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5 春の雨月

ブクマ190ごえにようやく気づきました。ありがとうございます。

 朝から浴場を借りて身を清め、ドレスを着て、お化粧と髪結いです。とはいえ、気軽な会、と仰せなので、髪型とメイクは控えめに、品良くまとめましょう。

 お茶会の時間は昼少し前。ブランチタイムと言ったところ。

 正門前から我が家の馬車にのって、向かうのは王城です。

 王城、とは、堀と塀に囲まれた、土地全体を指します。そのなかには、議場や、謁見の間、各執務室などのある行政府の役割を持つ主城、王族の『家』にあたる居城、そして、舞踏会や茶会を催したり、各国からの来賓を迎える迎賓館となっています。

 わたくしたちが向かうのは、王城のうち、迎賓館の部分です。前シーズンの王妃様のお茶会は、離宮、と呼ばれる王城とは別の、言わば別荘で行われました。大夜会は主城の大広間で。

 つまり、迎賓館、初潜入でしてよ。

 お堀にかかる跳ね橋を越えて、防御要塞を兼ねる塀を潜って。美しく整えられた街道のような石畳を馬車は進みます。

 正面に見える主城を尻目に途中で脇にそれて、広葉樹の並木を抜けた先。

 白亜の建物が見えれば、そこが迎賓館でございます。

 エントランスポーチで馬車を止めて、御者が踏み台を置いてからドアを開きます。

 御者の手を借りながら順番に馬車から降りておりますと、侍女が音もなく現れました。


「お待ちしておりました。ジンカイイ侯爵家プリム様、スノーヴィ侯爵家スノエル様、コンツェルト伯爵家メアリー様、ファルファッラ伯爵家フィリィ様。

 どうぞ、こちらへ。ご案内いたします」


 また音もなく現れた、ドアマン、でしょうか、その男性が御者に馬車の移動先を伝えております。

 わたくしたちは、侍女の案内に従って迎賓館の中を進みました。

 迎賓館の外見は、前世のイメージではホワイトハウスが近いでしょうか。

 中央エントランスから入り、ホールを抜けて、数々の美術品の飾られた長廊下を通って、抜けた先には、わたくしの第一印象でいえば、とても手の込んだイングリッシュガーデンでした。一年草に多年草、宿根草、領地で盛んな背の高いハーブ。それらが色彩豊かに、目にも楽しく丁寧に整えられた庭がありました。

 大振りの白いパラソルの下、王妃様がウッドチェアに優雅に腰かけておいでです。

 王妃様はわたくしたちの姿を認めると、立ち上がって招かれます。

 わたくしたちは急ぎ足で──けれど下品にならぬよう滑らかに──王妃様の元へ向かいました。

 王妃様の前にたどり着いて、一度背筋を伸ばしてから、四人揃って深々とカーテシーをいたします。


「良く来てくれました」


 王妃様のお言葉に、わたくしたちはますます身を固くします。


「自由な発言を許します。楽にして頂戴」


 許しを得て、わたくしたちは姿勢を戻しました。穏やかな微笑みの王妃様は、パラソルの薄ぼんやりとした影のなかでも分かるほど、美しくあらせられます。


「本日は、お招きいただき光栄でございます、妃殿下」


 この中で筆頭はジンカイイ家ですので、代表してお礼を申し上げます。今一度カーテシーをしてから、姿勢を正しますと、王妃様は満足そうに頷かれました。


「さあ、席について。薔薇は離宮のほうが美しいのだけれど、この時期はちょうど種類の変わり目で見目が良くないの。この庭はお客様にお見せできるよう、いつも花に満ちるように、素朴だけれど強い花を、何種類も植えているの。お嬢さん方とのお茶会には、やっぱり花がなくてはね。晴れて良かったわ。お茶会を始めましょう」


 楽しそうなお声に、わたくしたちは示された席に着きました。

 迎賓館という特性、そのために植生を考慮したお庭。参考になります。流石はこの国の女性の頂きにあられるお方です。

 それに、良くみれば主に農産物を主産業としている各地の花が見受けられます。この辺りも、国を納めるものの姿勢なのでしょう。

 王妃様の説明を聞きながら庭を眺めておりますと、お茶と軽食が運ばれてきました。

 普通のサンドイッチに、以前のお茶会でお兄様やメアリー様に披露したホットサンドも並んでおります。お伝えしたのは、恐らくお兄様でしょう。抜け目ないですわね。


「プリム嬢とメアリー嬢には、見抜かれてしまうわね。プリム嬢が振る舞った暖かなサンドイッチを再現させたの。リバートの昼食に、何度か持たせたこともあったでしょう? イングラムもいたく気に入ったと聞いたものだから」


 殿下!? あとお兄様!? 報告だけでなく? 殿下が口にされましたの!? お止めくださいお止めください。お弁当にお渡ししたのは、残ったローストビーフやポークを良い具合にソースと絡めて作った言わば身内向けでしてよ!

