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4 春の萌木月 3

しんどめ描写がございます。

ご注意ください。

 ***



 ──まさか、ラーシュ様が出るなんて。


 シェイマスは、報告書への記載を悩んでいた。

 親戚からのやや面倒な頼まれごとは、しかしそれなりに楽しいし、小遣いも弾んでくれるので苦ではないのだが、その親戚に関わる相手が出てくるとなると話は変わってくる気がする。

 具体的に言うと、依頼主たる親戚が発狂する。

 わたしも見たかったと駄々をコネだす。間違いない。

 一つ年上なのに、恋は盲目とでも言おうか。

 シェイマスは一つため息を吐いて、いつもの報告とは別に、ラーシュのことを専門に書いた報告書を仕上げた。少なくともこれで、知らなかったと文句は言われまい。

 シェイマスの親戚かつ依頼主、加えてラーシュの婚約者たるサーエが、この後どうするか、なんて、正直シェイマスには知ったことではない。

 いつものプリム嬢観察記録の方がまだ楽しい。目立たないようにしたいのか、目立ちたいのか、分からないところが特にいい。


 ──彼女が殿下の婚約者候補筆頭


 だけど。


 娯楽として見守るにも、とても興味深いと彼は思った。



 ***



 王太子殿下の視察が終わり、学園の空気も引き締まった気配のなか。わたくしは、学園長の執務室におりました。


「学園祭、ですか」


 学園長の手元には、自治会で作成した企画書が置かれております。視察であまり活躍の場が無かった専科や、個人、それぞれが己の成果を広く世に発表できる場。学園祭開催の企画書でございます。

 殿下のご来臨準備と平行して、主に法務と商業の両専科の担当が作成し、皆で練り上げたものでございます。なお、予算は自治会費と、わたくしの個人資産を充てておりますので、学園の他の運営予算には手を付けない計算です。まあ、売り上げが出れば、わたくしへの返済に充ててくださるとのことですが、それを期待してのことではありませんしね。


「継続するかどうかは、今回の収支を見てからでも宜しいかと存じます。わたくしの個人資産を含んでおりますので、無理に進めるものでもございませんし、皆さまに成果の披露の場があれば良いという、今期の自治会の意思でしかございません。これから各家や商店に協賛の依頼にも回るつもりでございます」

「協賛?」

「はい。資金や物資の提供をいただき、代わりに、学園祭でポスターを掲示したり店名を記載した露店を立てる、入場券に書き入れるなどして、学園祭での広告掲示権を提供いたします」

「なぜそれで資金が集まるのだね?」


 学園長先生は穏やかに問われます。わたくしは一つ頷きました。


「ご心配は尤もです。要点は、学園祭は学生のみならず、その家族や近隣の皆さまにも開放される、ということです」

「ほう?」

「極論を申せば、我が子の展示を支援した店舗や商家に、貴族が目をかけるやも、知れません。それが、明示されているならば」


 それは、小さな商店にとってはチャンスのはず。今まで、大店しか取引出来なかった貴族に、己の店を安価に知らせる手段があるなら? 普段王都にいない人々に、存在を知らせることができるなら? その店の体力次第でしょうが、手を上げたい商店はそれなりにあるのではないでしょうか。あるいは、己の店の品質を生徒たちに、知らしめる機会に。生徒たちが自分達の店に欲しいか見極める機会にも。


「ですので、興味を持って頂くだけでも宜しいかと考えております。何も大金の寄付を求めるつもりもございません」


 そう伝えれば、学園長はよろしい、と頷かれました。


「ですが、学園として、場を貸すだけでは問題でしょう。学園行事として行うにしても、責任を負わねばなりません」

「……おっしゃる通りです」

「ですから、きちんと手順を取りましょう。次の会議に、議題として取り上げましょう。貴女でなく、この企画書を書いた者たちが、説明の場に立つこと。それが条件です」

「ですがわたくしの発案で──!」


 責任も、わたくし一人が負えば済む話でございますし!


