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欠無欠は休まない

作者: 寧人

 1

 欠無欠(かけなし あくび)は僕の隣の家に住む同い年――高校二年生の女の子だ。小中高と学校も同じの幼馴染み。

 彼女は容姿端麗でもないし、かといって不細工とも言えない。かわいいと言われればかわいいし、かわいくないと言われれば否定もし難い。学園のアイドル的存在とは程遠く、クラスに必ず一人くらいはいるだろうといった感じの容姿である。

 成績は中の上。平均以上だが秀才でもないし、もちろん天才でもない。

 彼女は品行方正という程でもない。授業中に居眠りをしているときもあるし、周囲に合わせて制服のスカート丈を短くしたこともある。僕が止めといた方が良いと忠告して行わなかったが、校則で禁止されている染髪を試みようとしたことだってある。

 友達は多い方でもないが極端に少ないわけでもない。彼女曰く広くなく浅くない交友関係を築いているらしい。ここで狭く深いと言わないところに彼女らしさがあるのだと、僕は思ったりもする。周囲との関わりを絶っているわけでもなく、周囲に全く愛されないというわけでもない。まさに無難な女子高生だと思わせるような存在。それが欠無欠である。

 しかしそんな無難でよくいる女子高生――欠無欠には、特筆すべき点がたった一つだけある。完璧とは程遠く、十全十美とは全く言えない彼女が有する、唯一誇れると言えるであろう一面。

 それは・・・・・・。


 完全無欠――席。


 小中高という十年と少しの間、僕は彼女が学校を休んでいる姿を見たことがなかった。

 僕が朝、教室に入ると常に彼女はそこにいて、「おはよう」と声を掛けてくれる。

 僕たちの通う学校は小中高で同じ敷地内にあるのだが、学校がある日は常に彼女も学校にいる。まるで僕たちの通う学校の守護神なのではないかと思わせる程に、彼女が学校を休むことはなかった。だからこそ完全無欠ではない無難な少女――欠無欠を僕はこう呼ぶ。

 完全無欠席少女、と・・・・・・。


 2

 学校を休んだ日にやるゲームほど最高なものはない。

 普段は学校に通っている時間なのにも関わらず、休んでいる僕だけがゲームをして過ごしている。

 学校を休むという背徳感、それでいて学生という身分から解放され、自分だけが隔離されているように思える瞬間。

 休日にやるゲーム以上に、学校を休んだ日にやるゲームは圧倒的な幸福感を味わえるのである。やっているゲームがどんなものでもかまわない。僕が今後一生やらないようなつまらないゲームだったとしても学校を休んだという状況下なら楽しめるという自信がある。

 この背徳感による幸福を味わったことがない人間は今すぐ学校を休んでゲームをするべきだ、と言えるくらいこの瞬間が僕は大好きである。

 まあ実際は故意に学校を休んだら背徳感が大きくなりすぎて、ゲームから得られるものは後悔の念だけかもしれないけれど。

 こういうのは僕が勧めるようなものではなく、自然に体調不良を起こし、そして偶然に当日中に体調が優れたときに得られる奇跡的な幸福なのだろう。

 故意ではなく奇跡的な偶然が望ましいのだ。

 ということで僕は今日、自然と風邪を引いて、そして偶然にお昼を過ぎた頃には風邪が治っていた。だから学生が学生という身分から解放されて、僕は背徳感を感じながら幸せそうにゲームに熱中するのであった。

 そして数時間ゲームに夢中になっているところで、僕の部屋の扉が開かれた。

「お見舞いに来たわよ! 体調大丈夫?」

 明るい声で僕に呼びかけてくるショートカットの少女は、隣の家に住んでいる僕と同い年の幼馴染み――欠無欠だった。

 彼女はお見舞いのために僕の部屋に入ってきたのだろう。制服姿の彼女はタッパーの入った袋を片手に持っていた。おそらくお見舞い用の果物類が入っている。

「ありがとう、あーちゃん。体調はもう万全だよ」

 あーちゃんというのは欠無欠のあだ名である。名前の頭文字と、彼女の「ふあー」と声を出して発する特徴的な欠伸から、あーちゃんというあだ名が定着した。

「楽しそうにゲームしてるからそうだと思ったわ。元気そうにしてるなら学校に来れば良かったのに・・・・・・」

「お昼までは本当に体調が悪かったんだよ。人間、身体を休めることも大切だからね。そういう日が今日偶然に、もしかしたら必然にやってきたんだ」

 僕は皮肉めいた口調であーちゃんに話す。今まで学校を休んだことのない少女に、休むことが必然と言うのは失礼な話である。

 僕は怒っているわけではないが、ある種の喪失感を感じていた。あーちゃんが僕の家に来るということは、学校が終わったことを意味するからだ。学校が終わったこと以外に彼女が学校にいない理由は考えられない。彼女はまるで学校の守護神なのだから・・・・・・。

 学校が終わったということは、僕の幸福な時間も終了する。他の学生も僕のように暇を持て余してゲームをできてしまうのだ。学生という身分から解放される瞬間は終わり、背徳感が僕を幸福へと導くこともなくなる。

