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三十路女の婚活サバイバル  作者: まがりまめ
1/1

男も女も、全員見下してやる

前半部分です。

「麻美さーん」


 向こうから冴えない男が手を振って小走りでやってきた。正直、冴えない男だ。隣を歩くのに、ちょっと気が乗らないタイプの。

 ズボンの裾には皺がよってるし、靴とジーパンの色があってない。上は半袖一枚で、時計の一つも身に着けていない。鞄の類は持ち合わせず、おそらく後ろのポケットは財布で膨らんでいるだろう。彼は鏡をちゃんと見る習慣がないようで、いつも若干そり残した髭がちらちらと見える。処理されていない腕や足首の毛も、私の中のジェニファー・ロペスが大きく眉をひそめる原因だ。

 

 「ごめんね、待った?」


 「一分の遅刻よ。旭くん」


 私はさっさと目的地の映画館まで歩き始めた。彼はちょっと息を切らしながら、これから見る映画の話を振ってくる。監督がどうとか、役者が前に出演していたのはなんだとか。今時マンスプレイニングって言葉を知らないのかしら。

 話が60年代のヒッピー文化にまで到達した時点で私は彼の話を遮った。


 「ところで旭くん。私、まだ遅刻の釈明を聞いていないわ」

 

 彼はビクッと体を緊張させると、ポケットからハンカチを取り出して汗をぬぐった。その後に、要領を得ない答えが返ってきた。目的を達成した私にとって、彼のちんたらした謝罪が、パソコンのじりじりとした駆動音程度にしか感じなかった。

 一体、どうしてこんな冴えない男と一緒に街を歩いているのだろうか。




 「瀬戸クン、最近どうしたと言うのかね?」


 6月のある日、吹く風がまだ涼しかったその日、私は営業部の部長から直々にお呼び出しをくらった。

 本社から出向してきたこの冴えない男は、人柄が取り柄なくせに社内政治に弱く、順当にいけば生涯を今のポストで終わるだろう、と周囲から思われていた。しかも、本人もそれを自覚している節があり、あとはどれだけ楽に自分の仕事を済ませられるか。いかに安泰に定年までやり過ごすのか。そんな態度が彼の言動にはしばしば漏れ出ていた。

 とはいえ、私の直属の上司でもあるし、セクハラやパワハラに注意を払っている彼とは非常に仕事がやりやすかった。軽い冗談も許される中であるのだ。


 「今年に入ってから、営業利益が前年比と比べて少しだが下がっているね。ノルマ分は上回っているとは言え、この傾向は君も気づいているだろうに

 どうしたんだい?鬼の薊軍曹が形無しじゃないか」


 「部長。上司という立場におかれる人間が、部下を不名誉な渾名で呼ぶことは立派なパワハラです。人事部に訴えれば、部長の評価が下がりますよ」


 「おお怖い、怖い。なに、君も私に悪気がないことくらい分かっているだろう。君のやる気を引き出すための方便ってやつさ。

 いや、そんなに怖い顔をしないでおくれ。私は知っての通りのみの心臓なんだ。給料が下がった時の妻の顔を思い浮べると、今日一日は仕事が手につかなくなってしまう。

 まあ、私の信頼するところの瀬戸クンだ。上司の胃をいたずらに痛めつけようとしないことくらいは分かっているがね。……ホントにしないよね?」


 部長は情けない顔をしてから、コホンと一息ついて幾分か真面目な顔でこちらに顔を向けた。


 「瀬戸クン、入社してから約十年間、君の有給消化率は何パーセントだったかな?」


 「……覚えていませんが、100パーセントだったはずです」


 「書類上はね。たまにいるんだよね、君みたいなモーレツ社員ってやつが。会社にとってはありがたいんだが、時代ってやつさ。いまはお上も人事部もうるさい。

 人事部の方は君が怒鳴りこんだせいで書類改ざん、……いや、最新光学処理を担当する人員を、年度末ごとにここ10年間本部に募集し続けているらしい。人事部から嫌味を言われる私の身にもなってほしいね」