「貴女の気持ちも理解できます。ですが、『皆が責任を持つ』ことが、学園祭には必要ですよ」


 そう言って、学園長はいたずらっぽく笑いました。

 自治会へ持ち帰って相談すると、結論として、法務と商業の専科の自治会役員二人が、会議に出ることになりました。


「ジンカイイさんがここまでやってくれたんですから、丸め込むのはわたしの仕事です」


 とは法務専科の方です。ふんすと鼻息荒く握りこぶしです。頼もしいですわ。実際に動き出すまでは、しばらくわたくしに出番はないようです。


 という頃に。

 一通の手紙が届きました。

 王妃様のお印、百合の封印がされた手紙です。

 つまり、王太子殿下が冗談でなく本当にと茶会を実現してきた、ということです。同じ手紙が、メアリー様、スノエル様、フィリィ様にも届いておりました。シェイマス様は不満げです。貴族専科の皆さま方には、届いていなかったようなのです。わたくしたち四人だけの招待。王家として平等を欠く気が致しますが、いかがなのでしょう? この辺りの不文律は良く分かりませんわね。

 エステルが張り切って、お茶会用のドレスを実家から取り寄せるそうです。手紙には気安い会である、と書かれていますが、礼を失しない程度の装いは必要ですものね。


「エステル、大変かもしれないけれど、メアリー様のご用意も手伝ってくれないかしら」

「もちろん、そのつもりです、プリム様」


 エステルは我が意を得たりと頷きます。

「ドレスのご用意も致しますか?」

「場合によっては侮辱になるわ。それとなく、メアリー様にわたくしから尋ねてみるわね」

メアリー様がご実家からドレスを取り寄せるとなると時間がかかりそうではありますが、かといってあらかじめ用意するのも失礼というものですわ。

 前世の感覚では制服も正装ですから、なんなら皆さまで制服で伺うのも楽しそうですし。

 わたくしの言葉に、エステルはかしこまりました、と頭を下げました。



***



 毛先をもてあそびながら、わたしはため息をついた。

 つまらない。

 だってこういうときは、わたしはなにかの、悪役令嬢とか、ヒロインとか、聖女とか、そういったもので、ストーリーの強制力に立ち向かいながら真実の愛を手に入れたり追放されたりするはずなのに。

 そんなこと、全く起こらない。



***



 男たちは額を付き合わせている。

 特にイングラムとリバートは真剣な眼差しで、それをやや引いた表情で残りの二人が見つめている。


「わたしは何か失敗した気がする」


イングラムが告げると、リバートも深く頷いた。


「わたしもです。我が妹、プリムに関しては、殿下が悪いので、きちんと主張していくと宜しいかと存じますが。わたしは主張する隙さえ無いどころか、最強の拳を見てしまいました。惚れ直しましたが」

「わたしだって惚れ直したさ。あれだけの用意をしたのはプリム嬢ときいたよ」

「妹はわたしの妹に惜しいほど優秀なので。男なら家督を譲りたいところです」

「女性だから良いんだ。母上は乗り気で招いてくれたが、そこに乗り込むのか。わたしたちで」

「我らもですか」

「サーエに会いに行くんだが」

「黙れ婚約者持ちめ。わたしも婚約者と微笑みあってお茶をのみたい」

「殿下、本音が漏れております殿下」

「男同士の気の置けない会話だ。信じているぞ、側近諸君」


 四人は額を付き合わせている。

 セマニとラーシュは困ったように眉根を寄せている。

 イングラムとリバートは、想い人を思って手を握りあっていた。



***



 現代日本で遊ばれた乙女ゲームですから、一週間を基準として授業スケジュールが組まれています。もちろん、土日はお休みで、学園の外へ出たり実家へ戻ることも可能です。

 王妃様から招待状が届いた週の週末、わたくしたちは、女子寮のサロンに集まっておりました。

 寮生同士でお茶会やマナーの自習をしたり、こういった休日に集うためのお部屋です。

 お茶を飲みながら話すのはもちろん、お茶会のことです。


「エステルはドレスを実家から取り寄せると申しているのですけれど、皆さまは何を着ていかれますか?」

「オパールとショコラッテもそう言って。お色が重ならないようにしたいのですけど、お色のご予定は?」

「ドレスが要るのはわかるのですけど、わたくしはまだ枚数も無くて。前シーズンのドレスだけですわ」


 困ったようにおっしゃるのはメアリー様。昨年の社交シーズンのドレスだけですと、雰囲気や小物を変えていかないと、センスがないとか古いとか言われてしまいますわね。

 凡その貴族は、社交シーズン前から何枚もドレスを仕立てます。シーズン中のものだけでなく、オフシーズンのお呼ばれなどに対応するための、いわゆる定番ラインのドレスや、すこし冒険したようなデザインのものです。合わせて、過去のドレスに合わせるための小物なども揃えて、使い回していくのです。