 あーちゃんが来たことは僕の幸せな時間の終了を意味し、僕は喪失感を感じざるを得なかった。

「またそうやって自分の欠席を正当化して! 学校は休んじゃいけないのよ?」

 僕の皮肉めいた言葉にあーちゃんが動じることはなく、彼女は僕を優しく注意する。まるで母親のようだ。

 しかし彼女の「休んじゃいけない」という言葉に僕は重みを感じる。彼女は母親のように僕を軽く注意しているだけかもしれないが、学校を休んだことがないという実績から、そんなたいしたことない注意さえもとてつもない説得力を帯びていた。

 そんなこと彼女には絶対に言えないが・・・・・・。

 なぜなら彼女は学校に行くことがあたりまえだと思っていて、実際に学校に行くことはあたりまえだからだ。

 彼女はそんなあたりまえを当然のようにこなしているだけだと考えている。皆勤賞をもらったときだって、何で普通に過ごしているだけで賞がもらえるのだろう、といった感じだった。

「これ今日配られたプリントね」

「ありがとう」

「英語は抜き打ちの小テストがあったわ」

 僕が休む日にそんな重要そうなことをやらないで欲しいものだ。

「大丈夫、明日までに直しをすれば減点はしないらしいわ」

「じゃあ明日までに君がくれた小テストをこなさないといけないんだね」

「そういうことね。・・・・・・私のは見せないわよ?」

「元々見るつもりはないよ。自力でちゃんとやるから・・・・・・」

 彼女は一種の正義感を持っているわけではなく、自力でやらないで見せてもらうことについて、彼女が咎めることはない。おそらく、「そこをなんとか!」とか言って頼めば渋々見せてくれるだろう。

 しかし僕は他の友達に見せてもらうという決心をしていた。

 あーちゃんは学校を休まないため板書はしっかりとっている。だから彼女からノートをもらうことはあるし、テスト前の彼女は軽い人気者になるが、地頭はそんなに良くないようで成績がトップクラスというわけではない。

 だからプリント類の課題は彼女に頼るよりも、成績の良い友達に頼った方が賢明である。

 しかし本人の前で、他の人に課題を見せてもらうなんて言うのは失礼だと考え、自力でやるという嘘を軽くついてしまうのだった。

「あとお見舞い用に果物を持ってきたけれど、この様子じゃ必要なさそうね。家に持って帰るわ」

「僕はどうやら今現在再度風邪を発症したらしい。果物を食べれば治るんだろうけどなあ・・・・・・」

「もう調子良いんだから・・・・・・。冗談よ、はい、上げる!」

 そう言ってあーちゃんは僕に、果物の入ったタッパーを手渡すのだった。

「明日は学校に来るのよね?」

「うん、行くよ」

「一緒に行こっか?」

「どうせ僕が君の時間に合わせないといけないんだろ? ゆっくりしたいから遠慮しとくよ」

「あなたいつも慌てて登校してくるじゃない。私はゆっくりしたいから早く家を出てるのよ?」

「僕は家でゆっくりしたい主義なのさ。君とは絶対的に価値観が合わない」

「心配してあげてるのに何よそれ。誘った私が馬鹿みたいじゃない」

「悪かったよ。申し訳ないけど明日も一人で学校に行ってくれ」

「わかったわ・・・・・・」

 僕たちの家から学校には徒歩十分弱で到着する。そして始業時刻は朝の九時。つまり八時四十五分くらいに家を出て、九時までに学校に着けば遅刻にはならない。

 しかしあーちゃんは八時半にはもう家を出て、始業時刻十五分前には確実に学校に到着している。本人曰く、その方が学校でゆっくりできるから、らしい。

 しかし家での朝の十五分というのは人生で最も貴重な時間である。学校という面倒な存在からほんの少しでも逃避できる時間。僕はそれを大切にしたい。

 十五分でも多く寝た方が幸福な気持ちになる気がするし、僕は一分一秒でも多く家にいたいのだ。

 実際には結果として当然のように学校に行くことになるし、僕はほんの少しの幸福を享受しすぎて毎回遅刻ギリギリになってしまう。

 あーちゃんはそんな僕にいつも呆れるようだが、僕はほんの少し早く起きることはできなかった。早く起きるならギリギリまで寝ていたいものだ。

 あーちゃんは僕の気持ちを理解してくれることはなく、僕は彼女が理解してくれないことを理解していた。

 彼女は学校を面倒だとは思わない。彼女は学校から逃げない。彼女にとって家で過ごす十五分と学校で過ごす十五分は等価なのである。だから僕は彼女と価値観が合わないと、いつも感じるのであった。


 僕とあーちゃんは幼馴染みで仲はそれなりに良いが、二人でべったりというわけではない。僕は男子の友達と、彼女は女子の友達とよくつるむし、学内で関わることはあまりない。朝挨拶を交わす程度だ。

 下校時はお互い自分の友達と帰ることが多いが、たまに一人で帰ることになりそうなときは、誘って一緒に帰ることもある。

 学期始めは僕も意識が高くなり彼女と一緒に早めに学校へ向かう。しかし次第に僕が、家で過ごす十五分の価値に気づき始め、申し訳なさそうに彼女に謝ってお互い一人で登校することになる。

 初めての謝罪のとき、彼女は少し悲しそうにしていたし、学期始めにまた登校するようになったら嬉しそうにしていた。しかし小学一年生から同じようなことを毎学期繰り返している内に、彼女も一喜一憂することはなくなって、またこの時期がやってきたのね、という風に当然のように受け入れるようになった。

