第502話
翌朝。日が昇らぬうちにドリュケール城を発った俺達は採草地、具体的にはグラシーディ州エルブ県のフォーリャ村の採草地に、夕方頃到着した。
とりあえず、採草地を囲む部隊を率いるニコラ・フォン・ケール銅級騎士、グラシーディ州令府農商部のジャン・レノア獣害対策官と会った。
「モレンクロード大将軍だ。状況は?」
「は。どこからか仲間を呼び寄せたようで、十匹以上が屯しています。群れたためか、個体差によるものか、狂暴化する個体が見られましたので、現在は魔物の目に触れないよう日に十頭の家畜を与えています」
「そうか。ではこの場は我らに任せてもらおう。指示するまで包囲を解くでないぞ」
「は」
ケール銅士の策は正しいように思うが、それは実際に見てみるまでは分からぬだろう。
それに、家畜とは具体的に何を指すのか知らぬが、毎日十頭も与えていては、金銭的な負担が大きくなるばかりである。グラシーディ州は帝室直轄領であるゆえ、他領より財政的な余裕はあるが、それにも限度がある。
俺はとりあえず、ハイン銅士に偵察を命じた。実際の数や凶暴性などを知っておかねば、いらぬ被害が出かねぬ。僅か二十騎の我らは一騎でも失えば、かなりの痛手であるから、多少は慎重になるべきなのだ。
ハイン銅士の偵察中、グラシーディ州から物資の提供を受けて設置した本陣で、周辺の詳細な地図や魔物調査局が編纂した魔物図鑑などを用いて、ある程度の策を立て始めた。
ちなみに、魔物調査局が編纂中の魔物図鑑は、アンドレアス王の時代以前に一般に出現した魔物を、資料にある限り纏めてあるので、これに載っている魔物ならば対処法は確立されているはずである。まあ当然ながら、発見できた資料しか持たぬ訳であるから、もしかすると魔物全体の一割以下しか纏められておらぬ可能性も充分にあるし、おそらくそちらの可能性の方が高い。
ハイン銅士が戻ると、魔物図鑑で敵の正体を調べさせた。それによれば、魔物の正体はトロールとやらいう魔物であった。
トロールは、北方支部の情報通り二足歩行で背丈は三メルタほど、単純な打撃武器を好んで用いる魔物である。
魔王軍の兵卒として運用が可能な最低限度の知能はあり、単純な言葉ならば解するが、自らが発する事は体の構造上できぬようだ。個体差はあるが、基本的に高い再生能力を持ち、さらにその体格による怪力などから、重装歩兵のような運用をされていたそうだ。
弱点としては、人間であれば心臓がある位置に核となる魔石があり、これを破壊すれば確実だが、皮膚や筋肉が厚く、現状の装備では不可能に近い。他には、魔法攻撃による傷の再生には刃傷の再生以上に魔力を消費し、さらに負傷の程度によっては再生に集中するために動きが鈍る点も弱点として挙げられる。これらの弱点から、魔法攻撃の後、動きの鈍ったトロールの胸部を魔闘法で突き、魔石を破壊するのが定法だそうだ。
ハイン銅士の偵察では、トロールは十二匹おり、隕石孔のような巨大な穴で寛いでいるようだ。
「フラウ金士、ダヌマルク宮廷魔術師殿、グラヴェロット宮廷魔術師見習い殿が三方から同時に魔法攻撃を行う。その後、トロールの動きが鈍ったところを、魔闘法を習得した白兵が攻撃する。ただし、白兵は一撃を加えた後、ただちに離脱せよ。その後、生き残りがいれば、これを繰り返す」
「閣下、白兵とは具体的に誰ですか」
「安心せよ、マフムード金士。おぬしは俺の近くで記録係だ。白兵であるが、魔闘法を習得している者は申し出よ」
俺がそう言うと、エヴラールの他、騎士団の九名、諸種兵団の四名が手を挙げた。オンドラークはできぬと知っていたし、宮廷魔術師の二人と参事官のマフムード金士ができぬのは察していたが、それ以外の全員が習得しているようだ。
「では、フラウ金士にはヴァーグ下士、ダヌマルク宮廷魔術師殿にはオンドラーク上士、グラヴェロット宮廷魔術師見習い殿にはシッパー中士を付ける。それ以外の白兵十二名は、バンシロン銀士、ガレタ銀士、チア銀士の隊に分かれ、トロールを包囲、攻撃に備えよ」