 ところが、と部長は続けた。


 「一昨年から、君の有給休暇率はきっちり100パーセントだ。光学的処理を施されていない書類の上でもね。人事部の連中は始めの一年は喜んだが、去年の年度末には逆に気味悪がっていたよ」


 「お言葉ですが、部長。私が呼び出された理由というのは、私がまっとうに有給を消化する社員になったことに対する褒賞を伝えるためですか」


 部長の話が長くなりそうな気配を感じた私は、話の腰を折った。このまま放っておくと、時間を忘れて話続ける悪癖があるのだ。最初の数か月は、それで仕事に若干の支障をきたした。


 「いや、すまないね。話しの要件としては、最初に話した通りだよ。

 最近のノルマの低下が気になってね。君に話が聞きたかったんだ。ずばり、原因はなんだと思う?」


 やはりそれか。舌打ちをしたくなる気持ちを抑えて私は言葉を選んだ。 


 「………一口に原因を特定することは困難ですが、世界的な経済の冷え込みによる資本拡大に対する抑制的なトレンド、ここ最近の為替変動によるわが社の製品の主な受け入れ先である貿易会社のリスク回避行動、昨年の人員整理によって縮小した……」


 「あーあーあー、ストップだ、瀬戸クン。君の勉強熱心さは認めるがね、瀬戸クン。そんな通り一辺倒なマクロ分析は必要ないよ。そのくらいの分析、わが社の優秀な分析班がしてないわけないでしょう。君の部署には、そういった諸々を含んだ計画書が提出されているはずだ。

 私が聞きたいのはね、瀬戸クン。なんで仕事熱心だった君が、管理職になってしばらくしたら意気消沈したみたいに感じるのかなってことなんだ。

 私の勘違いだったらいいんだけどね、どうやら数字にも表れ始めている。このままだと………」


 「部長!………現在、私と私の部下達はきちんとノルマをこなしています。このように詰問をされる謂れはありません」


 私は、一刻もはやくこの場から立ち去りたかった。数年前なら、感情のままにそうしたかもしれない。けれど、今の私にそれは出来なかった。


 「瀬戸クン。私が君を呼んだのはね、詰問するためじゃない。どちらかといえば、君を応援していると伝えるためさ。


 君も知っての通り、営業の本分は新規顧客の開拓だ。既存の顧客は時と共にぽろぽろと零れていなくなってしまう。男の髪のようだね。新しい髪が生えないと、禿げて女性から相手にされなくなる。会社がそれでは困ってしまう。

 

 だけど、新規の顧客というのは簡単には作れない。そうだろう。足を使って回るしかないことの方が多いし、しかも、それが無駄になることの方が遥かに多い。唾を吐きかけられることもあるし、自尊心なんて鼻くそみたいに感じる日も多い。

 

 そんな営業の現場で、実績と数字を積み上げてきた君はまれに見る逸材だよ。30を待たずして課長のポストが用意されるのは、それだけ君が信頼されている証拠さ。しかも、人を率いても優秀ときた。


 いいかい。この会社はね、全くの本心で君を必要としているよ。瀬戸クン。

 そんな君が、どうやら調子を崩している。私は君の状況をなるべく正確に把握したいんだ。できれば、元のように情熱に溢れて仕事をしてほしいと考えている。


 必要であれば暫くの休暇も与えるし、私では不適当なら、評判のいい女性の責任者との面談も設定しよう」


 部長は言い終わると、ふう、と一つ息を吐いて背もたれに体を預けた。そして柔和な笑みを浮かべると、固まったままの私に最後に語りかけた。


 「いや、こんなに真剣に、これだけ長く話したのは久しぶりだね。

 まあ、長々と話したけれど、単に君がやる気を無くしてしまったのならそれも仕方ないね。転属も認めるよ。君の要望はまず通るだろう。会社は本当に君を高く評価しているんだ。勿論、私もね。

 

 今日のところはこれでお開きにしようか。レポートの類は必要ないよ。今日の話しの内容は私と君だけしか知らないからね。私の独断独走さ。こう見えて私も会社への忠義を持ち合わせている男だからね。

