第422話
研究所建設予定地を後にした俺達は、同じく郊外にあるモレンクロード学園の視察に向かった。
学園の建物は八割方完成しており、今は新たに設立が決まった軍学校の校舎や宿舎の建設が始まり、こちらに全力を注いでいるそうだ。
馬車が停まると、アズラ卿とオークランスが出迎えてくれた。
「お待ちしておりました、ロード公」
「アズラ卿、畏まらずともよろしかろうぞ」
「そうですかね。それじゃあ、案内して差し上げますよ、ジルさん」
俺達はアズラ卿の案内で学園の建物を巡ることになった。アガフォノワは俺達の後方で、オークランスと何やら話している。師弟として話すべき事でもあるのだろう。
校舎は赤煉瓦の二階建てであり、ほとんど完成している。ただし、机や椅子など家具は一切届いておらぬそうだ。ダルク商会に発注し、今月中には届き始めるそうであるから、心配する必要はなかろう。
軍学校を除き、最大五千名が充分に学べる規模の校舎があり、それぞれが学ぶのに必要な教材の保管庫や農地などの土地は、充分以上に確保してあるそうだ。
宿舎は、一般生徒用に、五名程度が共同生活を営める、二階建ての丸太小屋を千戸、校舎を囲むように建てたそうだ。丸太小屋は、居間や台所などの共同空間に加え、五つの個室が用意されている。
宿舎は二十戸程度で一区画とし、区画ごとにダルク商会が日用品のみを売る店を出す。農学系の生徒が作った食物などもここで売られる。学園内での売買に関しては、学園内でのみ使える独自通貨『レルネン』を発行し、それ以外での売買を一切禁じ、さらに学園内への現金持ち込みは禁止するそうだ。
教師用の宿舎は、校舎の近くに、煉瓦造りの建物が建ててある。これは一人用だが、例えば家族との同居を望む教師がいる場合には、増築したり、学園敷地外での居住を認めるそうだ。
「独自通貨はどこで貰える? まさか、配らんという訳じゃないだろう?」
「月に一度、成績に応じて配布するつもりです。もちろん、アキさんが欲しければ、いくらでも差し上げますよ」
「記念に一つずつもらっておきたいな。どんな感じだ?」
「紙幣です。魔法技術研究室に開発を依頼しています。開校までには生産まで完了する見込みですね」
「紙幣か…知ってるか、アズラ卿。旦那様はヤマトワで紙幣を見たとき、ワタシが騙されてると勘違いした」
「紙幣を知らない人は驚きますよ。紙切れで取り引きするなんて、いくらでも偽装できそうですからね」
「ヤマトワの紙幣は魔法で管理されてるから、贋物は作れない。それに、作ろうと思って材料を買った時点で、関係者は全員死刑だ。関係者というのはつまりだな、作ろうとした本人、材料を売った商人、その家族、部下、計画を知りつつも黙っていたやつ、だ」
「学園ではそんなに厳しくしませんよ。せいぜい、作った本人と同室の生徒を永久追放にするくらいですかね。尤も、真面目に勉強してたら贋札を作ってる暇なんてないでしょうけど」
「それもそうだな」
アキとアズラ卿は紙幣について、それなりの議論を交わした。
ヤマトワでは紙幣が発行されているので、アキが紙幣に詳しいのは分かるが、なぜアズラ卿まで詳しいのであろうか。サヌストでは紙幣が導入された歴史など残っておらぬし、そもそもヤマトワ以外で紙幣を導入している国など俺は知らぬ。記録に残っておらぬだけで、アンドレアス王の時代に計画されていたのかもしれぬな。
「ロード様、サヌスト帝国全体でも紙幣を導入したらどうですか?」
「リン、俺は武官であるぞ。財務省への命令権などない」
「それでも、枢密院議官でしょう? 提言だけでもしてみたらどうです?」
「ああ。だが、理由は?」
「流通してるクィーズス硬貨やテイルスト硬貨を回収して、サヌスト硬貨に作り直すより、兌換紙幣を流通させた方が手間が少ないと思います。もちろん、正貨はサヌスト硬貨で、他の硬貨は正貨の何割、あるいは何倍の価値があるだけの、いわゆる地金型金貨みたいな扱いにしたら、通貨としての役割は段々となくなっていくと思いますよ。あ、もしかすると、地域通貨みたいに残るかもしれませんね。サヌストにも、地域通貨がある領地もあるみたいですし、法的には問題ないですよね?」