 学校が好きでない僕と、学校を休まない彼女の間には何か大きな歪みが存在しているようにも思えた。

 しかしやはり仲は良いので、僕が風邪を引いたときなんかは彼女が看病しに来てくれる。彼女が風邪を引いたときも、僕が看病しようと常々考えている。実際は彼女が風邪を引いたことは人生で一回もないのだけれど・・・・・・。

「ふあー」

 彼女は口元に手を当てて特徴的な欠伸をする。

「眠たいのかい?」

「今日は寝られない授業ばかりだったのよ。唯一寝られる英語も抜き打ちテストだったし・・・・・・」

 英語の授業はゆっくりでとても退屈である。だから普段は視聴率二十パーセントで、僕も彼女も大多数の八十パーセントに属して、授業中に居眠りしているのだった。

 つまり英語の先生はなめられているのだが、いつも温和な英語の先生は報復なのかわからないが、小テストをときたま抜き打ちで実施するのだった。

「僕は全然眠くないよ」

「学校休んで寝ていたからでしょ!」

 あーちゃんのかっ、となる表情を見て僕は優越感に浸る。彼女の味わったことのない惰眠を僕は謳歌できたのだ。

 一時の幸福を喪失した僕にとって、睡眠を確保できたという事実は休んだことへの肯定へと繋がった。学校を休んだ意義がほんの少し僕の中で生まれた気がした。

「嫌みを言う余裕があるなら何も異常はないようね。私はそろそろ帰るわ。英語の課題頑張って」

「うん、頑張るよ。今日はありがとう」

 また明日、と言って彼女は僕の部屋を出て行く。

 また明日からいつも通りの日常が訪れる。あたりまえのように面倒な学校に行って、あたりまえのように授業を受けて、あたりまえのように下校する。

 あーちゃんが一度も外れたことのないあたりまえの日常へ、僕は明日から舞い戻る。舞い戻らなければならない。

 日常という理からはたまにしか外れてはいけないのだ。

 理から外れたことのない彼女を見ていると、よりそう思ってしまう。

 さてと・・・・・・。

 明日の学校のために僕は課題をこなさなければならない。

 僕はすぐさま行動に移した。

 成績の高い友達に、課題を写させて、と懇願のメールをしただけだけれど。


 3

 僕が学校を休んだ日から数日が経った。

 あれから何かが起きたわけでもなく、僕は普段通りいやいやながらも学校に通うのだった。


 僕の学校には日直制度というものがある。毎日交代制で、朝十分程早めに来て教室にある植物に水を上げたり、黒板をきれいにしたりと日直は軽い仕事を任される。

 たいして大変な仕事でもないが、いつもより朝早く登校しなければならないことが面倒だった。貴重な朝の時間が奪われてしまうからだ。

 そして今日、僕が日直当番の日で普段より早く家を出ることになる。

 せっかく十分程早く行くなら、久しぶりにあーちゃんと一緒に行こうと前日に彼女の家で待ち合わせることを約束した。

 十分前に学校に着けば良いものを、あーちゃんと約束することで十五分前に到着することになる。

 本来なら五分早く家を出ることさえも躊躇うが、僕が風邪を引いたときにあーちゃんの誘いを断ったことを、僕はほんの少しは申し訳なく思っていた。だからもう今学期は二度とないであろうチャンスを使ってあーちゃんと登校しようと考えたのである。

 八時三十分。僕は彼女の家の前で待機する。

 八時三十二分。彼女はまだ家から出てこなかった。

 彼女が決まった時間に来ないこと、特に学校に関することで遅れることはそうそうない。もう早めに出てしまったのだろうか。

 僕の十分前の仕事に合わせて、二十五分前に到着してるようにしたのだろうか。

 いや、僕に合わせているのに僕を置いて登校するのは意味がわからないし、彼女は先に行くことになったら連絡を入れるはずである。

 僕はまだ家にいるのだろうと思い、彼女の家のチャイムを鳴らす。

 少し経つとドアが開き、あーちゃんが現れた。

 陰鬱な表情を浮かべながら・・・・・・。

 彼女は不安に満ちた表情で僕に言うのだった。

「お母さんが・・・・・・。お母さんが倒れた・・・・・・」


 あーちゃんが事前に救急車を呼んでいたらしく、僕は彼女と共に病院に付き添った。病院に行く間、彼女は終始不安そうな顔をしていた。彼女の深淵のように暗い表情を僕は初めて見るのだった。

