20 秋の実り月 5
「はい、殿下」
とはいえ、こちらも侯爵令嬢。いくら引きこもりだったとはいえ、教育の成果はここにございます。穏やかに微笑んで、一つ頷いて見せれば、殿下も頷かれます。
そのまま殿下に連れられて、やわらかなカーペットの上を広間の奥へと進みます。一番奥、段になっている手前で立ち止まり、振り返って会場を見渡しました。
わたくしたちが入ってきた大扉は既に閉ざされております。
給仕が近寄り、わたくしと殿下に、発泡葡萄酒の入ったフルートグラスを渡されます。
いよいよ、ということでしょう。
ファンファーレが鳴り響き、大扉が開かれますと、公爵閣下と夫人、その後ろから、白いドレスのジェニファー様と同じく白の正装のグランディニーリ様がご入場されてきました。
わっと会場が沸き立ちます。
わたくしと殿下は中央から少しずれたところに立って、四人がやって来るのを待っています。
公爵家の皆様は殿下の前で一度立ち止まられて礼をなさると、檀上に上がられました。
「今宵は、我が娘ジェニファーと、その夫、グランディニーリの婚姻の御披露目にご臨席賜り、誠に感謝致します。今宵は、グランディニーリの上司であり、我が国の王子であられるアストラナガン王子殿下に加え、イングラム王太子殿下にも臨席を賜りましたこと、光栄の至りです。
どうか皆様、二人の前途を祝し、婚姻と幸せを喜び願ってやってください。どうぞ、良き夜となりますように。
乾杯!」
フルートグラスを手渡され挨拶の口上と共に杯を高く掲げられました。
わたくしと殿下もグラスを掲げます。
そしてくい、と飲み干します。これは、ホストへの信頼も表す仕草です。毒など盛られていない、という。
空いたグラスをすぐさま給仕が回収して回ります。
そして、最上位のゲストはイングラム王太子殿下ですから、まずはイングラム王太子殿下の元に主催である四人がやって来ます。
ザ、場違い、再び!
わたくし、ここにいて宜しいのでしょうか。殿下を見上げますと、殿下の左肘に乗せているわたくしの手に、殿下の右手が重ねられました。逃げられないやつですわね! にぎにぎしないの!
恥ずかしさに見上げれば仄かに微笑まれましたわよ!
「イングラム王太子殿下、此度はご来臨いただき誠にありがとう存じます。こちらが、わたしの跡を継がせますジェニファー、そしてこちらが夫となったグランディニーリでございます」
初対面ではないはずですが、関係性を改めて、ということでしょう。当主であるシーサヤ公爵閣下がおっしゃり、公爵家四名が深く礼をされます。わたくしはそのような礼を受けられる立場では無いのですが! お隣にいる方の身分が高いばかりに! こんな時にどうするか、なんて習っておりませんがわたくしも殿下に礼をするべきでは?
膝をおるかと思っていると、殿下が口を開かれます。
「楽にして欲しい。今日はそなたらが主役だ。グランディニーリ、弟の側近として、お前も弟のように感じていたが、もう妻をもらう年となっていたのだな。励め。ジェニファー嬢、やがて公爵を継ぐ時、グランディニーリの経験はきっと助けとなるだろう。末永く、睦まじくあれ」
姿勢を戻した公爵家の、新郎新婦の二人に殿下がお祝いの言葉を掛けられます。二人が仲良くあるようにというお言葉は、確かに、公爵家にとっても、重い言葉になることでしょう。
お二人は手を取り合って深く頷かれました。
「プリム嬢からは、ないか?」
そして、イングラム王太子殿下がわたくしに水を向けられます。確かにわたくしがお祝いを言えるのも今この時しか御座いませんけども!
この流れでわたくしがお祝いを申し上げるの、完全に殿下の婚約者ではございません? だからと言って、お祝いしないわけがないのですけれども!
