第25話 明子の思い出
エレンは海斗を見つめ微笑んだ。
「私ね。海斗君にクッキーを教える機会が来るとは、夢にも思わなかったわ。それでは張り切って教えるわよ。慣れて来れば目分量でも良いけどね、お菓子作りは計量が大事なのよ」
エレンは材料を計量機で計り分けた。
「バターをレンジで少し溶かしてボールに入るのよ。バターは全体が柔らかく白くなるまで混ぜるの。次に砂糖、卵、ベーキングパウダー、アーモンドパウダーを入れて、また良く混ぜるのよ。オーブンから天板を取り出して、百八十度で予熱しておく事。次に天板にクッキングシートを敷いて、生地を適当な大きさにして落とすのよ」
梨紗と葵は逐次メモを取り、葵は質問をした。
「へ~、こんなに柔らかくて良いのですか?」
「そうよ、葵ちゃんが思っているのは、耳たぶ程度の固さを平らに伸ばして、型抜き器で抜くクッキーの事ね。あの生地よりとっても柔らかいのよ」
「落とした生地をフォークで成型して、後は焼くだけ、どうお? 簡単でしょ」
海斗と葵は驚いた。
「凄い! 慣れているとは言え、ホントあっと言う間だ」
クッキーは十五分で焼き上がった。部屋中に甘く香ばしい香りが充満した。テーブルにクッキーとお茶を用意して、皆んなでテーブルを囲んだ。
「わー、凄いよ、おばさん、とっても美味しそうだ」
「うん、お兄ちゃん、良い香りがするね」
エレンは微笑んだ。
「さあ、どうぞ召し上がれ」
海斗も葵も喜んだ。自分達が作ったものとは、比べ物にならなかったのだ。外はサクッと中はふんわりして、香ばしい匂いがした。
「ママ、今度は私、一人でも作れるかもしれないわ」
「そうね、作ってみると良いわ。私のママから教わったように、あなたも覚えると将来、子供が喜ぶからね」
「お兄ちゃん、葵の失敗の原因が解りました。生地の固さが私の知っているクッキーと全く違ったの。やっぱり教わらないと出来なかったね」
「そうだね。エレンおばさん、今日は有難う御座いました。そうそう、梨沙から言われていた山手警察署の感謝状を持って来たよ」
梨沙は受け取り、エレンに広げて見せた。
「ワオ、グレート! エクセレントね。あの小さな男の子が表彰される立派な青年に成って嬉しいわ。博美が生きていたら、どんなに喜んでいたでしょうね」
エレンは涙を浮かべて喜んだ。
海斗は亡き母について訪ねた。
「ねえ、エレンおばさんは、いつ、お母さんと知り合ったの?」
「あっ、ママ、私も聞きたい!」
エレンは優しく海斗を見つめた。
「ちょっと、長くなるわね。それは私が来日した時代まで話が遡るのよ。私は日本の文化に憧れて二十二歳の時にカルフォルニアから、知人が居る仙台に来日したの。当時、日本では英会話教室がブームでね、日本語が喋れなくても講師になれたの。日本人にはネイティブな発音が聞けて、それが良かったのよ。その時にパパが、習いに来たのよ」
「おじさんは仙台に居たんだ」
「それから食事に誘われて、教室以外でも二人で過ごす時間が増えたわ。一年が経たった頃、プロポーズされたのよ。当時は国際結婚が、今よりも珍しくてパパは苦労していたわ。梨紗は緑の多い仙台の街を覚えているかしら?」
「うん、少しだけ覚えているよ」
「小学生に入る前にパパの転勤が決まって、横浜に引っ越して来たのよ。仙台は自然が多く、綺麗で住みやすかったの。仙台に比べて横浜はビルばっかりで、ゴミゴミしていて暮らしにくかったわ。友達も居ないし梨紗を小学校へ入学させなければいけなかったし、英語は通じないし、ママは落ち込んでいたの。
パパは学生の頃アパートを借りて、東京の大学に通っていたのよ。落ち込んでいる私を見かねて、大学時代の友人に頼ったの。それから正太郎家族と交流を持つようになり、博美さんに出会ったのよ。建物の中では息がつまりそうだから、自然の中でバーベキューに連れ出してくれたわ。たまたま博美には同い年の子供が居て、同じ歳の子供を持つ親として話題も合ったの。色々な相談に乗ってくれたのよ。博美は優しくて気配りが出来て、ホント良い親友になれたわ。懐かしいわね」
海斗は母親の話が聞けて嬉しかった。
「エレンおばさん、お母さんの思い出を教えてくれて有難う」
「いいえ、私の方こそ。私にも息子が出来たみたいで、とっても楽しいわ」
お茶の時間を終え梨紗は海斗と葵を誘い、自分の部屋でテーブルゲームを楽しんだ。夕方になり、エレンが梨紗の部屋をノックした。
「海斗さん、葵さん、今晩は泊まっていってね。今、明子さんに了解を貰ったから」
海斗達は驚いた。
「えー!」
「さあ、夕食は久しぶりに沢山作るわよ! 今日も孝太郎さんは出張で居ないから気楽にしてね。海斗君は孝太郎さんのパジャマを用意しておくわ。梨紗は葵さんにパジャマを貸してあげてね」
エレンはリビングに戻って行った。
葵は思った、皆でお泊まりが出来て楽しいな。
海斗は思った、あ~あ、美咲に知られたら焼き餅焼くんだろうな。でもエレンおばさんの手料理楽しみだな。
梨紗は思った、オーマイガー! 海斗と同棲じゃん。私、恥ずかいよ。
三者三様の考えが飛び交うのであった。