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自分用メモ

作者: 1

 喋るという行為が苦手で、他人とコミュニケーションを取ると失敗する。

 人間関係の構築という点で失敗し今まで出会ってきた多くの人が私に文句を言ってきた。

 理由は覚えていない。興味がわかなかった。


 友人(向こうがそう思ってるかは知らない)が言うには口下手だからとかいう問題ではないそう。

 お前はおかしいと散々言われてきた。

 自分自身の整理のためには文章におこすのが良いのではと言われたので書いてみる。




 他人との関わりでなにがおかしいか理解できないことばかりだが、まず友人が教えてくれた例を挙げてみると私は高校生のころに問題を起こした。


 隣の席の男子生徒が「俺ニキビ多くてさ、顔汚いよな」と言われたので肯定した。すると相手が怒り出して私が読んでいた本を奪って大声を出してきた。

 私の大事な私物だったので、取り返したのだが私は処分を受けた。


 先生が言うには暴力も暴言もいけないのだそう。

 私は三度返してと言ったのに返さなかったから言葉では無意味と判断し顔を叩いただけ。二度目には次で返さないと叩くとちゃんと警告をした。しかし友人曰く私が全面的に悪いらしい。


 まず一つ。顔を汚いと言ったことが駄目だったらしい。正確には汚いよなと同意を求められたので、うん、と肯定しただけだったのだがそこは「そんなことはない」と否定するのが一般的なコミュニケーションでの正解らしい。

 しかし逆に、容姿や装飾品などについて「綺麗でしょう」と聞かれて「そんなことはない」というのは不正解らしい。


 意味が分からない。

 取り合えずなぜあの男子生徒が怒ったのかについては容姿をけなされたからだそう。

 自分で自分をけなしたのに、更に同意まで求めたのに同意すれば怒る。

 彼の精神状態はかなり厳しい状態にあったのではないかと当時私は友人に言ったのだが友人は私の方を否定した。


 あの男子生徒の方が大多数側だそうだ。怖い。あれこそ病気じゃないのか。

 しかし実際に病気なのは私なのだ。

 あれから数年経つが私は以来自他の容姿に関しては一切言及しないようにしている。失敗が目に見えているのだから、そもそも触れなければ失敗もしない。




 次に、部活動でもしばしば問題を起こした。

 私はテニス部に所属していた。勝負事は文字通り負けと勝ちがあるわけだが私は勝ちたいと思ってテニスをしていた。

 素人だったので公式ルールブックを読みルールを把握して試合にも勝てるようになっていたのだが、ある日退部するよう言い渡された。


 理由は私がテニス部の輪を著しく乱すからだそう。

 ある男子生徒が言うには陰湿すぎるプレイが問題だという。練習で私は彼と何度も試合をしたが負けたのは入部当初から数えて数回のみ。その勝ち方が気に食わないと言った。

 彼は私との試合中にいつも怒っていた印象がある。再三に渡って彼はロブを打つな、バック側にボールを集めるのはやめろと言った。


 が、私は勝ちたいので彼が苦手とする場所に徹底して打ち込んだ。他の選手にもそうだ。しかしそれをしていると必ずと言っていいほど相手は怒る。

 苦手な場所に打たせなければいいと声をかけたのだがそういう問題じゃないと言われた。未だにどういう問題だったのかは分からない。


 その他、試合中に相手選手にボールをぶつけるのを咎められた。

 私はダブルスでは前衛を務めた。なのでチャンスボールが来ると迷わず相手選手の体にぶつけるようにした。サーブも前衛の選手を時折狙った。

 それで点を取れるしルール上なんら問題ない筈なのだが何度も叱られた。私はそのやり方で何度か格上と事前に知らされていた相手との試合に勝った。目元に当てると大抵棄権してくれたからだ。


 しかし倫理に反するのだそう。部員への危険行為を看過できないとして退部を促された。

 後に友人にルールに反していないことをして咎められたことを話すと、私には理解できないテニスのルールを超えた一般的な規範があるそう。




 次に、ここで初めて書くが私は看護師免許を持っている。

 学生として、また就職してからも病院内で常におかしいと言われてきた。

 特に患者への態度がおかしいと言われた。


 私は認知症患者など、会話をしても意味がない相手とは会話をしなかった。

 そもそもああいう患者に声をかける必要はないと考える。理解できないし認識できないし覚えることも出来ない相手に声掛けなど必要なのだろうか。


 ちゃんと言われた仕事はこなしていたが、無言で患者に接するのはいけないと指導を受け続けた。しかし無駄なお喋りが必要とは思えなかったため無視した。


 それ以外に、新人歓迎会というのが開かれたり行事ごとがあったのだが私は酒を一切呑まず参加もしなかった。酒は好きじゃないからだ。しかし拒否しても先輩や上司が飲ませようとしてくるので(私の同期の女性が飲まなかったからという理由らしい)アルハラで訴えると伝えると連れ出され注意を受けた。


 場の空気を壊すのは止めろと言われたが、仮にも医療職にある人間が飲酒を強要するのは悪いことではないのだろうか。場の空気のために私の意見が無視されるのはそれも世間一般的な正解なのだろうか。