 そんな女子高生のお弁当交換みたいなことなさらないで!

 わたくしが恥ずかしさに打ち震えておりますと、


「とても美味しいです」


 いつの間にか食べ始めたフィリィ様がにこにこと仰せです。


「そうでしょう、わたくしもとても気に入ったの。プリスケンなんて、仕事しながら温かいものを食べられるから良いな、なんていうのよ。ソースをこぼさないように良く押し焼かなければならなくなったわ」


 プリスケンって──陛下ですか妃殿下! 陛下にまで食べさせたのですか!? えっ、マジで?

 わたくし、プルプル震えが止まりませんわ。微笑みを維持するので精一杯。


「光栄でございます」


 ようやく捻り出した返答がこれとか! わたくしの語彙力が仕事をしませんわ。


「良いものは取り入れていきたいの。ですから、皆さん、今日は思うことをなんでも、聞かせて頂戴ね」


 そう締め括られた王妃様のお言葉に、わたくし、すとんと腑に落ちました。

 わたくしのホットサンドが振る舞われたのはあくまでも切欠作り。王妃様が『良いと思えば取り立てて下さる』というアピール。無礼講だ、なんて宣言するより、スマートで穏やかな手腕と言えましょう。

 脱帽でございます。

 そんな風に穏やかにお茶会が始まりました。


 メニュー的にはアフタヌーンティーですわね。時間帯的に言えば、前世の正式な呼び名は、イレブンシス、でしたか。十時のおやつ、あるいはブランチ。

 日本のアフターヌーンティーといえば、三段トレーが憧れですけれど、イルフカンナ貴族においては、三段トレーはおもてなしとしては『いまいち』の扱いですの。十分な広さのテーブルを用意できません、とか、定期的にサーブできる使用人がいません、という意味になるのだとか。わたくしとしては、三段トレー、好きなのですけど。

 サンドイッチの次は、スコーンです。たっぷりのクロテッドクリーム、色とりどりのジャムは庭の花にも負けぬ色合い。クリームチーズにはちみつを掛けたディップも。

 おしゃれなティーカップに注がれるのは香り高い紅茶。この香りは──


「お、王妃様、こちらは!」


 フィリィ様が目を潤ませて声をあげられます。

 王妃様は穏やかに微笑まれ、


「やっぱり、気付いたわね。そう、ファルファッラ領の最高級品よ。わたくしのお気に入りなの」

「光栄です。この茶葉は、わたくしの侍女の実家の作るものなのです。ですから、わたくしのことのように嬉しゅうございます」

「まあ! 後程屋敷に御用達紋を届けさせるから、その家に届けて頂戴ね」

「御用達まで! かしこまりました。必ず」


 フィリィ様が感涙にむせいでおいでです。

 わたくしのホットサンド。フィリィ様の領地のお茶。これは明らかに接待されておりましてよ。

 イングラム王太子殿下が案内の礼にと手配してくださったお茶会ではありますが、招かれただけで礼としては終わっているはず。なのにここまでのおもてなしとは、何か意図がおありのはず。

 ちらりと見渡せばスノエル様が視線で頷かれました。

 スコーンのあとは、ケーキなどの冷たいデザートです。フレッシュフルーツを乗せた数々のケーキがワゴンに乗せられて運ばれてきました。

 その後ろに。

 あばばばばば。

 キラキラした殿方三人とお兄様。つまり、殿下、セマニ様、ラーシュ様です。

 あばばばばば。

 王妃様、知ってましたわね? いえ、むしろわたくしたちがメインディッシュということ!!