 病院に着き検査がなされた。あーちゃんの母親は命に別状はなかったが一ヶ月程の入院が必要らしかった。様態はすぐに回復するそうで、一応の入院という感じだった。

 僕もあーちゃんも安堵した。大事に至らなくて良かった・・・・・・。

 病室で彼女は僕に話しかける。

「今日はごめんね、付き合わせちゃって・・・・・・」

「大丈夫だよ。長年の仲じゃないか」

「あと朝待たせちゃってごめん。救急車を呼んでたの・・・・・・」

 今さらたった二分待たせたことを謝るなんて律儀なやつだと思った。

「そんな今さらなこと謝らないで大丈夫だよ。お母さんが倒れて動揺しない人なんていないし、あーちゃんの迅速な対応のおかげでお母さんは助かったのかもよ?」

「・・・・・・うん、ありがと・・・・・・」

 何に対しての感謝なのか僕にはわからなかったが、僕はうなずいた。


 僕とあーちゃんは午後に病院を離れ、帰宅した。不幸中の幸いで、病院を離れる前に彼女の母親の笑顔を見ることができた。

 僕は彼女の母親の笑顔を見て今までの不安が吹き飛ぶほど安心したが、彼女はどこか一抹の不安を残しているような表情だった。

 彼女の父親は仕事らしく、家は彼女一人になるらしい。僕は僕の家で一緒にご飯を食べようと提案し、彼女は了承した。

 そういうわけで夕飯の時刻になるまでの間、僕は部屋に彼女を招き入れるのだった。

 あーちゃんは不安に満ちた表情をしていた。母親の笑顔を見られたというのに、表情は母親が倒れたときと似たようなものだった。

 僕は彼女を慰めようと声を掛ける。

「最後にお母さんの笑顔見られて良かったね」

「・・・・・・うん」

 不安の表情が変わることはない。

「ご飯が食べたくなったらいつでもうちに来てよ。困ったときはお互い様だろ?」

「・・・・・・うん。だけど自分で作れるから大丈夫よ」

 お世話になるのも悪いし、と彼女は言う。

「人間、運が悪いときは必ず来るさ。今日がそういう日だっただけだよ!」

 適当な慰め方だな、と自分でも感じる。

「・・・・・・ほんとにそう思う?」

「え? う、うん・・・・・・」

「運が悪いだけって?」

「そうだよ、運が悪かっただけ!」

 僕の適当な慰めに彼女は一番食いついた。

 母親の体調不良を「運が悪かっただけ」と表現するのは楽観的過ぎるとも思ったが、彼女はほんの少し晴れやかな表情になるのだった。

 しかしその後神妙な面持ちになって、彼女は嘆く。

「今日は本当にごめん・・・・・・」

「いいよ、お母さんの無事が確認できて僕も安心したよ」

「そうじゃなくて・・・・・・。学校休ませちゃって・・・・・・ごめん」

 僕はあーちゃんの母親の心配ばかりで今日休んだ学校のことなど正直どうでも良かったし、言われるまで忘却していた。

 しかし・・・・・・彼女はそうではない。

「僕は全然気にしてないよ」

 あーちゃんも気にする必要ないよ、とは言えなかった。僕にその言葉を言う資格はないと思ったからだ。

「私・・・・・・私、学校休んじゃった・・・・・・。本当に私、悪い子ね・・・・・・」

 グスンッ。彼女は今日初めての、母親が倒れたときにも見せなかった、泣き顔を見せた。

 理由は、学校を休んだから。

 僕にとってそれはたいしたことではない。

 だけど彼女にとって学校を休むことは犯してはいけない罪であって、絶望的な禁忌であって、まさに世界の理から外れたと言っていいほどのどうしようもない程の悪逆だった。

 僕は幼馴染みでありながら彼女のことをわかっていなかった。

 学校を休まない――完全無欠席であることが欠無欠にとってどれ程の意味を、どれ程のアイデンティティを占めているのかを・・・・・・。

「今日は運が悪かっただけだよ。君は悪くない・・・・・・」

 僕は適当だと思っていた慰め方をすることしかできなかった。

 僕は今日という非日常を呪った。



 4

 その日から変わってしまった。

 欠無欠がではない。彼女は次の日から何もなかったかのように、普段通りに十五分程早く学校に向かうのだった。

 しかし変わってしまったのだ。

 欠無欠がではなく、世界が・・・・・・。


 あーちゃんの母親の入院が決まってから、世界には異変が起きていた。

 原因不明のウイルスが全世界中に蔓延したのである。原因不明のウイルスにかかると数日の潜伏期間の後、風邪を含む症状が現れ、最悪には死に陥るらしい。

 原因不明のウイルスはcryptogenic virusの頭文字をとってCウイルスと呼ばれるようになった。

 Cウイルスの感染速度・感染範囲は凄まじく、他人との交流によるウイルス感染が全世界的に畏怖された。

 Cウイルス感染防止の策として、大人数が集まるイベントの中止、海外渡航の規制が初めに行われた。

 しかしそれでもCウイルス感染者は増加の一途をたどるばかりだった。そのため感染の抑止を目的として、政府は学校の休校を指示し、不要不急の外出自粛を呼びかけることとなった。

 グローバル化の根底はヒトとモノの移動だと言われるけれど、Cウイルスによってヒトとモノの移動が規制されるようになってしまったのだ。まさにCウイルスはグローバル社会を脅かす世界的な脅威へと化したのである。

 しかし世界がウイルスに脅かされていることを、僕が実感することはなかった。Cウイルスは恐ろしいとは聞くが、僕や僕の周りには感染者がいない。そのせいかニュースを見ても他人事のようにしか思えないし、一応外出は自粛しておこうと思うだけである。

 とは言っても、外出しないことが僕にとって苦になるということはない。僕は普段あまり外出することはないし、休日も家でゲームをして過ごすような高校生である。むしろウイルスのおかげで学校が休校になってラッキーと思うくらいだ。

 突如として発生したよくわからないウイルスのおかげで朝早く起きてわざわざ学校に行くことがなくなった。世界には失礼かもしれないが、僕はウイルスの影響で少し幸せな気分だ。