 メアリー様は昨年のシーズンが実際のデビューでしたから、まだ使いまわしの枚数もないということなのでしょう。


「わたくしも、実家から取り寄せるには時間が足りませんわね。タウンハウスのものを使っても良いのですけれど」


 ほう、とスノエル様がため息を吐かれました。これは制服での参加をお話しするいい機会かも知れませんわ。そう思って、口を開こうとしましたら、


「プリム様、メアリー様、ごきげんよう」


 明るく声がかけられました。そちらを向きますと、ふわふわの髪を綺麗にコテで巻いたローズマリー様がおられます。


「ごきげんよう、ローズマリー様」

「ごきげんよう」


 先日の視察から眼鏡を外され、心なしか背筋も伸ばされたローズマリー様の立ち姿は、自信に満ちた様子で格好良く見えます。

 わたくしとメアリー様が挨拶を返して、スノエル様とフィリィ様もご挨拶なさいました。

 案内のときにお会いしておりますから知らないわけではないと思うのですが、わたくしとメアリー様にだけお声がけされたのは、何故でしょうか。


「どうかなさいまして?」


 問いかければ、ローズマリー様はすこし躊躇ったような、けれど薄く笑みを浮かべて


「よろしければ、後程お時間を頂けますか? お二人にご相談したいことがありますの、魔力学のことで」


 ローズマリー様がおっしゃれば、わたくしもメアリー様も頷きました。なるほど、そういう事情でわたくしたちに声をかけられたのですね。


「わたくしたちで良ければ」

「夕食のあとなどはいかがですか?」


 お答えすれば、ローズマリー様は妖艶に微笑まれました。


「ありがとう存じますわ。では、また後程」


 そして一礼して、サロンを出ていかれました。途端、


「ぷきゅう」


 と、ため息? を吐いたのはフィリィ様です。


「どうかなさって?」


 スノエル様が聞かれれば、フィリィ様は困ったような表情です。


「たしか、魔力学の子ですよね? 前と変わって、わたし、なんだか怖く感じてしまって」


 フィリィ様が申し訳なさそうにおっしゃいます。

 確かに、自信に満ちた今の姿のローズマリー様は、ともすればその豊かな体つきもあって、威圧感や圧迫感を感じるかもしれません。雰囲気で、威嚇されているような? ですが、元々臆病なほど優しい方ですし、根の部分までは変わられていないと思うのです。


「確かに、以前よりは面差しがきつくは見えますけれど、自信の現れではないでしょうか。元来お優しい方のようでしたし」


 スノエル様がおっしゃるのへ、わたくしも頷きます。


「視察もありましたし、ご自身に思うところがおありだったのだと思いますわ」


 重ねて口にすれば、フィリィさまも、


「そう、ですよね」


 と小さくこぼされます。


「ですけど、フィリィ様が無理に我慢なさる必要はございませんわ。怖く感じなくなったら、ご一緒しましょうね」


 苦手なものに、無理に近づく必要はございませんわ。それに、わたくしたちの見方よりフィリィ様のほうが正しいことも無いわけではないと、わずかに感じてしまうのです。わたくしは、それを信じたくないだけなのでしょう。

 強いて言えば、それは、違和感。今までと全く異なるなにかを、ローズマリー様から感ずるのです。

 ドレスの話は解決しないまま、わたくしたちのお茶会は終わりの時間となったのでした。


 夕食の席でなんとか制服での参加を提案してみましたけれど、皆さまあまり実感がないご様子。

 では次の週末に既製服を見に行きましょう、とフィリィ様がおっしゃって、ひとまずの結論となりました。

 庶民が急に招かれた時などのために、ドレスなども多少既製服がございます。それを店で手直しして購入するのも、貴族では良くあることなのです。手直しならば時間もかかりませんしね。

 わたくしとしては、制服、捨てがたかったのですけれど。


 その後、スノエル様、フィリィ様に別れを告げて、わたくしとメアリー様はローズマリー様のお部屋に向かいました。

 階段が中央にあり、左右に延びる構造の貴族女子寮で、メアリー様とは反対側の通路、奥までたどり着かない中程に、ローズマリー様のお部屋はございます。

 わたくしたちを部屋に入れてくださったローズマリー様は、ソファがわりにわたくしたちにベッドに腰を下ろすように勧め、ご自身は文机の椅子に腰を下ろされました。

 ローズマリー様は沈んだ表情です。

 毛先のショッキングなピンク色は、染められたのでしょうか。正直、この世界にこれほどまでの毛染め剤があるとも思えないのですけれど。


「プリム様、メアリー様、どうか、わたくしを、助けてください」


 呻くような、絞り出すような声でした。

 ローズマリー様は額に手を当てて、堪えるように続けます。


「プリム様、わたくしが、プリム様の手に触れた、あの日を覚えておいでですか?」

「ええ。魔力学の時間に、わたくしが指を切った日ですわ」

「あの日、プリム様に触れてから、わたくしのなかに、もう一人『わたし』がいるのです」

 ……ぱーどぅん?


