47 冬の寒月 2
北方が雪に閉ざされるこんな季節に、ムジーク様は帰国なさいました。日程に、かなりの無理をなさったのだと思います。
王都の手前の街の宿で到着日程を調整され、『予定通り』に王都の市民から歓迎を受けながら大通りを通って王城へ入られました。
そして。
その翌日に、わたくしは王城へ上がります。
昨晩は内々に帰国を祝う会が行われ、本日は公式に帰国の報告がなされるのです。
そのためわたくしは、『今回の訪問を主導した王太子』の婚約者として、同席することとなっております。
公式の場でお話を伺えるのは、イングラム様のお気遣いです。本来ならば、まだ婚約者であるわたくしは、いくらムジーク様と知人であり、王太子の婚約者とはいえ、そのような政治の席にあることなどできません。
朝からお城に入り、お城の侍女たちに磨かれ、ドレスを纏い、髪を結い上げ、化粧をされて。謁見の間で、陛下より一段下の、王太子の席の隣に――王太子妃の席に!――腰を下ろして、ムジーク様の入場を待ちました。
隣に腰掛けるイングラム様が、目に見えてうろたえるわたくしに、苦笑を浮かべておいでです。
「そんなに気にしなくていい」
と小声でおっしゃってくださいますが、これで縮み上がらない心臓などそれこそ毛が生えていると言えましょう。
「この席が不相応に思われまして」
震えるのを我慢してお答えすれば、イングラム様はふっと微笑まれます。
「わたしがどれほど君を気に入っているのか、知らしめるいい機会だ。済まないが付き合ってくれ」
そう告げられて。
わたくしはふと、思い至ります。
この国は平和です。とはいえ、貴族も一枚岩ではありません。大夜会で陛下の王命があり、その前に貴族議会で知らされていたとは言え、この婚約に反対する者もいる、ということです。
おそらくは――イルワ元侯爵一派のうち、裁かれなかった貴族たち。あるいは、それ以外にも。
陛下がいくら善政を敷いて居られたとしても、不満はどこかにあるのでしょう。
謁見の間には、三公爵家の方、お父様をはじめとした貴族議会に関わる貴族たち、王城に仕える王侯貴族たちが集まっております。
彼らの前で、実質の王太子妃として示すことで、わたくしが『望まれて』いることを示す、ということなのでしょう。
そして、場合によっては――わたくしを囮にして、不穏分子をあぶり出すことも、想定されているのでしょう。
そういうことなのだとは、わかるのですが。
わかっていても緊張するものは緊張するものなのです。
近衛騎士たち。
大勢の貴族。
赤い絨毯の敷かれた、大扉からの一直線。
やがて。
ファンファーレが鳴り響くと。
「ムジーク様、ご入場!」
番兵の一人が声を張り上げました。
大扉が開き、正装のムジーク様が一人、颯爽と歩まれます。
黒い鱗に白と金の正装がよく映えておいでです。
段下まで歩まれると、ぴた、と立ち止まられ壇上の陛下を見上げられました。
「竜人族族長が継嗣ムジーク、隣国イルフニンシへの使者の任、無事終えて帰還した!」
頭を下げることなく、ムジーク様は声高らかにおっしゃいます。
陛下は一つ頷かれてから
「大儀であった。して、隣国はどうであったか」
「ひどいものだ。大地はやせ細り、民は疲弊している。依頼の通り道中では可能な限り食料を配したが、あれで冬を越せるとは言えまいな。対して、城は優雅なものだったが。
送り届けた『令嬢』のとりなしもあり、またあちらも公に宣戦しているわけでなし、『今後ともよしなに』と伝言賜った。文を預かってきたゆえ、後ほど改められたい」
ざわり、と取り巻く貴族たちの空気が動きます。『宣戦』と『文』。その2つが引き金であることは明らかでした。
隣国に開戦の機運があること、は大夜会までには何も言われておりませんでしたし、その後のことも、公に知らされたことではありません。
王城に務める王侯貴族たちや、わたくしのお父様、三公爵、それらは立場上知り得ていたでしょうし、武官を務めるホエール公爵麾下の貴族たちはそれなりの準備をしていたでしょう。けれどそれをおくびにも出さず、驚いたようなざわめきを残しました。
『そんなことは誰も知らなかったのだ』
そうすることで、こちらに戦う意志がなかったことを共有するのです。茶番に見えても、ある種必要な儀式なのでしょう。
「私からひとつ、報告と捧げものがある」
ざわめきが落ち着いてから、ムジーク様は改めて声を張りました。
「聞こう」
陛下の言葉に、ムジーク様の視線はイングラム様へ向けられます。それから、わたくしへ。
「イングラム殿、プリム嬢、ご婚約、お祝い申し上げる。隣国より預かりし『捧げもの』をこの祝に、プリム嬢にお預けしたい」
ムジーク様の金の目の、その縦に長い瞳孔がきゅっと細められたのが遠目にもわかったような気がします。イングラム様の口角が僅かに上がるのを視界の端に捕らえます。
まさか。
いえ。そんな。
まさか。
「これへ!」
ムジーク様が左手を上げると、大扉から二人の龍の亜人が肩に細長い木箱を担いで入って来ます。
段下に控えていたラーシュ様がそれを受け取り、蓋を開けると。
その中から、大ぶりの剣が取り出されました。鞘にも収められていない、裸剣です。
また、ざわり、と周囲の貴族たちの空気が動きます。このような場所で裸の剣を取り出すなど、前代未聞と言えましょう。
刀身は鋼というより白金のような貴金属を思わせる輝きです。ラーシュ様が握られる柄はかなりの年月を経ているようですが、傷みなどはこの距離ではわかりません。柄の先端には、大ぶりの宝石がはめられています。それが実戦用の剣ではなく儀礼用のものであると示すかのようでした。
ラーシュ様が一度陛下を振り仰ぎ、陛下が頷かれるのを待ってから、それを持ってわたくしとイングラム様のいる段へと上がられます。
そして、ラーシュ様はわたくしの前に、剣を捧げて跪きました。
「その剣は、隣国にて『私』が見つけ出した、この国から失われていた『王の剣』。ゆえに! 次代を担われる王太子殿の傍らに立たれる方に、お預かりいただきたい!