「ジェニファー様、この度はおめでとうございます。そのドレスも、白地に白の印刷と刺繍、お美しいですわ。わたくしも今シーズンは印刷生地のドレスを仕立てましたの。ジェニファー様の発案と伺っております。シーサヤ公爵家のこれからが幸多かろうと信じておりますわ。
グランディニーリ様、妹君のスノエル様とは、わたくし、学園で仲良くさせていただいておりますの。兄君の婚姻を夏休みの前から楽しみにしてらっしゃいましたわ。どうか、スノエル様共々今後ともよろしくおねがいいたします」
軽く膝を負って礼をします。本当はこここそ全力カーテシーの見せ場だと思うのですが王太子殿下がにぎにぎしっぱなしなのです。
「ありがとう存じます、プリム様。殿下との仲が良好で何よりですわ。わたくし、昨年お会いした時から、プリム様を是非、殿下にお薦めしたいと考えておりましたのよ」
「ジェーンもスノエルも、よく貴殿のことを話していたよ。こうやって知り合えて嬉しい。今後とも、どうぞよろしく」
ジェニファー様とグランディニーリ様が口々におっしゃって、期待値の高さに恐れおののいてしまいます。わたくしのどこにそんな要素があったのでしょうか。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
わたくしはそう答える他ありませんでした。
公爵家の四人は今一度礼をして、続いてアストラナガン王子殿下の元へ向かわれました。
わたくしは、ほう、と一息。ですのに、殿下がにぎにぎを止めませんわね。
「殿下」
「どうした?」
「その……手を……」
離してくれとは言いにくいのですが、少し伝えてみましたところ、殿下は視線を向け、それから私の顔を見、また手に視線を向けられました。
「……すまない」
そしてそっと離されます。
「すまない。本当に、すまない。無意識だった」
無意識!
まさかの! 無意識!!
いえそんなばかな。完璧王子と名高いイングラム王太子殿下がそんな無意識に婦女の手をにぎにぎし続けましょうか!?
表情に出てしまったのでしょう。殿下が気まずげに両手を降参のポーズで掲げ、視線を反らされました。
「本当、なんだ」
「……わたくしは」
「その、プリム嬢の手が柔らかくて、しかもこのように長く組んで居られることもそうないだろう。それに、君が無事で良かったな、としみじみとその、離れがたくて」
殿下がまるで年頃の少年のようなことを仰って、少し、驚きます。それ以上に。
「殿下のお耳にも届いておられましたか。ご心配をお掛けしました」
わたくしは深く、心からのカーテシーを致します。粘り腰の真骨頂。マナーの先生も唸らせた渾身の姿勢でございます。
ゆったりと優雅に姿勢を戻しますと、殿下が嬉しそうに、うん、と頷かれました。
「無事ならば良い。仔細は、リバートから聞いている」
殿下が改めて肘を差し出されますから、わたくしもまたそこへ手を掛けました。
「彼らのあいさつ回りが終わればダンスの時間だろう。一曲お願いできるかな、ご令嬢」
「殿下のお誘いを断れる令嬢などおりませんでしょう、喜んで、殿下」
殿下は満足げに頷かれました。
さて、その間、ですけれど。
わたくしは、ちらり、と料理の置かれたテーブルを見ます。公爵家の夜会の食事は質も味も一級なのです。
ダンスまで少し離れても良いのでは。
「ところで、殿下」
ちょっと行ってきますよ、とお断りをいれようとしましたら
「うん、先に食事にしようか」
先手を打たれました。
がっでむ。
「饗されたものに手をつけないのも失礼、なのだろう?」
そのお言葉に、わたくし、はっと思い出します。昨年の王妃様のお茶会で、わたくしが食い意地を張ったのを言い訳した言葉を。
殿下のお耳にまで届いておりまして!?
なんで!?
殿下はわたくしをエスコートしながら、料理のテーブルへ向かいます。滑るように歩きながら、 殿下の仰るのを聞いておりますと、曰く。
「大抵、ああいった席の菓子は大部分は賑やかしで、廃棄されてしまうことも折り込み済みなのだけれど、それでも一つずつ口にして美味しそうにしているのを、母が気に入ってね。それに、他の令嬢たちも噂していて、昨年の社交界は、『一口は口にするのが礼儀』という風潮が生まれていたよ」
初耳なのですが!?
