第410話
俺はせっかく帰領したので、他の用事も済ませてしまうことにした。そう思って聞いたが、そもそも俺の留守を前提に計画を立てているため、俺がすべき事は何も無かった。
アズラ卿の勧めで、レリアの実家に挨拶に行くことにした。新年の挨拶には遅いが、行っておいた方が良かろう。
従卒の二人のみを伴い、アンセルムを発った。第一夫人の実家に行くのに、本人ではなく第二夫人を連れて行くのは失礼な気がするので、アキは留守番だ。
人から聞いた話であるが、第四将軍格家はヴォードクラヌ伯爵を賜ったそうだ。これに伴い、俺は第四将軍格家領の所有権をヴォードクラヌ伯爵に返還した。まあ将軍格家の現役当主は、家政にはあまり関与せぬ慣例であり、俺もレリアの実家の領地を支配する気などなかったので、実質的な統治はジスラン様達に任せていた。それゆえ、実態は何も変わらぬ。
それから、俺は第四将軍格家現役当主に代わるものとしてエクエス一等帝国騎士を賜ったが、これによって旧第四将軍格家との直接的な関係がなくなり、ヴォードクラヌ伯爵の継承権を失った。そのため、何も無ければ、現ヴォードクラヌ伯爵たるジスラン様の長男であるリアン殿が爵位を継ぐことになる。
ちなみに、爵位の生前譲位は認められておらぬので、ジスラン様がベルトラン様にヴォードクラヌ伯爵を譲ることはできぬ。まあベルトラン様は隠居生活を満喫しているそうであるから、例え頼まれても断ってしまうだろう。
朝食後すぐにアンセルムを発ち、一角獣の全力で駆けたため、昼前にはヴォードクラヌ伯爵邸があるカルフォン村に着いた。
俺達は下馬し、俺はヌーヴェルの手綱をオンドラークに預けた。さすがに、騎乗したまま屋敷に行っては無礼であろう。
ヴォードクラヌ伯爵邸の前に着き、門番に話しかけると、すぐに人を呼びに行った。エクエス帝国騎士に叙されるまでは、少なくとも名目上はこの家の当主であったため、顔は知られている。
「あら、ジル君。久しぶりね」
しばらくすると、門番に連れられたナタリア様が来た。やはりレリアに似ているな。
俺に理性が無ければ、レリアの代わりにナタリア様を求めていたかもしれぬ。そう考えてしまう程度には、レリアと離れた俺に、レリアの癒しが不足しているのだ。
「は。新年のご挨拶に伺うべきところでありますのに、四月も半ばになるまで伺えず、申し訳ございません」
「いいのよ。ジル君が仕えているのは、国王陛下であって、私達ではないもの。うちの人も夜には帰るでしょうから、待ってくださるかしら?」
「ええ、無論です。それと、訂正いたしますが、エジット陛下は皇帝を称しておられます」
「そうだったわ。失言ね。聞かなかったことにしてちょうだい」
「密告は好みませぬので、ご安心ください」
「なら安心ね。それじゃ、どうぞ。モイーズ、従者の二人を案内してあげなさい」
「はは」
ナタリア様がそう言うと、門番が従卒の二人を案内し始めた。
ナタリア様は門番を個人名で呼んだが、伯爵夫人が特定の異性のみを贔屓して個人名を呼んでは、いらぬ誤解を招きかねぬので、未だ家名制度が浸透しておらぬだけであろう。こう評しては悪いが、カルフォン村はアンセルムに比べれば田舎であるゆえ、仕方ないのかもしれぬ。まあそのうち浸透するだろう。
俺は伯爵邸内の食堂に案内され、ナタリア様と横並びで座った。普通は向かい合って座るものである事は承知しており、俺はナタリア様に言われた席に座っただけで、理性を無くした訳ではない。
「なぜ隣に?」
「あら、嫌なの?」
「…周囲にいらぬ誤解を与えかねぬ行動は、互いに慎むべきでありましょう」
「正論ね。失礼したわ」
ナタリア様はそう言うと、席を一つ隣に移った。間に一席あるが、二人で食事をするのにこの並びは変であろう。
「では私が移動いたしましょう」
俺はナタリア様の行動の予測は不可能と判断し、俺がナタリア様の正面に移動した。
こういう点ではレリアと大きく異なる。いや、もしかすると、レリアも娘婿には変な対応をするのかもしれぬ。こればかりは、俺とレリアとの間に娘が生まれ、その子が結婚するまで分からぬ。
「ナタリア様、この場でご報告申し上げてもよろしいでしょうか」
「言ってごらんなさいな。必要なら、うちの人がいるときに繰り返せばいいわ」
「では報告します。私は、ヴォクラー神のご指示により、改名いたしました。そのうえ、新たに叙爵いただいた関係で、大変な長名になりました」
「あら、大変ね」
ナタリア様がそう言い、俺が名乗ろうとしたところ、昼食が来た。武家貴族らしく、見た目は質素であるが、材料は豪勢な料理だ。質素な見た目ではあるが、栄養は充分あり、武家貴族を武人たらしめる強靭な肉体の基礎となっている。
