6 夏の初め月 1
細かいことは、家に通知が行ったようです。わたくしは今まで通りで良いと、父と兄から手紙をもらいました。
むしろ、今まで通り、とは何なのでしょうか。とりあえず、学園生活に精を出そうかと思います。まずは学園祭……の前にテストですわね。
そうそう、学園祭は、無事、学園の承認を得ることが出来ました。
法務専科の方が、会議を終えて出てこられた後、震え上がっておられました。良い経験になったようです。商業専科の方は、稼ぎが読めんくなった、とぼやいておられて。元はそのような話し言葉でらっしゃるのですね。
結果、貴族の社交シーズンが始まる最初の週末に、学園祭が催される運びとなりました。
全学に通知も出て、各専科は展示や催しの検討を始めています。
自治会では、全体運営と、ホールや広場の要望と割り当てを担当します。
とはいえ、施設利用の希望が出揃うのは夏の試験の直後ですので、まずは夏の試験ですわね。
そう。
試験です。
ぴすんぴすんとすすり泣く音がするのは、わたくしの左隣のフィリィ様。
わたくしたちは、休日に、今度は学園図書館の自習室に集まって、試験勉強をしております。
フィリィ様が泣いているのは数学ですわね。
「どうなさいましたの?」
「ここの、かんすーの、」
ぴすぴすしながら指差すのは二次関数の解の公式ですわね。
「これなら、わたくしわかりますわ。いっしょにやりましょう」
「はいぃ」
わたくしとフィリィ様が、数学をやる隣で、スノエル様とメアリー様は歴史の勉強です。
わたくしは試験は文学と選択科目だけですし、メアリー様は歴史さえ何とかすればと仰せでした。
今の手応えではさほど悪くない結果になるとは思うのですけれど。
魔力学は、試験がないそうです。研究成果の方が大事だとか。アンドン先生らしいというか、なんというか。
ですので、わたくし実は文学と経済だけなのです!
正直、前世の学校を思えば、これで良いのか本当に、とも思いますが。
とはいえ、およそ高校一年生くらいの年代の、入学後一回目の試験が、数学の範囲は前世の高校普通科文系二年生くらいまでですし、文学は母国語だけでなく他国の文学を原著で取り上げますし、やることだけはスパルタなのですが。
文学、詩的表現がわたくし壊滅なのですが、丸暗記でどうにかというより、これはセンスの問題ですわ。
きらきらと、めありーさまが、とうといの。
等と唄うのでは比喩表現不足で即減点でしてよ。分かりやすく良い歌だと思うのですけれど。
「うぅーこれでどうですか」
フィリィ様が、回答を差し出されるので確認しますと、
「たぶん、合っておりますわ」
「よかったぁ」
「本番もこの調子ですわよ」
「ひぃん」
フィリィ様は数学さえ何とかできれば問題ないのですが、数式が、苦手なのだそうです。わたくしもそう思います。わたくしが出来ているのは、前世でまがりなりにも大学を卒業する程度の学力があったからなのです。
先に学んでいただけなので、わたくし自身が賢いわけではありませんわね。
代わりに、フィリィ様の詩作は先生も誉められるほどなのです。ただ、官能的に過ぎる、とは言われますが。セクシーポエムがこの可愛らしいお嬢さんから生まれるなんて、世の謎ですわ。
わたくしは、フィリィ様の数学を見ながら、試験範囲の外国の詩集を翻訳しております。
とにかく内容を理解しないことにはどうにもなりませんの。
我が国イルフカンナと、隣国の言語は共通ですが、反対側とは少し発音が違いますし、その先は更に違います。
イタリア語とフランス語とドイツ語、くらい違うのです。なんというか、国民性がそのまま訛りになり、さらに変容した、というか。
筆記も絶妙に違う上に似ているので、混乱しますわ。流石に、文字と発音までは、鈍器設定資料には載っておりませんでしたし。
「花籠──の乙女の、金の?」
「そちらは、直訳では花籠ですが、文脈から『花冠の乙女』と訳すのが一般的ですわ」
