第二百七十一話 棲み分け
冥府の城塞には陽光を取り入れる窓の工夫が施されており、冥府という名に似つかわしくなく明るく、回廊も歩きやすいものであった。内部の造りを観察しながら、案内通り俊也たちは進んでいる。そうした中で、アリスは意外な話をし始めた。
「私はカーグ様と遠見の玉から、あなた達がタナストラスでネロと戦っていたのを見ました。ネロに剣技を教えたのは私です」
「アリスさんが……そうでしたか。それならネロの異常な程の強さにうなずける気がします。ということは彼が幼かった頃、あなたが保護したのですか?」
「そうです。当時、カーグ様から仰せつかった用があり、私はタナストラスへ向かっていました。偶然というより、彼は引き寄せられたのでしょう。地域の混乱の中、迷子になっていたまだ小さいネロを保護し、育てました」
「その魔剣士ネロを僕たちは斬ってしまいました。申し訳ありません」
修羅はそう謝っているが、アリスは極めて平静で、怒りも悲しみも表情の中に全く見受けられない。
「ネロが『転生の玉』で生まれ変わったのを知っています。彼にとってそれで良かったと考えています」
以後、アリスは口をつぐみ、冥府の最深部へネフィラスと二人の救世主たちを案内し終わるまで、黙々と歩き続けた。
ネフィラスが、この冥界はいわゆる天国だと最初に言っている。最深部においても朝日がよく差し込み、冥王と呼ばれる存在が居るような気がしてこないが、広く白い大理石の間で、こちらを見ている黒の外套をまとった青年がそうなのだろう。
(ここからでも分かる。ネフィラス様と俺たちで対抗できるのかどうか……)
ひしひしと、かつて神であったカーグの黒のオーラを俊也は感じている。だが、意外にもこちらを見る冥王の目には、敵対心があまり宿っておらず、むしろ深い悲しさをたたえている。
「来たか。久しぶりに会ったんだ。ネフィラス、それに俊也と修羅と言ったか、こちらに来てみるといい」
「兄さん……分かった」
自分を封印した弟ネフィラスに対する憎しみは、カーグから消えていない。しかし、兄は弟との邂逅を求めている。二千六百年前には有り得なかったことで、それがネフィラスには大いに意外であり、嬉しくもあった。
「ネフィラス。お前は私を封印したのではなく、棲み分けをしたのだな。私には冥界を、お前はタナストラスを治める形で。冥府で過ごしている間、ずっとそのことを考え、理解ができた」
カーグが言っていることは、正しく、ネフィラスが当時意図していたことである。そのことを兄がその通りに理解してくれているのは、タナストラスの主神にとって、望外であった。