第441話
会議が終わって帰邸後、レリア達と夕食を食べるため食堂に向かうと、途中でローラン殿に呼び止められ、レリアの指示であると言われて談話室に連れ込まれた。すると、アデレイドが待っていた。
「何用ですか」
「皇帝陛下のご指示だ、俺達の家名を考えろ」
「ここに一覧があります。これが古代サヌスト風の家名、これがクィーズス風、これがテイルスト風、これがノヴァーク風です」
俺はそう言い、家名の一覧がある書物を机の上に出した。名付けを求める家臣に与えた名に印をつけたものとは別のものである。
「アデレイド、実母はノヴァーク人と言ったな」
「はい、父からはそう聞いています」
「じゃあノヴァーク風の家名にしよう。ジル君、それでいいな?」
「ええ。ローラン殿のお好きになさればよろしかろうぞ」
「アデレイド、好きに選べ。最終的には俺が判断してやる」
「ありがとうございます、おじさま」
アデレイドはそう言い、ノヴァーク風家名一覧の頁を捲り始めた。
字は読めるのか。まあ仮にも武家貴族の娘であるゆえ、その程度の教育は受けているか。いや、あの偏食の提督の事であるから、教育など受けさせておらぬかもしれぬな。いずれにしても推測の域は出ぬゆえ、考える必要などないか。
「ヴァーグ、はどうでしょうか」
「ローラン・フォン・ヴァーグ、アデレイド・フォン・ヴァーグ。どうだ、ジル君」
「違和感はありませぬな。ヴァーグ二等帝国騎士、ヴァーグ将軍、そう呼ばれるのはローラン殿ご自身です。どうです?」
「そのうち慣れるだろ」
「でしょうな」
ローラン殿はヴァーグを家名に定め、華冑院に提出を命じられた書類を作り始めた。
他人の将来に口を挟むべきではなかろうが、アデレイドが結婚して子を生すか、あるいは養子を迎えるかせねば、その時点でヴァーグ二等帝国騎士家は断絶である。まあ数十年以上は先の事であるから、今から心配する必要はなかろう。
「そういえば、俺は将軍に就任してると言ったな」
「ええ。ローラン殿のような有能な方を…」
「世辞はいい。どうせ無職嫌いなだけだろう」
「ええ、まあ。ご実家からの催促がありました」
「長兄か。ま、なってしまったのは仕方ない、有能な後任に継ぐまでは全力を尽くそう。俺が聞きたいのは制度だ。将官府とやら言うのは何だ。初めて聞いた言葉だ」
確かに、新しい制度は慣れるまで時を要する。俺の理解では、将官府は将官自身と進退を共にする組織である。まあ細かく言えば違うだろうが、概ねその認識であっておろうから、ローラン殿にも分かりやすく言おう。
「将官の補助機関です。将官の異動があれば、将官府も連動し、同様に異動します。むろん、部隊運営に支障を来してはなりませぬゆえ、部隊にも幕僚機関を設置せねばなりませぬが…おそらく既に設置されているでしょうな」
「俺がおらずとも、部隊運営に支障がないなら、俺がいる必要はないな。辞職しよう」
「なりませぬ。ローラン殿、よく考えてください。ローラン殿は一切の費用を要する事なく、自由に動かせる部隊を賜るのです。それも一万名規模です」
「忙しくなるだけじゃないか」
「どうでしょうか。現状、諸種兵団には任務がありませぬ。文字通り自由にできる部隊です。せめて一年だけでもお願いします」
「仕方ないな。アレクが五歳になるまで続けてやる。それ以降は何も言えん」
「承知いたしました。それでは、お願いします」
アレクが五歳になるまで軍務に就いてくれるのであれば充分だ。あと五年もすれば、ローラン殿も退役してもおかしくない年齢であるゆえ、軍令部も後任を用意するだろう。
「あの、ご当主さま」
「ご当主さま?」
「ジル君が公爵だけじゃなく伯爵や帝国騎士に叙されたと言ったら悩んでいた」
「いけませんか」