「それは──」


 メアリー様も何か口にしようとして止められます。なんとも、信じがたいことですわね。


「ええ。信じられません。信じられないのに、わたくしの髪の色は変わりました。わたくしの目は見えるようになりました。『わたし』は『わたくし』に言うのです。つまらない、と。『この世界』はつまらない、と!」


 がっと顔を上げたローズマリー様は、目を見開いて、まるで追い詰められた犯人かのようです。


「『せっかくゲームの世界みたいなのに! わたしはヒロインでもなんでもない! モブですらない! なんてつまらないの! そう思わない!? こういうお話なら、わたしはヒロインとか悪役令嬢で、シナリオに引きずられないようにしてざまあして幸せになるものでしょ!! そうでしょ! プリム? あなたばっかりメインはって! なんなのよ!』」


 なんということ!

 つまり、ローズマリー様は。

 いえ、ローズマリー様の、『中』には。

 生まれ変わった、日本の誰かがいるのですね!

 わたくしに触れた時から、というなら、十中八九、わたくしの記憶の所為ではないでしょうか。なにせ、花の魔力をお持ちのローズマリー様です。わたくしの精神に、触れて、しまわれたのでは。


「ローズマリー様! 落ち着いてください!」


 メアリー様が叫んで、今にも暴れそうな、哄笑を上げるローズマリー様を抱き締めました。ええ、締め上げるわけにも行かなかったのでしょう。

 わたくしは、立ち上がってローズマリー様の手を取ると、わたくしの隣に座らせました。ローズマリー様を挟んだ反対側に、メアリー様が改めて腰を下ろされます。


「たすけて……わたくしがわたしに、なってしまう、たすけて」


 震える声が、ローズマリー様の本心なのでしょう。苛烈な彼女と、ローズマリー様は一人で向き合って来られたのでしょう。


「わたくしだって、この世界が、好きなわけではありません。それは、『わたし』に同意するところもございます。『わたし』は『わたくし』の知らない、何でもある幸せな世界を知っています。あの世界なら、わたくしだってもっと幸せでいられたと思います。だからといって、わたくしは、わたしのものにはなりたくありません」


 わっと泣き出して、ローズマリー様は顔を両手で覆われました。


「当たり前です。ローズマリー様は、ローズマリー様でしてよ」


 わたくしは、生まれた時から記憶がありましたから、前世も今も均しくわたくしです。ですが、ローズマリー様はそうではない。突然別の自我が現れたって、戸惑うに決まっています。それが、『中にいるわたし』なのでしょう。

 わたくしは、ローズマリー様の手を取りました。


「ローズマリー様、参りましょう」

「どこ、へ?」

「決まっています」


 アンドン先生のところ、ですわ。もう夕食の後、外は暗いですがそんなこと言っていられません。


「メアリー様は部屋にお戻りになって。違反をするのはわたくしだけで十分でしてよ」

「プリム様、学園一の護衛を置いていかれるおつもりですか?」


 にこりとメアリー様が微笑まれました。やだ、イケメン! かわいくてイケメンなんて流石はヒロインですわ。とか喜んでいる場合ではありませんわ。わたくしはひとつ頷いて、


「では、メアリー様、しばらくローズマリー様を見ていてくださいますか? わたくし、まずはエステルを味方に付けて参ります」


 流石にエステルにはばれましょうし。そう伝えれば、メアリー様はお任せくださいと頷いてくださいました。

 わたくしは足音を立てずけれど早足ですすすすすと階段を登り、自室に戻ります。


「エステル、緊急事態だから、わたくしこれから教員宿舎へ行って参りますわ」

「こんな時間にですか!?」

「ええ。一刻の猶予もありませんの。わたくしだけではなく、メアリー様、ローズマリー様とご一緒するわ。だから心配しないで。お願いよ」


 早口で捲し立てるわたくしに、エステルはひとつ、深く頷きました。


「わたくしも参ります。わたくしが一緒ならば、家の用事である、と何かあっても通せましょう」

「ありがとう、エステル。頼むわね」


 エステルが付いてきてくれるなら、少なくとも保護者がいる、と見ることもできますわよね。

 わたくしはエステルを伴って、ローズマリー様の部屋に戻りました。

 縋るようにわたくしを見るローズマリー様に頷いて、メアリー様も一緒に、四人で寮を出ます。エステルが寮監の方に声をかけてくれましたから、無断外出にもなりません。誉められたことではないでしょうが、それとこれは別ですしね。