なぜならば、一度この剣を隣国は政変により所在を失っている。私は今回の旅でそれを発見し、隣国に預けておけぬものとして預かってきた。
であるからこそ、今は『王家に関係のない』婚約者の立場であるプリム嬢にお預けする。やがてイングラム殿が王として立たれる時、改めて『行き先』を定めさせていただこう!」
は!?
乙女ゲームのご都合主義もここまでではないのでは!?
ムジーク様の言葉に、わたくしは内心目を丸く致します。令嬢教育の賜物でしょう。表情に出ていない、と思いたいところです。
わたくしは驚きに気づかれないようイングラム様、そして陛下を見上げました。
すると。
「ムジーク殿、それではそなたに預けたはずの隣国は黙っていないのでないか」
陛下がそう問われます。
ムジーク様は大きく首を振りました。
「百年目を見届ける竜の亜人として、在処を失してしまうような者たちにこの剣は預けられない。それ故に俺の『預かり』とした。俺が選んだものに託すことは先方も了承済みのことだ。それが自分たちではないという可能性は予想して然るべきだろう」
なんという唯我独尊でしょうか。いえ、もともとそういう方でしたね。俺様ヒーローの攻略対象でしたね、そういえば。
「それに、王家に渡したとなれば問題にするかも知れないが、あくまでも『侯爵令嬢』に『預ける』だけだ」
いつでも返してもらえる、とおっしゃりたいのでしょうか。というか、侯爵令嬢が王の剣を預かることの不自然さをまず問うべきでは? 警備体制などもありますでしょうし。
とはいえ、わたくしがそれを言える場ではありません。
誰も不思議に思わないんでしょうかこのやり取り。
陛下はわたくしとイングラム様、それからムジーク様をご覧になってから、わたくしへ口を開かれます。
「プリム嬢、預かってくれるか」
あ。
面倒くさい、って顔に書いてある気がします。伊達に年越しの夜を一緒に過ごしたわけではないということでしょうか。なんとなく、察せられるような?
段の下の視線は一気にわたくしに向けられます。
「お、恐れ多いことでございます。わたくしなどが、王の剣をお守りできるものでしょうか」
断る前に、大丈夫ですかと不安を口にするくらいは許されるでしょう。だって前代未聞ですから。実際、わたくしが預かるにしても問題が山積みです。
「――イングラム」
陛下がイングラム様へ視線を向けられます。
イングラム様は一度頷いてから、
「であれば、王太子妃の蔵へ納めてはいかがでしょうか。王太子妃が代々受け継ぐ品と、個人資産を管理する宝物庫でございます。そちらは、慣例では王であっても触れてはならぬ宝とされております」
陛下は満足そうに頷かれ、わたくしへまた視線を移します。
「プリム嬢、それでどうか?」
なるほど。陛下も手出しできない『王太子妃の個人宝物庫』。そちらへ収めれば、警備は城と同等として扱えるけれど、王のものではない、というわけですね。
「わたくし個人でお預かりするのは身に余る事。そうおっしゃっていただけるのであれば、お預かりさせていただきます」
本来、王太子妃になってからの蔵だとは思いますけれど。ここで時期尚早ですと断るのはそれこそ不敬ですし、なにより陛下とイングラム様からのご提案です。
おそらく、ここまでイングラム様とムジーク様の間ではすでに取り決められていたことなのでしょう。
そして。
わたくしがすにでに、王太子妃の蔵を利用することを許されたのだ、と内々に示す意味もあるのでしょう。加えて、その剣を求めて蔵に入ろうとするものを、あぶり出すことも。
ぶるり、と震えそうになるのをこらえます。
陛下の眼差しが、まるで全てを見通すようです。
「では、そのように」
陛下がさっと手を振られますと、ラーシュ様が剣を抱えて段を去られました。届けられた木箱へ収め直し、兵たちが運んでゆきます。
剣が完全に広間から消えてから。
陛下はしゃん、と錫杖を鳴らしました。王の三つの宝。冠と、錫杖と、剣の、その錫杖です。
「ムジーク殿へ改めて感謝を。これで隣国との戦は避けられた。改めて方策を決めるゆえ、皆の忠誠を期待する」
陛下のそのお言葉を持って。
ムジーク様の帰還の式は終わったのでした。