わたくしの呟きに応えてくださるのはスノエル様。スノーヴィ領は、亜人も多くおられますし、魔石坑山があるので、比較的外国の方も多くこられるのだとか。そのため、スノエル様は語学に堪能であられたのです。
「なるほど。そうするとここは、『花冠の乙女の金の髪』となりますのね?」
「左様ですわ。その上で全文から読み解くと、この金の髪の乙女こそ、女神の化身、という歌になりますの。花冠が、女神に選ばれている、という暗喩になっておりますわね」
「女神に関わる部分に、花が頻繁に表されるから、ですわね?」
「左様ですわ」
急いで書き付けてから、顔を上げてスノエル様を見ますと、おずおずと彼女は己の書きつけを差し出してこられます。
「その、プリム様、歴史の、この部分なのですけれど、なにか良い覚え方はございませんか? この頃の乱立した小領主の施策についてなのですけれど」
「ああ、そこは──」
ああでもない、こうでもないと、勉強会の時間は続いていきます。
フィリィ様が数学でしおしおになりすぎたので、歴史を勧めてみたり、わたくしは文学の詩的表現で引かれてみたり(解せませんが)、スノエル様が歴史に四苦八苦されたり、メアリー様が室内楽の楽譜を睨んでいたり。
穏やかな時間が過ぎてやがて昼食の時間になりました。
「おなか、すきました」
しくしく顔のフィリィ様が机に臥して、皆様時間に気付きます。わたくしは懐から時計石の首飾りを取り出します。確かに、もう石は大分白くなっておりました。
「確かに、お昼ですわね。寮に戻りますか? それとも、気分転換に町にでも?」
「町に行きませんか? その、ちょうど先日、美味しいお店を見つけましたの」
スノエル様のお誘いに、フィリィ様ががばっと起き上がります。
「いく!」
「わたくしも行ってみたいです」
メアリー様も頷かれて。
わたくしたちは、借りていた参考書を司書の方にお返しして、学園図書館を出ます。
空は少し曇り気味ですが、雨は降らなそうですわね。
少し歩くと、正門へ着くまでの間に、わたくしにエステル、スノエル様にシトラス、フィリィ様にオパールとショコラッテがそれぞれ張り付きました。
音もなく現れる彼女たちにも、わたくしたち、慣れてしまいました。最初はメアリー様が、拳を構えて大変だったのですが。わたくしたち四人の後ろに、侍女の集団が続くのも、もはや普通のことになっております。でも、皆どこから現れるのでしょう。というか、エステル以外も皆そうするということは、もしや侍女の嗜みなのでしょうか。
正門を抜けて、学生街へ。
スノエル様のご案内で、少し奥まったところにある、見た目、ただの一軒家へ。ドアには『営業中』とだけぶら下がっております。
スノエル様が、ドアを押そうとして、シトラスがさっとドアを開きました。この侍女、できますわね。
中は全体的に木目調。カウンターのマスターが「奥へどうぞ」と穏やかにおっしゃいます。
奥の据え付けの木製ベンチにクッションがのせてあるだけのテーブル席に腰を下ろすと、なんだか前世の喫茶店を思い出します。
「マスター、今日のランチを人数分お願い致します」
すぐさまシトラスが、オーダーへ。
マスターに頷かれるとこちらの席へ戻り、
「お嬢様方、こちらの昼食には、食後に紅茶かコーヒーをお選びいただけます。どちらになさいますか?」
他のお三方が紅茶、わたくしはコーヒーを選びました。
どうしても寮やお茶会では紅茶を飲みがちで、コーヒーはレアなのです。
しばらく歓談しているうちに、配されたのが、ワンプレートに、香りからしてガーリックバターライス、葉もののサラダに、お肉のソテーのランチプレートでした。
食欲をそそる香りです。とくに、ライスに軽く振られたブラックペッパーがポイントの模様ですわ。
一口口に運べば、丁寧な仕事が分かります。
「美味しい」
思わず呟けばスノエル様がほっとしたお顔。
「ご案内しておいて、お口に合わなければと心配しておりましたの。良かったですわ」
「スノエル様はどうやってこちらをお知りになったの?」
フィリィ様が無邪気に問い掛けられると、スノエル様は目を真ん丸にされました。
あら?
