第531話
翌日。俺はフェリシア陛下とアンブロワーズ殿下の道中警護の任に当たったポワソン隊に加え、オートムヌ隊を率い、国土平定令における騎士団本陣に向けて帝都を発った。
アンブロワーズ殿下のご誕生は喜ばしいが、それに伴う様々な式典やパーティーなどは、いらぬ気遣いも多いゆえ、領主府に対応を命じて俺自身は軍務に集中する事にした。
翌日。騎士団本陣に着いた俺は、アーウィン将軍から現状の報告を受け、デュポール参謀長らを交えて交代の部隊を選ぶ事となった。なるべく全ての将兵が同じ程度休めるようにせねば、色々と不満も出るだろうし、難しいところである。
翌日。アーウィン将軍は休ませる部隊を率い、帝都に帰っていった。結局、色々と考えたが、本部直属部隊のみを残し、それ以外は全て休ませる事にした。
俺は騎士団本陣から各部隊に指示を出し、部隊から報告を受けるだけであるから、気が楽である。気楽ではあるのだが、それと同時に遣り甲斐も少ない。
アーウィン将軍と幾度か交代し、七月半ばとなり、国土平定令も終わりが見え始めた頃、帝都から伝令があり、フローレンス殿下が懐妊し、慶事休養を始められたとの報告を受けた。
フローレンス殿下はエジット陛下の妾妃であり、フェリシア陛下と違って、サヌスト帝国を皇帝たるエジット陛下と共同統治する立場にはないゆえ、荘園までの道中は近衛兵団第三親衛隊とノヴァーク血閥軍が警護したそうだ。
恋愛結婚の相手との御子がお生まれになったばかりであるのに、政略結婚の相手が懐妊なさるとは、エジット陛下も励んでおられるようだな。まあ君主としての役割であるといえば、確かにそうなのだが、俺には真似できそうにないな。この調子では、全ての皇妃殿下方が身籠られる日も近いのではなかろうか。
騎士団は七月中の撤収を予定しており、八月一日に軍令部に対して任務完遂報告を行う予定である。そのための手配を、騎士団本陣から各所に対して行なった。
リンに対しても八月までに登庁するよう命じておいた。半月もあれば、用事を済ませて帝都に来られるだろう。間に合わぬなら騎士団員を数名出して急かしてやれば良かろう。
七月三十一日。騎士団は予定通り撤収を完了し、俺は最後の部隊と共に帝都に帰還した。
アーウィン将軍やデュポール参謀長、リグロ参謀副長など国土平定令に参加した者を集め、軍令部に対する報告書を確認し、解散した。国土平定令の終わりが見え始めた頃から纏め始めているので不備はあるまいが、念のためである。
屋敷に帰ると、談話室でリンが待っていた。モレンク血閥の家臣となり、騎士団に勤めずとも充分な暮らしができるし、僅かばかりではあるが帰らぬ心配もあった。
「リン、休暇は満喫できたか?」
「はい、存分に楽しませてもらいました。あ、一応報告しておきますと、モレンク血閥領主府参事官という職に就く事になりました。最初の仕事はフォルミード村再建計画を任されまして、色々手配してきましたよ」
「そうか。それは良かった」
「はい。あ、もちろん他の仕事も任されて、色んな所を見学させてもらいました。その成果の一つなんですが…これ、見てください」
「これは?」
リンはそう言い、短剣ほどの長さの台木に黄金の機巧が取り付けられた、おそらく魔導具を取り出した。用途は分からぬが、内部に仕込まれた魔法陣などから察するに、小型の投石器のような武器であろう。
「魔短銃です。帝国軍が払下げた魔物の素材を使った武器です。この弾を勢いよく飛ばして、敵を殺傷するんです。こんな小さい礫でも、勢いがあれば人は死ぬそうです」
「それはそうだろう。今も飛ばせるのか?」
「はい。でも、この弾を一発撃つのに、とんでもない額が掛かるんですよ。確か、技術料とか抜いて素材の値段だけで、三オールですよ」
「それは…なかなかだな」
「はい。それに、三オール払えば無限に弾を用意できる訳じゃないんです。他の技術開発に回す分とかもありますから、三十発分しか作ってないそうです。そのうち、五発分だけ貰ってきました」
「そうか。残りの二十五発は?」
「奥様の近くの人が、奥様の警護のために持ってます」
