3、アシェリと言う人
僕の名前はセルティス・スタッド 5歳。
僕はスタッド伯爵家の嫡男だった…。
両親が馬車の事故である日突然死んでしまった、その時4歳だった。すると僕の家には叔父夫婦がやって来た『これからは叔父さんたちがいるから大丈夫だよ』 僕はこの言葉を信じた。信じるより他に出来ることもない、だって僕は子供だったし、両親は優しかった、当時の僕は人の悪意とは無縁の幸せな世界でしか生きてこなかった。だからあんなことが起きるとは思ってもいなかった。
最初の異変は家のものがどんどん減っていったことだ。
お母様の宝石箱やお父様の宝石のついた釦、それに家具や調度品も無くなっていった。それから僕の部屋にあるものも 金目の物は取り上げられた。売るものがなくなると叔父夫婦は辛く当たるようになった。家にある温かい思い出がどんどん失われていくのを見ているしかできない……何故こうなったかは分からなかった。
金目のものが無くなったのか、僕は部屋に閉じ込められ、1日1食の食事が2日に1度、3日に1度になった、それに食べ物が固形物ではなく薄いスープになった。部屋から出られず食事も満足に出来ず、体は重だるくベッドに横たわる日が増えるようになった。ああ、このまま僕は死ぬんだな、そう思った時扉が開いた。
そこにいたのは老紳士
『あなたがセルティス君ですね?』
コクリと頷いた。
『私と一緒に参りましょう。ここにいてはあなたは死んでしまいます』
コクリと頷いた。
伸ばされた手を必死で掴み、その老紳士と共に屋敷を出た。家族との思い出の家を出る時、何も荷物は持ち出せなかった、だけどどの道殆どの物は売られてしまった後で、残っているのは枕の中に隠したお母様の宝物と家族の小さな肖像画だけだった。それだけは奪われまいと必死に隠し守った物だ。それだけを懐に忍ばせ、老紳士に抱き上げられスタッド伯爵家をでた。振り返る事はなかった、だってそこに僕が大切にしている物はもうないから。
連れて行かれた屋敷は自分の屋敷と比較するまでもなく大豪邸だった。
「あ、あのここは?」
「ここはガーランド公爵家のお屋敷ですよ」
「ガーランド公爵家? 何で僕が?」
目の前には優しそうな男の人がいた。僕は体に力が入らず老紳士の腕の中からただ見ていた。
「セルティス 君が元気になったら話をしよう、兎に角 今は美味しいものを食べてゆっくり休みなさい、いいね?」
「はい」
老紳士から話を聞いたのは2日後だった。
老紳士はこのガーランド公爵家の執事のハーヴェルと名乗った。ハーヴェルさんの話では、僕のお母様とガーランド公爵家のアマランド子爵夫人は友人で、手紙の交換をしていた。その手紙がいつまで経っても返事がこなかったためアシェリの母 ケンスレットは様子を見に行かせたのだ。すると友人は事故で死んだと言う、だが友人である自分にその知らせが来ていない。その上、セルティスの母 ステイシアは夫の弟のロータス・スタッドから度重なる金の無心があり、その金遣いの荒さが恐ろしいとあった事を思い出し夫に相談した。
調べるとすぐにロータス・スタッドが伯爵家を継ぎ、家を乗っ取った事がわかった。ただ、セルティスの事だけはすぐには分からなかった。伯爵夫妻が亡くなった後姿を見なかったからだ。だから使用人に金を握らせ話を聞くと部屋の中で監禁されていることがわかった。
そこで相談の上、セルティスをガーランド公爵家で引き取る事にした。
書類上、既に父レーニンから叔父ロータスに爵位は譲渡されていた為、ロータスはセルティスを生かしておく理由がない、だから酷い仕打ちをされていたのだ。普通であれば証拠であるセルティスは渡せない、だが相手はよりにもよってガーランド公爵家、無碍に断ることができなかった。『友人の忘形見ですもの 私が預かるわ』そう言われれば断る事はできなかった。多少の不安はあったが、口減らしにもなる為了承した。
こうしてセルティスはガーランド公爵家にやって来た。
事の次第をハーヴェルさんから聞くと、ああそう言うことだったのかと静かに納得した。
ケンスレット夫人はとても優しかった、ケンスレット夫人だけではなくガーランド公爵家の人々は優しく1人の人間として接してくれた。ご嫡男のステファン様と1つしか違わない事もあり、一緒になんでも学ばせて頂いた。だが、落ち着いた生活ができるようになると、今後 僕はどうしたらいいのだろうか、と悩むようになった。今の扱いは完全に伯爵家令息として礼節を持って接して頂き、ガーランド公爵家の使用人たちも伯爵家の令息として扱ってくださる。だけど爵位もない私はこの様な対応をしていただける身分でもない。お世話になりっぱなしなのに、お返しできるものがなくて心苦しかった。だからせめて教えていただける事は必死に覚えた。いつか、お役に立てる様にと全力投球した。
