悲劇の合同授業
「ほら、皆! ちゃんとペアの相手、確認しておくんだぞー!」
ざわめきの絶えない教室の中で、先生が大声を張り上げた。
レゾッロ学園の合同授業では様々なコースに属する生徒が一斉に集まるため、毎回一際大きい教室を用意することになっている。
そのため、前後左右からはいつもより多くの生徒たちの声が、そして教卓からは教師の呼びかける声が重なって、教室の中はひどく騒がしかった。
しかし、フェイは教室の前方に掲げられたスクリーンを見つめたまま、ひと言も発さず、全くといっていいほど動かない。
彼女の視線の先に映されているのは、今回の授業で共に課題に取り組むペアの一覧表だった。なるべく別のコースの生徒同士で組むことが出来るように、そして成績の良し悪しなども考慮した上で、教師の一任によって決められているらしい。
レゾッロ学園では、このような合同授業は年に一、二回ほど開催されている。
フェイ自身も入学してから、かれこれ二回ほど経験していた。幸いにもこれまでのペアは、フェイと同じく真面目なタイプの人たちだったので、特に苦になることはなかった。
同じコースの生徒同士でペアになることは絶対にないので、おそらく全くの他人が相手になるだろうが、なんだかんだで上手くやり過ごせるだろうと、授業が始まるまでは楽観視していたのだ。
それなのに――。
フェイ・ミラーという名前の隣には、『ジーク・フェンデル』という嫌な予感しかしない名前が並んでいた。
「ねぇ、フェイさん。ペアはどんな方だったの? 私たちは、二人とも魔法士コースの女の子でしたわ」
「えぇと。フェイさんの名前……ありましたわ! お相手は、ジーク・フェンデルさん……?」
「あら、その方は確か代々騎士の家系だったと思いますわ。何度かご家族に挨拶したことがありますもの」
「まぁ、代々騎士だなんて、とってもロマンチック!」
フェイの名前を見つけ出し、好き勝手に話している二人だったが、フェイには二人の会話に口を挟むような心の余裕はなかった。
(ジーク、なんてそう珍しい名前でもないんだし、全くの別人っていう可能性もまだ残ってるよね……)
現実を直視したくないフェイは、ジークなんて世の中にありふれた名前だと自分に言い聞かせた。
きゃっきゃと話し込むお嬢様二人と、黙り込んで浮かない表情をしているフェイ。
そんな三人の近くに、ぬっと影が忍び寄った。
「ね、君たち。今、ジークって言ってたよね」
突如降りかかってきた男性の声。三人が揃って振り向くと、そこには茶髪でお洒落な雰囲気が漂っている男子がいた。
(だ、誰……)
いつからそこにいたのだろうか、全く気配を感じなかったが、それはフェイだけではなかったようだ。他の二人も、目を丸くしている。
「え、ええ……。確かに言いましたけれど」
「そっかそっか! で、誰がジークとペア組んでるのかな?」
フェイたちは三人で顔を見合わせた。おずおずとフェイは手を少しだけ上げる。
「私です、けど……」
「そうなんだ! でも、どいつがジークだか分かんないだろ? だから教えてやるよ! ほら、あそこに座ってる、黒くてデカいの!」
彼が指差した先にいたのは、がっしりとした男子たちと一緒に座っている、一際大きな身体をした男の人。フェイの嫌な予感はばっちり当たっていた。
きっと向こうもフェイが相手でがっかりしているに違いない。
そう思って、フェイは一瞥して彼の姿を確認すると、すぐに目を逸らした。たとえ嫌われていると分かっていても、自分が嫌がられる姿を目の当たりにしたくない。
「あいつ、見た目はイカついけど、悪い奴じゃないからさ! じゃ!」
それだけ言い残して、彼はジークのいる集団の方に戻っていった。もしかしたら、今の男子も騎士見習いなのかもしれない。
「今の方、何だったのかしら」
「さぁ……。でも、ジークさんって方、騎士にしてはかなり野性的ですわね」
先程の男子に聞かれないように、ひそひそと声を潜めて話す様子を、フェイは黙って見ているだけだった。