一発で人を殺傷できる武器を、おそらくはアルテミシア辺りが持っているのであれば、レリアとアレクの安全は完璧に保障されたと言えるのではなかろうか。まあそもそもアルテミシアはそれなりの魔法使いであると聞いているし、アルテミシアが傍にいればレリアとアレクの身に危険はないはずである。
「それで、試しに撃ってくれるのか?」
「仕方ないですね。一発だけですよ?」
「ああ、礼を言う。では俺を撃ってみよ」
「主君殺しはできませんよ。弓の練習場とかないんですか?」
「ある。だが、本当に殺傷が可能か確かめねばならぬ」
「殺傷しちゃったらどうするんですか? ロード様が良くても、私は主君殺しの人生を歩みたくありませんよ」
「安心せよ。前にも言ったとは思うが、俺は傷ついただけでは死なぬ」
俺はそう言って服を脱ぎ、剣を抜いて自らの胸に突き立てた。当然、左胸に彫ったレリア達の名は避けている。回復魔法で元通りになるとは聞いているが、少々心配だ。
剣の切っ先は背中から飛び出し、背と胸から血が溢れ出た。痛いだけで、命の危険はない。
「わっわわわ…」
「この通り死なぬ。やってみよ」
「え…でも、そんな傷じゃ…」
「すぐに治る」
俺はそう言い、胸から剣を抜いた。一瞬出血が強まったが、すぐに血は止まり、傷も塞がった。
飛び散った血を魔力に還元すると、すぐに辺りは綺麗になった。他人の血であればこうはいかぬな。
「こういう訳だ。撃ってみよ」
「分かり…ました。耐えてくださいよ」
「ああ。頼んだ」
リンはそう言い、魔短銃の穴が空いた方から、何やら流し込み、最後に礫を入れて、穴を俺の胸に向けた。ちょうど先ほど俺が剣を突き立てた辺りである。
リンが機巧部に指を掛け、指を引いた。すると、機巧部の装飾かと思っていた紋様が僅かに光る、耳を劈くような破裂音が響く、穴から礫が飛び出す、これらがほぼ同時に起こった。
「…わお」
リンの方にも衝撃があったようで、リンは腰を抜かして手に持った魔短銃を眺めた。その魔短銃からは、煙のように可視の魔力が溢れ出ている。
「なかなかだな。急所に当たれば即死だ」
「私も初めて撃ちました。あの、ちょっと着替えてきても?」
「ああ。驚いたのであれば仕方あるまい」
「漏らしてないですからねっ!」
リンはそう言い、魔短銃を机に置いて談話室を出ていった。前も思ったが、リンには失禁癖でもあるのだろうか。
俺は傷を片手で触りつつ、リンが置いていった魔短銃を手に取り、天眼を用いて観察する事にした。それと同時に、扉が勢いよく開き、抜刀したアキが飛び込んできた。
「旦那様、無事かっ!」
アキはそう言い、談話室内を見回した。だが、当然俺以外に誰かがいるはずもなく、その視線はすぐに俺に向いた。そして胸の傷を見て再び談話室内を見回した。
「…賊か?」
「いや、新しい武器だ。リンに試すよう命じた」
「アイツ…」
「もう一度言うが、俺が命じたのだ」
「そうだな。早いところ傷を塞げ」
「ああ。そうだな」
俺はそう言い、胸の傷を塞いだ。やはり飛び散った血も消える体というのは便利だな。
俺が傷を塞ぐ間、アキは刀を収め、魔短銃を手に取っていた。やはり新しい武器には興味があるのであろうか。
「これか?」
「ああ。礫を勢いよく射出し、敵を殺傷する武器だそうだ。威力は見ての通りだ」
「剣より強いか?」
「並の剣士では当たってから狙われていた事に…む」
「どうした?」
「胸の中に違和感がある。礫を残してしまったかもしれぬ。取り出してくれぬか?」
「任せておけ。ちょうど刀もある」
アキはそう言い、俺をゆっくり押し倒し、俺の胸を刀で裂いた。やはり血は溢れるが、アキは多少顔を顰めつつも躊躇いなく俺の胸に手を入れ、礫を探し始めた。体内は血で全てが赤いので、視覚は頼りにならぬようだな。
「戻りま…ひゃあっ!」
談話室の扉を開きながら、リンはそう言って再び腰を抜かした。リンはすぐ驚いてしまうな。いや、リンでなくても、妻が夫の胸を裂いて、血塗れになりながら胸に手を突っ込んでいれば驚いてしまうか。
「リン、勘違いするな。旦那様の中にある礫を取ってやってるだけだ」
「はい、分かってます。あの…着替えてきます」
リンはそう言いながら立ち上がり、再び自室に向かって歩いていった。確信したくはなかったが、やはりリンには失禁癖があるようだな。