「私は閣下のお傍で記録を…」
「そう言っているだろう。行くぞ」
俺はマフムード金士にそう言い、幕舎を出た。少々諄いな。
今回、俺は全体の指揮を執るため、討伐には加わらぬ。劣勢となれば参戦せぬ訳にはいかぬが、基本的には指揮に徹する。
準備を整え、本陣を出た俺達は、採草地へ向かった。俺は初めから採草地に設置されていたフォーリャ村の監視塔から指揮を執る。この監視塔は木を組んで鐘を取り付けただけの簡易的なものだが、指揮を執るには充分である。
既に日は暮れ、各隊が松明を持つので、姿が見えずとも位置を把握できる。まあ俺は元々夜目が利くので、松明などなくとも位置は把握できるのだが、監視塔には俺とマフムード金士の他、現地将校や州令府の役人などが見学に来ているので、彼らを気遣わねばならぬのだ。今回の作戦は討伐だけを目的にしておらず、現地部隊への教導も兼ねているので、見学者がおらねば意味がない。
各隊から準備完了の合図があったので、俺は鐘を一度鳴らした。
この鐘を合図に五十を数え、再び俺が鐘を鳴らすと、アキと宮廷魔術師の二人が最大火力の魔法を、隕石孔に向けて放つ手筈となっている。鐘を鳴らしてから五十を数えるのは、宮廷魔術師の二人が魔法を放つ準備をするためである。
鐘の音に反応したトロールの一匹が隕石孔から顔を出したが、松明の火を何とも思わなかったのか、しばらく周囲を見渡して隕石孔に戻っていった。知能が低すぎるのではなかろうか。
五十を数えた俺は、再び鐘を鳴らした。すると、三箇所から魔法が放たれた。
アニエス嬢を配置した箇所からは巨大な火の玉が射出され、隕石孔内に着弾し、周囲の草に引火し、慌てふためくトロールらを照らした。
グラヴェロットを配置した箇所からは巨大な岩石が射出され、アキを配置した箇所から迸った雷光によって砕かれ、トロールらを破片が襲った。
俺は魔法攻撃が途切れた事を確認し、鐘を連続して鳴らした。これは白兵の攻撃の合図である。
「ケール銅士、悪いが消火の用意を」
「魔法の火も普通の水で消えますか?」
「ああ。着火は魔法でも、火は火だ」
「は」
ケール銅士にそう命じると、ケール銅士は監視塔から降りずに下にいる兵士に大声で水を用意するよう言った。
隕石孔に視線を戻すと、既に白兵は攻撃を終えて隕石孔を包囲していた。天眼で確認すると、弱ってはいるものの、半数程度のトロールが生きていた。だが、負傷度合と魔力の消費具合から察するに、放置していたら動けぬまま死ぬだろう。
「討伐完了だ。瀕死の個体もいるが、もう動けまい」
「閣下、何があるか分かりません。殺しておきましょう」
「そうか。金士がそう言うならそうしよう」
マフムード金士が文句を言っては面倒なので、マフムード金士の言う通り、鐘を鳴らして魔法を撃たせた。魔法攻撃で全てのトロールが死滅したようであるから、白兵の攻撃はさせなかった。
俺は見物人を連れて監視塔を降り、隕石孔に向かった。それを見て討伐完了を察したのか、巡察隊の面々も集まってきた。
隕石孔内部では、傷だらけのトロールの死体が折り重なっていた。
「レノア卿、魔物の死体を腐らぬよう処理し、帝都の騎士団本部まで運んでくれぬか」
「畏まりました。グラシーディ州として請け負います」
「頼んだ。輸送費は騎士団が負担する。到着後に請求してくれ」
「助かります」
魔物の死体は全て研究に回す事になっているが、巡察隊から輸送人員を出していたら、すぐに隊が消えてしまうので、現地で依頼するしかない。
その後、燃え広がらぬうちに消火したり、トロールの死体を隕石孔から回収したり、後処理を手伝った後、日が昇るまでを一時的な休息とした。本来であれば、既にドリュケール城に向けて移動しているはずであるが、徒士官や文官、さらに子供もいるので、短くとも休憩せねばならぬ。




