第八十三話 知らず鳴らず
「おはよう。セイラさん」
朝の挨拶が俊也の口から出たのは、セイラが前に座ってしばらく経ってからのことだった。それまで二人は見つめ合っていたことになるが、恐らくセイラの見つめ方と俊也の見つめ方で意味はそれぞれ違うだろう。
「もう……どうしたんですか? それにその鈴は?」
「これですか? これは鳴らさないための鈴です。動く時に鳴ってはダメなんですよ」
「???」
「一言で言うと修行で付けてるんです」
そう言われてもあまり意味が酌み取れないセイラであるが、本題である俊也の体調を診始めた。様子を見る限り問題はなさそうだが、彼に二つ三つ、具合に関して尋ねている。
セイラの問診が終わった後も、俊也は自室から動かず静かに過ごしている。何故、彼がそうしているのかよく分からないが、セイラは一緒に俊也と静かな時を午前中過ごした。
(…………)
好意を寄せている彼と同じ空間で静かにただいる。思うことも少なく穏やかな幸福をセイラは感じている。
午後になり、俊也とセイラは練成場本館に来ていた。今日も激しい稽古がそこかしこで行われている。その中の一人が俊也を見とめると、頭防具を外して彼の所に歩み寄って来た。
「来られましたか。リフレッシュは充分です?」
「ええ。木剣か竹剣を振ろうと思い来ました」
「それでしたら、私がご用意しましょう」
傍に寄ったのは、今日も凛とした美しさのユリである。俊也がいい顔で入ってきたのを彼女は素早く感じ取り、努めて自然な形で彼に近づいたようだ。
「こんにちは、ユリさん」
「こんにちは、セイラさん」
昨日、面識ができたセイラとユリだが、交わした言葉はこの挨拶のみだ。お互い虫が好かないのはどうしようもない。だが、お互いが自分にはない女としての魅力を持っているのは認め合っているようで、それゆえ、彼女たちが同様に俊也へ好意を寄せている状況が、それぞれに油断できない。
すぐに木剣を用意し、ユリは俊也へそれを手渡した。その時、彼女は俊也の身に付けられた鈴がどれも鳴っていないのに気づいている。
(所作の動きも会得され始めている……この方の剣才はどれほどなのだろう?)
3つの鈴を付けられて、2日目でここまで到達できた者など、ユリは今まで見たことはない。それ以前に鈴の修行を許される段階の者すら一握りなのだ。ユリは女としてでなく剣士としての眼で、俊也の才を敬服し直さざるを得なかった。
当の俊也はそれを知ってか知らずか、自然に流れる美しい動作で木剣を正眼に構え、速い弧を描く素振りを行っている。
鈴はどれも鳴らない。