 そんな幸せがいつまで続くか――Cウイルスがいつ収まるかはわからないが、僕は普段の休日のようにゲームに没頭する日々を送るのだった。

 周りのみんなもどうせ似たような生活を送っているだろう。

 もしかしたらCウイルスが収まることはなく、ゲームをして過ごす日々が日常になってしまうのではないか、とまで考えるのだった。


 八時二十五分に起床した。普段、というか休校になってからはいつも十二時前に起きていたので、僕にとってはずいぶんと早起きだ。学校がある日より少し遅めくらいの時間に、偶然目覚めてしまった。

 早く目覚めてしまっても特段やることはないので二度寝しようとも考えた。しかし別に眠いというわけでもなかったので起きることにした。

 カーテンを開ける。朝にカーテンを開けたのは久しぶりだ。

 天気は快晴。

 普段外出しない僕でも、こんな晴れているのに外出自粛なんてもったいないと思う程である。

 眩しい日差しの中、窓の外を覗いてみる。

 するとそこには制服姿で歩いている女子高生がいた。後ろ姿しか見えないが僕の通う学校の制服を着ており、学生鞄をしっかりと持っている。そして彼女は学校の方向へと歩いていた。

 まさかと僕は思った。

 僕はクローゼットから適当な服を取り出して着替える。Tシャツにパーカー、そしてジーパンというおしゃれとは程遠い無難な格好で僕は制服の女の子を追いかけようと学校に駆け足で向かう。

 僕はすぐに息を切らす。外出を控えすぎていると体力が相当落ちてしまうらしい。運動の大切さを身をしみて感じながらなんとか学校に到着する。

 学校の校門は閉まっていた。休校中で学内には誰もいないから当然だろう。

 しかし校門の上に制服姿の女子高生がまたがっていた。

 ショートカットの女の子――欠無欠が・・・・・・。

 僕は驚きを隠せずあーちゃんに声を掛ける。

「あーちゃん何してんの!?」

「うわ!?」

 僕が突然声を掛けたのにあーちゃんは驚いて校門の上でバランスを崩す。危ない、と思ったが彼女はなんとか体勢を持ち直し、校門を飛び降りて着地する。

 学内側に・・・・・・。

 僕は校門の前まで歩き、校門を隔てて彼女と目を合わせる。

「何で学校に来てるの?」

「学生だから」

「でも今は休校中だよ・・・・・・」

「・・・・・・」

 論点の外しまくったあーちゃんの回答に僕は呆れてしまった。

「誰もいない学校で何してるの?」

「勉強したり本読んだりお弁当食べたり居眠りしたり・・・・・・」

「別に家でもできることじゃないか」

「たまに探検したりもするのよ!」

「でも今は外出を控えないとだめなんだろ?」

「・・・・・・」

 しばらく無言が続いた後、彼女は口を開く。

「だけど、だけど私は学校が好きなの・・・・・・。学校にいないと生きてる心地がしないの!」

 私は暇だから学校にいます、要約するとそういうことだ。

 しかし学校にいないと本当に生きている心地がしないでそのまま死んでしまうのではないか。学校にいないと彼女のアイデンティティが失われてしまうのではないか。学校こそが彼女の全てなのではないか・・・・・・。

 欠無欠にはそう思わせるほどの何かがあった。十年間と少しの間に創り上げてきた何かが・・・・・・。

 彼女の母親が倒れた日に見せた、彼女の泣き顔を僕は思い出す・・・・・・。

 僕にはどうしても彼女を止めることはできなかった。

 彼女は学生で学校が好き。だから学校に行くのだ。それ以上の理由が必要なのだろうか。

 彼女は普段通り定時に学校に通っている。

 彼女が異常なのではない――世界が異常なのだ。

 僕がCウイルスを身近なものとして感じていないように、彼女もウイルスを気にしていない。僕と彼女の違いは身近に感じない脅威を受け入れるかそうでないかということだけなのだろう。

