-恋 心-
レイド王太子が、その令嬢に初めてあったのは、婚約者選びの12歳の茶会の時だった。
数人の令嬢達の中で、一際、目を引いたその令嬢。他の令嬢との違いが特段あったわけではない。どの令嬢達も高位貴族の令嬢らしく皆磨き上げられた子供ながらに美しさを持つ、甲乙つけがたい見かけである。
皆、綺麗なドレスを着て、髪を巻き、精一杯おしゃれをした12歳前後の令嬢達。
でも、その令嬢だけは違った。
その銀の髪の令嬢が目の前に来て、にっこりとカーテシーをした時に、一目で恋に落ちたのだ。
どうして?何故?一言も話をしていないのに…
こんなにも胸がドキドキして…これではまるで恋だ。いや、確実に恋だ。
確かに美しい令嬢だ。色が白くて、目がエメラルド色の、目鼻立ちが整ったちょっときつめの顔をした令嬢。
他の令嬢達と違いがそれ程あるわけでもない。それなのに…
レイドは何故、こんなにもドキドキするのかそれが解らなかった。
父である国王から、今日は婚約者を選ぶ大事な茶会で、高位貴族の令嬢達を招待してある。
だから、その中から、お前の気に入った令嬢を選びなさい。
そう言われていた。
一通り、令嬢達と話をしてから決めなさいと、
母である王妃からも言われていた。
話すまでもない。
その令嬢が気になって気になって仕方がない。
レイドはその令嬢に近づくと、
「そなた名前はなんだ?」
その令嬢はにこやかに、
「ローデシア・ハルティリスと申します。ハルティリス公爵家の娘ですわ。」
「王宮の庭を見せてやろう。」
ローデシアに手を差し出せば、そっと手を添えるその姿が何とも愛しくて。
庭を二人で歩いたのだが、話なんて何を話したのかのぼせ上ってしまってまるで解らない。
ただ、ただ、ローデシアと一緒に庭を回って、王宮の庭の花を一緒に愛でて、ただただ、空を飛ぶ渡り鳥達を一緒に眺めて、ドキドキして過ごしただけだ。
他の令嬢達と話なんてする必要はない。
しかし、何故に彼女に惹かれたのか解らない。
でも、レイドの心は決まっていた。ローデシア以外の令嬢なんて嫌だ。
ローデシアと結婚したいと。
ローデシアを自分の婚約者にと、両親に申し出て、家柄的にも名門だったので、
ローデシアが婚約者に決まったのだった。
レイドの頭の中は、毎日、ローデシアの事で一杯だった。
一週間に一回は、王宮に彼女を呼び、交流を持った。その日が待ち遠しくて待ち遠しくて、会える日は、念入りにオシャレをし、朝からドキドキして過ごす。
王宮で今か今かと待ち構える。彼女が王宮に来たと、連絡が来て、すっとんでいく。
今日も、やっと会えたローデシア。
王宮の廊下で午後の日差しに照らされて、輝く薄い桃色のドレスを着たローデシアは美しくて。
会えた途端、ドキドキする。
「君に会えてうれしい。いつも私の頭の中は君の事で一杯だ。離れているときは何をしているだろう。今日はどう過ごしているのだろうと…」
ローデシアは嬉しそうに笑って、
「嬉しいですわ。わたくしも王太子殿下の事をずっと考えているのです。何をいつもしているだろうって。こうして会う日を指折り数えて楽しみにしているのですよ。」
「ああ、まだ私達は子供だ。早く大きくなって、ローデシアと結婚したい。そうしたらずっと一緒にいられるのに。」
「まぁ王太子殿下ったら気が早い。」
ぽっと頬を染めるローデシア。
なんて可愛らしい。
レイドはローデシアに向かって、
「私は君の為にも良い王様にならないとな。だから毎日の勉学も頑張っているよ。」
「わたくしも、毎日、お勉強、頑張っていますわ。先々、王妃として立派な人間にならないと。」
キラキラした瞳でそう語るローデシア。
そんな彼女が愛しくて、この時間が永遠に続けばよいと思えるほどに。
時には勉強を共にして、時には庭でデートをして、時には子供ながら王宮の夜会に忍び込んで、大人たちの真似事をしたり。
ローデシアと過ごす日々はとても幸せで。
彼女と結婚して国王になる。
そう信じて疑わなかった日々。
それが崩れるとはレイドは思ってもみなかった。
婚約を結んで5年が過ぎ、共に王立学園に通っても、レイドとローデシアの仲は周りがうらやむ程であった。
学園では毎日、ローデシアと会うことが出来る。
それはもう、レイドは幸せで。
学園でもいつも傍にいて、それはもうローデシアを大切に扱った。
朝は、ハルティリス公爵家へ馬車で迎えに行き、ローデシアと共に学園へ登園。
