第511話
アニエス嬢の捜索魔法に従い、ムステーラ内を半日ほど歩くと、酒場の前でグラヴェロットの隊と出会った。どうやら、アニエス嬢が追う魔力の主も、グラヴェロットが追う魔力の主も、自らの意志であるかは別として、この酒場に来ていたようだ。
「ではダヌマルク宮廷魔術師と俺、フラウ金士、ヴァーグ下士で様子を見てくる。バンシロン銀士、さり気なく人払いをしつつ、この酒場を包囲せよ」
「さり気なく、ですか」
「ああ。二人が単なる客という可能性もあるし、わざわざ人払いをして魔物の巣でなければ面倒だ」
「承知しました」
俺はエヴラールに指揮を任せ、アキ達と共に酒場に入った。まだ夕方であるのに、半数ほどの席が埋まっている。
俺達は客の振りをして席に案内され、酒と食事を軽く頼んだ。包囲と人払いが終わるまでは、勘付かれぬ方が良い。
「なぜワタシ達が衛兵の真似事をせにゃならんのだ。こう見えても高級将校だぞ」
「文句を言うでない。それに、正確に言えば衛兵ではなく帝国憲兵の真似事だ」
「そんな事はどうでもいい」
「そうか」
アキは文句を言いつつ、届いた料理に手を付け始めた。アデレイドやアニエス嬢も、酒には手を付けずに料理を食べている。ちなみに、アデレイドには酒ではなく果実水を頼んだので、別にアデレイドは飲んでも構わぬ。
俺は二人が手を付けぬ酒を飲みつつ、天眼でエヴラール達の様子を窺った。
「そろそろ良さそうだ」
「よし。ワタシが先頭を行こう」
「任せた。ダヌマルク宮廷魔術師、魔力の痕跡はどうなっている?」
「カウンターの中に続いています」
「そうか。ではフラウ金士、ヴァーグ下士、ダヌマルク宮廷魔術師、俺の順に突入する。この時、フラウ金士は身分を明かして、一応は協力を要請せよ」
「分かった。武器は?」
「抜剣せよ。ダヌマルク宮廷魔術師は俺が守る。行くぞ」
俺はなるべく簡潔にそう説明し、机上の酒を飲み干した。
俺達は立ち上がり、アキを先頭に進んだ。ちなみに、帯剣程度の武装は普通の旅人でも珍しくないし、俺やアキ、アデレイドも武装しているとはいえ鎧までは纏っておらぬので、今のところ怪しまれてはおらぬはずである。
「サヌスト帝国軍帝国騎士団長親衛隊長アキ・フラウ・フォン・モレンクロード金級騎士だ。全員、両手を頭の後ろに回して動くな」
アキは店の中心でそう叫び、刀を抜いた。客は悲鳴を上げつつもアキの指示に従い、酒場の者も一応は従っている。なかなか強引だが、これが最も楽なやり方である。
「邪魔するぞ」
アキはそう言い、アニエス嬢の案内に従って扉を蹴破り、店の奥に入っていった。俺は常にアニエス嬢が剣の間合いの内側にいるよう気を付けながら、抜剣せず後を追った。
店の奥には地下に続く階段があり、その先は扉が閉まっているので見えぬが、アキに胸倉を掴まれた店主によれば、酒や備品などを保管する貯蔵室になっているそうだ。
「ダヌマルク宮廷魔術師、痕跡は?」
「地下に続いています」
「そうか。店主殿、おぬしに疚しいところが無ければ、客を連れて外に出て衛兵に保護を求めよ」
アニエス嬢に確かめて俺がそう言うと、アキが俺の目を見てから頷き、店主の胸倉から手を離した。店主はよろめきながら店の外に駆け出して行った。
「団長様、順番はこのままか?」
「ああ。今のところ、大きな気配は感じぬ」
「なるほど。アデレイド、行くぞ」
「はい!」
アデレイドは嬉しそうに返事をしてアキの隣に並び、階段を駆け下りて扉勢い良く開け、何やら叫びつつ中に駆け行った。
アニエス嬢の速度に合わせて二人を追いかけると、二人は貯蔵室内にいた数名を制圧した後であった。
「団長様、何人か逃げた。あっちに道がある」
「…強盗と勘違いされておらぬか?」
「いや、名乗った。返り血がついてる奴もいるし、酒場に必要ない物も転がってる。どうせ時代遅れの奴隷商だろ」
アキはそう言い、床に散乱した枷や鞭、鎖などを刀で指した。確かに、普通の酒場には必要なさそうな物である。まあ酒場に扮した特殊性癖用の娼館である可能性も皆無とは言えぬが、それならば娼婦の姿があっても良さそうなものであるのに、アキ達に制圧されているのは男ばかりである。
「では国務省奴隷解放政策本部強制執行部長官として、奴隷商を壊滅せしめねばならぬな。ダヌマルク宮廷魔術師、ヴァーグ下士、これは騎士団の任務であり、魔物討伐軍の任務ではない。それでも来るか?」
「魔術を以て皇帝陛下に仕えるべき宮廷魔術師が、皇帝陛下肝煎りの政策に協力しないなんてあり得ません。微力ですが、全力で協力します」
「ありがたい。ヴァーグ下士はどうする?」
「私も頑張ります」
「そうか、礼を言うぞ。ではダヌマルク宮廷魔術師、外にいるグラヴェロット宮廷魔術師見習いに連絡を取り、事情を伝えて衛兵を突入させよ」
