21 秋の実り月 6
取り分けられた料理を、わたくしはイングラム王太子殿下と共に、テラスに用意されたテーブル席でいただいております。
テーブルの燭台には灯りが点り、幻想的な雰囲気。
多種の料理がきれいに一口ずつ取り分けられ、三種ほど並べられたプレートが三セット、それぞれわたくし達の前に並んでおります。添えられたのはノンアルコールの発泡葡萄ジュース。
わたくしの飲み過ぎを殿下が気遣ってくださいました。
灯された暖色の明かりに、殿下の白皙の面と碧眼が揺らぎます。
息を飲むほど美しい、というのは、こういう方に使う表現なのでしょう。
さて。殿下の堪能はこの辺で。
わたくしは揃えられたカトラリーを手に取ります。
「取り分けられても美しゅうございますわね」
感嘆のため息をついて、前菜として盛られたであろうプレートから頂きます。
丁寧な仕事がわかる絶妙な味わい。温野菜サラダに掛けられたドレッシングはオリジナルでしょうか。酸味と甘味が絶妙です。
一つずつ味わっておりますと、ホールの音楽が漏れ聞こえて参りました。ダンスが始まったようです。
あと一口で取り分けて頂いた分が一先ず終わるのですが、見ないのも失礼ですし、ああ! 困ります。
わたくしの狼狽に気付かれたのでしょうか、殿下が苦笑されます。
「また取り分けてもらえばいい」
そうは参りません!
ええい、恥はかき捨てです!
わたくしは令嬢としてははしたなく大きく口を開けて、最後の一口を頬張り、それこそ社畜時代のように一気に噛み砕いて飲み込みました。最後にグラスに残った葡萄ジュースを飲み干します。
「残すなんて失礼、できませんわ。少し無作法いたしましたが、皆様が、育て、調理してくださった手間、かかった時間と費用、全てに失礼と存じますもの。残すくらいでしたら、わたくしはいくらでも無作法を晒して構いませんわ」
殿下は、ふわり、と微笑まれました。
秋の夜のテラス。燭台に照らされて微笑むヒーロー。
スチルではありませんか!
わたくし、少し気が遠くなってしまいます。すぐに我に返って、一度深呼吸です。ビークール。ビークール。
「母の茶会でも驚いたが、プリム嬢は食べ物を大切に食べるのだね」
殿下の言葉にわたくしは深くうなずきました。当然のことです。
「わたくしは、こんな風に野菜や家畜を育てることも、捌くことも、調理することもできません。命を奪われ食べられるなんて、考えたくもありません。ならば食べることは、その技能、その命を尊敬することと同義と存じます。己にないことをしてくれているのですから、対価と尊敬を払うべきですわ」
「尊敬と、対価、か。なるほど」
殿下は納得なさったのか頷きながら呟かれます。
そして立ち上がって手を差しのべられました。
「ファーストダンスが始まったようだ。見に行こうか」
わたくしはその手を取って立ち上がります。
殿下に誘われるまま、そそそ、とボールへ戻りますと、ちょうどジェニファー様とグランディニーリ様のダンスの最中でした。
婚礼の盛装を纏われたお二人の息のあったダンスはまさに圧巻。
定番の曲で、見慣れた躍りだと言うのに、その美しさに改めて息を飲んでしまいます。
曲の終わり。
お美しい二人が礼をしてホールを捌けられると、何処からともなく拍手が響きました。
見惚れたまま拍手し続けますと、殿下がわたくしの方を軽く向かれます。わたくしも拍手を止めて向き直りますと、殿下がそっとその手を差し出されました。
「一曲踊っていただけますか?」
スーチールー!!!