それから、頬を染めて俯きます。
「婚約者の、クレイン侯爵様と、一緒に」
「まあ!」
フィリィ様が、目をきらきらと輝かせました。
クレイン侯爵様と言えば、今乗りに乗っている貴族の一門。我が家が筆頭侯爵家に繰り上がったように、今年侯爵第二位になられたお家です。
ただ、昨年の春に先代夫妻は事故でこの世を去られ、今は嫡男のグルー様がクレイン侯爵を名乗っておられます。
このグルー・ラ・クレイン様は、スノエル様の婚約者であられ、スノエル様と同じように、雪のように白いプラチナヘアーであられます。目は金に見える榛。わたくしの目を金の目とおっしゃる父やムジーク様に見ていただきたい。真の金の目とはこうなのだ、と。いえ、ご存じでしょうけれども。
昨年の大夜会は、喪に服すために不参加でらっしゃいました。
ですので、わたくし、噂の金の目を見ておりませんの。熱弁できるのはゲームの設定情報ですわ。没案として、攻略対象になる予定もあったとか。貴族過多でお蔵入りだそうです。
「いつのまに?」
フィリィ様、すごい食いつきですわよ。
「先日のお休みに。こういう、すぐに分からないお店を探すのがお好きな方なのです。貴族なんて特に変化がないから、人生には驚きと発見が必要なのだそうですわ」
人生には驚きと発見が必要。いい言葉ですわ。つまりそれは、
「つまりそれは、些細なことにも気付ける心を持とうと云う姿勢でしょうか。素晴らしい方ですわね」
思わず口にしますと、スノエル様はますます顔を赤くされて、白い肌に朱がさして、大変愛らしいですわ。
「は、い。とても優しい、素敵な方なのです」
「春のパジャマパーティーではきちんと聞けませんでしたから、また詳しく!」
フィリィ様、しっぽがあればぶんぶんと振っていそうな勢いですが。
「それはお預けですわね」
わたくし、水を差しておきます。嫌われ役もときには必要でしてよ。
「そうですわね。まだ試験勉強が残っていますし」
苦笑するのはメアリー様。スノエル様は赤い顔で明らかに安堵されておりますわ。
対するフィリィ様はしょんぼり顔です。つまらないけど理解はしている、と言ったところでしょうか。
「お話は戻りますが、こちらのお料理、本当に美味しいです」
メアリー様が、お肉の最後の一切れを口に運ばれます。
ガーリックバターライスは、香りの割に濃すぎず、お肉の脂と良く合います。お肉はいわゆる希少部位ではなく、庶民も食べる安価な部位ですが、仕事が丁寧なのでしょう。筋っぽさもなく柔らか。むしろ、赤身の旨味を感じられます。特性のスパイスでもあるのでしょうか。前世のオールスパイスとか、ハーブソルトのような。
……ハーブソルト!
盲点でしたわ。我が領でハーブを作っているんですから、乾燥ハーブを用いてすぐに使える調味料にすれば良かったのです。ガッデム。フレッシュハーブばかりに気を取られておりました。ああ! 早く書き付けたい!
「プリム様ー?」
はっ!
フィリィ様がわたくしの目の前で手を振っておられます。自分の世界に没入しておりましたわ。お恥ずかしい。
「お恥ずかしい。考え事をしておりました」
頬に手をあてて、うふふ、と微笑みます。
「どのような?」
スノエル様から問い掛けられて、わたくし、少し思案します。マスターのご機嫌を損ねなければ良いのですが、秘密にしても良いことではありませんわね。
「エステル、マスターにお話しできるか聞いてきてくれる?」
「かしこまりました、お嬢様」
この案を出すなら、マスターにお話しを通すのが道理と思いますわ。
しばらくして、マスターがこちらのテーブルにおいでになります。
「お呼びですか、お嬢様方」
優しい声音の、素敵なダンディですわ。
「とても美味しゅうございました。味付けは、あなた様がなさっておいでですか?」
問い掛ければマスターは嬉しそうに頷かれます。
「年寄りの道楽で一人の店ですから、味付けを試行錯誤する時間はたくさんあるのです」
確かに、休日のお昼時に、客はわたくしたちだけですわね。
「ああ、ご心配には及びません。食事よりも、茶とコーヒーを求められる方が多く、昼時よりはおやつ時の方が賑わうのです」
わたくしの懸念に、マスターは穏やかに答えられます。察する力も高いですわね。
「繰り返しますが、とても美味しゅうございました。それで、思い付いたことがございまして」
「何か、お口に合わないことが?」
不安げなマスターに申し訳なさを感じつつ、わたくしは続けます。
「たぶん、独自の味付けの分量があるとは存じます。我が領地では今、ハーブの栽培を勧めておりまして、あらかじめ乾燥ハーブと塩を合わせた、合わせ調味料にしたら、売りやすいのかなと、このお味で思い付いたのです。レシピをください、等とは申しません。ただ、参考に合わせ調味料を作っても宜しいでしょうか?」
「家で店の味を出せる、と言われると悩むところですが、塩コショウだけではすまぬところや、工夫は私のものですから、どうぞ、お心のままになさってください。美味しければわたしも『工夫』のひとつに加えさせていただきますよ」
マスターはぱちん、とウィンクして答えてくださいます。わたくしが危惧した点も理解くださって、その上で、許可してくださるなんて。
懐の深いお方ですわ。
いえ、むしろ、貴族的、なのでは?