 結局。その後あまりに私の奇行が目立つという事で精神科を受診。

 ASD、ADHDという診断を受けることになった。

 この時20歳そこら。ここでようやく昔からおかしいと言われ続けていた原因がこれだという事が分かった。


 親にはその時言わなかった。昔からなにか私がトラブルを起こすと話を聞くと言っていたのだが結局私がなにか言おうとする前に口を挟んできて結論は「お前が悪い、頑固すぎる、甘えるな、お前が周りに合わせろ、皆辛いし苦労している。がんばれ」に落ち着くため喋るのが無駄だと判断した。


 しかしあまりに周囲が煩いので辞職を決め、障害などの事も含めて喋ってみたら今まで自閉症という言葉すらろくに知らなかった親の口から「そういう人達を知っている。そういう人たちだって頑張っている。お前は真剣にやっているのか」という言葉が出て話すのは無駄だと改めて判断した。


 二時間かけた説明(学生時代の教科書も使った)の末に、上記の定型文が帰ってきた。どうやら親の中で私は障害を言い訳にして辛い仕事から逃げたがっている我儘な人間らしい。障害を持っている人間が全員、テレビに出ているような人達のように理解者やパートナーを見つけて社会的地位を築けるのだと信じていた。


 それを達成していない私はいつまでも我儘を垂れ流す人間。


 それからしばらくして私は親に何か相談するのを止めた。上記定型文以外が返ってきたことが無かったからだ。どう喋っても返答が同じだと分かっている相手と会話するのは私にとっては苦痛だった。




 今現在私は、今の職を辞そうとしている。

 地元で公務員になったが、パニック障害を頻発している。

 前職が清掃関連で、一から十まで決められたスケジュールで動きそれ以外はなにもない私にとっての天職だったのだが親の勧めで公務員になった。


 今まで迷惑をかけたのだから、と下手な道義心でこちらに進んだのは間違いだった。前職では落ち着いていたパニック障害や鬱が他者とのコミュニケーションの中で生まれ軋轢が産まれた。


 訓練を積んで薬を服用してもどうにもならない。努力してもどうにもならないことがあると言ってみる。


 私は自分が少数派で、他人に迷惑をかけると自覚した。

 私の思考や倫理観が世間一般にはそぐわず、行動は迷惑をかける。

 そのため、高望みはしないことにした。将来だとか金銭的な面で仕事を選ぶのは止めて下手な道義心で行動するのを止める。


 したいことと出来ることをすり合わせて、自分にとって安全な仕事をする。そうすれば他に迷惑も掛からない。

 事実、清掃業をやっていたころは自分でもびっくりするほど毎日が穏やかだった。休みは少ないが問題にはならなかった。薬の量も減っていたし仕事内容は簡潔明瞭。正直なところ給料も今と大して変わらない。


 他人とのコミュニケーションもほぼないのも個人的に高得点。



 最後に、こういう書き物をして残すのは誰かに対して「こんな人間もいるんだ。理解して」とか言うためではなく自分に自分の事を思い出させるためだ。


 自分の能力が低いことを忘れずに『出来るしストレスの少ないこと』をやる。

 下手な自信を持たない。理想を持たない。向上心の欠如と言われたが向上するために数か月数年を苦痛の中で迷惑をかけながら過ごす方がおかしいと考える。


 そして一般的な人のように冗談を理解し、空気が読めて、たかが数件予定に割り込んできただけでパニックを起こさず、他人との接触で不安と吐き気をも催さず、感情をコントロールし、相手の感情を慮り口を慎み、こだわりに縛られず、薬も必要ない人間に私はなれそうもないことを書いておく。


 覚えておけ私。


 他人や環境のために自分を大きく変える苦痛には耐えられない。

 向上心よりも向下心(自作造語)と現状維持を優先したい。


 自閉症スペクトラムと私のような人間を一括りにするのは可能だが同じ名前の障害を持つ同士でも親友人でも同情は出来ても理解は出来ない。私も通院時代他の自閉症患者や精神疾患患者の事が理解できなかった。手首滅茶苦茶切ってて「グロ!可哀そうに」くらいは思った気がする。


 今でも学生時代のトラブルが理解できないしあの認知症患者や他の患者を無視して仕事をしていたのは悪いことだとは思っていない。

 ただどういうことをすれば他人が怒るのかは学べた。これからはそれを活かして生きていくつもりだ。


 障害があるから仕方ない、これは出来ないと割り切らないと。とちくるって理想を目指せばまた失敗をしてしまう気がする。


 同じような趣味を持つ友人Aさん(ASD持ち)が、学生時代から失敗続き。でも病院にも通って親に協力してもらって色んな勉強もしたんだから頑張らないと、と息巻いた結果職場の同僚の「あれ?この資料間違ってない?」という言葉により、自分が全否定されてしまったと落ち込み服薬自殺(過剰摂取、オーバードーズともいう)を行ったのでなおさらそう思うようになった。


 ちなみに未遂で終わった。


 無論同僚さんがやったのは単なるミスの指摘。聞く限りでは「3」と打ち込むべき場所が「7」になっていた程度。なのに死ぬほど薬飲んじゃう。


 私たちのような人間にとっては、社会は障害があるから、という言い訳が無いと厳しすぎる。


 私自身この文章を書いているときも、仕事をしているときも、風呂に入っているときも、急に死にたくなることがある。




 取り合えず今読んでいる漫画が最終話を迎えるまで見て、その感想をAさんと語る約束をしているのでそれまでは生きてみようと思う。


 こういう場所に書き残しておけば、二度と忘れないはず。



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