 王妃様は美しい笑顔のまま


「あら、イングラム、待ちきれなくなってしまったの?」


 と殿下に問い掛けられます。

 思えばお兄様があっという間に馬車を手配したのも、こういった背景あってこそなのでしょう。

 タウンハウスに居れば、気付けていたかもしれません。ぐぬぬ。

 いえ、それ以前に、予測して然るべきでした。なにせ、『殿下からのお礼』なのですから。

 殿下が現れる確率は、むしろ高かったのです。油断しておりましたわ。


「ええ、母上。わたしからの礼として、母上に席を開いていただいたのです。むしろ、ホストとしてもてなすのはわたしの仕事でしょう」


 にこにこと微笑まれる殿下は完全に余所行きスマイルのようです。ゲームでも、本音は笑顔の下でしたものね。ええ、慣れたものでしょう。少し、いえ結構、面白くない気がしますけれど。


「年頃のご令嬢たちを婚約者も居ない男が招くなんて、許しませんよ。わたくしが女主人を勤める茶会が我が子はお気に召さなかったかしら」


 あら?

 何だか冷戦勃発の気配でらっしゃいますか? 何故でしょう?


「まさか。母上のもてなしぶりは、わたしが良く存じています」

「なら、女同士の楽しいお話が終わるまで待てなかったかしら?」


 ああ、なるほど。王妃様の予定よりも早く殿下が出てきてしまわれたのですね。なるほど。もてなしの段取りが変わってしまうので、王妃様は冷ややかにお怒り、と。

 ですが、殿下も段取りを無視する方ではないでしょうし、一体何故?

 わたくしが不敬にならぬ程度に殿下を見詰めて考えておりますと、それに気付いたらしい殿下と視線が合いました。

途端、殿下の笑みに色が差し、思わずわたくし、慌てて視線を逸らしてしまいました。

 反則! イケメンの仮面スマイルから不意打ちガチスマイルは反則でございます。自惚れそうになるではありませんか。ただでさえメアリー様を始め、メインキャラクターの皆様と良好な関係を築けているのが奇跡なのですから。

 わたくしはモブ。モブですわ。落ち着きなさい、マイハート。はい、ひっひっふー。

 呼吸を整えて顔を上げますと、王妃様が軽く頭を振っておられます。


「来てしまったものは、仕方ありませんね」


 そして手振りで指示を出されますと、追加のウッドチェアがすぐさま運ばれました。

 少し広めに取られていた座席の、間、間に新たに並べられた椅子に、殿下方が腰を下ろされます。

 ……合コン?

 いえ、そんな下世話なものではないはずです。ええ、もちろんネルトンでもお見合いパーティーでもございません。たぶん。

 わたくしの両隣にはお兄様と殿下が来られました。お兄様は、わたくしとメアリー様の間。殿下はわたくしと王妃様の間です。

 あ。

 と思ったときにはもう遅いということですか。

 お兄様とメアリー様がお隣になるのはむしろどんとこいなのですが。なの、です、が。


「本当はもう少しお話してから、あなたたちを呼ぶはずだったのに」


 王妃様は少し不機嫌におっしゃいます。

 いつの時代も女子会への乱入というのは恨まれるものですわね。それが予定にあったとしても。


「これでも我慢したほうですよ」


 と飄々と答えるのは殿下です。こんな方でしたでしょうか。もう少し理性的だったのでは?

 いえ、わたくしが殿下の全てを知っているわけでもございませんし、油断は禁物ですわね。

 殿下はまず、わたくしたちへ、先日の視察の礼をおっしゃいました。ですが、このような席まで設けられるのは、異例のことのはずです。何せ、まず礼をするなら学園長を初めとした学園関係者になるのが筋というものですもの。

 それを飛び越えて、なのですから、殿下には別の意図がおありのはずなのです。殿下は穏やかなお仕事スマイルのままおっしゃいました。


「先日の視察では、おそらく実技や見ごたえのあるものを重点的に見せてくれたと思う。だが、本来の学園は、むしろ下支えするものたちと、その学問、その技術を学ぶものたちのほうが、多いのではないだろうか。商業や法務、研究関連の専科もあったと記憶している。そういったものたちの成果も、わたしは見てみたいし、聞いてみたい」

 殿下の言葉はわたくしの目的にクリーンヒットでした。学園祭、これです。

 わたくしはわくわくと殿下の次の言葉を待ちました。


「なので、仰々しくなく、ただ見学する機会なりを設けたいと考えているのだが」


 殿下はそう言って、わたくしをご覧になります。

 キラキライケメンが少し不安そうにこちらをご覧になる。お止めください! 心臓に来ます。


「実は、わたくしたち、学園の自治会でも、それを考えておりまして」

「ほお」

「なおかつ、殿下だけでなく、広く全学の成果を外部の皆様にお見せできる日を設けられないかと、今、自治会と学園で交渉しております。成果をお見せできるかは確約致しかねますが、自治会の皆様にも殿下のご意志をお伝え致しますわ」