所作も洗練されておりますし、うーん?
わたくしが何も言わないからか、マスターはにこやかにおっしゃいます。
「予想の通りですよ。わたしは地方貴族の三男坊でして、独立して食物卸問屋と飲食店をやっておりました。数年前に妻をなくしてから、商売を子らに任せて、わたしはここで気ままに店をしています」
なるほど。貴族生まれであれば所作に納得できますし、食物卸問屋をなさっていたなら、スパイスやハーブに詳しくてらっしゃるのも道理というもの。
……欲しいですわね。
「マスター、後日改めて、書類や条件整えて参りますが、わたくしと仕事を一緒にしてくださらない?」
マスターは穏やかな顔を少しだけ驚きに染めて、
「は?」
「わたくしは、ジンカイイ家のプリムと申します。エステル」
名を名乗ってからエステルを呼べば、エステルは懐からわたくしの商会のネームカード、つまり名刺ですわね、を差し出しました。
「改めてご挨拶に参りますが、先にご意見などございましたらこちらへ」
エステルも慣れたものですわね。学園に入る前はそれこそ、本を読むか、任せていただいた領地の商売を学ぶか、といったところでしたので、出先でこういうやり取りも良くやったものです。
マスターは目を真ん丸にしてネームカードをご覧になっておられます。
「プリムローズ商会!? あなた様が!?」
マスターの目の色が急に変わります。あら、わたくしの商会をご存知でらしたのですね。嬉しいですわ。
「はい。父から任された、領地の産物ですとか、わたくし自身のもの作りなどを賄う、わたくしの個人資産の商会でございます。ご存知でしたのね」
「ご存知も何も! 香りつき便箋や、色インク、金属のペン先などの商会ではありませんか! お嬢様の商会だったのですか」
「出資と責任者はわたくしですが、実務は信頼のおける商人を雇っておりますわ。わたくしの我が儘を聞いてもらっておりますの」
「それでも。都でも名の知れた商会です」
「光栄ですわ。皆頑張ってくれていますもの」
わたくしが、領地のいくらかを任されたときに、いわゆるお小遣いで貰っていた個人資産などで立ち上げた商会で、これを売りたいとか、あれが欲しい、とかそんなことばかりお願いしておりますの。それでも売り上げを上げてくれますし、お陰さまで個人資産は増える一方だと会計担当も申しておりました。メアリー様、スノエル様、フィリィ様も驚き顔でこちらをご覧です。あら?
「フィリィ様は、あの、箔押便箋の? プリムローズさま?」
「箔押、しましたわね」
フィリィ様に頷きます。
「色つき封蝋のプリムローズさまでらっしゃるのですか?」
スノエル様に頷きます。色つきシーリングワックス、欲しかったので。
「プリム様好きです!」
「わたくしもですわ!」
メアリー様、安定ですわね。
「プリムローズ商会がジンカイイ領発祥であることは存じておりましたが、そうだったのですね……」
スノエル様がため息のようにおっしゃいます。
「わたくしの思い付きですから、わたくしで責任を負いませんと、無責任でしょう? お金と責任を負うかわりに、好きにさせていただいておりますの」
転生令嬢小説読むと、令嬢、みんな事業やっているのでは? それを婚約破棄してくる婚約者に奪われたりとかそういう波瀾万丈とかではなかったですか?