ガーランド公爵家の皆は私を受け入れてくださり、共に食事を摂る事も許し、伯爵家子息としての体裁も整えてくれた。そしてステファン様の学友・友人として家に置いてくださった。
ステファン様は少し神経質そうなところがあるが、このガーランド公爵家を継ぐ者として朝から晩まで努力を惜しまなかった。先日借りたものを返しに夜部屋を訪ねた時も、その日間違えた問題を何度も何度も解いて頭に叩き込んでいた。ステファンは現在5歳だが既に8歳の問題を猛勉強中だった。5歳児としては神童と言うほど優秀だったが、それでもステファンは満足しない、周りもそれを許さない。僕のスタッド伯爵家は平和だったな、なんて密かに思っていた。
常に上を目指すステファンは僕にとって尊敬すべき友人だった。
それから妹アシェリ嬢はまさに天使だった。
ほわほわ笑うと周りの者も釣られて笑ってしまうほど纏う雰囲気は温かく周りの者を幸せにした。公爵令嬢として彼女に望まれる事は学力ではなく淑女としての良識と慎みとマナー、そして良家との婚姻による強固な結びつき。同じ家の子供なのに扱いは全く違うものだった。
ステファン様を『にーたま』僕を『にーに』と呼んだ。セルティスはアシェリ嬢が呼ぼうとするとテルティトゥにーたまになるのでちょっと長くて大変らしい、諦めての『にーに』。
初めて会った時、僕の袖を引いて抱っこを強請られた時は驚いた。ああ、抱っこか!した事ないけどやってみようと腰に腕を回し抱き上げた。思っていたより重かった。落とすまいと必死になればなるほど力が入り『にーに 痛いの 痛いの』と泣かれて困ったものだ。それから抱っこのコツをハーヴェルさんに聞いてちょっとステファン様で試した時はすんごい嫌がられたっけ。4歳が2歳を抱っこするのは本当は大変だったけど、必要とされることが嬉しかった。ステファン様は公爵家の手伝いもあって忙しかった、だからアシェリ嬢の面倒を僕が見ることが多かった。そして仲良くなると『アーシェ』と愛称で呼ぶお許しも出た。僕たちは本当の兄妹以上に兄妹だった。家族を失った僕にとってアシェリ嬢だけが本物の家族のようだった。どこへ行く時も僕の手を握る愛しい妹。それが、僕たちの天使はあの日を境に変わってしまったのだ。
部屋から出てこようとしないアシェリに「にーにだよ、入ってもいい?」と声をかけても返事はない、そこで部屋に入ると泣き叫んで布団にくるまる。その怯えた様子に尋常ではないものを感じた。それと同時に酷くショックを受けた。僕とアシェリの関係は良好でアシェリは僕に何でも話してくれる関係だった。それがまるでリセットされたかの様に拒絶されたことに自分自身が傷ついていた。僕にとってアシェリが僕を必要としてくれることがこの家に僕がいる存在価値だったのに、何もかもを失ったようだった。
現在 アシェリの世話をしているのは侍女のカンナただ1人。他の人には怯えるのでカンナが全て面倒を見ていた。食事もダイニングに行くくらいなら食事を摂りたくない、と駄々をこねるので仕方なく部屋まで運んでいる。
カンナに食事をさせるのを僕が代わると言うと首を振った。恐らく怖がって食事を摂ることが出来ないからと。それが酷く悲しくて視界が滲んだ。
「セルティス様 そうではないのです。お嬢様はセルティス様が恐いのではなく、今回心無い言葉で傷つけ暴力を振るった王子殿下たちは5歳と4歳…、年恰好が近いのでどうしても思い出してしまわれるのです。セルティス様自身を恐れているわけではないので、嫌いにならないでいてあげてくださいまし」
すまなさそうに答えるカンナ。
どこかホッとして 同時に怒りが湧いた。
4歳、5歳と言えば、セルティスがこの公爵家に来た歳のセルティスとステファンだ、幼い王子と聞いていたから失念していたが、アシェリほど小さくもない! しかも2歳当時のアシェリは既に思いやりのある天使だった。それが一国の王子ともあろう人間がそれほど低俗とは!! あの小さな天使が変わってしまうほど恐ろしい目に遭ったのか、胸が詰まって今すぐアシェリを抱きしめてあげたくなった。
よし決めた! アシェリに何度拒絶されても僕は諦めない!
僕がこれからはアシェリを守ってやる!! 絶対に傷つけたりしない!!