「広く、外部にとはどのように?」


 問い掛けるのはセマニ様です。


「はい。学園祭、と仮称しております。主に発表と展示を主体と致します。学園のホールや広間では音楽や芸術の発表を。その他の教室では、研究成果や作成物の展示をさせていただければと。調理などの専科の方々は出店などもなさる見込みです。それを、自治会の予算と、わたくしの私財、それから各商店、貴族から広告権と引き換えに支援をいただければと考えております」

「広告権?」


 セマニ様の重ねての問いに、わたくしは学園長にしたのと同じ考えをお話ししました。

 心なしか王妃様の目が輝き、お兄様の頭が落ちていきますが、あら?


「面白いわ!」


 楽しげな声を上げるのは王妃様です。


「それは、プリム嬢が考えたことかしら? それとも学園自治会の誰かが?」

「切欠は、殿下の視察を初めに伺った際に、出番がないとは申しませんがあまり披露の機会のない専科にも何か別の出番を用意できないか、との話題でございました。視察ではそこまで大掛かりなことは出来ませんので、別途行ってはどうか、というお話をさせていただいて。詳しい予算や要項は、商業と法務の専科の自治会役員が固めてくださいましたわ」

「なるほど」


 王妃様は穏やかに微笑んで頷かれます。


「だが、発案はプリム嬢なのだな?」


 確認してくるのは殿下です。わたくしは頷きました。

 いつの間にか、わたくしと殿下と王妃様、メアリー様とお兄様、そして他の四方、のような会話のグループ分けがされておりましてよ。

 ……お兄様が頭を落としたのはこれですか。

 逃げ場が。ありませんわ。

 お兄様はおそらくフォローを諦めたご様子。いえ、わたくしのフォローよりはメアリー様を口説くほうを優先いただきとうございますけれども。

 そんなわたくしに、殿下は、それはそれは美しい笑みでおっしゃいました。


「もし、プリム嬢。君に想う相手がいないなら。あるいは、学園を卒業するまでに現れなければ、わたしと婚約してほしい」


 ひえ……!

 ちょっ、直球!

 直球がすぎます!

 流石に聞こえたのでしょう、王妃様と殿下以外の皆様が、驚いた顔でわたくしと殿下を交互にご覧になり、お兄様は蒼白、メアリー様が拳をスタンバイ。微笑みの拳は聖女の如しですが、ステイでしてよ。


 顔に熱が集まります。


 だって。そんな、だって。

 わたくしは、モブポジションで、断罪や追放やドラマティックなシナリオは何一つない変わりに、平和で。

 メアリー様の友人として、乙女ゲームの波乱万丈、恋模様を、見守り、たくて。

 わたくしが、そんな、攻略対象にそんな、婚約を求められるとか、そんなの。

 そんなの、想定外、で。


「ムジーク殿のこともある。すぐに答えて欲しいとは言わない。ただ、そうだな。わたしの恋は、君にあると、今はそれだけ知ってくれ」


 殿下。声が良くて、耳が溶けそうで、顔が良くて、眩しさに目が潰れそうで。


『わたしの恋は、お前にある』


 不意に、ゲームでのイングラム王太子殿下ルートでのことを思い出します。学園編を終えたヒロインが、イングラム王太子殿下のルートに入ったとき。そして、ライバルキャラとの成績が僅差だったときに。卒業式を終えた彼女の元へ、王家の馬車が迎えに来て、そして。

 イングラム王太子殿下が、先程の言葉を言うのです。比べるべくもなく、お前に恋をしているのだ、と。


 シチュエーションは違えど、これはスチルイベントだったのですか。

 わたくし、わたくし、もう──!