「分かりました」
アニエス嬢とアデレイドも協力してくれるようであるし、グラヴェロットを通じてエヴラールと連絡を取り、外にいる部隊を突入させる事にした。念話が使える者が複数いると便利だな。
「すぐに突入するそうです」
「そうか。では我らは逃げた者を追う」
「そう伝えます」
「頼んだ。フラウ金士、道とは?」
「あっちにある。暗くて良く見えんが、結構長そうだぞ」
「そうか。では我らも駆けねばならぬな」
アキ達の突入と同時に逃げたと仮定すれば、かなり遠くまで逃げられているはずである。正直なところ、アデレイドやアニエス嬢の駆け足では追いつけぬような気がする。だが、念話の要員としてもそうだし、制圧されている男達も完全な捕縛ではないし、二人を連れていきたい。
「あの、早く出発しませんと、追いつけないのではないですか?」
「…ああ。承知している」
「団長様が言いにくいならワタシが言おう。二人の足が遅いから、追いつけないと思っている。違うか?」
「言葉を選ばずに言うなら、その通りだ。だが、戦力は少しでも多い方が良いから、連れていきたい」
「それならワタシが解決してやる。団長様が二人の足になればいい。二人分の体重が増えたところで、団長様が遅くならない。そうだろ?」
「確かにそうだが…」
アキの言う通り、俺は数人を背負った程度で大した負担にはならぬが、それはあくまで肉体的な話である。アデレイドはともかく、アニエス嬢は友人たるジュスト殿と好い関係にある。ジュスト殿に断りなく抱えても良いのか、と俺の躊躇いはそこにある。
「閣下、閣下がよろしければ、よろしくお願いします」
「私もお願いします」
「そうか。ではそうしよう」
本人の意志ならば、ジュスト殿も文句は言わぬだろう。いや、そもそもジュスト殿は軍務上必要な事であれば、別に咎めぬような気がする。最初からいらぬ心配であったようだな。
俺はアニエス嬢を背負い、アデレイドを左手で抱え、アキの言う逃げ道の入り口に来た。逃げ道となった地下道はかなり狭いが、通れぬ程ではない。
「私が明かりを」
アニエス嬢はそう言い、火魔法で熱を持たぬ火の球を作り出し、地下道を照らした。すると、アキが刀を前に突き出し、左手を壁に当て、駆け出した。俺も剣を抜き、アキを追った。
僅かに曲がっていたような気もするが、ほぼ直線に数百メルタを駆けると、扉があった。扉の向こうには数十人の気配があるが、そのうち八割ほどは弱っているようである。
「行くぞ」
「待て待て待て。二人とも、もう下ろしていいだろ」
「確かにそうだ。すまぬな、二人とも」
「いえ、私こそ助かりました」
「私もです」
「そうか。では行くか」
「ワタシが先頭だ。アデレイド、行くぞ」
アキはそう言うと扉を蹴破り、アデレイドと共に駆けていった。俺はアニエス嬢から離れぬよう、ゆっくり進んだ。
扉の先には、地下牢のようになっており、そこには弱っている八割の男女が囚われていた。やはり奴隷商かそれに類する組織によるものであったか。
「フラウ金士、ヴァーグ下士、抵抗された場合には殺傷を許可する。人質は我らに任せ、制圧を優先せよ」
俺は二人にそう伝え、アニエス嬢と二人で牢を壊して回った。だが、人質らは牢から出ようとせず、身を寄せ合って怯えたままである。
俺達が牢を壊している間、アキとアデレイドが奴隷商らを斬り、さらに物を倒したり、扉を壊したりして他の出入口を塞ぎ、逃げ場を無くした上で奴隷商を制圧していた。
「我らはサヌスト帝国軍だ。皇帝陛下によって禁じられている奴隷の売買あるいは所有を目的とした人攫いであると、我々はおぬしらを断定する。冤罪を主張するならば、大人しく指示に従え」
俺は俺達が入ってきた出入口に立ち、そう言った。しばらくすればエヴラール達が追って来るはずであるし、この出入口は塞がぬ方が良いだろう。
アニエス嬢の魔法も加わり、アキとアデレイドによる制圧もほとんど完了する頃、エヴラール達が到着した。帝国憲兵や衛兵を合わせ、増援は三十名程度いる。
「ダヌマルク宮廷魔術師、帝国憲兵隊本部から増援を寄越すよう伝えよ。敵が奴隷商であった事も伝え忘れるでないぞ」
「グラヴェロットに伝えればいいですか?」
「ああ。酒場から帝国憲兵隊本部はそう遠くないはずだ」
「確かにそうですね。連絡します」
俺は敢えて帝国憲兵らの前でアニエス嬢にそう言った。
あまり大声で咎めるべきではないが、この辺りの奴隷解放は奴隷解放政策本部強制執行部副長官に任じたフォーサイス将軍の担当であるはずである。帰ったら事情を聞こう。
その後、到着した現地部隊幹部に引き継ぎ、俺達は迎賓館に戻った。相手が人間ならば、第三防衛軍の管轄であるゆえ、俺が指揮を執る必要はない。




