第552話
翌日。アンセルムにジスラン様とナタリア様が到着したと、早朝にアガフォノワから連絡があった。
俺は素肌を晒して眠るレリアとアキに毛布を掛け、魔法で着替えて談話室に移り、アルテミシアやムレイなど帝都の使用人幹部を呼んだ。
「先ほど、我が義父ジスラン・フォン・ヴォードクラヌ伯爵閣下と我が義母ナタリア・フォン・ヴォードクラヌ伯爵夫人が、我が領都アンセルムに到着なされたと報告があった。俺とレリア、アレクはお二方と会見するため、領都に戻る。今日中に諸侯公休を取得し、数日中に帝都を発つ。アルテミシア、レリアにこれを伝え、準備を頼んでくれ」
「はい。若様もいらっしゃいますが、旅の期間は長くなりますか?」
「ああ。体調を見つつ調整するが、普段の三倍程度と思って準備を」
「分かりました。大奥様がお起きしましたら、お伝えします」
「頼んだ。ムレイ、アガフォノワ、随行員と護衛部隊の編成を」
「御意に。アキ様とテリハ様は帝都に残られるという認識でよろしいでしょうか」
「ああ。であるから、ムレイには帝都に残ってもらうぞ」
「承知いたしました」
「護衛部隊の規模と目的は?」
「示威だな。ヴォードクラヌ伯が納得なさる程度の威容を。ああ、それから非武装の随行員や物資の警護も必要だ。おぬしに一任する」
「御意」
アルテミシアとアガフォノワ、ムレイに言っておけば、必要なものを用意しておいてくれるだろう。
それから俺はエヴラールのみを伴って騎士団庁舎に向かった。早朝とはいえ、既に日出後であるし、諸侯公休の申請程度ならばできるだろう。それに、近いうちに諸侯公休を取ろうと思って準備もしてあったし、問題はないはずだ。
本部庁舎に着くと、砲撃統制部が置かれる予定の部屋から明かりが洩れていた。砲撃統制部と砲戦火兵部隊に属する予定の者は、その設置のため連日激務であると聞くが、どうやら徹夜であったようだ。
俺は執務室に行き、諸侯公休のための書類を仕上げた。申請書は騎士団で保管する分と軍令部に提出する分が必要なのだ。まあ大半の部分は事前にリンが仕上げてくれていたので、俺は期間など未定であった部分を埋めるだけだ。
「それでは軍令部に提出してまいります」
「頼んだ。おぬしが帰る頃には俺はもう帰っているだろう。後は頼むぞ」
「承知いたしました」
「では頼んだ」
「御意」
エヴラールはそう言うと、諸侯公休申請書を持って執務室を出ていった。本来であれば申請から承認までしばらくの期間が必要であるが、俺の場合は戦略単位指揮官であり、かつ領地も大きいので、優先的に処理されて軍務に支障のない限り申請と承認は同時である。
俺は申請書と承認書を持ち、参謀部を訪ねた。ちなみに、承認書は申請のあった諸侯公休を帝国騎士団として承認するもので、将官と金級士官の場合は、帝国騎士団長に加えて、帝国騎士団副長、参謀長、管轄する兵科将軍、いずれかの承認と署名が必要である。俺の場合は帝国騎士団長として俺の署名と、事前に貰っていたアーウィン将軍の署名があるので、書類を参謀部に預けておけば、適切に処理してくれるはずである。
「ミトラ金士か。なぜ参謀部に?」
参謀部に入ると、会計局長のミトラ金士がソファーで腕を組み、上を向き、目を瞑って休憩していた。なぜ会計局のミトラ金士が参謀部で休んでいるのか知らぬが、ミトラ金士に預けておけば参謀部に渡してくれるだろう。
「閣下、おはようございます。は、先程まで砲撃統制部と予算の調整をしておったのですが、リグロ閣下が資料を取りに離席して、まだ戻っておらんのです」
「そうか。ではリグロ参謀副長に、これを渡しておいてくれ」
「承りました。こちらは?」
「諸侯公休の申請書と承認書の副書だ。今日から休む」
「…承りました。リグロ閣下にお渡ししておきます」
「ああ。まあ別にリグロ参謀副長でなくても参謀部の誰かであれば構わぬぞ。では俺は帰る」
