第435話
エジット陛下と並んで帰路につき、ゆっくり進んでいると、遠くで護衛に励む近衛兵が騒がしくなった。
屋敷を視界に収めるまで分からなかったが、どうやら騒ぎの原因は俺の屋敷にあるようだ。従卒の二人やアガフォノワら黒甲兵が正門付近に集まり、何やら話している。
「…ロード大将軍閣下、あれは何の騒ぎですかな?」
「陛下、少々お待ちください。確認して参ります」
「ああ、うん。気を付けて」
「は」
サヴォイア将軍に言われ、俺はエヴラールのみを連れて屋敷へ駆けた。危険性の有無を調べるのだから、さすがにリンを連れて行くわけにはいかぬ。
「何事か」
俺は正門付近まで駆け、手綱を引きながらそう問うた。すると、俺を俺と認識する前に抜剣した黒甲兵がアガフォノワに殴られた。別に俺が咎めておらぬのだから、罰を与えずとも良かろうに。
「怪しげな女を捕らえました。今は轡を嵌めて、あちらに」
そう言ってアガフォノワは、幾日か前にグリーン副将軍らと昼食を共にした四阿を指さした。四阿の周囲は五名の黒甲兵が囲み、その内でアヌーク・サンド大尉が怪しげな女とやらと相対していた。ちなみに、サンド大尉とはアガフォノワがどこからか連れてきた女傑であり、大尉とは黒甲と白甲のみで使われる階級で中隊長級の将校を指すが、サンド大尉はアガフォノワの副官である。
「怪しげな女とは?」
「閣下の妹を名乗る不届き者です。ご命令があれば、処分いたします」
「妹? 会おう」
俺の実妹はルカのみであるが、義妹を含めれば、イリナやユキ、ナナさんも含まれるので、単に妹と名乗った場合にはルカと断定できぬ。だが、アガフォノワはルカやユキの顔を知っているし、ナナさんは俺の妹ではなく俺の弟の妻と名乗るだろうし、イリナはレリアの慶事休養に同行しているし、という事は捕らえられたのは俺の妹ではなかろうから、確かに怪しげな女である。
「充分な警戒を」
「ああ」
俺はエヴラールにヌーヴェルを預け、警戒するアガフォノワを連れて四阿に向かった。すると、四阿に捕らわれていたのはイリナであった。イリナはレリアの慶事休養に同行しているはずであるが、まさかレリアの身に何かあったのであろうか。そうでないと信じたいが、そうでなければイリナがここにいる理由が分からぬ。
「サンド大尉、解放せよ。我が義妹だ」
「…!」
「ははっ」
サンド大尉は驚くアガフォノワを横目に、イリナの轡を外し、その身を縛る縄を解いた。アガフォノワに言うべき事はあるが、後で良い。
「イリナ、すまぬ。新参者ゆえ、おぬしの顔を知らぬのだ」
「いいんです、お義兄さん。そんなことより…」
「少々待て。エヴラール、アガフォノワ、皆に知らせよ」
「御意」
イリナが重要な事を言いそうであったので、俺はエヴラールとアガフォノワ、黒甲兵を遠ざけた。陛下には失礼であるが、誰かが適当な部屋に案内して時間を稼いでくれるだろう。
イリナがここにいる事情は、おそらくレリアに関するものであろう。あまり大きな声で話されては人払いを済ませた意味がないので、俺はイリナの隣に座った。
「それで、おぬしはなぜここに?」
「お姉ちゃんが…」
「レリアが…?」
「元気な子を生みましたよ」
「…」
レリアは俺との子を産んでくれたようであるが、であればイリナがここにいる訳が分からぬ。慶事休養中は病魔の侵入を防ぐため人の出入りを一切禁じているし、レリアの慶事休養が終わるのはリンの計算によれば十一月頃であるから、ここにイリナがいる意味が分からぬ。考えたくないが、レリアか赤子の身に何かあったのであろうか。そういえば、イリナは元気な子を生んだと言っただけで、その後については語っておらぬ。それこそ悍ましい考えであるが、慶事休養を終える理由は、赤子の首が座る以外にもあるのだ。
「あれ? 喜ばないんですか?」
「二人とも…健康であろうな?」
「母子ともに超健康ですよ。ていうか、成長が早すぎて逆に怖いですよ。ミーシャちゃん、あ、アルテミシアちゃんがいたでしょ? ミーシャ、ミーシャって、超懐いてて、私もお姉ちゃんも妬いちゃって、困っちゃいますよね」
「成長が早いのか。それで…」
「あ、もしかして、二人が無事じゃないと勘違いさせちゃいました?」
「ああ。十一月頃と思っていたゆえ」
「あ、その事なんですけどね、明日、暇ですよね?」
「いや、明日は会議があるのだが…」
「ジル卿、申し訳ないけど途中から話は聞かせてもらった」
明日の予定をイリナに説明していると、いつの間にか背後に立ったエジット陛下がそう言った。普段であれば気づくが、レリアの話をして気が抜けていたようである。
「国王陛下!」
「イリナ、皇帝陛下だ。申し訳ございませぬ、陛下。後で説明しておきますゆえ」
「慶事休養に同行していたなら仕方ないさ。さて、皇帝として、大元帥として、ロード公爵大将軍に三日間の休暇を命じる。偉業をなした夫人を存分に労って差し上げなさい。十四日の朝、エギエネス侯と来るから、テリハ嬢にもその時に会わせてもらおう。それじゃ、サヴォイア、帰ろう」
「御意」
陛下はそう言い、サヴォイア将軍らを連れ、止める間もなく帰っていった。
屋敷に招いたのに、目的を果たさぬまま帰してしまうとは、さすがに無礼が過ぎるかもしれぬ。まあ三日間の休暇を命じられたのであれば、これに従わざるを得ぬし、今この瞬間に休暇が始まったとすれば、追う必要もない…のか?