驚きに少し足取りが乱れそうになりましたわ。なんとか堪えられたのは、日々の粘り腰の成果ですわね。
「左様、でしたか」
「わたしも、それには納得してね。料理人や給仕たちの仕事に対する礼儀でもあると思う。わたしは、働くものに礼を尽くしたい」
やがてわたくしたちは食事のテーブルの前に辿り着きます。
音もなく給仕が、
「お好みのものがあれば、お取り致します」
と寄ってきます。
殿下はうん、と頷いて、
「プリム嬢、何が食べたい?」
なんて聞かれます。わたくしが食い意地張ってるようではありませんか! 食べますけれども!
テーブルを見渡すと、選びきれない料理の数々。
こういうときは。
「お薦めのものを、一口ずついただけますか?」
適宜取り分けてくださいスタイルです!
給仕がかしこまりましたと応じながら、殿下に視線を滑らせます。殿下が何を召し上がられるかを確認したいのでしょう。殿下は穏やかに微笑まれ、
「彼女と同じものを」
と仰います。なるほど! わたくしめが毒味をさせていただきますね!
ふんす! と鼻息荒く
「毒味はお任せくださいましね、殿下」
と申しますと殿下がきょとんとされております。
あら?
「いや、うん。毒味は必要ない、プリム嬢。わたしは、君と同じものが食べたいだけだよ」
はっ!?
確かに公爵家の晩餐で毒味など失礼なことこの上ないですわね!
「申し訳ありません。わたくし、殿下の御身ばかり」
「そうではなくてね」
「はい? 公爵家のお食事に疑義を挟んだことではないのですか?」
「文面そのままに受け取って欲しいな。わたしは、君と同じものを楽しみたいんだ」
あばば。
給仕の方は見なかったように、では、お取り分けします、と去っていかれました。ぐう優秀。さすが公爵家の給仕のお仕事。
わたくしは羞恥に顔を染めながら、殿下から視線をそらします。
「臣下として、などと振る舞わなくて良いんだよ、プリム嬢。わたしも、そうする」
殿下が穏やかに仰いました。
***
シーサヤ公爵令嬢ジェニファーは、貴族令嬢達の中で密かに組織された、『ジンカイイ侯爵令嬢を盛り上げる友の会』、略してジン友会の暫定代表である。それ故、彼女の結婚の披露目の席に招かれた家々の令嬢の多くは、その会員だった。
彼女達にとってイングラムとプリムのやり取りは
「さいのこう」
「わかりますわかります」
「プリム様がふとした瞬間にお見せになる、油断したご様子、殿下のおとなりに居るからと思うと順調で何よりかと」
格好の目の保養であった。
「ああ! ご覧になって。ジェニファー様方が御挨拶に!」
壇から降りたシーサヤ公爵家の面々が、イングラムとプリムに歩み寄る。何事か話して後、シーサヤ公爵家が臣下の礼をとる。
併せてプリムもイングラムに礼をしようとしたのだろう。僅に身を捩ったが、しかし。
「ご覧になりました!?」
「ええ、確と」
イングラムが、プリムが己の肘に乗せている手に己の手を乗せて握ったのである。
「流石は殿下ですわ」
「プリム様の外堀を埋めるのがお早くて」
令嬢たちは感嘆の息をつく。
「プリム様も殿下の不意打ちでも姿勢をお崩しにならないわ」
「ええ。お二方とも姿勢も身のこなしも素晴らしくて」
やがて四人が二人のもとを離れても、令嬢達の視線は主役よりもこの二人だ。ジェニファーもきっとそれを許すと令嬢達は知っている。
「お食事かしら?」
「わたくしたちも近くに参りましょう。何をお話されているか聞こえるかも知れませんわ」
そそと彼女達も料理の並んだテーブルへ歩いて行く。穏やかな会話がそこここから聞こえ、やがて。
「文面そのままに受け取って欲しいな。わたしは、君と同じものを楽しみたいんだ」
イングラムの台詞に令嬢達は目を見開いた。
同時に、赤く染まるプリムの顔を確かに目に焼き付ける。
「まあ」
と声に出さなかったのは、令嬢達の教育の賜物だろう。
二人の仲睦まじい様子は、一気にジン友会内を駆け巡った。
***
一方その頃、メアリーは戸惑っていた。
兄にエスコートされていたのに、いつの間にか彼女は、リバートにエスコートされていたからである。