 話したいことがあったら、直接でも間接にでも教えてくれたまえ。さっきもいったが、他に相応しい人も用意できるから」


 そういって、部長は私に退出許可をだした。最後に、何も決まらないようなら、しばらくだらだらするのもいいよ。この会社は社員を中々クビにできないからね。と、どこが忠義ものだか分からないセリフでこの面談は終わった。


 あれでどうして上に上がれないのか。不思議な人だ。まあ、本人もその為にあせくせと働くのが性に合わないのだろう。こうして、部下にいびりだか励ましだか分からない会話を吹っかけているのが彼は好きなのだ。まったく、いい性格だこと。


 しかし、とうとう上司にまで指摘されてしまった。自分でも気づかないふりをしていたのに。どうやら、私は向き合わないといけないみたいだ。今私が抱えている問題を。




 婚活。




 もともと器量がいい方じゃなかった。親の顔面と、夢中になったドラマに出てくる芸能人の顔を見比べれば、自分に対する期待ってやつは育たなかった。でも、一番ショックだったのは、私がちょっとキレイだと思っていた女芸人が、男の芸人からブスと呼ばれたことだった。

 私はその瞬間、私の外見的な魅力ってやつに対する希望の一切を捨てた。そして、絶望と共に立ち上がった。

 その瞬間から、私の目標は世の中の男を見返してやることになった。


 難関大学から、大手企業へ就職。はっきり言って、受験勉強や就職活動なんてはっきり言って楽勝だった。必要なのは入念な事前準備。その為に人よりも早く動くこと。これだけのことで殆どの同期は相手にならなかった。


 就職してからは配属された部署でとにかく働いた。最初に配属された部署が営業だった。体力的につらいことも多かったが、成果がはっきりと数字で出るのは私向きだった。事前の対策と、コツコツとした努力。必要なのはここでも一緒だった。


 同期の男たちに負けるのは死んでも嫌だった。その為に生理を軽くするピルは常に持ち歩いていたし、革靴を何足履きつぶしたか覚えていない。

 出来るだけ愛想は振りまいたし、外見に対する投資のコストは惜しまなかった。肌をきれいにすることと、状況に合わせた化粧をするスキル、同年代はともかく、社会のおじさんたちにはそれが通用した。

 

 わき目も振らずに走り続けて、30前には役職についた。一つの課全体を見るようになって、最初の一年はわけもわからずガムシャラだった。

 ノルマをこなせない男たちを励ましたり烈火のごとく怒ったり。とにかくあらゆる手を尽くした。パワハラ防止法と人事部がこんなに苛立つものとは思いもよらなかった。

 ことあるごとに怠惰な仕事ぶりの男たちの首の骨を折ってやりたいと、何度思ったことか。


 そんなこんなで気付いたら「鬼軍曹」だとか「薊」だとか言われるようになっていた。軍隊のように厳しく、薊のようにとげとげしい麻美課長、というわけだ。

 縊り殺してやりたい。


 そんな毎日にも慣れたころ、ふと思ってしまった。

 あれ、私って結婚しないのかな。


 そのころには私は31の中頃、結婚市場においては既に残りもの扱いされる年だった。

 なんかおかしいだろ、と思った。

 私は年収一本以上あるんだぞ。貯金もかなりある。持ち家こそないけれどそこそこの暮らしをしているし、営業のために映画も本も音楽も絵画もちょっとした教養をもっている。

 なのに、なんで?


 マーケティングだとしか思っていなかったSNSを覗くと、バカ女たちがバカ男と一緒に幸せアピールを振りまいていた。

 私は世の中バカばっかりね!と一人の部屋で叫ぶと、シーツにくるまって眠った。

 翌朝、ビショビショのシーツに不快な感情を覚えて起床した。


 31の秋、私は決めた。

 今度は、世の中のバカ女どもを見下してやるんだ。

 私の婚活がはじまった。


後半部分は、明日(予定)上げます

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