 僕は受け入れて家でおとなしくゲームをしているが、彼女は受け入れないで普段通り学校に来ている。ただそれだけ・・・・・・。

 普段通りのあーちゃんの行動と彼女の学校への想いを考えると、不法侵入ではあるけれど僕はそれを止めることはできなかった。

「わかったよ。学校楽しんできてね」

「うんっ!」

 あーちゃんは笑顔でうなずくのだった。

 そんな彼女を見ていると僕まで学校に行きたくなってしまう。学校が人生に華を添えるほどに楽しいものなのではないかと想像してしまう。

 学校を合法的に休みすぎて感覚が麻痺しているのだろうか。風邪とかいうくだらない合法ではなく、政府の指示というまさに合法である。

 そんな真の合法的な休みに行うゲームに背徳感を感じることもないし、むしろ学校に行くことこそが背徳だろう。

 だから僕は提案する。

「あーちゃん、明日一緒に学校に行こう! 八時三十分に僕の家の前に来てよ」

「いいけど、今日じゃなくてもいいの?」

「僕は今は学生じゃないからね。制服を着ていない」

 そう言って僕は着ているパーカーを見せつけるように掴む。

「わかった。じゃあ明日家の前に行くね」

「うん、制服を着て待ってるよ」

 時刻は九時に迫っていた。

「これ以上話してたら遅刻しちゃうよ。早く教室に行かないと」

「あっ! そうだね、ありがとっ!」

「君が遅刻している姿は見たくないからね」

 僕の今までにない本心だった。

 僕は最後に一言声を掛ける。

「それじゃ、いってらっしゃい」

 僕はあーちゃんに手を振り、あーちゃんもそれに振り返して、

「いってきます」

 と言って僕たちの教室へと向かうのだった。

 明日の学校のために今日は早く寝ないと。

 明日は久しぶりに、普段の日常的な一日を過ごすのだから。


 5

 八時起床。

 部屋のカーテンを開けると快晴だった。いつもは思わないだろうけれど、なぜだか今日はまさに学校日和だと思った。

 僕は慌てることなく冷静沈着に朝の身支度を済ませる。朝にこんな落ち着いていることは僕にとって珍しく、なんだかすがすがしい気分だった。

 僕は久しぶりに制服を着る。学期始めみたいな新鮮な気分だった。日常であるはずの、日々のルーティーンであったはずの制服を着るという行為が新鮮だなんておかしな話である。

 八時三十分、家を出る。すると僕の家の前にあーちゃんが待っていた。いつも通りの制服姿である。

「待たせたね、それじゃあ行こうか」

「うんっ!」

 彼女は明るく返事した。

 僕たちはゆっくり学校に向かう。

 通学路に僕たち以外の制服姿の学生はいなかった。


 僕たちは校門を登って校内に侵入した。休校になってからはあーちゃんが日常的にやっている行為だ。

 本来閉じている学校に無理矢理入ることに僕は少し罪悪感を覚えた。

 校舎には表口か裏口のどちらかの入り口からしか中に入れない。表口は鍵が掛かっているらしいので、僕たちは裏口へ向かう。

 裏口の扉は鍵が掛かっていないようで、あーちゃんは何事もなく、当然のように裏口の扉を開けて、僕たちは校舎内に入ることができた。

「裏口って思ったより杜撰な管理をしているんだな。戸締まりを忘れるなんてね」

「? 何言ってるのよ。私が前に裏口の扉を開けたのよ」

「え!? でも、どうやって・・・・・・?」

「針金をいじって鍵穴に差し込んだら開いたわ。杜撰なのは管理よりも扉自身なのかもしれないわね」

「・・・・・・」

 彼女は自然に話すがやっている行為は強盗と一緒である。休校になってから戸締まりはなされていないそうで、彼女は一回裏口の扉を開けてからは針金を持っていないらしい。

 彼女のやっている行為の重さに比べたら、彼女に付いていって学校に入ることに、そんな罪悪感だったり背徳感だったりは感じなくなった。

 いや、背徳感はあるかもしれない。僕は誰もいない学校に侵入することにわくわくしていた。学校を風邪で休んでゲームをするような感覚を、逆に学校に来ることによって覚えるのだった。

「僕は君が学校を休まないからもしかしたら真面目で聡い子なんじゃないかって、今までほんの少しは期待していたよ」

「期待外れで残念だった?」

 彼女は微笑んで僕にたずねる。

「いいや、最高だよ」

 僕は微笑み返す。

 校舎の中に僕たちの会話が響き渡る。

 誰もいない学校に僕たちだけがいる。それだけで本当に最高な気分だった。

「まるで世界の理から僕たちだけが背いているみたいだ」

「何よそれ」

 彼女は笑顔を浮かべる。そしてその後ぽつんと呟くのだった。

「私にとっては日々の日常に従っているだけだけれどね」

 朝起きて学校に行って下校時刻が訪れたら帰宅する。彼女にとってはそんないつものルーティーンを全うしているだけなのだろう。

 日常の理は彼女の中では変わっていない。

 Cウイルスによって世界が日常の理を逸脱したのだ。だから僕は――欠無欠を除く世界中の人々は、世界の理に反しないように、日常の理から逸脱しているのだ。

 しかし彼女が日常の理から外れることはない。

 世界でヒト・モノの移動が滞ったとしても、欠無欠が自宅から学校へ移動することが滞ることはない。

 彼女は学校を休まないのだ。

 そんなことを考えている内に、僕たちがいつも通う教室の前に到着した。

 時刻は八時四十五分。始業十五分前という、僕が当分到着したことのない早い時間だった。

 あーちゃんが先に教室の扉を開けて中に入る。僕も彼女に続いて教室に入ると、

「おはよう!」

 と、彼女は元気よく言う。それは毎日のように僕にしていた挨拶だった。

 彼女はいつも僕より早く学校に着いて、僕に挨拶を交わすのである。それが普段の日常なのだ・・・・・・。


「起立!」

 僕たちは席を立つ。

「気をつけ!」

 僕たちは姿勢を正す。

「礼!」

 僕たちは身体を傾ける。

 そして元の状態に正す。

「着席!」

 僕たちは席に座る。

 九時ちょうどに僕たちは誰もいない教室で挨拶をするのだった。

 この形式的行為を提案したのは僕で、僕が指示を出していた。

 なんだか学校っぽいことをしたかったから。そして、あの日の日直の業務を全うしたかったから。周りにはあーちゃんしかいないし、意味のない行為かもしれないけれど、僕はあの日の穴を埋めるような償いをしたい気分だったのだ。