お昼は食堂で共に食べて、ローデシアにべったりだ。
あまりにもローデシアにべったりしていたものだから、周りから苦言が出る程である。
「王太子殿下においては少しは交流を広く持つことが大切なのではないかと。」
そう言ってくるのは宰相子息だ。
騎士団長子息も頷いて、
「そうですよ。いつも、ローデシア様とご一緒で。仲が良い事はよろしいですが。」
レイドは二人に向かって、
「ローデシアは大事な私の婚約者だ。私は彼女と一緒にいる事こそ幸せなのだ。その貴重な時間を邪魔するな。確かに交流を広げる事は大事だが…」
今、ローデシアは傍にいない。
男子だけの剣技の授業が終わったので、廊下を歩きながら三人で話をしていたのだ。
その時、一人の女が思いっきりこちらに向かって走って来た。
危うくぶつかりそうになるのを、騎士団長子息が身を挺して止めてくれた。
ぶつかりそうになった女は真っ赤になりながら、
「ごめんなさい。慌てていたものですから。私。リーナ・マルトスと申しますっ。」
ピンクの柔らかそうな髪のその女は目をウルウルさせながら、こっちを見てきた。
なんだか気持ちが悪い。嫌悪感しかない。
背を向けようとするとその女が後を追いかけて来た。
「ぶつかりそうになったお詫びをしたいんですっ。どうか、お詫びをさせていただけませんか?お名前を教えてくださいっ。」
無視無視無視。
まだ追いかけてくる。
騎士団長子息と宰相子息に、
「なんだ?あの女は…私の顔を知らないわけではあるまい。」
騎士団長子息が頷いて、
「ええ、レイド王太子殿下は学園で有名人ですからねぇ。」
宰相子息も、
「それを知っていて、お名前はなんて。もしかして、邪な心をもって王太子殿下に接近をしようとしている輩かもしれません。」
「追い払っておけ。二度と、私の傍に近づけるな。」
「「はいっ。」」
二人は承諾してくれた。まだ後を着いて来るあの女の足止めをしてくれるだろう。
安心して、ローデシアの姿を探す。
教室へ戻れば、女子マナーの授業から戻って来たローデシアが席に座っていて、
「ローデシア。寂しかったよ。男女別の授業が私にとって苦痛だ。」
「まぁ。本当に王太子殿下は甘えん坊なのですね。」
嬉しそうに笑うローデシア。その笑顔はまるで花のようで…
その日は機嫌よく授業を受けたのだが。
翌日、騎士団長子息が変な事を言って来た。
「リーナはとても良い子で。ぜひとも王太子殿下とお友達になりたいと申しております。」
「はい?リーナって…昨日の女の事か?」
「ええ。リーナ・マルトス男爵令嬢です。あの子はとてもいい子です。」
「いやいや、待て待て。どうして男爵令嬢と私が友達に?」
宰相子息が熱を帯びた口調で、
「下位貴族といえども、リーナはとても心が癒されます、まるで聖女のような清らかさで。
ですから、王太子殿下もリーナとお友達になってはいかがでしょうか?」
「お前達、頭がおかしくなったのではないか?私にはローデシアという最愛の婚約者がいる。なんで異性で、下位貴族なんぞと友達付き合いせにゃならん。ローデシアとの貴重な時間をそんな女に割くつもりはない。」
騎士団長子息が、首を振って、
「言いたくはありませんが。ローデシア様は高位貴族で、学業の成績もよく、何もかも完璧で疲れませんか?疲れを癒すにはぜひともリーナをっ。」
宰相子息も、拳を握り締めて、
「リーナと共にいれば癒されますよーー。ぜひともリーナとお友達に。」
昨日の今日でこの二人、どうかしてしまったらしい。
明らかに怪しすぎる。医者に見せるべきか…それとも…
王宮へ戻って、宰相子息の父である宰相に相談した。
宰相は両腕を組んで、
「何かまずい魔術でもかけられたのでしょうかね。我が息子は。魔術に詳しい者が魔術研究所におりますから、そこの者に息子を見てもらいましょうか。それから、騎士団長の所の息子もですな。」
「そうしてくれ。あのリーナという女、ただものではないな…私も後学の為に、魔術研究所へ行きたい。連れて行ってくれるか?」
「承知致しました。」
宰相は息子と、騎士団長、そして騎士団長子息と共に魔術研究所の所長に会いに行くというので、レイドもついていくことにした。
魔術研究所の所長は、国の重鎮達が訪ねてきたというので慌てて出迎えて。
「こんな所へようこそ。まさか王太子殿下に、宰相様、そして騎士団長様まで…揃いに揃って。」
慌てて客間に通してくれて。
宰相が、所長に。