わたくしが、きょとんと見渡すと、エステルがすすす、と寄ってきて
「事業をなさる令嬢は、居ないわけではありませんが、そう多くございません、お嬢様」
そうなの!?
衝撃ですわ。前世の創作知識、役に立たないこともありますのね。
「ともかく。試験が終わりましたら、詳しいお話しをさせていただければと」
うふふふ。話を変えて穏やかに終わらせますわ。マスターもまだ考える時間も必要でしょうし。
「え、ええ」
マスターも戸惑っておられますし。
「では今日はごちそうさまでしたわ。エステル、支払いを」
「ご主人、お納めください」
8人分のランチ代に、チップと迷惑料を上乗せしてエステルが支払います。なお、ランチ代は大体先に侍女の間で割り勘の金銭交換をすませておくようです。助かります。
「多いよ、お嬢様がた」
「とても美味しかったのと、お話しのお礼ですわ。お納めくださいな」
お答えしますと、マスターはしぶしぶと受け取られます。
そうして、わたくしたち四人はお店を出て、学園へ戻りました。
さて、午後も頑張りましょう。
***
そうして、なんとかわたくしたちは試験週間を乗り越えました。
結果発表までまたしばらくございますが、マスターとの交渉、学園祭とやることはそれなりにございますね。合間合間に、今シーズンに向けたドレスの用意もせねばなりませんし。
そんなある日の放課後、メアリー様とアンドン先生のところへ行く支度をしておりますと、
「少し、いいか」
とのお声がけが。顔を上げればムジーク様でらっしゃいます。
「どうなさいましたか?」
あの春の日以来、ムジーク様は、適度、以上の距離感を保っておられました。
けれども、染み着いた警戒は簡単には解けず、メアリー様もわたくしとムジーク様の間にそっと肩を差し入れます。
「……この三月、お前を見てきた」
「はい」
「俺も、学んだ」
「はい」
「俺はお前が欲しがったが、あれは、お前ではなく番を欲していたと分かった。番なら誰でも良かった。お前自身を、見ていなかった」
「そうですわね」
「まだ、この衝動が、番だからなのか、お前だからなのか、はっきりとはしない。だが、それでも。お前がいい」
それは、穏やかで、染み込むような声でした。縦に長い瞳孔の、竜の亜人の金の目は、まっすぐわたくしを捉えて離しません。
「光栄ですわ」
美しいと思います。格好いいと思います。己を振り返り、内省し、きちんとやり直せる姿勢は好感も抱きます。
ですが、なんというか。わたくし自身が、あの傲慢を許しきれていない、というか。ご自身ばかりすっきりしてわたくしに改めてそうおっしゃられても、というか。
冷めて、おりますのね、わたくしは。
いじめっこが大人になってから謝ってくる、みたいなものでしょうか? 違うかもしれません
けれど。
ああ。そう。つまりは。
「光栄ですが、わたくし、ムジーク様に心を傾けておりませんの」
恋に、落ちてはいないのです。
恋に落ちる前に好感度メーターがマイナスに振りきったというか。今ようやくゼロっていうか。
「そう、か」
くしゃり、とムジーク様が笑います。
「嫌いと言われなくて良かった」
あら、素直。少し、驚いてしまいます。
「挽回の機会をいただきたいが、素直には頷けないだろう。もし、俺が試験でお前に勝ったなら、一度、茶会を共に」
なるほど。そういうお誘いでしたか。ですが。
「わたくしとムジーク様ですと、文学しか共通科目はございませんわね」
「……そうか」
考えておられませんでしたね、その間は。それに、免除制度があるので、総合順位も各科順位も公表されない仕組でございます。
俺に勝つとは面白ぇ女、みたいなことは起こりませんのよ。
「お茶会のお誘いでしたら、手順を踏んでいただければ」
「! そ、そうか。うむ。そうだな。では、後日改めて招待させて貰う」
「はい。楽しみにしております」
「うむ。ああ、すまない、用があるのだろう。行ってくれ」
「はい。では、失礼いたします」