「こう、えい、で──」


 す、という前に世界が暗転しましたわ。



***



 よろめいたプリム嬢を支えて、横抱きに抱えると、わたしは立ち上がった。


「すまない。頭に血が上っていた。部屋に休ませてこよう」


 そう告げて、歩き出そうとするとメアリー嬢が「わたくしも」と立ち上がる。いや、メアリー嬢に関してはリバートと色々育んで欲しいのだが。

 わたしがリバートを見やると、奴が恨みがましく見詰めてくる。

 主人たるわたしより、恋の相手であるメアリー嬢より、今は妹が心配か。それもそうか。まあ、そういう奴だ、リバートは。メアリー嬢にとって、リバートよりプリム嬢の方が大事なのだから、リバートは自分自身よりメアリー嬢よりプリム嬢を取る。

 大事なものを見誤らない芯の強さは美徳であり、それに主を含めてくれないところがリバートが側近で居られる理由だ。


「では頼む」


 メアリー嬢に頷いて返せば、リバートはあからさまに安堵して見せる。

 流石に気を失った令嬢と二人きりはまずいし、その上、介抱など尚更だ。その点、メアリー嬢は爵位、プリム嬢との関係性、ついでに言えば護衛としての腕前も含めて、適任と言えるだろう。

 メアリー嬢を連れて、プリム嬢を運んでいこうとすると、彼女の目蓋がわずかに揺れて。


「……ん」


 ゆっくりと。

 その金にも見える榛の瞳が、震える目蓋の下から現れる。

 視線が絡む。

 まだぼんやりとした眼差しが、わたしの顔に像を結ぶ。わたしの顔が、彼女の瞳に映る。

 かなり、嬉しい。

 彼女は、まだ何が起こったか理解していないだろう。でなければ、こんな風に無防備な顔を、わたしに晒すわけがない。

 急速に目覚めていく表情も愛らしい、と思うのはもうあばたもえくぼというやつなのだろうか。始めての感覚に戸惑いさえ覚える。


「大丈夫かな?」


 けれども鍛え上げられたわたしの王太子としての在り方は、口許に穏やかな笑みを浮かべるにとどまった。彼女の瞳に映るわたしの顔が、そう見える。

 彼女の頬に一気に血色が戻り、そして朱に染まり、紅を差したように色付く。

 それがわたしの腕のうちでのことなのだから、喜ばしい以外ない。


「えっと、その、わたくし」


 戸惑いながら赤い顔で視線をさ迷わせるのは、普段の凛とした姿からは想像も付かない愛らしさだ。心臓が早鐘を打つ。どうか、彼女に聞こえていませんように。


「急に気を失ったのでね、休憩室に案内するところだった」

「プリム様!」


 わたしが口を開いたことで、メアリー嬢にも目覚めたことが伝わったようだ。

 プリム嬢は何度か口を開け閉めして、言葉を探している。そして、


「あ、ありがとう、存じます。もう大丈夫ですから、どうぞ、下ろしてくださいまし」

「まだわからないだろう。ならばせめて、椅子に下ろそう」


 わたしの言葉に、リバートが立ち上がって、プリム嬢の椅子を引いた。

 わたしがその上にプリム嬢を下ろすと、リバートはそっとその椅子の背もたれを押して、すこしテーブルに押し込む。倒れ落ちにくいように、だろう。

 彼女を下ろすのに膝を付いたから、プリム嬢の視線がわたしよりも上にある。このまま、口付けできそうだ。


「んんっ!」


 母上の咳払いに、わたしは肩を竦めて席に戻った。

 何事もなく気を取り直すには、すこし、時間がかかりすぎたね。


「プリム嬢、本当に、体は大丈夫?」


 母上の問い掛けに、プリム嬢は頷きを返した。


「ご心配をおかけして、申し訳ございません」

「いいのよ。元はと言えば、わたしくしの不肖のバカ息子のせいですもの。

 イングラム。貴方も、気が急くのは分かりますが、そういうことはきちんと手順を踏みなさい。淑女が受け止められることではなくてよ。王家からの婚約の打診を、本人にしてしまうなんて!」


 面目ないが、取られる前に、気づいてもらう必要があるのだから、作戦のうちと思ってもらいたい。


「プリム嬢、貴女には拒否権もある。その上で、正式に、ジンカイイ侯爵家に依頼するわ。我が子の恋に甘いと、笑ってくださって結構だけれど、わたくしも、貴女が気に入ったの」


 母上が饒舌に告げるのへ、プリム嬢はまた目を丸くしている。夢ではないからね。そう思おうとしていたみたいだけれども。

 リバートが深くため息を吐いた。


「承知しました。父に、伝えます」


 おお、遂にリバートが頷いた。

 スノエル嬢とフィリィ嬢は、まだ驚きが勝っているか?


