第二百四十一話 人があるから神もある
憎しみの感情が増大したカーグは、太古のタナストラスの人々に、恐怖と無慈悲を与えるようになったという。優しい兄が豹変してしまったことにネフィラスは悲しみ、何度かカーグを説得しようと試みたが、魔王と化した兄は、結果として自分の妻を奪ったネフィラスを憎んでいた。その弟の忠言を聞くこともなく、カーグは人々を苦しめ続ける。
「私が生まれて四百年経った時、兄嫁を奪ってしまった大きすぎる負い目から私は躊躇していたが、父の後押しを受け、兄カーグを冥府へ封印する決心をした。これ以上、人々を苦しめ続ける兄を見過ごすことはできなかったんだよ」
ネフィラスとカーグの激闘は凄絶を極めたという。光と闇、2つの絶大で対極的な力は、タナストラス東の大陸、今現在、瘴気が吹き出し続けている北の大地でぶつかり合い、かろうじて光の力、ネフィラスが勝利した。そして力を失ったカーグは、冥府の奥深くに封印されたという。
「今でも私は兄に負い目がある。私が悪かった、間違っていたのかもしれないと考えることもある」
「坊ちゃまは何も負い目を感じなくていいのですよ。正しいことをなさったのです。数え切れないくらい申し上げているではありませんか」
いつの間にか老執事は、ネフィラスの傍にいた。そして、ネフィラスが思い悩む度に、今まで幾度となく繰り返してきた労りの言葉を主にかける。
「ありがとう、爺。はははっ、すまない。重い話になったね。これが兄カーグを封印した真実の全てで、私が思い出す負い目をいつも爺が慰めてくれているんだ」
「そういう悲しい話があったのですか……救世して頂いた人の子として、申し訳ないようないたたまれないような……」
「いやそれは違う。人の世があるから私達神もあるんだ。神竜の巫女のジェシカさんがそんなことを言ってはいけないよ」
沈んだ表情を笑顔に変え、ネフィラスは優しくジェシカをたしなめた。銀髪の美しい神竜の巫女は、神の慈愛に救われたと同時に、自分を一時でも言葉で否定してしまったことを恥じている。
「話はよく分かりました。俺たちがネフィラス様の助けになるのなら必ず同行します。カーグと向き合いましょう」
「ありがとう、俊也君。だが今日の君たちは疲れ切っているだろう。食事も済んだ。一晩、この城で休んでいきなさい。また明日、話したいこともある」
ネフィラスは老執事に言付け、食後の俊也たち一行を、城の来客用寝室に案内させた。白壁に造られた暖炉の明るい炎がある以外、そこは静寂そのものだ。丸いガラスの窓からは、岩山に積もる銀世界を眼下にどこまでも見渡せた。