やがて時間が経つにつれて、好き勝手に立ち歩いたり、お喋りをする生徒が段々と少なくなったところで、先生が課題に関する詳しい説明を始めた。
「今回の課題は、魔物に関するレポートだ。ペアで一種類の魔物を決めて、それについてテーマを設定して話し合って協力しながら書くんだぞ!」
魔物についてのレポート、というのは今まで書いたことがない。けれど、騎士や魔法士コースの生徒は、その性質上、こういった課題はよく出されているようで、安堵するような声がちらほらと聞こえてきた。
「魔物だなんて、何だか怖いし不気味ですわね」
「本当に。ペアの方のお役に立てないかもしれないですわ」
もちろん、フェイたちのように文官の勉強をしている生徒にとっては、全く馴染みがなく、かなり難易度が高い。そのあたりは、相手に助けてもらう必要があるだろう。
それでも、フェイにとっては、課題のテーマなんてどうでも良かった。ただただ、自分を嫌っている相手と一緒にレポートを書かないといけないという、最悪の状況だけがひたすら心に重くのしかかっていた。
***
「おや、いつものお客さん、今週も来てくれてるみたいだね」
三毛猫堂のオーナーが、コーヒーを淹れながら独り言のように呟く。フェイはその横でサンドイッチを作りながら、心の中でため息をついた。
(あれから、もう一週間経ったのね)
合同授業のペアがジークに決まってから、フェイはずっと気が気でなかった。
仮病を使って欠席することも頭をよぎったのだが、出席点が引かれることを思うと、結局そんな勇気は出ず。
明日の昼過ぎには、再びあの教室で合同授業が行われるのだ。
この間は初回授業ということもあって、ペアの発表と課題の説明だけで終わったが、明日はおそらく実際にペアに分かれての作業が中心になるだろう。
(せめて、迷惑だけはかけないようにしないと……)
そう心に決めたフェイは、今週はずっと勉強の合間を縫って、魔物に関する資料をまとめていた。ジークは騎士として、魔物のことをフェイより学んでいるだろうから、せめて足手まといにならないように最低限の知識は頭に入れておきたい。
「はい。コーヒー出来たから、お願いね」
オーナーは目元に刻まれた皺をさらに深くして、白磁のカップの半分程度まで注がれた黒い液体をカウンターに置いた。
既に具材を挟んで出来上がっていた、卵フィリングとレタスのサンドイッチと一緒に配膳用のお盆に載せる。
いつも通りの休日の朝、この店のお客さんもいつも通り、ジーク一人だけだった。せめて他のお客さんもいれば気が紛れるのだが、この店のピークタイムは昼過ぎからだ。
気まずい気持ちに蓋をして、たった一人の客のため、フェイはもはやジークの指定席でもあるボックス席まで歩いていった。
「お待たせしました。コーヒーと卵サンドです」
注文品をお盆から下ろして、丁寧にテーブルに移す。
ジークはちらりと視線をコーヒーに向けただけで、すぐに窓の外に顔を向けた。
一仕事終えたフェイは、そのまま厨房に戻ろうと背を向ける。すると、後ろから不機嫌そうな声を浴びせられた。
「ちっ……おい」
短いながらも、明らかにフェイのことを呼んでいるであろう声。フェイは一瞬だけ固まったが、すぐにジークの方へくるりと振り返る。
「はい。何でしょうか」
口角を意識的に引き上げて、笑みを保ちながら尋ねると、彼は馬鹿にするように目を細めた。
「お前、魔物のことなんざどうせ何も知らねーだろ」
笑いを含んだ、嘲るような言葉。
いつまで経っても、棘のある台詞に、視線に、フェイが慣れることはない。
「今度までに、精々お得意の勉強でもしとくんだな」
フェイの心は確実に抉られている。しかし、彼女の表情が崩れることはなかった。
「ええ」
短い返事だけを発して、フェイはジークの前から離れた。
彼女の心中の荒れに、結局誰一人気付くことは無かった。
その後、バイトが終わって寮の部屋に戻ってからも、ジークの言葉は彼女の脳裏にこびりつき、一晩中離れることはなかった。