キラキラとシャンデリアが照らす目映い光の粒が殿下の金髪を照らして、まるで映画かおとぎ話のワンシーン。誰もが一度はときめく王子様そのもので、叫ばなかったわたくしをむしろ誉めていただきたいくらい。
萌え震えそうになる手を気付かれないようゆっくりと殿下の手に乗せて、わたくしは、引き攣りそうになる頬を叱咤しつつ微笑みます。
「喜んで」
殿下に手を引かれホールに出ますと、メアリー様とお兄様も出てお出でで。
お兄様もちゃっかりメアリー様のエスコートを勝ち取ったようで、自然と笑みが溢れます。
が。
そこでわたくし、はたと気付くのです。
これ、実質殿下とのお披露目ではないでしょうか、と。
やがて楽団が奏で始めたのは、先程とは打ってかわって、テンポは早め、ステップはスタンダード、という躍り慣れた方向けの選曲。メロディラインが派手なのとスピード感があるので、盛り上げに最適な曲と言えます。ファーストダンスの後、場を温めるには良くある選曲なのですが、これ、踊る方は疲れますのよね、案外と。ですから、会場の若手を踊らせるための曲とも言われております。
曲に合わせ、殿下がわたくしをリードして、まるで滑り出すように踊り始めます。
唸るのはわたくしの粘り腰。腰から上の体軸を決してぶらさず、殿下のリードに従って踊ります。
ですがしなやかに。滑らかに。絡まるような足運びを、絡ませることなく呼吸を揃えて。
一つの生き物、一本の樹。もとからそうであるように。
やがて曲は最後の盛り上がり。
転調してテンポを上げて。楽団の全ての楽器が津波のように掻き鳴らし、打楽器さえ伴って、最後の一音を揃えて叩き付け。
同時に。
わたくしと殿下も床を高く踏み鳴らし、フィニッシュポーズを決めました。
一拍の間。
割れんばかりの拍手が、ホールを満たしました。
『あの祭り』『あの躍り』を踊りきった時並みの達成感がありますわね。腰と爪先がポイントですのよ。
殿下がわたくしの手を取って高く掲げました。そして、一礼。
また高まる拍手。
これが社交ダンスのコンクールならば金メダル間違いなしでしょう。
ですが。
ここは、ジェニファー様とグランディニーリ様の結婚お披露目の夜会の場。
わたくしたちが目立つのは全くもってよろしくありません!
やりきって満足してしまいましたが、終わったと思うと途端に我に返って現実を見詰めてしまいます。
「殿下」
小さく声を出せば、イングラム王太子殿下も一つ頷かれます。
ホールを見渡せば、同じ曲を踊っていたはずのメアリー様とお兄様も、いつの間にか脇に避けて拍手してお出でで。
なんで?
などと思っている場合でもなく。どう納めれば良いのか。いえそもそも殿下がお出でなのですからわたくしが納めようと考えるのもおかしいといいますか。
すると、ダンスホールへアストラナガン王子殿下がジェニファー様の手を取って出られました。
続いて、グランディニーリ様がホールを横切り、わたくしに手を差し出されます。
「王太子殿下、是非わたくしにジンカイイ侯爵令嬢と踊る誉れを頂けますか」
手を差し出しながら、言葉はわたくしの隣に居られるイングラム王太子殿下に向けられたもの。
なるほど。
グランディニーリ様の上司であるアストラナガン王子殿下とジェニファー様。そして、グランディニーリ様と、イングラム王太子殿下にエスコートされていたわたくしが踊ることで、三曲が一つの演目となるように納めようということですね。
わたくしは納得して、グランディニーリ様の手を取ろうとして。
くい、と、イングラム王太子殿下に引かれました。
首をかしげて見上げれば、殿下は何時もの余所行きスマイルで
「では、次の曲はまたわたしと頼むよ」
なんておっしゃって。
グランディニーリ様が目を真ん丸に為さってから
「仲が宜しくて、喜ばしいことです。では殿下、ジンカイイ侯爵令嬢をお借りいたします」
わたくしの手を取られました。
イングラム王太子殿下が少し縋る様な目をなさってから、ホールを離れていかれます。
少しだけ、胸がつきんと痛みます。
離れがたいと思ってしまっているのでしょうか。別にお別れでもなんでもないのに。
少しでも離れたくない、なんて思っているとしたら、わたくし大分恋愛脳になってしまっているのでは?
