレットごと表に出していた。
「立石!!!」
社長が私の名を怒鳴り、台車を放り出さんばかりに飛んで行くと思いっ切り睨まれた。
「今日は雨降るからよ! 早いとこ引き上げねえと知らねえぞ!!」
小一時間後に乾課長がトラックを伴ってやって来て、社長へ詫び入れる為に事務所へ上がったが……元々“苦手なタイプ”の社長から一喝され、課長は憮然として戻って来て、私に当たった。
「お前が責任を取れよ!」
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社の倉庫は古く蛍光灯の明かりも時々チカチカする。
私の目の前は太桂屋さんから返品され、積み重ねられた段ボール箱が壁を作っている。
私はマスクに軍手のいでたちで熨斗紙が黄ばんでいた年賀タオルを持ち、商品を拭きながら再販可、不可と仕分けしていく。
『女はおしゃべり』なんて事を男はよく口にするが、さっきの太桂屋さんでも、雨がトタン屋根に当たり始めたこの倉庫でも耳障りな『男のおしゃべり』が聞こえて来る。
「やっぱり課長は見るとこ見てますよね」
「そんなの当たり前じゃないですか! 河野さんが主任に昇格した時は胸がすく思いでしたよ! 立石なんてどーせ“枕”専門でしょ?」
「まあな!ちょろこい商売したっていつかは馬脚を現すってことさ!」
冗談じゃない!!
アパレルから転職した私は『この業界、女のセールスはまだまだ珍しいから、その分、ウケがいいだろう』と癖のある得意先ばかりあてがわれた。
あの平野屋さんでさえ、恐妻家の社長を和ませる目的の為に、私は送り込まれたのだ。
確かに、“女性”というだけで珍しがられたり可愛がられたりもした。
自分では『私、女としては随分壊れているよね』と思っていても、いつも笑顔を絶やさず接していれば、キッカケの糸口を見出すことができた。
そのあたりは前職の“拗れ具合”より随分と楽だったのは事実だ。
そういう意味では『女は得なんだなあ』と感じもしたけれど『枕営業』なんて断じてやっていない!!
そんな事をしなくたって、それなりにうまく出来ていたつもりだ。
その筆頭が太桂屋さんだったのに……
一体なぜ?
考えたくは無いが“専務”がありもしない事を社長に吹き込んだのだろうか……いつもジトッ!と睨まれていたからなあ……
「立石!まだ居るんだろ?! お前が散らかしたんだから掃除もしておけよ!」
「立石ちゃ~ん!お疲れ~! せいぜい頑張ってねー!」
“実績”を下駄ばきさせてもらって主任に昇格した河野とその取り巻きドモが私をバカにして去って行く。
ロクに仕事もできないヤツらにこういう口を利かれるのが一番腹が立つが、得意先に取引停止を食らったのはこの私だ!
何も言い返せない……
『立石!! 事務所へ上がって来い!!』
倉庫の柱にくっ付いているスピーカーが乾課長のガナリ声を響かせた。
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事務所へ上がって見ると乾課長は自席にふんぞり返っていた。
「さっき、太桂屋さんから電話があった。『お前ひとりで』詫び入れに来いって話だ」
「はい」
「お前、“ひだ清”の場所知ってるよな! 座敷予約しておいた」
“ひだ清”は業界御用達の料亭だ。
比較的リーズナブルな価格で料理も大した事は無いが“誰にも邪魔されない”奥座敷があり、仮にそこで知った顔に出会ってもお互い挨拶も無く見なかった事にする。そんないわくつきの料亭だ。
その“ひだ清”で女一人が接待すると言う事は……
酒と料理だけの接待では無いと言う事。
「お前、“魚心”は分かるよな!人にばかり“尻”ぬぐいをさせんなよ!!」
こう言われて私は押し黙った。
脳裏に小学校の頃の情景が浮かぶ。
クラスには、都合が悪くなるとすぐ泣いて、うやむやにしてしまう女子が……何名か居た。
『女の面汚しだ!!』と本気で思ったし、口にも出した。
仕事という物を始めたのはマネキンのバイトが初めてだったけど……そこから今の職場まで『女を武器にしている』人達の事を何度となく見聞きした。
もちろん口には出さなかったけれど……小学校の頃と同じ思いを胸に抱えた。
その私が……今、『“女”を使って治めろ!』と言われている。
いっそ進退伺いを出してしまおうか……
でも、そんな事をしたら次の就職先は更に遠のくだろう。
それにこんな投げ出し方では、自分の失態の責任を取った事にはならない。
私は自分の至らなかった所に対して、真の償いをしたい!
男なら!!
それが出来るのではないだろうか……
私は俯いたまま唇を噛み締め
『女で損する事!!』
と、心の中で指折り数えた。
しかし、その私は今、自分の長い髪を垂らして、みっともないそのザマを自ら隠しているではないか?!
所詮、世の中、きれいごとは通らず、欲得が通る物!
私は覚悟を決めた。
たまたま新しい下着を身に着けていたが……
これが勝負下着になるとはね……
後編へ続く
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