「息子たちの様子がおかしいのだ。何か魔術をかけられたのではないだろうか?見てほしい。」
騎士団長子息は暴れながら、
「俺は異常ではないっ。帰るっ。」
騎士団長がぐわしっと息子を羽交い絞めにし、
「何が帰るだ。しっかり見てもらえ。」
宰相子息も、
「どこが異常だと?私だって正常だっ。」
宰相子息が首根っこを捕まえて、
「正常と思うのなら、余計に見てもらえ。」
二人の子息はソファに揃って座らされて、所長は二人を見ながら、
「これはまた、強力な魅了に侵されていますな。」
レイドは驚く。
魅了?あのピンクの頭の令嬢は魅了を使ったのか…
所長は何やら呪文を唱えて、頭から粉をふりかけ。
「私の手にかかれば、まぁこの程度の魅了なら…」
二人の子息達は、顔を見合わせて、
「何故、あのリーナと言う女を愛しく感じたんだろう。」
「俺も俺も…何故だろう?」
口々に言い合っている。それを聞いた宰相は…
「魅了使いなのかもしれないですな。魅了は大罪。」
騎士団長が立ち上がる。
「リーナと言う男爵令嬢を拘束致します。そして、魅了を使った事を尋問により吐かせます。」
そういうと飛び出て行った。
所長はレイドの方を見て、
「これは…貴方様も強力な魅了に取りつかれている。それも、先程の魅了とは比べ物にならない…幾重にも魂に巻き付いた魅了ですな…」
「え?私が魅了に?」
「そうです。覚えはありませんかな?」
強力な魅了…強力な…
眩暈がした。
「そんなはずはない。私は私だ。魅了なんてかかっていない。」
「皆、そうおっしゃいます。」
宰相が立ち上がって、
「国王陛下にご報告を…王太子殿下が魅了に侵されていたとは…解く事は出来ますかな?」
所長は頷いて、
「数日かかるかもしれません。強力な魅了ですから…」
レイドは首を振って、
「私は魅了になってかかっていないっ…」
魅了をかけたとしたならローデシア?出会った時から愛しくて愛しくてたまらなかった。
この恋心がすべて偽物だというのか?
そんな事はない。
この心は本物で。ローデシアを愛しいという心は本物で…
だから…
逃げようとした。逃げようとしたけれども、宰相にみぞおちを殴られた。
霞む意識の中…レイドは思った。ローデシア…君の事を愛しているよ。
気が付いた時は王宮の自分の部屋のベッドだった。
目が覚めたと聞いたのか、国王と王妃が揃って部屋にやって来た。
「心配したぞ。レイド。」
「わたくしも心配しましたわ。」
母はベッドの傍で手を両手で握り締めてくれた。
国王は、厳しい顔つきで、
「お前はローデシア・ハルティリス公爵令嬢からの強力な魅了にかかっていたのだ。安心しろ。お前の魅了は解いた。ローデシアは重罪を犯した。今、牢の中だ。いずれ処刑することとなる。」
レイドはベッドから飛び起きた。
「ローデシアが牢の中に?」
「当然だろう?お前に魅了を使ったのだからな。」
「私はローデシアの事を愛している。愛しているんです。」
出会った時は魅了を使われたのだろう。でも、ずっと燃え続けた恋心は、たとえ今さら偽物だったと言われても、消えるものではない。
「ローデシアに会わせて下さい。父上母上お願いです。」
国王は首を振って、
「大罪人だ。ハルティリス公爵家も取り潰しになるだろう。お前を会わせるわけにはいかない。」
「それならば、私はこの命を絶ちます。」
王妃が立ち上がって、
「最後の情けをかけましょう。会いにいきなさい。レイド。」
「母上。」
「会ったらすっぱりと彼女の事は忘れなさい。貴方はこの王国を背負う王太子、いずれは国王になるのですから。いいですね?」
一人で会いに行きたかったが、宰相子息と騎士団長子息がついて行きたいということで、三人でローデシアに会いに行った。
ローデシアの入っている牢は、重罪人を入れておく地下牢で、彼女の目の前の牢ではリーナ・マルトス男爵令嬢が入っていた。
リーナはこちらを見ると喚き散らして、
「助けてよ。ちょっと魅了を使っただけじゃないっーー。ここから出してっ。お願いだから出してっーーー。」
そんな女は無視をして、ローデシアの牢の前に行く。
ローデシアは後ろを向いて、粗末なベッドに腰かけていた。
「ローデシア。」
その後ろ姿に声をかける。
ローデシアは振り向いて、立ち上がり、鉄格子越しに近づいてこちらを見上げ、
涙を流しながら、