そんな自覚は全くないのですが。
「本当に、まるで始めからそうであったみたいだね、君たちは」
わたくしが視線を戻さないからか、グランディニーリ様が面白そうにおっしゃいます。
「失礼いたしました」
わたくしもはっと我に返って、お詫びを申し上げると、グランディニーリ様はくつくつと笑われます。
「いや、私もできればジェーンと踊りたいから、おあいこだよ」
穏やかに仰るのは、確かに、スノエル様のお兄様といった様子で。
新たに始まった曲はゆったりとした三拍子でしたから、先程より余裕がございます。
ホールにも少しずつ人が出て踊り始めておりますし、ようやくなんともうしましょうか、緊張が解れた、というところなのでしょう。
流石、ジェニファー様とグランディニーリ様の差配です。
穏やかなホールには、スノエル様とクレイン侯爵のお姿や、お兄様とメアリー様、フィリィ様は──あら、壁の花になっておられますね。お相手が騎士爵ですと、この夜会には招かれて居られないのかもしれません。
イルフカンナの貴族階級は穏やかなようで確かな線引があります。例えばこういった夜会で招かれるかどうか、などが。
全員など招けるわけもございませんから、そこはまず『爵位』という線を引くわけです。
「考え事かな。それとも、殿下のことを?」
三拍子のステップでくるりくるりとターンをします。
グランディニーリ様の問いかけにわたくしはにこりと微笑みました。
「乙女の秘密、ですわ」
招かれる立場とか招かれない立場とか。友人関係だけで選ばれるよりも余程平等と言えるでしょう。それにここは、二次会ではなく社交の場。身分を越えて呼ばれるための社交ができていたかの結果でもあるのでしょう。
やがて曲が終わり、互いに礼をいたします。
「君の様な女性がそばにいて、イングラム王太子殿下は幸福だね」
グランディニーリ様が社交辞令を仰いますので、わたくしも微笑みます。
「光栄ですわ。殿下のお幸せをお助けできていたらよろしいのですが」
「そう思うなら、早く戻って来てくれても良いのだが」
いつの間にか現れていた殿下が、わたくしの腰を抱き寄せます。
ひえっ。
見ていたグランディニーリ様もきょとんとなさり、おそらく見ていた貴族方からもざわりとどよめきが起こります。
不意打ちの上、少し躍り疲れた足腰は堪えられずに、わたくしはそのまま殿下の胸の中へ。
ひええ。
「プリム嬢、約束通り、次の曲はまたわたしと頼むよ」
「かしこまりました」
片言になりそうですわよ。心臓が腰にあるみたい。殿下の手の熱さがドレスの生地ごしにもわかるくらいです。
グランディニーリ様がくすりとお笑いになって。
「良い兆候だと、わたくしは思いますよ、殿下」
グランディニーリ様もある意味では幼馴染と言えましょうし、気安くお話になることもあるのでしょうか。
見上げれば殿下は微笑んではおられますがなんだかばつが悪そうです。
「二曲踊れば十分だろう。ジェニファー嬢のところに行ってやれ」
そんな風に殿下が仰るのもまた意外、というか。年相応と言いましょうか。
グランディニーリ様は深く一礼なさってから殿下の前を辞されます。
そして殿下はわたくしの手を取ってまたダンスポジション。
あ、ほんとに踊られますのね。
流れ出すのはまたゆったりとした曲。ムーディーなチークナンバーとでも申しましょうか。あまりステップに拘らない曲ですので躍りが苦手なカップルも踊りやすい曲です。
イングラム王太子殿下はわたくしの腰に腕まで回して密着しております。まるで抱き締められているみたい。
「殿下」
やりすぎでしょうと声を上げてみますが、見下ろされる眼差しは先程とは変わって嬉しそうで、咎める気持ちが萎れてしまいますわね。
「いや、うん。その、こうして触れていられるのは中々ないからね」