「すてき……」


 うっとりとフィリィ嬢が溢したので、まあ、大丈夫そうだ。

 メアリー嬢が、わたしを、というか、プリム嬢を気遣わしげに見詰め、交互にわたしを睨んでくる。

 うん、最近の君はプリム嬢にますます入れ込んでいるようだね。

 わたしも負けないけれど。


「プリム様……」


 戸惑うメアリー嬢の声に、プリム嬢が


「大丈夫ですわ、メアリー様」


 穏やかに応えた。



***



 いえ、本当はだいじょばないのですけども。

 わたくしが気絶する前、わたくしは殿下からどうやら告白されたご様子。

 その後、わたくしは気を失い、気が付けば殿下の腕のなか。

 あったかぁい、どころの騒ぎではなく、わたくしが照れと緊張と恥ずかしさでしどろもどろになっておりましたら、そのままお姫様抱っこで運ばれそうでしたので、大丈夫だから下ろして欲しいとお伝えして。

 椅子に下ろしていただくと、殿下の、王子様の膝つきスタイル。お姫様に手を差し出すときにやる奴!

 スチルの過剰摂取で死にそうですわ。

 そうこうするうち、トントン拍子で話は進み、遂にお兄様が


「父に伝えます」


 と仰せになりました。

 そしてメアリー様のお言葉に繋がります。

 ぜんぜんだいじょばないですわね。

 完全にわたくし、モブでなくなってしまったようですわ。

 そもそも、ムジーク様と王家のお約束がある以上、学園にいる間は正式には結ばれないはず。殿下もそう仰せでした。卒業までに想う方が居なければ、と。

 つまり想う相手がいれば、殿下との婚約は結ばれない、ということです。

 想う方……居ないですわね。

 そもそもわたくし的トゥルーエンドにはわたくしの色恋沙汰など関係ないわけで、しかしそのためにはわたくしが色恋沙汰を何とかしなければならないというのです。

 無理ゲーでは?

 これは詰んだのでは?

 ひとつ深く息を吐きました。


「殿下」

「ああ」

「お心、嬉しく存じます。ですが、ムジーク様とのお約束もございます。わたくしには、まだ、想う方はおりません。それは嘘偽りない真のわたくしの心です。わたくしの恋は、まだ誰にも捧げておりませんそれに免じて、本日は、お許しいただけませんでしょうか」


 言い訳としては苦しいところですけれど、卒業までは、なんとか、引っ張りたいですわ。


「もちろんよ。それは今までと変わらないわ」


 お答えになるのは王妃様。

 殿下も、穏やかに微笑んでおられます。


「急に済まなかった。今日は意識して貰えれば十分としよう」


 恥をかかせてしまいましたでしょうか。

 わがままばかり、わたくしは申し上げている気がします。

 わたくしは。

 どうお答えすれば、良かったのでしょう。

 殿下は、紛うことなく素敵な方です。きっと、他の誰が聞いても、婚約にはすぐに頷くでしょう。

 ですが。

 わたくしは、モブ。この世界の、その他の脇役なのです。

 そんなわたくしが、メインキャラクターと、メインストーリーのようなことをして、良いはずがありません。

 わたくしは、ただの読者で居なければならないのです。この世に、無用な混乱をもたらしては、ならないのです。

 『本来いない』わたくしが『本来ない選択肢』を押して良いはずがありません。

 いえ、やりたい放題し過ぎだと言われれば確かにそうです。わたくしは、この世界を楽しんでおりました。どこかで他人事として。素晴らしい物語を読んでいるみたいに。そして、その物語に触れられる──ゲームとして、遊ぶ、みたいに。

 ですが、だからこそ、引くべき一線はあるはずで、きっとここが、その線なのです。

 わたくしは。

 その線を。

 越えても、良いのでしょうか。

 わたくしはこの世界で、本当に、生きていて良いのでしょうか。

 こんな記憶がなければ、もっと、何事もなく、家族と、友と、好きな人を、正しく、描くことができたでしょうか。


「おにい、さま」


 わたくしは小さく呟きます。

 お兄様が手を伸ばし、わたくしの手を、握ってくださいました。


「ああ」

「あとは、良しなに、どうかお願い致します」

「分かっている」


 お兄様の頷きに、わたくしはほうと息を吐きました。

 わたくしがどうこう言える段階ではなくなってしまったわけですから、あとはお兄様に託すよりほかありません。


「さあ、気を取り直しましょうか。焼き菓子など、いかが?」


 王妃様が手をぱんぱんと二回叩かれますと、新しいお茶とお茶請けが運ばれて参りましたが。

 わたくし、もうその後のお味は、分かりませんでした。


 前世のわたくしは、10人、100人のうちの一人。その他大勢。学校の体育祭でフロントメンバーや応援団になるわけでもなく、テストで一位になるでもなく、平均点よりすこし良い点で。不良になるでもなく。特別優れたわけでもなく。