 これで家名に傷が付いたら両親や兄姉には申し訳ないですけれど、何もせずに悔いるくらいならわたくしの頭など何度だって下げて見せますとも。

 ランタンを下げて、職員寮へ向かいます。

 貴族女子寮に比べればのっぺりとした外観の職員寮の玄関を潜り、エステルが宿直に声をかけました。


「呼んできてくださるそうです。ラウンジでお待ちくださいとのことです」


 宿直室の横には、来客用の待ち合いラウンジがありました。公民館や病院の待合室で見たようなソファがございます。

 しばらくすると、くたびれたシャツとスラックス姿のアンドン先生が宿直さんとともにやってこられました。

 わたくしはソファから立ち上がって一礼いたします。

 瓶底眼鏡の向こうから、迷惑そうな視線を感じます。わたくしは背筋を伸ばし、微笑みました。


「魔力学の弊害なのです。ご興味、おありですわよね?」


 こういうときは煽るに限ります。案の定、アンドン先生は大股に早足で、わたくしのもとへ来られました。


「症例は?」

「ローズマリー様ですわ。よろしければ人払いしていただきたいのですけれど」

「当然だな。相談室へ行こう」


 小さな相談室は学園で相談できないことを相談したい寮生のために、職員寮に何部屋か備え付けられています。

 アンドン先生に続いて、わたくし、ローズマリー様、メアリー様が部屋の中へ。ドアの外でエステルが待機することになりました。

 そうして、ローズマリー様は、アンドン先生に向かい合いました。


「髪の色か?」


 それなら知っている、と言いたげな口調の先生に、ローズマリー様は肩を竦められます。自分の興味が向かないととことん気の効かない方ですわね。

 わたくしは深く息を吐きました。


「先生は、前世の存在を信じますか?」


 わたくしの問いかけに、先生は怪訝な表情です。


「生まれる前の、別の誰かだった記憶がある、と言ったら、どうですか?」

 先生は目を丸くして、わたくしとローズマリー様を交互にご覧になりました。

 またしっかと腰を落ち着けて、アンドン先生はローズマリー様に向き合いました。


「いつからだ」


 先生の問いかけに、ローズマリー様はちらり、とわたくしをご覧になってから、


「プリム様が、授業で指を切られた日、プリム様の、手を取ったときです」


 先生は、わたくしをご覧になりました。


「花の魔力の、影響かと思いまして」


 わたくしは、わたくしのことには触れずに、その様に口にします。先生はひとつ、息を吐かれました。


「だろうな。ジンカイイの魔力で、効果を引きずり出されたと言うところだろう。命の記憶は魂に宿ると言うが、なるほど、そういう作用か」


 アンドン先生はしげしげとローズマリー様をご覧になります。


「……辛いだろう」


 先生が、一言おっしゃると、ローズマリー様は目を見開き、そして大粒の涙を溢されました。


「わ、わたくし、わたし、わたくしは──!」

「そうだ、ローズマリー・ラ・クアクゴス。お前は、ローズマリー・ラ・クアクゴスだ」


 静かに、先生がおっしゃいます。


「わたくしの、なまえは」

「そうだ」

「ローズマリー・ラ・クアクゴス、ですわ。クアクゴス男爵家の、わたくしは」


 そう言って、ローズマリー様は目を見開かれます。


「『だって、誰もわたしを、あなたを! 大事にしてくれないんだから、構わないじゃない! 好きにしたって! 自分だけを大事にしたって!』」


 口を衝くのは、彼女の言葉。彼女が、ローズマリー様を知るからこそ出る言葉なのでしょう。ローズマリー様は彼女を知りませんが、彼女は、きっとローズマリー様の全部を知っているのでしょう。同じ魂のなかで、見つめていたから。


