第百六十一話 風の剣
白袴の剣道着と防具を身に着け、風のように軽やかな動きで竹刀を打ち込んでいる剣士がいる。そして、それを受ける相手の剣士の捌きも見事なものであった。
「よし! そこまで!」
年季が入ったよく通る発声により、2人の剣士の稽古は終わる。よく見ると、その2人の歳はかなり離れているようだが、顔や雰囲気は似ている。どうやら親子剣士であるようだ。
「やるようになったじゃないか」
「ふふっ、父さんが褒めてくれるのは珍しいね」
少しはにかんだ青少年の顔には、紅顔の幼さがまだ残っている。だが、ここまで厳しい剣の修業を続けてきたのだろう。彼の眼には静かに宿る芯の強さが表れていた。
俊也が日本から異世界タナストラスに旅立った日は土曜日であった。そして、この紅顔の青少年がいる世界も日本であり、俊也が旅立った時刻から少しだけ時間が進んでいる。以前書いたようにタナストラスで10年過ごしても、日本では1日しか経たないからだ。俊也がジェシカと話をして、彼女が日本へ白銀の宝玉を用いて向かったのだが、そこまでで、俊也がタナストラスで過ごした時間は4、5ヶ月あたりである。ジェシカはこの紅顔の青少年と出会うことになるが、ここまでのおおよその時間軸を考えると、今の日本は土曜の早朝ということになる。
「修羅、今日はどうするんだ?」
「そうだねえ、ゆっくりするよ。その辺りを散歩したり。土曜日だけど試合や大会もないしね」
修羅と息子の名前を呼んだ父親は、彼の落ち着いた返答に笑顔を見せた。この親子が朝稽古をしていた剣道場は、修羅に今、稽古をつけていた彼の父が剣道の師範を生業として管理しているものである。先程の華麗な稽古を見る限り、修羅はこの父親の剣才を存分に受け継いでいるようだ。
「大会といえば、俊也君には勝ったり負けたりだな。あの子は強い。伸びしろもどれだけ大きいかわからん」
「俊也は、前になんとか勝ったと思っても、ちょっと経つと全く違う剣になってるからね。面白いやつだけど、勝負が大変だよ」
最大の好敵手であり親友である名前を口に出している修羅の顔には、自然と笑みが浮かんでいる。修羅の父もさもありなんと、気持ちよく哄笑していた。
剣道場の玄関上部にかけられた扁額には「千葉道場」と書かれている。彼がタナストラスのもう一人の救世主、千葉修羅だ。朝稽古の片付けをした修羅は、母親が用意してくれている温かい朝食が待つ、道場から見ると離れの家に戻って行った。
これからすぐ起こる、不思議な巡り合わせを彼はまだ知らない。