 ですから、わたくしは、キラキラと星のように輝く方々を見守って、憧れて、それだけ。わたくし自身が星になることなんて、考えてもおりません。

 それが、わたくしでございます。

 生まれ変わっても、それは多分、変わらないのです。

 乙女ゲーム『輝きのソナタ』の主人公はメアリー様。その攻略対象の皆様。それ以外の、わたくし。

 わたくしは、『その他大勢』であるべきなのではないでしょうか。

 悶々と考えるうち、お茶会はお開きになり、わたくしたち四人は、迎賓館を後にしました。

 寮に帰る馬車のなか、黙り込むわたくしに、フィリィ様やメアリー様がたくさん話しかけてくださったのですが、わたくしは、ずっと上の空でした。

 生返事のわたくしに、スノエル様が


「お疲れなら、お眠りになって」


 とおっしゃってくださいましたが、眠れるものでもなくて。

 寮に帰りついて、部屋に戻って。エステルに手伝ってもらいながら部屋着に着替えて。


「エステル」

「はい、お嬢様」

「お茶会でお腹いっぱいなの。夕食は要らないと食堂に伝えてくれるかしら?」

「かしこまりました。お嬢様」

「それから、今日はもう休むわ。貴女も、今日はもう良いわよ。自由にして頂戴」

「お疲れでらっしゃいますか? 温かいミルクでも、お持ちいたしましょうか」

「大丈夫。寝れば元気になるから」

「お嬢様」

「なぁに?」

「お嬢様は、お嬢様です」


 エステルは、とても優しい声で続けます。

「無作法をお許しください、お嬢様。お茶会で、不安になられることが、あったのではないですか?」


 そう言ってくれるエステルに、わたくしは思わず、抱きついてしまいました。

 エステルは何も言わずに、背中に手を回して、宥めるように撫でてくれます。

 きっと、何があっても。

 エステルだけは、味方で居てくれる。そう思える、暖かさです。

 わたくしは、エステルに促されるように、お茶用に置いてある小さなテーブルのチェアに腰を下ろしました。エステルがわたくしの両手を包むように握って、膝をついて視線を合わせてくれます。


「王太子殿下と、お兄様たちがお茶会においでになったの」

「はい」

「その席で、殿下、が」

「はい」

「卒業までに想う相手がいないなら、婚約を、と」


 エステルの表情が驚きに染まります。そして、穏やかに微笑みました。


「プリム様は、どう思われたのですか?」

「わたくしではない、と、思ったわ」

「プリム様ではない、ですか」

「ええ。わたくしは、『読者』だもの。読者が、舞台に立ってはいけないわ」


 幼い頃の、エステルとの会話です。エステルは、覚えていないかもしれませんが、わたくしがあの言葉に、どれほど支えられたか。

 エステルは少し、困ったように笑います。


「覚えておいででしたか」

「もちろんよ」

「懐かしゅうございますね。あの頃のプリム様もこんな風に、どうしたら良いのか分からない、という顔をされていました」

「そう、かしら」

「はい」

「そうね。確かにわたくし、今は、どうするのが良いのか、本当にわからないの」

「では、このエステルがひとつ秘策を差し上げましょう」


 エステルは打って変わって悪戯っぽく笑います。


「ひさく?」

「はい。名付けて『なるようになる』です」


 れっといっとびー。名曲ですわね。ではなく。


「それは、策なの?」

「もちろんですとも。実を申しますと、わたくし、プリム様の侍女になりたいとは、思ってもいなかったのです」


 なんですって!?

