第416話
打鍵印字機と魔導印字機を理解するため、とりあえずリンを呼んだ。元々、リンの手間を減らす為に頼んだものであるから、リンに教えてやらねば意味が無いのだ。
リンが来るまで、俺は説明書にあった、紙やら洋墨やら必要な物を用意することにした。
しばらくしてリンが来た。当然のことであるが、リンも休日であるから、部屋着で寛いでいたようで、部屋着のまま来た。寝癖などはないが、直前まで寝ていたような表情をしている。
「休日であるのにすまぬな。おぬしにも利のある話であるゆえ、伝えておこうと思ったのだ」
「こっちこそ、こんな格好で来ちゃって」
「気にするでない。俺はおぬしの頭脳を求めているのだ。まあ良い。本題に入ろう。これを見よ」
「何です、これ?」
「打鍵印字機と魔導印字機だ。上手く使えば、速筆に優るらしい。これが説明書だ。読んで俺に教えてくれ」
「私も初めて見ましたよ。ちょっと待ってくださいね…」
リンはそう言うと、説明書を手に取り、読み込み始めた。
リンは説明書を二度三度と繰り返し読むと、納得したように説明書を置いた。
「ロード様は、こっちの魔導印字機の方が使いやすいと思いますよ。念話は使えますよね?」
「ああ。魔法であれば基本的に使える」
「じゃあ、ここに手を置いてもらって、書きたい事を念じてください。感度を調整しますから、アキさんの長所でも念じ続けてください」
「ああ」
俺はリンに言われた通り、魔導印字機に描かれた手形に手を置き、アキの長所を念じ始めた。すると、魔導印字機が動き始め、配置された紙にアキの長所が書かれ始めた。
リンが魔導印字機の機械部分に手を入れ、何か作業を始めると、アキの長所の他に、レリアの長所や明日の予定、軍務に関する事などが書かれ始めた。
「おぬし、壊したのか?」
「違いますよ。やっぱり、ロード様の魔法が凄いから、初期設定のままで大丈夫そうですね」
「そうか」
「はい。念話が下手だと、感度を上げなきゃダメみたいですけど、念話が上手だと下げたままでいいみたいですね」
「念話に技量などない。できるか否か、二択だ」
「でも、ここ見てください。伝える力の強弱があって、それが強ければ上手、弱ければ下手って書いてありますよ」
「俺には分らぬな。もしかすると、魔法体系が異なるのかもしれぬ」
「私に言われても分かりませんよ。でも、魔導印字機の管理は任せてください」
リンは嬉しそうにそう言った。今までは俺の筆記用具の管理などもしてくれていたから、それに比べれば楽になるのだろう。
「ああ。だが、紙の補充だけ教えてくれ。深夜に起こされるのも嫌であろう?」
「それなら簡単です。ここを開けて、向きを揃えて置いて、元通りに閉じて、このレバーを引けば、すぐ書き始められます。あ、紙は合計枚数が千枚以下になるようにしてくださいね。書く場所が無くなった紙は、ここから勝手に出てきます。空白を残したまま次の紙に交換したいときは、ここのレバーを引いてください」
「承知した」
「あ、これは注意事項なんですけど、使える文字はここにある百字だけですよ。一覧を書いておきましょうか?」
「ああ。頼んだ」
リンが魔導印字機を開き、ハンコ部分を見せてくれた。サヌスト文字の大文字と小文字や数字、よく使う記号などが合計で百字用意してあった。その周囲には、魔法陣が刻まれていたり、歯車があったり、下手に触らぬ方が良さそうである。
「以上です。質問はありますか?」
「今はない。それより、打鍵印字機はどうだ?」
「気になりますか?」
「ああ」
「夕食の後じゃダメですか? 昼食を抜いちゃったので、もう腹ペコで」
「ではそうしよう」
俺達は印字機を執務室に残し、食堂に来た。リンは余程嬉しいのか、理解が及んでおらぬのか、説明書を持って来ている。