「クアクゴス、そんなに勝手に決めつけられていいのか?」


 静かに、先生は重ねます。

 ローズマリー様はじっと先生を見ています。


「いや、です」

「お前が必死で生きてきた分を、つまらない、と言い切られては、たまらんな?」

「はい」

「ならば、お前には、できることがある」


 アンドン先生はおっしゃいます。

「ジンカイイ、コンツェルト、二人とも、クアクゴスの手を握って魔力を流せ」

「「はい!」」

「クアクゴス、お前は、自分の魔力で『自分』を律しろ」

「律する……?」

「お前は、楽器ができるだろう」

「は、はい。貴族のたしなみ程度に」

「お前の体は楽器だと思え。それが、今は調子がずれている」

「自分を、調律する……?」

「そうだ。花の魔力の本領は、本来、そうして自他の心を律して整えることだと、僕は考える」

「やって、みます」


 ローズマリー様の左手をわたくし。右手をメアリー様が握られます。言ってみればわたくしたちはバッテリーですわね。ローズマリー様が、『中のわたし』を律する魔力が足りなくならないように。

 ローズマリー様は目を閉じられ、ゆっくりと息をなさいます。わたくしの手から、ローズマリー様へ魔力を少しずつ分け与えます。それは、花へ水をあげるように。美しく咲きますようにと祈るように。

 静かな呼吸だけが相談室に満ちています。

 ローズマリー様の様子は変わらぬままで、何が起こっているのか、外側のわたくしたちにはわかりません。

 すると、暫くして。

 ぎゅっと、手を握られました。

 わたくしとメアリー様は顔を見合わせて頷きあってから、同じ強さで握り返します。

 大丈夫だと、伝えるように。

 やがて。

 ふかく、深く。ローズマリー様は息を吐かれました。ゆっくりと目蓋をあげて、そして、アンドン先生、わたくし、メアリー様を見つめます。


「わた、くし……」


 小さく、小さくこぼされます。

 見た目の上では、何も変わってはいないようです。内面の戦い、というのは、わたくしたちからすれば歯痒いものですわね。メアリー様も、なんというか、殴って済めばいいのに、という雰囲気ですわ。ステイでしてよ。


「分かったか?」


 アンドン先生が問われ、ローズマリー様が頷かれます。勝ったか、でも、終わったか、でもなく、分かったか、なのが、アンドン先生らしいということなのでしょうか。


「『わたし』も『わたくし』も、わたくし、でした。わたくしが、わたくしを理解できていなかったのです」


 穏やかな声音。ローズマリー様は、けれど表情に深い疲れを滲ませています。


「よし、なら、今日は帰って休め。寝て起きたら、また来い」


 アンドン先生がそう言って、相談室のドアを開け放ちます。エステルがおそるおそるといった様子で覗き込んで来ますので、わたくしは微笑みました。


「ローズマリー様、お立ちになられますか?」


 メアリー様が問い掛ければ、ローズマリー様は弱々しく頷かれます。

 立ち上がったローズマリー様は、メアリー様が支えて、わたくしたちは職員寮を後にしました。

 ランタンを持つエステルの後ろを、三人でゆっくりと歩きます。今日は気付けば新月で、空には星が瞬くばかり。


「わたくし、実はとても悔しかったようなのです」


 ゆったりと歩きながら、ローズマリー様が口を開かれます。


「すこし、昔話を聞いていただけますか?」


 さほど遠くない距離ですから、すぐに貴族女子寮に着きました。

 ローズマリー様の昔話を聞くためにはどこかに集まる必要がありますわね。


「エステル、予備のマットレスを借りてきてくれるかしら」

「かしこまりました。お嬢様」


 お二人は不思議そうにわたくしをご覧になりました。


「ふふっ。皆さま、お泊まり会をいたしましょう?」


 途端、ふたりが目をまんまるく開きます。


「明日もお休みですし、ローズマリー様は明日もアンドン先生のところに行かれますでしょう? お話しされたいこともあるようですし、わたくしの部屋にお二人ともお泊まりになって」

「素敵です!」


 メアリー様がおっしゃり、ローズマリー様がおずおずと、


「わたくし、も、よろしいのですか?」


 と問われます。


「もちろん。居ていただかなければ困りましてよ。ローズマリー様の言いたいこと、全部教えてくださいましね」


 パジャマパーティー再び! ですわ。


「はい……はいっ!」


 泣きそうに顔を歪めながら、ローズマリー様は何度も頷かれました。

 エステルに付き合って、マットレスを借りてくると、わたくしの部屋に置いたお茶用のデスクとチェアをエステルの部屋へ動かします。

 毛布はそれぞれご自身の部屋からお持ちいただいて、三人それぞれマットレスの上に寝転がれば、もう完璧!