嬉しいんだと仰るのがまた幼く見えるのはもうあれですか可愛いと思ったら負けみたいなそういうものでしょうか。もちろん元々箱推しゲームのメインヒーローですし現在は普通に恋してるのではないかと思っておりますけれどもだからといってこんな風に、同じ夜会で二回も、しかも二回目に密着してだなんて、公然と『そう』であると伝えているようなものです。
我が家と王家との間では、少しずつお話が進んでいるとも聞いておりますけれど、まだ学生の身であるわけですしそもそも殿下のお相手の公表は慎重を期すのが我が国の慣わしでありますし、ですけどわたくしも素直に嬉しいのも事実で。
ええ。嬉しいと、思ってしまうのです。
「殿下」
それはもう、認めるしかない感情です。
「わたくしも、嬉しゅうございます」
だから、お伝えするのは、誠意だと思います。殿下がこんなにも、伝えてくださるのですから。
すると殿下は見たことないほど顔を赤くされて。ですけど曲の途中で手を離してしまうこともなく。真っ赤なまま曲を終えて、手を取り合って。
わたくしたちはホールを捌けていきました。
なんだか、普通の恋人同士、みたいですわ。まあ、そんなことを思えるのも、きっと今だけなのでしょう。
躍り終えますと、殿下の元には男性客たちが集まってこられます。
わたくしの方にも、メアリー様やフィリィ様が来てくださいましたから、一礼して一度離れることに致しましょう。
「帰りは送らせて欲しい」
離れ際に殿下が仰るのを、周りの皆様にも聞かれてしまいます。
ざわり、と空気がどよめくのへわたくし、平静を保つのが難しくなりますけれど。
「ありがとうございます、殿下」
そう答えられたのは淑女教育の賜物と言えましょう。
ようやくの礼。
それから令嬢の皆様とお話を。メアリー様にお兄様とのことをお伺いしなければ!
***
「良いですわね」
壇上に『下がった』ジェニファーは、イングラムとプリムの様子にほうと息をついた。
四曲目のチークも良かったけれど、今、おそらくイングラムが男性陣に囲まれるのへ身を引こうとしたところを引き留めたがるその執着。
推せる、とジェニファーは思った。
プリムが学園に入ってから、届く情報は学園にいるジン友会メンバーからの報告だけ。
久々に生で目にする二人の姿にジェニファーは満足した。
「上機嫌だね」
と、夫になったグランディニーリがグラスを差し出すのを受け取って、ジェニファーは頷く。
「ええ。ねえ、グラン。わたくし、公爵家をプリム様の後見としたいわ。後見になれなくても、支持していきたい。構わないかしら」
夫の立場を考えれば、アストラナガン王子殿下が優先されてしかるべきなのかもしれないが、公爵を継ぐのはあくまでジェニファーだ。
ジェニファーの言葉にグランディニーリは頷く。
「ああ。ここだけの話だけれどアストラナガン殿下は出世をお望みでないんだ。太い支援は、むしろ足かせになるだろうね」
「……そう、なの」
ジェニファーは、その言葉の意外さに少し言葉を選びかねた。それを察して、グランディニーリは微笑む。
「お優しい方だよ、アストラナガン殿下は。だから、厳しい選択を迫られる立場に御自身は向いていないとお考えなんだ。イングラム王太子殿下もお優しいけれど、そこがお二人を分けた違いだろうと、わたしは思うよ」
グランディニーリの言葉に、ジェニファーは深く頷いた。
「優しさだけで済ませられるのは、貴族までですわね。王族では背負うものが違いすぎます」
貴族とて、優しさだけで済むものではもちろんないけれど、背負う責任の大きさが違う。自分の領地という狭い中で『だけ』なら、イルフカンナの多くの貴族は比較的『優しい』ままでいられるだろう。要するに、他領を犠牲にしてでも自領を富ませれば良いのだ。他人に厳しく、自身に甘く。それでいい。