「それで、大変な長名って、どんな長名かしら?」
「は。ヴィルジール・デシャン・トラヴィス・プリュンダラー・エクエス・フォン・モレンク=ロードです」
「…それぞれの意味を聞いてもいいかしら?」
「無論です。まず、『モレンク』はモレンク血閥に属する事を表します。そして、私が叙されているうち最も高位のロード公爵と合わせ、『モレンクロード』を家名とします。『プリュンダラー』はプリュンダラー伯爵、『エクエス』はエクエス一等帝国騎士であること、『フォン』は貴族であることを表し、『デシャン』と『トラヴィス』は私個人が名乗るもので、今挙げた五つが中間名です。『ヴィルジール』は、改名後の個人名で、かつての『ジル』に相当します」
「うちの人にも言ってあげてちょうだいな」
「無論です」
やはり食事中にすべき話ではなかったようで、またの報告を求められた。まあ別に何度でも報告するので良いのだが。
「そういえば、うちの人はジスラン・フォン・ヴォードクラヌで、私はナタリア・フォン・ヴォードクラヌになったということは、レリアも長名なのかしら?」
「いえ、レリア・ケーニギン・フォン・モレンクロードです。夫婦と子が独立する前の親子は、必ず家名を共有せねばなりませぬので、モレンクロードを家名にしておりますが、中間名の共有は規定がありませぬ」
「ケーニギンも初耳なのだけれど?」
「は。レリアは、皇帝陛下の即位に際しての功績が認められ、ケーニギン男爵に叙されましたので、ケーニギンを中間名に名乗ります」
「あの子が男爵に叙されるほどの功績を立てたのだとしたら、兄妹で一番ね。何か裏があるのでしょう?」
「ええ。血閥結成の条件を満たすため、僅かな功績を誇大に表現しました。レリア本人がすべき事は何も増えませぬので、ご安心ください」
「そうね。ところで、全く話が変わるのだけれど、相談に乗ってくださるかしら」
「ええ。何です?」
「ここでは言えないわ。食べ終えてからね」
「そうですか」
ナタリア様が俺に相談することなど、全く思いつかぬな。それも、食事中に話せぬほど重大な相談事ともなれば、なおさら思いつかぬ。
その後、俺は相談事が気になり、ナタリア様も何かを察したのか、何も話さぬまま食事を終えた。
食後、ナタリア様の私室に招かれた。
義母の部屋に対する感想には相応しくないが、良い匂いの部屋だ。しばらく体を拭かなかったレリアを抱きしめた時のような匂いだ。もちろん、レリアは清潔であり、そのような状態になったことはないので、全くの想像である。そして、当然ではあるが、これは褒め言葉だ。
「あら、臭うかしら?」
俺は気づかれぬように呼吸をしたつもりであるが、振り向いてそう言ったナタリア様に、誤解させぬよう弁解せねばならぬな。
「いえ、レリアと同類の匂いでしたので、少々懐かしんでおりました。ご無礼をお許しください」
「恥ずかしいわ。換気よ、換気。手伝ってちょうだい」
「は」
俺はナタリア様に言われて、窓を開けた。想定した誤解はされなかったが、別の誤解をされたかもしれぬ。まあ俺個人は何と思っていただいても結構だ。
窓を開け終えると、着席を勧められた。幸いというべきか、椅子は二脚のみであるから、食堂での出来事のようにはならぬだろう。
「さて、わざわざ来てもらったのには訳があるの」
「遠慮せず、お話しください」
「あまり大声では言えないのだけれど…」
ナタリア様はそう前置きすると、深刻そうに話し始めた。
相談事とはつまり、ローラン殿のことであった。
姪であるレリアに現を抜かし、仕官もせず、実家の財産と家臣を使って遊び歩いているローラン殿は、以前から問題になっていたそうだ。ただ、レリアの家出後は、レリアの護衛任務に集中し、さらに代理とはいえマルク・フェルナンド提督に就任していたため、放蕩癖も治ったと判断していたそうだ。
しかし、去勢してまでレリアの慶事休養に同行したため、放蕩癖が治っておらぬと、先の判断を改めたそうだ。
そこで、レリアの慶事休養が明け、ローラン殿が解放された後、帝国軍の責任ある役職に任命してほしいとのことであった。むろん、代理ではなく、正規の職に、である。
俺は各国軍の統廃合のどさくさに紛れ、それなりの職に就くよう努力すると返答した。ローラン殿は仕官の記録こそ無いが、代理とはいえマルク・フェルナンド提督という要職に就いた経験があるので、どうにかなるだろう。
相談を終えた俺は、客室に案内された。夕食まで自由に使って良いそうで、従卒の二人もいた。




