第八十八話 皆伝ではないよ
「今の俊也君なら、これを渡してもよいだろう。一層励みなさい」
イットウサイがユリから受け取り渡してくれた物は剣術の目録であった。上質の紙で作られた一つの巻物で、許しを受けて開いてみると、「錬成場主イットウサイより左記の者に目録を許す」と大きく書かれ、その文の左に「矢崎俊也」と確かに書かれている。
「ありがとうございます! より精進していきます!」
「よし、うんうん……」
俊也は短い期間ながら師事したイットウサイに、ここまで自分を認めてもらえたことがこの上なく嬉しく、感動に体を震わせていた。純粋な弟子の感動を見て、イットウサイも満足している。傍らのユリも師弟の紡がれた絆を見て感動はしているのだが、ここまで父イットウサイに自身の剣術を認められたことがないだけに、いくらかの嫉妬心を感じ、それを抑え隠そうとする表情も見て取れた。
「俊也君。それは目録だが、見ての通り皆伝ではない。また道に迷ったり壁に当たることがあれば来なさい」
「!? ……ありがとうございます! その時は必ず立ち寄り頼らせて頂きます!」
まだまだ師が自分を導いてくれる……どこまでも自分の強さを追い求めたい俊也にとって、それは何よりも心強いものである。彼は幼い頃の剣道を習い始めた純真な眼と笑顔でイットウサイを見ていた。
(俊也さん……私にはこんないい顔見せないわね。うらやましいわ……)
恋慕している俊也が喜んでいるのを、ここに来ていたセイラも微笑んで見ているのだが、彼女も自分に見せない俊也の顔を見て、イットウサイに軽い嫉妬のようなものを感じている。
修行を上々で仕上げた俊也は、荷物をまとめるのをセイラに手伝ってもらい、ソウジが率いる商団の拠点となっている川辺の宿屋に帰っていった。イットウサイとユリ、多くの門人が彼を見送ってくれたが、ユリはしばらく一緒に修行と家での生活を共にした俊也と別れるのがとても寂しく、彼への恋心と合わさり、俊也がいなくなった後、部屋で一人泣いていた。
「…………」
イットウサイにとって我が娘がこんなに悲しんでいる姿を見るのは、ユリの母である妻を失った時以来である。
(こんなにも娘には俊也君が大きな存在になっていたのか……)
その驚きと共に娘の様子を見かね、ユリにこう切り出した。
「そんなに俊也君が好きになっていたのか?」
「…………はい……」
「そうか……分かった。俊也君が次に来た時、許婚者になってくれるか頼んでみていいか?」
「えっ!? ……はい、お願いします。お父様。」
イットウサイの思いがけない言葉にびっくりして、涙が止まり顔を上げたユリであるが、父が与えてくれた大きな希望を胸に抱き、剣術家らしく彼女は腹をくくった顔に戻った。
俊也が次に来ることを待ち望む乙女の顔もそこにはある。