しかし、王族ではそれは許されない。他国とのやり取りも、自国内のことも、全て。誤るわけにいかず、甘いだけではおられない。
グランディニーリもその真意を悟って頷く。
「君が領地を持たない公爵であることがもったいなく感じるね」
ジェニファーは、それがグランディニーリ最大の賛辞で惚気であることを分かっている。
美しく微笑んで、彼女はグラスの中身を飲み干した。
***
公爵がお開きを宣言し、新郎新婦二人が改めて挨拶をして礼をすると、穏やかに夜会は幕引きとなりました。
名残を惜しむ方々がホールでがやがやと賑わっておられます。
わたくしは殿下と離れたあと、スノエル様やフィリィ様、メアリー様とお喋りをしてから、両親のもとへ戻りました。
「お父様、お母様」
「楽しめたかい?」
「ええ、とても。ジェニファー様もお幸せそうで何よりでございました」
「皆様の視線は新郎新婦だけでなく、プリムちゃんと殿下も追っていたようだけれど」
「……はい。それで、殿下が送ってくださるそうで、そのことをお伝えに参りました」
お父様とお母様はまあ、と口を開きます。そうですわよね。来て早々にエスコートのために連れ去られて、帰りも、となると。
「殿下は腹を括られたのかな?」
「王妃殿下がとてもお慶びだそうですから、陛下もよしと為さったのではないかしら」
両親がこそこそと話しておりますが、つまり、それは。
「プリム、屋敷に帰ったら少し話をしよう」
「かしこまりした。お父様」
「ですから、寄り道しては駄目よ」
「はい、お母様」
寄り道、とはこれいかに。送られる馬車で寄り道ってつまり逢い引きとかお泊まりになるのでは……!? いえいえ! それはございません!
そうして両親を見送りますと、今度はお兄様がメアリー様を伴っておいでになりました。
メアリー様とお兄様は順調なご様子。不意打ちにご家族とも本日お顔を合わせられたとか。秒読みですわね。
「プリム、わたしはこれから、メアリー嬢を屋敷へお送りして、それからご挨拶をさせてもらうことにした」
「まあ!」
「兄君と顔を合わせさせていただいたのでな。改めてご家族に願ってくる。お前は殿下に送って貰うのだろうから、ちゃんと帰るように」
「かしこまりましたわ。
メアリー様、本当によろしい?」
お兄様に頷いてからメアリー様を見ますと、真っ赤な顔で頷いておられます。あら可愛い! お兄様もすみにおけませんわね。今夜の間にどれほど甘く囁かれたのでしょう。先程の雑談では全然聞けませんでしたし!
「あとで、聞かせてくださいましね?」
小さく囁けば真っ赤なお顔のメアリー様がそーきゅーと!
んふんふと笑いたくなるのを堪えて全力で微笑みキープでございます。
とそこへ。
「待たせたね」
現れたのがイングラム王太子殿下でございます。人もまばらとはいえ、まだ残る者も居る中で現れられれば、ざわりと空気が震えます。
「リバートはメアリー嬢を送るのか?」
問われて、お兄様は頷きます。
「はい、殿下。合わせて、ご両親に挨拶させていただければと考えております」
お兄様が堂々と仰いますから、殿下の側近の浮いた話、として社交界を駆け巡ることでしょう。
殿下の側近が婚約を口にし始めるならば、殿下の婚約も近い、ということですから。
となれば、自然と視線はわたくしに来るわけですわね。うう、予測できることとはいえ、引きこもりたい。
殿下はそんなわたくしに気付いたのでしょうか。また腰に手を回されうひょう!? ダンスではございませんよ!?
「馬車を待たせているから、行こうか、プリム嬢」
エスコートどころか! これは、なにこれ!?
腰を押されますとその通りにしか歩けませんし!?