わたくしがカーテシーをいたしますと、メアリー様も合わせて一礼されます。
それから、二人並んでアンドン先生の部屋へ向かいました。
「意外でしたわ」
とおっしゃるメアリー様に、わたくしも微笑みます。
「ムジーク様のこと?」
「ええ。態度の変わり方もですけれど、プリム様も、お許しのようなので」
苦笑して、わたくしも頷きます。
「許した、というか、入れていなかった方が、今一度ドアをノックされただけですもの。苦手ではありますけれど、拒む理由ではないわ」
真っ直ぐで不器用な方なのだというのは分かりますし。今まで、亜人の里で暮らして来られて、三ヶ月であそこまで価値観を寄せて来られたのはむしろ優秀ではないでしょうか。いえ、我々イルフカンナ人の方が亜人の方々より進んでいるという意図ではなく、ムジーク様の柔軟性への見解ですけれど。
「あの方が、譲歩なさったのですもの。わたくしもかたくなではいけないわ」
そうあれたらいいと願うのだから、そうあればいいのです。そう思って口にすれば、メアリー様が目を潤ませてこちらをご覧になっています。
「プリム様、流石です」
「あ、ありがとう、メアリー様。でも、わたくし、人の道に添うようにありたいだけですから」
「それを為せる方と、為したくても為せぬ方と、為さぬ方にはそれぞれ大きな差がありますわ。わたくしも、プリム様のように、人の道に添うように生きたいと思います!」
ぐっと拳を握られますと、なんだか、拳の聖女再び、という趣ですわね。
「そ、それより、今日こそ結晶化をして見せましょうね!」
慌てて話題を変えれば、メアリー様も力強く頷いてくださいました。
「先日はあと僅かでしたもの。頑張りますわ」
血液による魔力経路の構築は、実験効率が悪くて、アンドン先生に止められました。毎回指を刺されてはたまらんとのことですの。
代わりに、魔力が流れやすいもの、を探しております。この流れやすさを仮に魔導率、と呼称して、魔導率の高い素材で流路を作るのが最近の実験傾向です。
今のところは、ラピスラズリの顔料が有効性が高いのですけれど、お値段も高いのが欠点。
わたくしとしては、スノーヴィ領産の魔石の原石から取れた屑石の魔導率が極めて低いことを利用できないかと考えているところなのですが。
「メアリー様は、今日はどのようにお試しになりますか?」
問いかければ、メアリー様はうーんと唸ってから
「流路の形に工夫が必要だなと思っているのです。徐々に収束するような形を取れればと考えてはいるのですが、効率的な形まではまだ」
「わたくしもです。流したときの漏出による欠損がばかにならない気がしておりますの。それをなんとか留めたいですわ」
あ。
漏れるなら、塞げば良いのですわね。
魔導率の高い経路の外側に、魔導率の低い素材を置けば、反射されて漏れなくなりそう。光ファイバーの要領ですわ! そうそれ!
「メアリー様! わたくし、急いで試したいことができましたわ!」
「は、はい! プリム様」
廊下は走ってはいけませんから、わたくしたちは、できるだけ早く、実験室へ向かいました。
すると。
アンドン先生の部屋から、ローズマリー様が出てこられたのです。
今日はローズマリー様もご一緒でしたでしょうか。
「ローズマリー様」
お声がけして歩み寄れば、驚いて振り返られました。
少しお顔が赤いですわ。
「ご、ごきげんよう、プリム様、メアリー様」
ローズマリー様は、あの日以来、定期的にアンドン先生のもとへ通っておられます。眼鏡は取られたままですが、毛先の色はもとのアッシュグレーに戻ってきています。根拠はありませんが、ローズマリー様は、もう大丈夫なのではないかなと、思います。
「ごきげんよう、今日はローズマリー様も一緒に実験なさるの?」
「い、いえ。その、アンドン先生は、授業のない日は一日部屋に籠って、寝食を忘れておられるので、その、ご機嫌をうかがいに」
俯いて顔を赤くされています。
ほほう。ほほーう?