 あの日。僕たちが学校にいなかった日。

 欠けた日常。

 欠無欠が涙を流した日・・・・・・。

 あの日から変わってしまった世界に背くように、僕たちは学校で時を過ごした。

 僕の提案で普段の時間割通りの科目の勉強をしてみる。なんとなくあの日から奪われてしまった日常を味わってみたかったのだ。僕たちは二人で問題の解法を考えたりしてみる。

 僕は勉強において考えるという行為を避けてきた。難しい問題にもわからないなりに考えることが美徳だとされているが、どんなに思考をしたところでわからないものはわからない。

 だから僕は考えるより先に友達に頼って答えを知るのだった。テストは教えてもらった解法を覚えていればできるため、僕のやり方によって学業で躓くこともなかった。

 しかし今日はあーちゃんと二人で難しい問題にも果敢に挑戦している。彼女自身は人に頼ることを好まないし、彼女は僕の頼れる友達よりも頭が良くなかったから。そして、今は普段の日常のように受動的で強制的に学習をしているのではなく、積極的に学習をしているから。

 今まで微塵も楽しいと思わなかった勉強が少し楽しいように思えた。

 せっかく誰もいないからということで、黒板に解答を書いてみたが、二人で問題を解いたときは達成感からか喜びを感じる。

 僕は日常の体験をしたいだけだったけれど、二人だけの学校は異質な空間みたいな感じで、非日常の体験のようだった。僕は今の感情を彼女に伝える。

「あーちゃん、僕は勉強がこんなに楽しいものだなんて今まで知らなかったよ」

「あら、そう? 勉強は今までも、そしてこれからもほんのちょっぴり楽しいものなのよ」

 彼女はいつも勉強がほんのちょっぴり好きで、常に積極的に勉強に取り組んでいるのだろう。

 だから異質な空間のように思える今の学校も、彼女にとっては日常で、勉強を楽しいと思うのも、彼女にとっては日常なのだ。

 学校がある限り、彼女の日常――普段通りは、学校にある。だから彼女は学校に通うのだろう。異常な世界の中でも、彼女には学校にいて幸せでいてほしいと僕は望むのだった。

 しかしこれだけは彼女に言わないといけない・・・・・・。

「勉強を楽しいと言うけれど、英語の授業ではいつも眠っているじゃないか」

「あれは先生が催眠を掛けてくるから仕方ないのよ」

 僕たちはクスクスと笑う。彼女は勉強はほんのちょっぴり好きだが、やはり真面目ではないらしい。


 僕たちの四時限目も終わって昼休みの時間になった。

 僕は昼食のことを忘却していた。お弁当もないし、当然だが食堂も購買も営業していない。

 そんな困っている僕を見て彼女は話しかける。

「実は二人分のお弁当作ってきたの・・・・・・。一緒に食べよ?」

「僕は今、校内で一番の幸せ者だよ・・・・・・」

「私よりも幸せで良かったわね」

 お互いに笑い合って、お弁当を食べる。

 僕はあーちゃんが料理上手だと知っていたので、躊躇や不安なく、おいしく彼女のお弁当をいただいた。

 彼女と一緒にお弁当を食べながら過ごす昼休みはいつも通りの学園生活のように思えた。

 彼女とは普段学内でつるむことはないため、昼食も別々の友達と食べる。それが普段通りだが、彼女とお弁当を食べていると安心感があって落ち着く。

 僕は二人きりの学校を異質な空間だと思っていたが、今は普段通りの落ち着いた日常的光景のように思えるのだった。

 お弁当を食べ終わると同時に昼休み終了の時刻となり、僕たちの五時限目が始まる。

「ふあー」

 彼女は特徴的な欠伸をして机に突っ伏して眠り始める。

 お弁当を食べたから眠くなったのだろう。僕も眠かったので彼女と一緒に眠ることにした。

 本来の五時限目は英語だった。眠くなるのも仕方ないというものだ。

 昼食を食べた後に暖かい日差しに包まれながら居眠りをする。しかも英語の時間中に。まさに僕は普段の日常の真っ只中にいるような気分だった。

 彼女と学校にいると、Cウイルスに汚染された異常な世界のことなんてどうでもよくなってきた。普段の日常を取り戻したような感覚。それでいて楽しい。

 Cウイルスのせいで日常が変化して、これから学校に通わなくなるのかもしれないと僕は思っていたが、彼女を見ていると、そんなことなさそうに思える。

 彼女が普段のように学校にいて、ほんのちょっぴり好きな勉強を積極的にやって、お弁当を食べて、日常のワンシーンのように居眠りをする・・・・・・。

 それが日常で、世界のあるべき姿なのだ。彼女と学校の関係は普遍的なもののように思えた。僕は彼女のいない教室を想像することができなかった。

 もしかしたら学校というのは楽しくて居心地の良いところなのかもしれない。彼女といるとそう感じるし、僕が今まで少し学校を毛嫌いしていたことを後悔する。

 僕は眠気眼のまま、同じような状態の彼女に声を掛ける。

「僕はCウイルスのおかげで学校がなくなってラッキーだと思っていたけれど、学校のある生活の方が楽しいって気がついたよ」

「それは良かったわね。学校は楽しんで行くところなのよ?」

「あーちゃんは学校が楽しくて毎日休まず通っていたんだね」

「・・・・・・」

 彼女は無言で首を横に振る。彼女が学校に行く理由は楽しいからではないのだろうか。