メアリーは、ジン友会の筆頭記者である。そういうことに、なっている。貴族の付き合いの筋などもあり、コンツェルト伯爵家はこの夜会に招待されていた。本来なら義両親が出れば義理は果たせるのだが、メアリーも是非に、とジェニファーが招待状に書いていたため、メアリーは両親と兄に連れられてこの席に来ている。兄の妻は現在身重であることもあって、今回は参加していない。なので、今夜は兄から離れずに、プリムとジェニファーに挨拶ができれば良いだろう、と考えていたし、実際そのつもりだった。
シーサヤ公爵家との挨拶は、主に父が行ったので、メアリーは大人しくカーテシーをするのと、ジェニファーとまた今度お茶でも、とお話をした程度だった。
その頃には高位の貴族達は食事をしたり、会話を始めている。
イルフカンナの結婚の御披露目の慣習上、公爵家が自ら声をかけて回るのは侯爵までで、伯爵はよほど親しい相手が居る場合になる。コンツェルト伯爵家の場合は、王家に長く仕える騎士の名門かつメアリーの実父の功績も大きい。また、メアリーとジェニファーが個人的に親しい、という事情があった結果だ。
公爵家が離れてすぐ、楽団が構えだした。
おそらく、間もなく新郎新婦によるファーストダンスが始まるのだろう。それが終わればあとは堅苦しいことの少ない祝いの宴になる。
やがて、スタンダードなワルツが流れだし、ジェニファーとグランディニーリが優雅に踊り出した。
仲睦まじく白い礼装を翻してホールを巡る二人を、メアリーはうっとりと見つめた。
躍り終わり、二人で一礼してホールからはけた時など、感嘆のため息すら溢れた。
あとはダンスを踊りたいものが順次ホールで踊るだろう。
メアリーはプリムの顔を見に行こうかと周囲を見渡して、思ったより間近にいたリバートに飛び上がりそうになりながら堪えた。
「こんばんは、メアリー嬢。良い夜だ」
「こんばんは。ごきげんよう、リバート様」
動揺を悟られぬよう祈りながら、メアリーはスカートの裾を持って頭を下げた。メアリーをエスコートしていた兄も同様に。
メアリーは個人の忠誠をプリムに捧げているが、コンツェルト伯爵家自体は武門、主家はホエール公爵家だ。不仲ではないが、さほど親しいわけでもない。メアリーの兄とリバートは、これが初対面だった。
「リバート様、兄のヴィバルでございます」
「コンツェルト伯爵家ヴィバルと申します」
「ああ。ジンカイイ侯爵家リバートという」
一通りの挨拶のあと、リバートはヴィバルを見やる。
「ヴィバル殿、メアリー嬢をお借りしてもよろしいだろうか?」
リバートが尋ねると、ヴィバルはメアリーを見やった。ヴィバルはリバートを知らない。父親同士がやり取りをして居ることを聞いているし、婚約の段取りが始まっていることも知っているがとはいえまだ正式でもない上、義妹のメアリー本人から聞いた話でもない。なので、本人の意思に任せようと思ったのだが。
メアリーは顔を赤くしつつ固まっている。
──妹は俺以上に脳筋だったな
コンツェルト家は武を誇るゆえか、情緒が足りないと常々妻にも言われているヴィバルは、義妹の様子に助け船を出すことにした。恐らくこれは相思相愛だろう。戦術的撤退をするに限る、と己の中の戦場指揮官の勘が訴えるので。
「ええ、是非」
ヴィバルが肘をリバートに差し出せば、手を預けているメアリーが、釣られて一歩出る形になる。そこへ改めてリバートが肘を差し出すので、メアリーは『学園で習った令嬢の動き』の通りに、リバートの肘に手を乗せた。
完璧な、家族から恋人や婚約者へ手渡される動きだったことに、ぼんやりとしてしまっていたメアリーは気付いていない。
そのまま二人はダンスホールに躍り出る。
「えっ?」
メアリーが我に返ったのはそのホールのポジション取りに歩いているときだった。
きょとんと見上げればリバートが微笑んでいる。
「リバート、さま」
「わたしと一曲、踊っていただけますか?」
甘やかな声がメアリーを誘う。花が綻ぶようにメアリーは笑みを浮かべて
「喜んで」
混乱は横において、リバートの手を取った。