なるほどなるほど。
こういうルート、ありだと思いますわ。メアリー様も心なしかそわそわしておられて。
「左様でしたか。先生は中におられますか?」
「ええ、もうすぐお二人が来るだろうと仰ったので、わたくしはお部屋を辞したところですの」
ローズマリー様のお答えに、わたくし、ひらめきます。
「よろしければ、ご一緒しませんか?」
「! そ、そんな、お邪魔では」
ローズマリー様がわたわたと手をふられます。
「わたくしたちでは少し行き詰まっておりますの。ローズマリー様のご意見も聞かせていただきたいですわ」
ナイスフォローでしてよ、メアリー様!
メアリー様の言葉に少しほっとしたようなローズマリー様。
ここはもう一押し──
「何をしている」
というところへ現れるアンドン先生。タイミングが良いというか、悪いというか。
「ごきげんよう、アンドン先生」
ここは自然にご挨拶するのが良しですわね。
「ジンカイイとコンツェルトか。こんなところに立ってないで早く入れ」
「先生、ローズマリー様もご一緒してもよろしいですか?」
アンドン先生はその言葉にきゅ、と、眉を寄せました。
「クアクゴスに用事があるのか?」
先生の問い掛けに、ローズマリー様は首を左右に振りました。それはとても穏やかなお顔です。
「では、だめだ。お前たち二人で僕は手一杯だ」
アンドン先生の言葉に、ローズマリー様は微笑んで一礼して、静かに歩んでいかれました。
わたくしたちは腑に落ちない顔をしながら実習室へ入ります。
「気に入らなそうだな」
と先生。
「……いえ、そのような」
「まあいい。お前たちは当事者だろうから言っておくが、クアクゴスは、孵ったばかりの雛鳥だ。ようやく頼れる友と大人を見つけたばかりだ。だから、見分けがつかなくなっているだけだ」
恋と、情を。
先生は、はっきりとは言いませんでしたが、そう仰りたいのだと思います。少し遠くを見る先生の眼差しは、ただの教え子への情には見えない気がいたしますが。
「まあ、だからお前たちは首を突っ込むな。
それはそうと、魔力晶石はどうなっている?」
無理矢理話を終わらせた先生に、メアリー様はまだ不服そうですが、先生の言い分にも、理はあります。
ローズマリー様は、きっとこれから、なのです。わたくしたちが関われる範囲は僅か。責任を負えないほどに手を出すべきではないのでしょう。
「わかりました。メアリー様、実験の続きをいたしましょう」
「……はい、プリム様」
「進捗は」
「血液の利用を止められましたので、魔導率の良いものと悪いものを調べ出して、陣を描いて試しておりますわ。魔導率が良いのはラピスラズリを砕いた顔料インクで、悪いのは魔石を除いた屑石ですの」
「魔石の原石の残りの屑石が魔導率が低いのは興味深いな」
「ですから今日は陣の構築に力をかけるつもりですわ」
「ふむ……方向性は悪くない。続けるといい」
「はい、先生。それで、やってみたいことがあるのですが」
「うん?」
「流路をラピスラズリの顔料で書いた上で、その周りを屑石で覆いたいのです。流路から漏れる分の魔力を屑石によって塞ぐことで、より効率的な圧縮ができるのではないかと思いますの。試してよろしいでしょうか?」
「全て覆うと見えないだろう。まずは顔料で経路を書いて、その縁取りをしてみてはどうだ? 用紙の下にも屑石を敷くといい」
「! はい!」
アンドン先生から許可も出ましたし、早速準備に取り掛かります。
今までで一番収束率の良かった陣の線の外側に、新たに屑石を砕いて作った顔料で縁取り線を引きます。
そのさらに台の上に屑石を敷いて、陣を描いた用紙を載せれば準備完了。
メアリー様が固唾を飲んで見守っておられます。
では早速、魔力を流して見ますと──
予定どおり、じわじわと魔力が陣の中心に集まって行きます。今までよりも大分効率が良い気がしますわ。
やがて、今まででは発光して終わってしまう量に到達して。
ぎゅっと、魔力が纏まるのを感じます。
もう少し。もう少し。
じりじりと魔力を押し込みます。何時もよりも多く流せているのは間違いありません。
ここで焦ってはいけません。
ゆっくり。穏やかに。
細石も、時間をかけて岩石になると、前世の歌にもありました。
