第二百五十三話 無垢な瞳
大きな斬撃によるダメージを俊也も受けてしまった。もう彼はまともには動けない。だが、勝ち目が消え、凶刃に斬られるのを待つのみと覚悟したその時!
「…………!!」
気配を消し、無言で背後から近づいてきていた修羅が、魔剣士ネロの背後をぐさりと光の刃で刺している! 確実に急所を捉えられた突きを身に受け、ネロは敗北と死を悟った。自身の止めを見事に刺した宿敵の顔を消えゆく命に焼き付けるように、漆黒の魔剣士は目を見開き、修羅の双眼を凝視すると、その場に膝を突き倒れる……
およそ人間の理解を超えた現象がこのラグナロクでは続いているが、ネロが力尽きると同時に、彼が指に嵌めていた漆黒の指輪が持つ莫大な魔力も消え、それと共鳴する形なのか、辺りに展開していた高位の魔物の軍は全て消え去ってしまった。アークデーモンを始めとした強力な闇の魔物たちは、ネロの力で召喚したものだったのだろう。
「恨みをぶつけ、人の世を壊すつもりだった。しかしもういい……お前たちと斬り合えて気が済んだ」
「とんでもないやつだったよ、お前は。俺たちが勝てたのは、ほとんど偶然だった」
その場にへたり込み、修羅は心底そう思っていた。見ると憑き物が取れたように、ネロは年若い青年相応の純真な目に戻っている。ありったけの力をぶつけることができ、彼自身が言うように何もかも気が済んだのだろう。ただ、そんな目をされたままでは、彼を斬った救世主たちに一抹の迷いが残る。
「ところでな、ネロ。お前は死なない」
「……どういうことだ?」
「この『転生の玉』で赤ちゃんに生まれ変わって、ディーネさんと一緒に暮らすんだ。その魔性の体とはお別れだ。嫌と言ってもそうするからな」
「ふっ……好きにしろ」
静かに目をつむったネロは事切れかけている。俊也はいくらか治療をしたとはいえ、深手を負った体をぎこちなく動かし、魔法のリュックから『転生の玉』を取り出すと、魂が抜け出かけている悲しい魔剣士の身体にそれを置いた。玉は一瞬光り輝いたかと思うとネロの魂を亡骸ごと吸い込む! 玉は可愛らしく汚れない、赤ちゃんに変化した。ネロが転生したのだ。
「よしよし、後で優しいお姉さんのところに連れて行ってやるからな。今度は幸せに暮らすんだぞ」
「キャッ! キャッ!」
赤ちゃんの瞳は無垢そのものである。俊也は赤子のネロを抱きかかえ、優しい微笑みで約束した。
願わくば転生したこの子に幸多からんことを……悲しみが少なからんことを。