 すると彼女は小さな声で呟く。

「・・・・・・私は毎日休んで学校に行っていないわ。一回休んじゃった・・・・・・」

「・・・・・・っ!」

「学校は楽しいけれど、私はもう悪い子にはなりたくないから学校に通ってるの・・・・・・」

 彼女は哀しみに満ちた表情をしていた。

 そうだった。彼女は学校を休んだというだけで、母親が倒れたときにも流さなかった涙を流したのだ。

 異常に日常に執着する理由が「学校が楽しいから」というだけなはずがない。彼女が異常な世界に流されないで、日常を全うする理由は何なのだろう。

 僕は彼女に理由を聞けなかった。

 おそらく彼女にとって学校にいないことが悪で、学校に行くことは義務的なことなのだろう。彼女自身についてそんな決まりが作られているように思える。

 欠無欠は休まない。

 それこそが彼女を彼女たらしめている。僕もそう思うし、彼女自身もそう思っているのだ。

 しかし休むことは悪だが、学校に行くことは正義ではない。彼女にとっては当然である。だから彼女は悪ではない日常を全うすることを当然だと考え、僕はわざわざそれに関する理由をたずねるのも無粋だと思った。

 僕が今求められているのは質問でもない。あの日しっかりとできなかった、そしてこれからもできないであろう慰めでもない。

 僕に求められているのは・・・・・・。

「あーちゃん、僕は君が欠席している姿を見たことがないよ」

「私は一回休んでいるわ・・・・・・」

「それはわからない。けれど僕は君が欠席――席を欠いている瞬間を見たことがない。僕が学校に行くと必ず君はいるし、必ず挨拶をしてくれる」

「・・・・・・」

「僕はあーちゃん――欠無欠のいない教室を想像することができないんだ」

 僕は彼女の頭を撫でて最後に優しく伝える。

「僕の中では君――欠無欠は今までも、そしてこれからも完全無欠席少女なんだよ・・・・・・」

「・・・・・・っ!」

 あーちゃんは涙を流していた。彼女の喜びの表情からして嬉し涙のようだ。

 僕に求められているのは僕にとっての事実だ。僕にとって彼女は教室の守護神であり、完全無欠席少女なのだ。

 その事実は、揺るがない。

 あの日は彼女にとって日常の理――通常だった世界の理から外れるような出来事だったのかもしれない。しかし僕にとっては違う。あの日は運が悪かっただけで、僕にとって彼女は日常の理に従い続けているのだ。

「ありがとう。あなたのおかげで元気が出たわ」

「僕は思ったことを言っただけだよ」

 暖かい日差しが僕たちを照らす。

 普段の日常のワンシーンのように・・・・・・。

 僕たちの五時限目が終了の時刻に迫っていた。


 6

 僕たちが二人で学校に行った日をきっかけにCウイルスは消滅した。

 世界が畏怖した原因不明のウイルスは、原因不明のまま終焉を迎えたのだ。

 日常の理から外れ、異常になってしまった世界が、通常に、日常の理へと戻っていく。

 Cウイルスと欠無欠に関連性があったのかはわからない。というか一般的な学校大好きな少女と世界を脅かしたウイルスが関係しているとは思えない。

 しかし言えることは、彼女の涙と同時期にCウイルスは蔓延し、そして終焉したということだ。そこから何か関連性を導き出せるとも言えるし、それはただの妄言だとも言える。

 結局は原因不明なのだ。そうでないとCウイルスのCがなくなってしまうのだから・・・・・・。


 Cウイルスの終焉と共に学校の休校も終わった。

 あーちゃんと二人で過ごして学校の楽しさを知った僕は、今日も彼女と待ち合わせて一緒に学校へと向かうのだった。

 通学路に制服を着た学生が何人かいる。彼らを見て彼女は呟くのだった。

「またこの時期がやってきたのね・・・・・・」

 おそらく朝早い、いつもの通学路に僕がいることを言っているのだろう。

「今は学期始めではないけれどね」

「確かに。この時期にあなたと登校なんて珍しいわ」

「これからは毎日君と一緒に通うことにするよ。学校でゆっくりできるからね」

「どうせすぐに貴重な十五分がー、とか言うんでしょ?」

「そんなこともう言わないさ。学校の楽しさに気づいたからね」

「そう言ってある程度したらいっつも私に謝ってくるんだから学びなさいよね・・・・・・」

 彼女は少し呆れ気味に言うが、今回の僕は少し違う気がした。彼女と過ごして本当に学校の楽しさを知ったのだから。今までの一時的に意識が高かっただけの状態とは違う。

「もう僕が君に謝ることはないよ。期待しててくれ」

 今までの僕とは違うということを今後の態度で彼女に示していこう。きっと彼女も驚くはずだ。

 いや、彼女にとって学校に早く着くことはあたりまえだからあまり驚かないかもしれない。

 なぜなら、僕にとって欠無欠は完全無欠席少女なのだから。

 容姿端麗でもなく、地頭は良くなく、品行方正でもなく、友達は多くも少なくもない無難な彼女の誇れる一面・・・・・・。

 欠無欠は休まない。


 日常の理に世界と僕たちは従い続ける。



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