 エステルにはささっと部屋に下がってもらって、枕元の小さなランプの灯りだけ。


「身構えると、何を話してよいのか、悩みますわね」


 ローズマリー様が小さくこぼされます。


「眠るまで呟くくらいでよいのですわ。わたくしたちも、もしかしたら眠ってしまうかも」

「ふふっ。どうぞ、お眠りになってください。わたくしも、聞かれていないと思って話しますわ」



***



 わたくしの家は、ご存じの通り、イルワ侯爵家配下の男爵家でございます。

 父は、よく言えば野心家。悪く言えば身の丈を知らぬ人でした。

 イルワ侯爵への忠誠が、己の出世に直結すると思うような、そういう、育てられ方だったのかもしれません。

 わたくしは、その家の一人娘です。

 父はイルワ侯爵にとりなしてもらって、イルワ侯爵領にある大きな商家の次男を、婚約者に据えました。

 その方は、王太子殿下よりも年上で、幼かったわたくしにしてみれば、とても大人の方でした。

 婚約が成ったばかりの頃ですから、わたくしは七つか八つでしょうか。

 その方はおっしゃいました。


『どうせ結婚するんだから、良いだろう』


 と。

 幼いわたくしには、それがどういう意味か分かりませんでした。

 ただ、わたくしの叫び声を聞いた侍女が部屋に駆け込んで『事なきを得ました』。

 その日から、わたくしの目は、よく見えなくなりました。

 大人の男性は、怖いです。


 ここ数年は、見えにくい目でも分かるほど、男性がたの視線の色が違うのが分かります。わたくしの胸元を見る目は、あの日のあの方と同じですから。

 眼鏡さえなければ、と、父も、婚約者も、殿方も。みんなおっしゃるのです。そそられぬと。眼鏡さえなければと。なのに、その目はわたくしの胸元を見ています。眼鏡なんて、結局関係ないのでしょう。その方々の言う『そそられる』のは、体でしかないのです。わたくしでなくていい。わたくしである必要などなく。

 そうして過ごしているうち、昨年、イルワ侯爵は失脚し、我が家は冬を迎えました。季節も、我が家の風向きも。

 婚約は破棄されました。良かったと思いました。


 父はまだ、イルワ侯爵の復権を信じておりますが、わたくしはそれこそ夢だと思います。けれど父はまた言いました。眼鏡さえなければ、どこかの後妻を狙わせるのにと。

 父にすれば、わたくしは娘というより、イルワ侯爵、クアクゴス男爵家のための部品でしかないのでしょう。部品は意思を持たずに、ただ、そうあれば良いのですから。

 ……何を言っているのでしょうね、わたくしは。

 そうですね、わたくしは、不幸だと思ったことはありませんでしたけれど、不幸だったのでしょうね。客観的には。悔しかったのでしょう、わたくしは。

 ですから、わたくしは、花の魔力の影響で目覚めたのは、わたくしの前世? 異なる世界の誰か? そうであったとしても、わたくしが幸せであったなら、それを信じられるわたくしなら、ここまでにはならなかったと、思うのです。



***



「わたくしは、幸せになりたい。何が幸せか、まだ、わかりませんけれど」


 ふう、と、ローズマリー様は息を吐かれました。とても、重いものだと思います。簡単に、慰めも共感も、できるものではありません。

 わたくしはマットレスの上、天井を見つめています。


「なれますよ」


 静かな時間を割いたのは、メアリー様の声でした。


「幸せになれます。わたくしは、なりました」


 静かで、けれど強い意思のある声です。


「養父に引き取られたから、ではありません。プリム様に出会えたことが、わたくしの幸せです。わたくしがわたくしで良いと、信じられたから」


 メアリー様の言葉にわたくし、泣いてしまいそうです。


「わたくし、泣いてしまいそうですわ、メアリー様」


 わたくしも、ほうと息を吐いて伝えます。


「わたくしには、誰かを幸せにできるものなんて、ないと思っておりましたから。ありがとうございます。メアリー様。

 そして、ローズマリー様、メアリー様のおっしゃる通りですわ。ローズマリー様は、ローズマリー様でよろしいと思いますの。子どもですから、家に頼らねばならず、家に従わなければならぬのは、わかります。ですが、嫌なことは嫌で言いと思いますの。家出なら協力いたしますわ」