リンは食事が始まっても、説明書から目を離さずにいた。主君の側がいうべきではないが、かなり礼を失する行為である。まあ俺は気にせぬから良いのだが。
「あの、ロード様」
「何だ?」
「打鍵印字機は会議中は使えません。多分、皆さんを不快にさせちゃうと思います」
「なにゆえ使えぬ?」
「改行の度に鐘が鳴っちゃうみたいです。それと、打鍵の音もうるさいみたいです」
「そうか。まあ実際に聞いてみてから考えれば良かろう」
「ほら、ここ見てください。静かな環境での使用は非推奨。こんな風に言われたら、使えませんよ」
「まあ実物を見てから考えよう」
「ですね」
リンはそう言うと、説明書を閉じ、食事をかき込んだ。
その後、執務室に戻ると、リンが打鍵印字機の準備を進めた。
「準備できました。いきますよ」
リンはそう言い、俺が魔導印字機で書いたアキの長所と同じ分を書き始めた。
「やっぱり結構な打鍵音がするでしょう?」
「ああ。俺としては…」
「もうちょっとで改行の合図が…鳴りました!」
リンが俺の言葉を遮ると、見計らったかのように鐘が鳴った。確かに、改行の度に会議を止めてしまいそうなほどの音量である。
「鳴らぬようにはできぬのか?」
「私には無理ですね。これは説明書であって、設計図ではありませんから。それに、私ってそんなに器用じゃないんですよ」
「そうか。では会議中は使わぬほうが良いな」
「だからそう言ってるでしょう。あ、それなら安全のために固定しちゃいましょう。方法も書いてあります」
リンはそう言って説明書を開いて見せた。先ほどから思っていたが、リンはどこに何が書いてあるか覚えているようだ。優秀すぎるな。
「どこに固定する?」
「この部屋じゃダメですか? 私とアキさん、バンシロン卿、従卒の二人に、予備も含めて机を六組も置けば、充分じゃないですか?」
「…俺は一人で落ち着いて作業をしたいのだが」
「そうですよね」
「まあ詳しくはおぬしに任せる。俺は明日から忙しくなりそうであるゆえ、適当に設置しておいてくれ。別に固定せずとも良いぞ」
「分かりました。それじゃ、おやすみなさい」
「もう行くのか?」
「はい。用事が終わったのに二人きりでいたら、アキさんに何されるか分かりませんから」
「そうか。では」
リンはそう言うと、一礼して出ていった。アキはそれほど狭量ではないと思うが、もしかすると何かしら警告を受けているのかもしれぬな。
俺は魔導印字機を執務机に移し、練習がてら魔導印字機の説明書を書き写すことにした。
説明書にあったが、魔導印字機や打鍵印字機の文字や記号はアズラ卿の字を基にして作られたそうで、そう言われてみれば、そういうような気がしてきた。
翌日。食堂でリアン殿と合流し、騎馬でクィーズスケーニヒ大公邸に向かうことになった。戦力的な意味ではなく、儀礼的な意味で、歩兵や騎兵の護衛を五十名ほど伴っている。
「リアン殿、緊張なさる必要はございませぬぞ」
「ふん。ジル君に気遣われるほど軟弱な心でないわ。侮るな」
「これは失礼を言いました。ところで、ご実家に連絡はなされたのです?」
「君の兵を借りた。明日か明後日か、多分すぐ返事が来る。もしかしたら、父上が来るかもしれんな。覚悟しておけ」
「義父に会うだけでありますのに、なにゆえ覚悟が必要なのでありましょうか」
「黙れ」
リアン殿は口では緊張しておらぬと言うが、普段は言わぬ事を言うので、おそらく緊張しているのであろう。相手のシャンタール嬢は好条件であるのに、二十五歳であるとは、何らかの欠点があるということであり、おそらくリアン殿はそれを気に病んでいるのであろう。
そういえば、俺の設定上の年齢は今年で二十四であるから、シャンタール嬢は一応は年上ということになるのか。リアン殿と結婚したら、俺の義姉になるのであろうか。爵位を理由に威張りたくはないが、まあ伯爵令嬢相手に悩みすぎる必要もないな。