「おい、リン。旦那様に難しい話をするな。頭が割れたらどうしてくれるのだ?」
「…頭は割れぬが、リン、案があるならば、上申書に纏めよ。俺が確認した後ではあるが、財務大臣に渡してやろう。暇な時に書けば良い」
「…分かりました。十日までには仕上げます」
「ああ。無理はするでないぞ」
「はい」
突然訳の分からぬ事を言い始めて混乱したが、そもそも俺はリンの知識を求めて部下にしたのであるから、本来の職務を全うしているだけである。主君として、上官として情けない話ではあるが、俺がリンの桎梏になっているのかもしれぬな。
「さてさて、帝国全体の経済は財務省に任せるとして、ジルさん、ひとつだけお願いがあるんですけど、いいいですか?」
「ええ。アズラ卿の頼みという事は、有用な事でしょう?」
「信頼してくれてありがとうございます。ジルさんとレリアさん、アキさんの肖像画を、レルネン紙幣に使っていいですか?」
「私は構いませぬ。ただ、レリアとアキに関しては、本人に確認せねば確約できませぬ」
「ワタシは一番安い札でいい。あとは姫に確認するだけだな」
「レリアさんには私から聞いてみますね。ジルさん、レリアさんの慶事休養って、いつ頃までですか?」
「計算しますので、少々お待ちを…」
レリアが荘園に行ったのは、確か去年の九月二十四日であった。妊娠期間は受胎から二百七十日弱であるから、まあ九か月半とする。ローラン殿は『赤子の首が座るまで』と言っていたから、三か月か四か月程度であろう。それから計算すれば…
「リン、去年の九月二十四日の、九か月半後の、さらに四ヶ月後はいつだ?」
「え、いきなり…今年の十一月くらいですかね?」
「アズラ卿、今年の十一月頃です」
「結構遅いですね…しかも、これより遅れる可能性もある訳ですから…」
俺とレリアの子であるから、意外と早く首が座るかもしれぬが、早めを言って遅かったら申し訳ない。
それにしても、レリアと十一月まで会えぬのか。去年もレリアの誕生日を祝えなかったが、今年も祝えぬのか。それに、まだ正式な結婚式を挙げておらぬので、これも早くしたい。アキも、第一夫人より早くすべきではないと思っているようで、なかなか話さぬ。
「ちなみに、開校はいつ頃を予定しているのです?」
「来年の四月ですかね。年末年始の忙しさが過ぎ去って、落ち着いた頃ですね。ケッセル卿と相談の上で決めました」
「ケッセル卿…?」
「ティルザ・ファン・ケッセル、白蓮隊五番隊員だそうです。理事として運営を手伝ってくれてますよ」
「そうですか…今日はおらぬので?」
「教師を探しに行くついでに、生徒の募集もしてくれてます。あ、領民に限り、学費は無料という方向で募集してますけど、それでいいですよね?」
「ええ。以前にも言ったかもしれませぬが、アルテミシアの枠だけ残しておいていただきたい」
「お世話になってるお礼ですよね? 聞きましたよ」
「そうでしたか。では良かった」
さすがに初年から五千人も生徒が集まるとは思わぬが、万が一ということもある。レリアの前でした約束であるし、そもそも礼をしたいと言い出したのは俺であるゆえ、違える事はできぬ。
「さて、総隊長。そろそろ次に行きましょう」
「次?」
「はい。家族サービスのお時間です。どうぞ、ご帰邸ください」
「おい、変な言い方をするな。家族サービスだと? ふざけるな。ワタシ達はサービスされるような関係じゃない。アガフォノワ、罰を与えてやる。今日から三日間、お前は不寝番だ。もちろん昼間も働け」
「申し訳ありません。勉強不足で適切なサヌスト語が浮かびませんでした。以後、失礼がないようサヌスト語について学びたいと思います」
「反省してるなら減刑してやる。不寝番は今日だけだ。旦那様、帰ろう」
「ああ。家族サービスだ」
「ばか。行くぞ」
俺はアキに手を引かれ、アズラ卿に挨拶できぬまま馬車に乗せられ、帰路についた。
人は三日眠らぬと幻覚を見始めるそうであるから、アキは最初から減刑を前提とした罰を与えたのだろう。まあ、そもそも不寝番は罰ではないし、実際に眠らぬわけでもないから、良い方向に考えるとすれば、最初から罰を与えようなどと思っておらぬだろう。