「イリナ、何から説明すべきであろうか」
「起きた順に話してください。浮気なんかもそうですが、相手を騙そうとしている人には時系列に話すよう求めるのが最善なんですって。お願いしますね?」
「俺が騙そうとしていると?」
「そんなこと言ってませんよ。騙されてるな、と少しでも感じたら、時系列に話してもらって、その後に逆順で話してもらうといいんですって。豆知識ですよ、気にしないでください」
「そうか。であれば、あれはレリアが慶事休養を始めた幾日か後の事である」
俺はそう言い、明かしてはならぬ秘密を除き、全てを話した。旧三王国の旅路、エジット陛下の婚姻、俺の教皇就任、お告げを賜った事、王国から帝国への改称、家名制度を含む諸制度の改革、それらに伴う叙爵、クィーズス・テイルスト・ノヴァークの併呑、帝国軍大将軍への叙任、帝国軍の再編、リアン殿の婚約、そしてテリハの誕生について。
全てを話し終える頃には、陽も完全に暮れ、洋灯と夕食が運ばれていた。
「はえー、さっすがお義兄さんですね。何より、叔父さんを将軍に任命してくださったのが、私は一番ありがたいです」
「そうか」
「それに、兄さんの結婚まで面倒見てもらって、何だかお世話になりっぱなしですね」
「いや、そうでもない。ところで、俺はレリアといつ会えるのだ?」
「あ、その事ですけどね、馬車を五台用意して、日の出と共に荘園に迎えに行ってください。馬車のうち一台は、赤ちゃんが乗りますから、できるだけ快適な馬車をお願いしますね」
「そういえば、それどころでなくて聞き忘れていたが、我が子の名は? 男児か、女児か?」
「私の口からは言えません。お姉ちゃんから聞いてください」
「そうか」
「それで、明日の準備ですけどね、全部は覚えられなかったので、叔父さんに書いてもらいました。これに従ってくださいね。じゃあ、明日も早いので私は休ませてもらいます」
「承知した」
イリナはそう言って俺に書付を渡し、控えていた侍女と共に屋敷に入っていった。
俺も控えていたヴァイヤンを伴って屋敷に戻ると、玄関にあるソファーでテリハを抱いたアキが寝ていた。こんなところで寝ていては、アキはともかくテリハが風邪をひいてしまうのではなかろうか。
「アキ、起きよ」
「旦那様、いつだったか、ワタシは誤報を許さんと言ったな?」
アキは眠っていなかったようで、俺の問いかけにすぐ反応した。むろん、テリハは気持ちよさそうに眠ったままである。
「言ったか?」
「言った。陛下が来ると聞いて、ワタシなりに準備をして、ワタシなりに緊張してたんだぞ。旦那様の口から直接言い訳を聞いてやる」
「イリナが戻った。明日、レリアの慶事休養が明けるゆえ、俺が迎えに行く。それを聞いた陛下が、三日間の休暇をくださった。テリハのお披露目は十四日朝、レリアの子と共に、再びお越しいただく事となった」
「そうか、姫が帰ってくるのか。じゃあ、アンセルムから人を呼んだ方がいいんじゃないか?」
「それもそうだ。明日の準備と併せて手配しておこう。それより、おぬしも寝室で休んだ方が良かろう」
「動けん。テリハを起こさんように、ワタシを寝室に運べ」
「承知した」
俺はアキを抱き抱え、幾度か口づけしながら寝室まで運び、ベッドに寝かし、俺も隣に寝転んだ。
その後、アキが眠るまで言葉を交わし、二人を起こさぬようベッドから出た俺は、書付の通りに準備するようムレイに命じ、エヴラールとリンに明日以降の事を任せ、ヴァイヤンにレリアと我が子を受け入れる準備を命じた。