殿下に導かれるがまま、表とは別の玄関へ案内されます。
「こちらは賓客など、目につかせたくない客の出入口だそうだよ」
始まる前に案内された部屋の前を通りすぎ、屋敷の裏へ回ります。
裏口と呼ぶには立派な扉の前に、表口よりも上等なお仕着せの下男たちが頭を垂れておりました。
「馬車は待機してございます」
下男が言って、扉を開きます。
立派な黒塗りの、二頭立ての馬車が目の前に止まっておりました。ドアには王家の紋章がございます。
御者が直ぐ様馬車のドアを開き、踏み台を置きました。
殿下が腰からするりと手を放され、わたくしの手をとります。殿下の手を借りながら、流れのままに馬車に乗り込みました。
続いて殿下が乗り込まれますと、御者が踏み台を外してドアを閉めます。
わたくしが進行方向を向いて座り、殿下が御者に背を向けて座ります。
「出すよ?」
殿下の問い掛けに頷きますと、殿下が覗き窓をコンコンと二回ノックされました。
やがて。
ゆっくりと馬車が動き出します。
宵闇の中、ランタンを灯した馬車が走ります。
貴族街の中ですから、我が家まではそう遠くありません。
「殿下、本日はありがとうございました」
言えるうちに、と、わたくしは頭を下げました。
「いや、わたしも楽しかった。こんな風に、夜会を楽しむことが出来るとは、思っていなかったな」
穏やかに殿下が応えられます。そして。
「気付いたとは思うが、いよいよ、わたしはプリム嬢を離してあげられそうにない。近々、父が君の父と君を城に呼ぶと思う」
つまり、婚約のお話が整う目処が立った、ということなのでしょう。
そうなると分かっていたのですが、こう、面と向かって言われてるのに事務的ですと、分かっていながら乙女心がしょんぼりとしてしまいますわね。
「……すまない。わたしの心は、改めて差し出すよ」
その言葉に、わたくしは目を丸くしました。
「わたしが望んだことだ。わたしが願い、叶ったことだ。だから、その、わたしからの、こういう、事務とかしきたりを除いた、心からの求婚は、改めて機会を貰いたい」
少し、しどろもどろになりながら、殿下が仰いますから、わたくしは楽しくなってしまって、嬉しくなってしまって
「楽しみにお待ちしております、殿下」
と、答えたのでした。
それからは、二人で何を言うでもなく、語るでもなく馬車に揺られて。
こんなに心地よい沈黙は、初めてだと、思いました。
そして馬車は我が家の停車場へ入って、穏やかに止まります。
「着いてしまったか」
殿下が残念そうに仰って、御者が開いたドアから降りられます。
また差し出された手を取って、わたくしも馬車を降りました。
「……連れ帰りたい」
ぽつり、と殿下が、聞こえるか聞こえないかの小ささで呟かれます。
そんっ、そんな風に呟くとは反則だと思います!
わたくしは耳まで赤くなって、殿下を見上げました。
殿下も、聞こえているとは思っておられなかったようで、目を見開いて、それから、頬を朱に染められて。
ランタンの薄明かりの下でも分かってしまうくらいです。
わたくしは何か言おうと、そう、何か言わなければと口を開こうとして。
「おやすみ、プリム嬢。良い夜を」
殿下の言葉に、口を閉ざしました。
ええ。そうですね。こうして、おやすみを言い合えることが、まずは、わたくしたちに必要なのです。
「おやすみなさいませ、殿下」
「うん」
殿下はわたくしが馬車を降りるのにお借りしていた手を、わたくしの手を乗せたまま己の口許へ運ばれます。
ちゅ。
とリップ音を立てて、わたくしの爪先に口付けられました。
「良い夢を」
そう告げて手を放されます。
思わず、わたくしはその放された手を胸元に抱き寄せてしまいました。
呆然とするわたくしに、殿下は穏やかに微笑まれてから、馬車に乗り込みます。
御者が手綱を一振。
馬車は走りだし、そして夜の街に溶けて行きました。
わたくしは、馬車のランタンの明かりが小さな点になってやがて見えなくなるで、馬車を見送っておりました。