「ああ。ヴァーグ二等帝国騎士家は、モレンク血閥に属しておらぬ。それゆえ、おぬしのご当主さまはローラン殿だ」
「では、何とお呼びすればいいですか?」
「好きに呼ぶが良かろう」
「子ども相手にそれはダメだな。『おっさん』とか呼ばれてみろ。相手は侮辱しようと思って言ってないから、余計に傷つくぞ」
「ローラン殿と違い、私はおっさんではありませぬ」
「お前な…子供からしたら、大人はおじさんとおばさんしかいないんだ。だからな、俺が決めてやる。ジル君の事は、兄さんと呼べ。俺が十歳以上の男子を養子に取った時に備えて、ジル兄さんと呼んでもいい」
「兄さん…」
「そういえば、レリアの事は何と呼んでいるのです?」
「可愛い可愛いご令閨と呼ばせたいんだがな」
「あの、ほんとはお姉さまと呼んでいます」
「そうか。ならば兄姉でちょうど良いな」
レリアを姉と呼ぶなら、俺の事は兄と呼んでくれて構わぬのに悩んでいたのか。真面目であるな。
ちなみに、俺とアデレイドの関係であるが、俺の義理の叔父であるローラン殿の養女であるから、義理が二回つく従兄妹の関係である。まあ義理であるかどうかなど気の持ちようであるし、俺としてはアデレイドは庇護対象である事に変わりはないので、関係性などどうでも良い。
「それで、あの、兄さん、質問してもいいですか?」
「ああ。答えられる事であれば答えよう」
「ありがとうございます。アキさんに、将官府の将官隊だったら誰でも入れると聞いたんですが、本当ですか?」
「ああ。その場合は軍属の扱いだ」
「それじゃあ、あの、おじさま。おじさまの将官隊に入れてください。お願いします」
アデレイドはそう言い、ローラン殿に頭を下げた。アデレイドは以前から軍に入りたがっていたし、何か憧れでもあるのかもしれぬ。俺も、アデレイドの希望を受けて女性兵の導入に向けて励んでいる。
「アデレイド、お前はまだ八歳だ」
「九歳です」
「いつから?」
「今年からです」
「誕生日は?」
「三月…くらい? です」
「よし、それなら来年の四月まで俺の下にいろ。それ以降は、ジル君が制度を変えてくれるから、正式な武官になれ。もちろん自分の力で、だ。いいな?」
「分かりました。兄さん、よろしくお願いします」
「…承知した」
来年の四月といえば、半年後である。それまでにどうにか制度を変えねばならぬようだな。変えられなければ、ローラン殿には秘密にして、俺の将官隊で面倒を見よう。
「じゃ、明日から忙しいみたいだし、レリアたんにお休みのキスをしてから俺は寝る」
「ローラン殿っ!」
「冗談だろ…そんな殺気…いや、そもそも抜剣するな」
「寝室までお送りします」
ローラン殿の言葉に、つい抜剣してしまったが、確かにアデレイドの前ですべき行動ではなかった。だが、ローラン殿の場合は冗談とも言い切れぬので、俺の対応を間違いであったと断ずる事はできぬ。いや、間違いではなかろう。
ローラン殿とアデレイドをそれぞれの寝室に送り、食堂に行くと、片付けをしている侍女にレリア達は居間に行ったと聞いたので、居間に来た。すると、それぞれ子を抱いて安楽椅子で眠っていた。
「お起こしします」
「起こすでないぞ。俺が寝室まで連れていく」
サラがレリア達を起こそうとしたが、俺は止めた。母とは疲れるものであると聞くので、二人には休めるときに休んでいてもらいたい。いや、二人が母でなくても、二人には休めるときに休んでもらいたい、という方が正確だな。
俺は二人を寝室まで運び、近くにレリアが座っていた安楽椅子を置いて四人を見守る事にした。寝顔を見ているだけでも幸せである。
俺も眠ってしまっては、ローラン殿の襲撃があった時、寝惚けてローラン殿を斬りかねぬ。俺も叔父を斬りたくないし、朝から死体を見せるのも四人に悪い。