「ねえ、アーシェ 僕だよ『にーに』ここにいてもいい?」
そう言って長い時間をかけて少しずつアシェリに近づいていった。
夜中もアシェリはよく泣いていた。本当ならカンナを呼ぶべきだけど、アシェリの全てのことをカンナが1人で見ているため、疲れて寝ているところを起こすのは忍びなかった。だからセルティスがそっと部屋に入って様子を見にいった。
「アーシェ にーにだよ。恐い夢でも見た? 大丈夫?」
「にーに にーに」
必死でしがみつく手が小さくてそっと手を重ねると冷たかった。恐らくギュッと握って耐えていたのだろう、涙が止めどなく流れている、夜という事もありカンナを呼べずに、不安な夜を1人で耐えていたのだ。その健気さに涙が込み上げる。
「アーシェが寝るまで僕がこうして手を握っててあげる、だから安心して寝ていいよ」
「ずっとこうしててくれる?」
「うん、ほら肩までちゃんと布団をかけて。こんなに手が冷たいくなってるから」
アシェリの好きな物語を語りながらいつの間にか自分が寝てしまっていた。だけど寒くは無かった、何故ならばベッドの横にもたれていた僕の横にはアシェリがいたから。眠ってしまった僕の横に降りて来て僕と自分を布団でくるんで一緒に寝ていた。
ああ、やっぱり天使はいなくなってしまったわけではない、ここにいたんだ。
それから間もなくしてアマランド夫人(アシェリの母)に呼ばれた。
内容はアシェリが人を怖がるようになってしまったが、いつまでもこのままというわけには行かない。そこで男性に免疫をつけるために僕に従者としてそばについて欲しい、今まで通り貴族の令息としての勉強はして構わない。ただ今はアシェリのそばにいてやって欲しいという事だった。大恩があるガーランド公爵家の願いであり、自分の願いでもあった。二つ返事で了承し正式にアシェリの従者として側にいる名分を手に入れた。
だが実際は僕がアシェリの傍にいるのではなく、僕の傍にアシェリがいた。
と言うのも相変わらず人全般を苦手とするため、アシェリの令嬢教育は止めたままだった、となると部屋に篭るしかない。だからその間 僕は自分の勉強をすることになる。そうなると離れ離れ、
「アーシェ 僕は算数を勉強してくるから授業が終わったらまた来るね」
「やだ。行っちゃ駄目」
「んーーー、アーシェ、ごめんね」
困った顔をしているけど内心デレデレだった。可愛い俺のアーシェ!
そうそう、アシェリからアーシェと再び呼べる様になった時はガッツポーズした、親しげに愛情を込めて呼んでいる、自分だけの愛称とか かなり萌える。自分だけにしか懐かないとかって 独占欲や征服欲を掻き立てる。
「……じゃあ、アーシェも一緒に行く」
「一緒に行くの? いいけど勉強だから飽きても大人しくしてるんだよ?」
「うん、セルにーにの傍がいい」
「ん、分かった。じゃあ一緒に行こう」
まあ、正直アシェリを僕の傍に置いておければカンナもその間に別のことが出来るので助かるのだ。
最初は部屋にもう一つ椅子を用意して授業を受けていた。だけど疎外感を感じて寂しいらしく僕の膝の上に乗って一緒に授業を受けている。落ちない様に利き手ではない方でアシェリの腰を抱いているため、教科書をめくったりする時はアシェリがやってくれる。
だけどその髪はワンレングス?顔はすっぽり髪で隠れてしまっている。
(アダムスファミリーのカズン・イットみたいに顔を窺い知る事はできない)
だからアシェリの顔をあまり知らない人はその異様な光景にビクッとなる。相手はアシェリがどこを見ているか分からないから薄気味悪く思っている。ただ当然公爵家を訪れる人間は口の固い信用できる人間のため外へ漏れる事はない。
アシェリがジッと僕が解いたノートを見ている。そしてある部分を指差す。
「ん?」
指した部分を見たがそれが何なのか理解できずにいると、
「流石ですねレディ よく気づきました。セルティス様 そこは間違いやすいのでご注意ください」
はっ? 何が? よく見るとアシェリが指摘したのは僕の計算間違いだった。そんな馬鹿な!
これは子息の7歳の問題だ! アシェリはまだ3歳で大して勉強もしていないのに!!
偶然だろう? と思っていたがそれからそう言うことが度々起きた。アシェリはとんでもない天才だった。すぐにガーランド公爵に報告をした。その真価を確認したいが相変わらず他人を寄せ付けない。今ではセルティスと離されることも嫌がる様になった。
結局 セルティスの膝に乗ったままテストを受けた。その結果はやはり紛れもない天才だった。
4歳になったアシェリはお茶会の誘いもあちこちから来る。だが一向に外に出向けそうにはなかった。アマランド子爵夫人が庭で催したお茶会も結局部屋から一歩も出なかった。
それから前髪を整えさせる事もしなかった。周りの努力虚しくアシェリの世界はこのガーランド公爵家の中だけで完結していた。
あれから家族と屋敷の使用人には少しずつ話せる様にもなってきた。それでも部屋以外では1人で出たがらない。
セルティスは可愛いアシェリを生涯守れる様に一層精進する様になった。