「わたくしは処刑されます。わたくしは貴方に選ばれたかった。王妃様になりたかったから…そう、とても悪い女なのです。でも、貴方にとても愛されて幸せでした。それが魅了による偽物の愛だとしても。本当にごめんなさい。」
「私も君に魅了をかけられたとはいえ、とても幸せだったよ。君と過ごした幾多の日々。一緒に経験した事。共に勉学に励み、愛を囁き合った事。それは貴重な体験で私の心から消える事はない。
そして今でも君を愛している。愛しくて仕方がないんだ。偽物の愛ではない…私の気持ちは本物だよ。」
「嬉しいですわ。」
彼女は大罪人かもしれない。
それでも、愛しくてたまらないローデシア。
彼女を助けたい。絶対に…戦うことにした。
「ローデシア。君を必ず助けるから…」
レイドは父である国王陛下に訴えた。
「処刑なんて酷すぎます。被害者である私が減刑を求めます。」
「しかしだな。レイド。これは王国を揺るがす問題だ。ローデシアは、王妃になるために、お前に向かって魅了を使ったのだぞ。大罪人だ。」
「それでもです。ローデシアは王妃になるために、勉学を頑張って来たでしょう。彼女は人一倍頑張ってきたはずです。王妃教育がないこの王国で、母上について一生懸命、学んでいたでしょう?王族としてのしきたりや色々な事を。」
王妃もため息をついて、
「ええ。とても良い子でしたわ。わたくしのいう事を一生懸命聞いてくれて。わたくしからもお願いします。国王陛下。どうか減刑を。処刑ではなくて、修道院へ…」
「もう、父上、母上、兄上、考え方が古いですわ。」
そう声をかけてきたのは、隣国へ嫁ぐ為に、長い間留学していた、妹だ。
幼い頃から隣国へ嫁ぐことが決まっていた為、隣国の王宮で暮らしていてめったにこちらに帰って来ない。
珍しく帰って来たのだ。
妹のエリーゼは、三人に向かって。
「魅了は確かに大罪でしょうけれども、ほら、闇竜という魔物を集めて肉を取るための牧場も辺境ならあるとか…そこへ送ったら如何です?魔物たちは狂暴ですから、魅了使いはそれはもう重宝されるはずですわ。中央へ戻ってくることもなく、王国の為に役に立って辺境で使い古される。どちらにとっても万々歳ですわね。」
レイドは妹の手を両手で握り締めて、
「ありがとう。エリーゼ。愛しの妹よ。」
「はいっ?初めて愛しの妹だなんて言われたわ。」
「父上母上。辺境の牧場へ送りましょう。そうしましょう。魅了使いは、それを使うにふさわしい場所へ送りましょう。」
国王は頷いて、
「名案かもしれぬな。使えるものは使わないとな。」
王妃も同じく頷いて、
「ローデシアが死ななければ、わたくしはよい案だと思いますわ。」
エリーゼがぼそりと両親に聞こえないように、
「魅了使いって魔物も使えるのかしら…まぁいいか…」
ともかく、ローデシアの命が助かればいいのだから、エリーゼのつぶやきは聞こえないことにした。
そして、今…レイドは、魔物の牧場主として暮らしている。
闇竜は手足がある首長竜のような竜だ。真っ黒な姿で巨大だが、そのお肉はとても美味しく、重宝されている。
王太子の役割は?将来の国王は…叔父に譲った…
あっさりと譲った…両親は大反対したが…
ローデシアを一人にしておけるか。
いや、あのピンク頭のリーナもここにいるが…今は真面目に仕事をしてくれている。
頼りになる従業員の一人だ。
辺境を守る騎士団が近くにあり、そこの騎士団長が目を光らせているので、魔物以外に魅了を使う事は禁止されている。
使ったら即、都へ送られ今度こそ死刑になるだろうから、何人かの魅了使い達はおとなしく魔物に向かって魅了を発して、上手く誘導しながら仕事をこなしている。
レイドは魅了を使えないのだが、元王太子なので、牧場主となった。
魔物たちをお肉にし、人間の腹を満たす為に、働く毎日は楽しい。
それはもう愛しの妻がいるからだ。
「ローデシア。今日もいい天気だな。」
「そうですわね。貴方。」
「魔物たちも丸々と育って…」
「そういえば、わたくし…お腹に赤ちゃんが。」
「えええええっーーー。やったぁ。ローデシアっ。」
愛しの妻を抱きしめる。
遠くでは魔物達を放牧へ出すピンク頭のリーナや、他の魅了使い達の姿が見えて。
今日もいい天気で、とても幸せだ。
出会った時は魅了されていたかもしれない。
でも、自分のローデシアに対する恋心は本物だと…
遠くに霞む山々を愛しの妻と見つめながら、レイドは幸せに浸ったのであった。
関連作品、恋心(巻き戻りの物語)をアップしました。