第525話
軍令部を辞した後、日が暮れていたので俺は騎士団本部にアキを迎えに寄り、屋敷に帰った。俺と同行して帝都に戻った将兵にも今日はなるべく早く休むよう命じたので、堂々と帰れる。
「サラ、レリアはどこに?」
俺は護拳湾刀やらを出迎えてくれた侍女に渡しながら、同じく出迎えてくれたサラにそう尋ねた。軍務上必要な帝都への帰還であるとはいえ、帝都に戻った以上はレリアに会いたい。
「大奥様は若様を連れ、領地に帰られました」
「…何と?」
「大奥様は若様とアンセルムのお屋敷に帰られました」
「…なにゆえ?」
「領主に接見を求める方々が数十名おられるそうで、シュヴェスター子爵閣下のご要望に従う形で、大旦那様の代理人として接見なさるため、アンセルムに帰られました」
「そうか。いつ帰る?」
「短期間に長距離の移動を繰り返すと若様のご負担になりますから、六月以降になると伺っております」
「そうか。承知した」
レリアが自ら決めた事であれば俺は文句は言わぬが、俺に接見を求めているのであれば、俺を呼び出すべきではなかろうか。まあ軍務が忙しいし、それ以外にもせねばならぬ事が多いから、アズラ卿が気遣ってくれたのであろうが、一言あっても良かったのではなかろうか。
アキは俺とサラが話している横を通り過ぎ、近くにいた侍女にテリハの居場所を聞き、去っていった。俺も早くテリハに会いたい。
「何か伝言でもなさいますか?」
「レリアには詫びと礼を。領主府には接見した者の一覧とその内容を纏め、リンに預けるよう伝えてくれ」
「トゥイードさんですか?」
「ああ。リンには俺から言っておこう。ところで、リンはどこに?」
「トゥイードさんは最近帰っておられません。騎士団本部に朝食と夕食、それから着替えを届けるよう頼まれて、半月ほどは帰っていません。会いませんでしたか?」
「見ておらぬな…まあ良い、承知した。では俺もテリハに会おう」
「こちらです」
サラはそう言い、アキが向かった方へ俺を先導した。
サラに案内されたのは、『テリハの部屋』とサヌスト語とヤマトワ語で書かれた部屋であった。このような表記のある部屋は俺が屋敷を発つ前にはなかったと思うが、わざわざ俺がおらぬ間に作ったのであろうか。
テリハの部屋に入ると、両手を広げるアキを目指し、テリハが床を這っていた。どうやら、ヤマトワから取り寄せたらしい畳を敷き、テリハが自由に動けるように家具を極限まで減らしたのが、テリハの部屋であるようだ。さらに、衛生面を気遣ってか、入口で靴を脱がねばならぬようである。
「テリハ、お父様…パパンだ。先ほど戻った」
俺は靴を脱ぎ、膝をついてテリハにそう言った。すると、テリハは目標をアキから俺に変え、こちらに這ってきた。可愛いな。
「旦那様、今はワタシの番だったろ」
「俺に文句を言うでない。俺はテリハに選ばれたのだ」
「おかしいな。聞いていた話と違うぞ」
「聞いていた話?」
「ああ、そうだ。子どもは大抵父親より母親を選ぶと聞いていたのに…嘘を吹き込まれたのか、このワタシが」
「それは人間に聞いた話であろう? アキもテリハも龍の子だ。生態に違いがあっても不思議ではあるまい」
「生態とか言うな」
アキはそう言いながら、テリハを背後から抱き上げ、身体を揺らし始めた。俺もテリハを抱きたかったが、別にアキの後でも構わぬか。
俺はアキの隣に座り、テリハの頬を触ろうと指を差し出した。すると、テリハは俺の指を両手で抱えて口元まで運んで咥え、吸い始めてしまった。今度おしゃぶりでも買ってやろう。
「…旦那様、今は皇帝陛下の奥方様は皇子を産むために荘園に籠ってるんだったな?」
「ああ。俺もフェリシア陛下を荘園までお送りした」
「皇子が産まれても、皇女が産まれても、テリハとアレクと同年代だ」
「まあ性別で年齢が変わるわけではないからな」
「そういう事を言ってるんじゃない。もし産まれたのが皇子だったら、テリハを政略結婚に差し出すのか? 皇女が産まれたら、アレクを差し出すのか?」
アキが改まって何を話し始めるのかと思ったが、俺が我が子を政略結婚に差し出すのかとは、随分と信頼がないではないか。以前にも似たような会話をしたような気がするが、その時から俺の答えは変わっておらぬ。
「否だ。本人が望むのであればともかく、俺がそれを命じる事はない」
「皇帝陛下から言われたらどうする?」
「テリハやアレクの意見を尊重し、それを皇帝陛下にお伝えする」
「神に命じられたら?」
