第551話
軍服に着替えた俺達は、騎士団庁舎を出て市街地に向かった。
アキは何が欲しいのか教えてくれぬが、店の場所は把握しているようで、揚々と俺を先導して歩いた。
「今のうちに言っておくとだな、ワタシが欲しいのは櫛だ。ワタシも三十だし、大人の女として持っておきたい。どうせなら旦那様に贈ってもらった方が愛着が湧くしな」
「そうか。大人の女の自覚がなかったことに驚きだが、より美しくなってくれるという事であろう?」
「旦那様、それは違うな。美人になるために使うんじゃない。不美人にならないために使うんだ」
「…何と言うべきか分からぬが、アキは老いても美しかろう」
「今さら口説いたって何も出んぞ」
「そのつもりはないが…」
「ま、気分は良くなったがな。こっちだ、行くぞ」
「ああ」
アキはそう言うと、俺の手を引いて歩みを速めた。
道中、アキの説明を聞くと、目的の店は輸入品を主に扱う店のようで、最近はヤマトワからの装飾品などを多く扱っているそうだ。
目的の店に着くと、俺達の格好を見て個室に案内された。こういう目的で軍服を着て来たのであろうか。
「ヤマトワの櫛があるそうだな。見せてくれぬか」
「はい。すぐにお持ちいたします」
俺が店主らしき男にそう言うと、店主らしき男は引き下がった。わざわざアキの手を煩わせるまでもない。
俺が座ると、アキは俺に密着するように隣に座った。可愛いな。
「おい、ゆっくり楽しみたいんだ。本題に入る前に簪とか色々見せてもらった方が楽しいだろ」
「それはすまぬ事をした」
「じゃあ今日は欲しい物を全部買ってもらうぞ。それで許してやる」
「そうしよう。誕生日であるし、遠慮はいらぬぞ」
「言ったな? 今日はいっぱい買ってもらうぞ」
アキがそう言ったところで、店主らしき男が戻ってきた。見計らっていたのであろうか。
店主は机の上に桐箱をいくつか並べると、それぞれの説明をしながら蓋を開けた。歯の間隔や素材など、色々と異なるようで、アキは髪を解いて試し始めた。アキのこういう姿を見る機会はほとんどないので、見てはならぬものを見たような気がして胸が熱くなった。
全てを試し終えたアキは、目を瞑ってしばらく考え、保留と言った。店主が別の櫛を持って来ると言ったが、アキは簪など髪飾りを持って来るよう言いつけた。
「ワタシが可愛くなるための買い物だ。最後まで付き合えよ」
「当然だ。試着するアキを見るのも楽しい」
「旦那様も好きだな」
「当たり前だ。好きでなければ二人で買い物などせぬ。それはそうと、気に入る櫛はなかったか?」
「全部気に入った。だから全部欲しい。無理なら旦那様が選んでくれ」
「では全て買おう。先も言ったが、アキ、今日は我慢も遠慮もいらぬぞ」
「そうだったな、楽しくて忘れてた。だがな、そう言われると、逆に気を遣ってしまう。普段通りにいてくれたら、ワタシも遠慮しない」
「そう努めよう」
普段の俺がどういう言動をしているか意識しておらぬので分からぬが、つまり何も意識しなければ普段の俺の言動に近づくのだろう。何も意識せぬよう意識しよう。
その後、店主が持って来た簪などの髪飾りの他、ヤマトワから輸入した装飾品や衣服などをいくつか紹介され、似合っているもの、まあつまり全てを買った。
俺とアキは同じ生地で作ったという、同じ柄の服に着替え、軍服と買った物を屋敷に届けるよう手配し、目的のない街歩きをする事にした。
「旦那様、歳を取って軍を辞めたら、姫と三人で何か商売を始めよう。もちろん、身分を隠してだぞ」
「それは良い話だ。何十年先か分からぬが、それを楽しみに生きよう」
「だがな、ワタシと旦那様じゃ階級が違うし、年齢も違う。多分ワタシの方が先に辞めることになるだろ?」
「アキが辞める時には俺も辞めよう。ちなみに聞くが、軍を辞めるというのは、予備役に編入されるという意味か? それとも退役するという意味か?」
「予備役だ。ま、家政のためと言って、退役したらいいだろ。退役したら、一年くらいは商売の準備をしたりして過ごして、一年経ったら家督をアレクに譲って、商売しよう」
「それは楽しみだな」
アキが将来の事を語るなど、記憶にある限り初めてだが、心境の変化でもあったのだろうか。まあ誕生日であるし、将来の事を考えたのかもしれぬ。
ちなみに、高等武官は予備役編入後十五年経つか、七十五歳になるまで予備役の身分を保持し続け、その後に退役となる。まあ貴族ならば家政のためと言って、予備役を経ずに退役も可能ではある。
「それはそうと、急に将来の話を始めて、何か思うところでもあったか?」
「いやな、年を取っても旦那様にこうやって誕生日を祝ってもらいたいなと思ったんだ。どんなに遅くても四十年後には旦那様も軍を辞めねばならんが、その後も人生は続く。その時、ワタシ達は一緒にいられるのかと、たまに心配になる」
「俺はアキと永遠に一緒にいたい」
「本当か?」
「俺を信じられぬか?」
「信じている…が、旦那様がワタシと結婚したのは、断ったらワタシが腹を切ると脅したからだろ?」
「良いか、アキ。始まりはどうであれ、今の俺はアキに惚れている。アキに嫌われぬ限り、俺はアキと一緒に過ごしたい」
「だが…」
「アキ。一生を共にする気がない者に、子を産んでもらおうなどと、そのような無責任な俺ではない。テリハが何よりの証拠だ」
「納得した。これからは全面的に信じる」
「それはありがたい」
不安がっているアキを見るのは初めてだが、どうやら心配事は解消できたようだ。そもそも俺は一度惚れた相手を嫌いになるなどという器用な事はできぬのだ。一度好いてしまったら、好き以外の気持ちを抱けぬ。
「旦那様、近いうちに証拠を増やしたいな」
「テリハの妹か?」
「そうだ。人間と違って、産卵から一年くらいかかるからな。今卵を産んだら、テリハとは二歳差だ。姉妹としては理想的な年齢差だろ?」
「姉妹としての理想的な年齢差を知らぬが、その前に人間が卵を産むかのように言うでない」
「サヌスト語が分からんのだ。人間が子を産む事をサヌスト語で何と言う?」
「出産だ。十か月強を要する」
「出産か。言われてみれば、前にも聞いた事がある気がする。それでどうだ? 二歳差を狙うなら、もう期限は違いぞ」
「レリアとも相談し、アキの体調を見つつ、だな」
「今夜あたりどうだ? 姫も誘って、三人でしよう」
「それこそレリアに相談せねば」
「誕生日の権力で何とかしてくれよ」
「努力しよう」
アキが言う誕生日の権力とは、おそらく何かの誤訳であろうが、何となく言いたい事を察するに、先ほど今日は我慢も遠慮もいらぬと言った事と関係があるのだろう。まあ俺は妻の願いならば、誕生日であるか否かに拘わらず、なるべく叶えられるよう動くのだが。
その後、街を歩きつつも話が弾んだので、どの店にも寄らず、そのまま屋敷に帰った。
レリアに二歳差の件を話すと、意外と乗り気であったので、今宵はアキの願いを叶えられた。