 なんなら我が家の侍女などいかが、なんて、言えれば良いのかも知れませんけれど。

 ローズマリー様が、また深く息を吐かれました。


「そう、なのでしょうね。わたくしは、まず、わたくしがどうしたいのか、それを考えたいと、思いますわ」


 夜は更けて、わたくしはそっと、枕元のランプの灯りを消しました。

 その後は、本当に他愛のないこと。何をしたい、何に成りたい。何が好き、何が嫌い。

 真っ暗になった部屋で、わたくしたちの小さな囁きが満ちて。

 そうして、やがて、囁きは寝息に変わりました。


 翌朝。目覚めたわたくしたちは、三人で髪を梳かし合いました。

 ローズマリー様の髪の色は戻らぬままですし、眼鏡もなくてもよく見えるそうです。

 上着を羽織って、お二人は部屋に帰られました。わたくしもエステルと服を着替えて、改めて髪を整えます。

 そうしてから、食堂へ向かいました。

 休日の食堂は、所謂ブッフェスタイルです。パンやおかずがそれぞれ大皿で並べられておりますので、好みのものを取ってきて食べますの。思えば大規模な夜会やお茶会もそんなスタイルですわね。ですから、皆さま慣れた様子です。丸二月寮に居れば、慣れないわけもないわけですけれど。

 テーブルには、メアリー様、ローズマリー様、スノエル様、フィリィ様、皆さまお揃いです。

 フィリィ様が、心なしか頬を膨らませておいでですが。


「おはようございます、皆さま」

「おはようございます、プリム様」

「おはようございます」


 席に着くと、早速フィリィ様が開口一番、


「羨ましいですわ!」


 と仰せ。


「お二人ばかり、プリム様のお部屋にお泊まりだなんて!」

「うふふ。秘密のお話しでしたのよ。ね?」


 笑ってメアリー様に振れば、メアリー様も、ええ、と頷かれます。


「今度は、皆さまで集まりたいですわね」


 仰るのはスノエル様ですわ。


「お部屋では狭いですよね」


 と真剣な顔のフィリィ様。三人でも狭うございましたからね。五人となると。前世の合宿のように、大部屋に敷布団なら詰め込めなくはないのですが、そういう場はありませんし。敷布団、そういえばこちらでは見たことございませんし。


「年越しの夜のように、皆で毛布を被って暖炉の前に集まるくらいなら出来なくはないのでしょうけれど」


 わたくしが呟けば、フィリィ様は、むうと眉根を寄せました。

 すると。

 ローズマリー様が気付けばぽろぽろと涙を流しておいでです。


「ぴゃ!」


 と声をあげたフィリィ様に、スノエル様が、め、とたしなめて。

 メアリー様がローズマリー様へハンカチーフを差し出されました。

 受け取って涙をぬぐいながら、ローズマリー様は、嬉しそうに笑われます。


「ええ、本当に、とても楽しい、夜だったんですよ」


 その言葉に。

 わたくしと、メアリー様。ふたりで顔を見合わせて、それから、笑いあったのでした。


 ローズマリー様は、毎週末、アンドン先生のもとへ通われるようになりました。

 自分の魔力と、自分の感情と、これからのことを、ちゃんと向き合いたいと仰せでしたわ。だから、一人で通います、と言われましたから、わたくしたちはお供することをやめました。お戻りになるとお茶をしたり、他の休みに出掛けたり、友人、と言って良い間柄に、なれたと思います。

 その間にも、メアリー様、スノエル様、フィリィ様とわたくしは、王妃様に招かれた準備をしておりました。

 結局、わたくしとフィリィ様は、タウンハウスにあるドレスを取り寄せ、スノエル様とメアリー様は、既製品のドレスを少し手直ししてお召しになられることになりました。

 わたくしは、イエローのドレス。フィリィ様はパステルブルー。メアリー様はエメラルド色で、スノエル様はスモーキーなピンク色です。

 メアリー様のドレスがエメラルド色なのは、なんだか、こう、お兄様の色のようで滾りますわね。滾りましてよ。お茶会の朝は、フィリィ様の侍女であるオパールとショコラッテ、スノエル様の侍女のシトラス、わたくしの侍女のエステル、四人が、メアリー様含めたわたくしたち四人の身支度を手伝ってくれることになりました。

 お兄様が我が家の馬車を正門まで迎えに寄越してくれることになっておりますから、残す準備は、わたくしたちの心くらいのものでしょうか。

 ローズマリー様と出掛けたり、お茶会の支度をしたり、学園祭の根回しをしたりしておりますと、あっという間にお約束の日でございます。

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