「アキ、勘違いをしているようであるが、ヴォクラー神のお告げは命令ではない。いずれ至る最良の道をお教えくださるだけだ。事実、モレンクの血閥名は天界で賜った名だが、それを伝える前にエジット陛下からも同じ名を賜った」
「細かい事はいいが、神が言うなら、仮に言われてなくても結果は同じなんだな?」
「そういう認識で良かろう」
アレクやテリハが望むのであれば、その動機が忠誠心や信仰心であったとしても、俺は親としてでき得る最大の支援をするつもりである。むろん、これは結婚に限った話ではなく、我が子の人生全てについてである。
「それなら安心だ。じゃあもう一個。大人になったテリハが恋人を連れてきたとして、義息子として受け入れられるか?」
「相手によるだろう。だが、俺とアキの子が狂人を恋人にするはずがなかろうし、信ずるしかあるまい」
「じゃあ、恋人と別れたいけど別れられないとか相談されたら?」
「斬る。貴族であれ平民であれ、少数であれば消せる。その程度の権力はある」
「いきなり怖い事を言うな。だが、旦那様の愛は分かった」
「そうか」
テリハが悪人やらに騙されて、俺に助けを求めたら、例え相手が貴族であったとしても俺は怒りに任せて斬ってしまうだろう。その後は即刻の死刑が認められる適当な罪、例えば叛逆罪などを被せてしまえば、余程の相手でない限り宮内省も法務省も文句を言わぬだろう。いや、逆に反逆を未然に防いだ点を称えられるかもしれぬ。
その後、おヨウからテリハの近況を聞きつつ夕食を食べると、アキはそのまま寝ると言ってテリハの部屋に戻った。
俺はサラに言われ、執務室でリンを待った。どうやら、俺達の食事中に帰り、自室に食事を運ぶよう頼んで籠っているようだ。俺に渡すべき何かを探しているのであろうか。
「お待たせしました。ヴェンダール議官どのと、ミルデンバーガー副議長どの、それと私から報告があります」
「そうか。聞こう」
リンはヴェンダール夫人とミルデンバーガーを連れて入室し、俺の執務机の近くに椅子を持ってきて座った。
ちなみに、リンがミルデンバーガーを副議長と呼ぶのは、ミルデンバーガーが魔物討伐庁設置会議の副議長であるからである。当然であるが、議長は魔物討伐庁長官である俺である。
「それではヴェンダール議官どのからどうぞ」
「はい。私はシュヴェスター長官の指示を受け、モレンク血閥領の利益になるよう動いております。誤解をしていただきたくありませんが、モレンク血閥領の発展にはサヌスト帝国の発展が必要不可欠と考えておりますので、ご安心ください」
「ああ。それで、具体的には?」
「はい。来年以降の納税、騎士団を始めとする帝国諸官庁への資金や物品の提供などに関し、我々の有利になるよう法制化を進めております」
「…なるほど?」
「ロード様、これを見ながら聞いた方が分かりやすいですよ」
ヴェンダール夫人の説明不足を感じたのか、リンは俺に資料を渡し、ヴェンダール夫人の説明の解説を始めた。
まず、来年以降の納税についてであるが、今の制度ではモレンク領は現金で納める他ない。それも、他領とは比べ物にならぬ大金である。これを解消するため、モレンク領の特産品として魔法に関連する物による納税を財務省に認めさせたそうだ。
現物による納税は、当然であるが、納める特産品の評価額が現金による納税額と同等か上回っている必要である。この評価額は、いわゆる市場価格の八割程度が基準となるが、そもそも魔法に関する物は未だ市場に出回っておらぬので、これの制定を急がせているそうだ。
次に、帝国諸官庁に対する資金や物品の提供であるが、これも法制化がなされる事となった。
そもそも、俺が騎士団の予算では足りなさそうであると判断し、アズラ卿に寄附を頼んだのが始まりであるそうだ。勝手に寄附をし、帝国諸官庁この場合は帝国騎士団の私物化を図っているのではなかろうか、という疑いを晴らすための措置である。
まず、官吏の買収防止のため、官吏個人に対する提供は禁じられた。ただし、これは官吏の私生活まで制限はしておらぬので、官職にある者でも私人としてならば受け取れる。この穴は、別の法令で埋められるそうであるから、心配はいらぬそうだ。
組織に対してであるが、こちらは金額で対応を変える事となったそうだ。年間百オール未満の場合、財務省に対する通知だけで良い。次に、年間百オール以上の場合であるが、枢密院議長と財務大臣、その他の枢密院議官三名、合計五名の承認を得る必要がある。