 それは大変だわ。エステルの選びたい将来の、わたくし、邪魔をしていたのかしら。


「落ち着いて聞いてください、プリム様。そう思っていたのは、今のプリム様と同じ位の年の頃です。中等学校を卒業して、母に、ジンカイイ家にお仕えせよと言われた時です。その頃のわたくしは、我が家の家業であるジンカイイ家の使用人よりも、違うことがしたかったのです。何がしたいわけでもないのに、今のままでは嫌だ、何て思っていたのです。ですが、その頃のわたくしは子どもですから親の言うことに従うほかありません。そうして、プリム様の侍女になりました。

 プリム様は始め、本当に、何を考えておられるか分からなかったのです。何時も寝て起きて、ただ、生きているだけでいらした。

 あの日、わたくしに気付いてくださって、人の一生の役割を求めておられる姿を知って、わたくしは、お嬢様に仕えようと、自分の意思で決められたのですわ。

 プリム様。わたくしは、人の一生の役割を、探したことはありません。それは、恋のように、落ちるものだと、思います。わたくしの一生の役割はプリム様の元に落ちたのです。拾っていただかなくても構いません。わたくしが、自分で落としました。

 プリム様、ですから、なるようになります。至るべき処に至ります。落ちるべき処に、きっと」


 エステルの実感のこもった、温かい言葉が、わたくしの胸に染み込みます。いずれ至るどこか。なにか。わたくしが選ぶ先。


「わたくしが選んでも、良いのかしら」


 わたくしでなければ、いいえ、前世なんて知らずに生まれていれば、本当の『プリム・ラ・ジンカイイ』が育っていたのでは。

 ならば、わたくしは、本来のプリムの人生を、横取りしているのでは。


「もちろんですとも。わたくしが知るプリム様は、目の前のプリム様だけです。わたくしの、自慢のお嬢様です。お嬢様は、お嬢様の人生を、選んでよろしいのです。今までと同じです」


 確かに。

 今、エステルを知っているわたくしは、他の誰でもないわたくし。エステルが選んでくれたのも、今のわたくし。

 殿下が、選んでくださったのも。

 ムジーク様が、選んでくださったのも。

 メアリー様に出会ったのも、学園に通っているのも。

 こうして、思い悩むのも。

 エステルがまるで、わたくしが前世を知っていることを、知っているみたい。そんな風に思えるくらい、自然に。

 エステルの言葉は、わたくしに届きます。

 母でも、姉でも、父でも兄でもない、もっと違う『家族』。無条件にわたくしのために生きることを選んでくれた、あなた。

 エステルの言葉ならわたくしは、きっと、信じていけるのです。


「ええ、きっと、そうなのね」


 ため息を吐くように、わたくしは答えます。そのまま、ほうと深く息を吐いて、体の力が抜けていくのを感じます。


「やっぱり、休むわ。疲れたみたい」


 わたくしのことばに、エステルは微笑んで頷きました。


「かしこまりました。お嬢様」



 翌朝。

 空腹で目覚めたわたくしは、少し恥ずかしい思いをしながら、食堂に向 かいました。昨日は皆様にご心配を おかけしてしまいましたし、きちんとお礼をしなければなりません。

 食堂に入りますと、すぐに、メアリー様が、駆け寄ってきてくださいました。尊い。


「おはようございます、プリム様。ご機嫌はいかがですか?」


 体調は、や、お加減は、と聞かないところにすばらしい令嬢パワーを感じますわ。メアリー様、流石でしてよ。


「おはようございます、メアリー様、わたくし──」


 ぷぃーーー。


「っ!」


 おな。

 お腹が。

 鳴ってしまいましたわ。

 一気に赤面しながら


「お聞きのとおり、体は元気に活動しておりますわ。お恥ずかしい」


 とお答えしますと、メアリー様が、春のタンポポのように愛らしく微笑まれました。そーきゅーと。


「お元気そうでなによりです。お席は取ってありますから、参りましょう」


 メアリー様に連れられてテーブルにつけば、スノエル様とフィリィ様がお待ちでらっしゃいました。


「おはようございます。スノエル様、フィリィ様。昨日はお恥ずかしいところをお見せして、申し訳ございませんでしたわ」

「おはようございます。プリム様。お加減はよろしくて?」

「ええ、すっかり。お陰でお腹もすいてしまって」

「おはようございます。プリム様。お元気そうでなによりですわ!」

「ありがとうございます、フィリィ様」


 何事もなかったように寄り添ってくれる方々。

 『今のわたくし』が築けた関係性。

 わたくしが、選んできたもの。


「お腹がすいて、早く目が覚めてしまいましたわ」


 苦笑して言えば、お二人が目を丸くして。

 それから、それは良かった、と笑ってくださって。

 ああ、わたくしは、きちんと生きていられるのだと。

 嬉しくて、笑ってしまいました。

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