ゆっくり。ゆっくり。
そうして。
ぱき。
と音がして。
ぱきぱきと音を立てて、まるで水晶のように、陣の真ん中に小さくて透明な石の柱が育ちました。前世のパワーストーンのような六角柱で、頂点が尖っております。
そっと、陣から手を離しても、それが消えてしまう様子はありません。
アンドン先生が、そろりそろりと寄って来られます。
「ジンカイイ」
「はい」
「持ってみろ」
「はい」
陣からそっと、その結晶を持ち上げます。
ころんと、冷たい石のようなそれ。
先生は陣を描いた用紙を持ち上げたりひっくり返したり。
そして。
「なるほどな」
と一言。
「先生?」
と問いかけるのはメアリー様。
「自然界においても、同様に魔導率の低い岩石の中で魔力が滞留し、魔導率の高い成分を核に結晶化したと見るべきだな。でかした。それは記念に持って帰っていいぞ」
先生は満足そうに頷いておられます。
「先生。これが偶然ではないと確認するために、メアリー様にも魔力を流して頂いて再現性を確認すべきと思いますわ」
「その通りだ。コンツェルト」
「はい、行きます」
続いてメアリー様が、ご自身で用意していた陣に魔力を流します。
同じようにしばらくの時が過ぎて、ぱきり、と音がして。
そして。
ダイヤモンドのように美しく輝く結晶が生まれました。形も、わたくしの水晶型ではなく、カッティングされた宝石のような形です。
「まあ」
美しさに息を飲めば、アンドン先生がまたためつすがめつしています。
「結晶の形は様々か。これはまた検証だな。二人ともでかした。今日のこの陣の検証は僕が引き継ごう。明日また放課後にこい」
先生は陣と結晶化の考察に没頭されるご様子。わたくしたちは、記念の結晶を持って、実習室を後にしました。
「プリム様、これは、大発明です!」
メアリー様は興奮したご様子。流石に実習室ではしゃぐわけにもいかなかったのでしょう。
わたくしの手の中と、メアリー様の手の中に、小さな結晶が一つずつ。
綺麗だなと眺めておりますとメアリー様が、もじもじとわたくしに、メアリー様の結晶を差し出しました。
「プリム様、その、わたくしの結晶と、交換してくださいませんか? 今日の、記念に」
まあ! 思い出の品の交換! 素敵ですわ!
「素敵ですわ! ですけど、形はメアリー様の方が素敵で、不釣り合いではないですか?」
「まさか! わたくしには、プリム様と交換できたことが記念ですの。どうか、お願い致します」
「なら、喜んで」
そして、二人で、結晶を交換しあいます。
なんだかくすぐったくて、嬉しくて。
二人で微笑みあいながら、じゃれるように寮へ帰りました。
部屋に戻って、宝石箱に、メアリー様の結晶を仕舞おうとして
「良かったですね」
事情を話したら、エステルがそういって。
「後程、揃いの小箱をご用意いたしますね。メアリー様にも差し上げてください」
「! 素敵。ありがとう、エステル……あ、そうだわ」
小箱も素敵なのですけれど、せっかくなのですから、身につけていたいですわね。
「ねえ、エステル。サシェ……ドライフラワーとドライハーブを詰めた、小さな香り袋を二つ作ってくれないかしら。巾着のようにして、ひもは首から下げられるように。その中に結晶を入れていたら、素敵だと思うの」
わたくしの言葉に、エステルは目を輝かせました。
「丁度、商会のものに会う用事がございます。その折に、ジンカイイ領のハーブを買っておきますわ」
「お願いね。お金は何時もの通りに」
「かしこまりました」
香り袋にして首から下げられたら素敵ですわよね。まだ香油もつけませんし。
メアリー様が、気に入ってくださったらよいのですが。
結晶をもう一度取り出して、美しい宝石のようなそれを両手に包んでみます。
メアリー様と、お友だちになれて良かった。
ここにいられて良かった。
この毎日が、幸せで大切だと、また、しみじみと思うのです。
こんなに満ち足りて、良いのかと不安にも。
どうか、この日々が続きますように。
祈るように目を閉じて、深く息を吐きました。
大事に宝石箱に閉まって、振り返ります。
エステルが、穏やかな表情で、わたくしを見ておりました。
GWに入るので、次回は5/1(土)朝7時の予定です。