「は。あとはお任せを」
「うむ。では」
俺はそう言い残して参謀部を出た。ミトラ金士は疲労のためか、いつもと雰囲気が違ったが、何か差し入れてやった方が良いだろうか。帰ったらムレイに言って、アキやリンが登庁する時に持って来てもらおう。
今回、俺が取得した諸侯公休は、今日から十一月十四日までの三十日間である。
俺の諸侯公休中は、アーウィン将軍が帝国騎士団を統率し、コボン将監が枢密院に対応し、ミルデンバーガーが魔物討伐庁の庁務を指揮する。来月一日の砲撃統制部と砲戦火兵部隊創設に関する式典も、アーウィン将軍が代理として出席するだろう。
ただし、他国による侵略や諸侯による叛乱などがあれば、それに対応するための勅令が発せられて、俺は休暇を返上し、討伐軍を指揮せねばならぬだろう。
屋敷に戻ると、レリアとアキが並んで朝食を食べていた。
「レリア、アキ、おはよう」
「おはよう、ジル」
「おはよう、旦那様。ワタシは食べ終わったし、朝の準備もあるし、席を外そう」
「アキ、頼みたい事があるのだが良いか?」
「聞いてやる」
「激務ゆえに徹夜をしている幹部が幾人かいた。何か差し入れを持って行ってやってくれぬか」
「分かった。百人分もあれば足りるな?」
「ああ。リンと従卒二人と協力して持って行ってやってくれ」
「うん、分かった。ユキとカイによろしくな」
「ああ。だが今日はまだ出発せぬぞ」
「いつ言ったっていいだろ」
「確かにそうだ。では頼んだ」
アキは頷いて立ち上がり、食堂を出ていった。誕生日の翌日であるのに気を使わせてしまったな。まあ別に当日でないから、アキは何も気にしておらぬかもしれぬが。
「レリア、既に聞いているとは思うが、ジスラン様とナタリア様がアンセルムに到着なされたそうだ」
「聞いてるよ。もう休んでいいって?」
「ああ。先ほど手配してきた。旅の準備ができ次第、いつでも出発できるぞ」
「分かった。じゃあ明日出発を目指して、今日中に準備を終わらせよう。何か持って行かなくちゃいけない物ってあったかな?」
「俺は思いつかぬが…アレクの身の回りの物は慣れた物を使った方が良いのではないか?」
「確かにそうだね。他は?」
「他か…必要ならば準備中に思いつくのではなかろうか」
「だね。あ、そうそう。言い忘れてたんだけどね、お父さん達は帰りに寄る所があるから、お土産とかはいらないって。リアン兄さんの結婚の件で、会っておかなくちゃいけない人が何人かいるんだって。でも、たぶん本当はジルに気を遣わせたくないだけかもね」
「そうであればありがたいな。ではお言葉に甘えて、土産は贈らぬ事としよう」
正直なところ、俺は土産については考えてなかったが、それが正解であったようだ。まあ俺の領地で会見するのであるから、用意しようと思えばいくらでも用意できるし、運ぶ手間もあるし、わざわざ帝都で用意する意味もない。
レリアが朝食を終えると、俺達は旅の準備を始めた。持って行くべき物を選び、それを馬車や荷車に積み込み、さらに護衛部隊や随行員の選定もせねばならぬ。
深夜になり、ようやく準備が整った。既にレリアは明日以降に備えて休んでいるので、体力的な部分は大丈夫だろう。
護衛部隊は、屋敷の警備隊から黒甲軍団の二個中隊を抽出し、編成した。新兵器開発や人員増加など色々な要因が重なり、一個中隊は二百名程度となっているので、今回は四百名程度である。この四百名には、馬車や荷車の運用、予備の馬などの管理のための人員も含まれている。
随行員はイリナの下に三十名の使用人が付く。ちなみに、イリナは家政婦長を自称して侍女などに指示を出したりして、俺の使用人であるかのように振舞っているが、別に何の役職にも就けておらぬ。
翌朝。旅装に着替えた俺達は、屋敷の庭で簡易の出発式を行い、アキ達の見送りを受けながら帝都を発った。




