第404話
三月十四日、一騎討ち前日にヒュドール台地を発ち、その日の夕方にはエイシカ砦の近くまで来た。既にテイルスト領内である。
「我らはサヌスト帝国皇帝陛下の代理戦士、ヴィルジール・デシャン・トラヴィス・エクエス・フォン・モレンク=ロード客将軍の護衛隊なり! アーウィン将軍が臆病風に吹かれておるのでなければ、ただちに開門し、客将軍を迎え入れよ!」
おそらくエイシカ砦から俺達は見つかっているとは思うが、ジュスト殿が改めてそう名乗ると、旗手が一斉に軍旗を掲げた。わざわざ煽るような事を言う必要は無いように思えるが、ジュスト殿なりに理由があるのだろう。
ジュスト殿の言葉の後、しばらく時を置いて城門が開かれた。
「我が名はアルバート・アンホルト、エイシカ砦守なり。貴殿らを迎え入れるにあたり、条件を提示する。これが守られない時、我らは全力を以て貴殿らを排する」
門が開いた先にいた騎馬したテイルスト人がそう言った。傍らに控えるノヴァーク人は、俺の記憶が正しければ、フレイザー央軍副将である。
「して、条件とは?」
「武力による蜂起の一切を禁ずる。これが破られた場合、我々は敵対する事になるだろう」
「承知した。我らは自衛と許可を得た場合を除いて、武力行使をしない」
「うむ。であれば、貴殿らを賓客として迎え入れよう」
「感謝する」
アンホルトがそう言って背を向け、ジュスト殿が後に続いたので、俺達は入城した。
事前の情報によれば、エイシカ砦は、伝統的にそう呼ばれているだけであり、実際は増築を繰り返し、強固な城塞となっている。それに、テイルスト人の士官二十余名と、ノヴァーク人の傭兵二千、ノヴァーク軍から派遣された将兵三千名が国境警備の任に就いて、常在している。
今回はそれに加えて、アーウィン大将の護衛にノヴァーク軍五百騎、エヴァンス侍従武官の護衛にテイルスト軍のノヴァーク人傭兵三千名が加わっている。精鋭とはいえ、五百騎では到底勝てぬ相手である。
護衛隊の将兵は砦内部の一画に纏めて押し込められていた。
俺は将兵と離れた場所にある貴賓室に、アキとナスターシャと一緒に入れられ、部屋の前に屈強な歩哨を置かれた。おそらくアキとナスターシャを世話役か何かと思われたのだろう。
ジュスト殿の気配を探ったが、俺と似たようなものであった。ジュスト殿には、念話の中継点としてエヴラールを同行させているので、何かあった場合には連絡できるので心配は無い。
「あえて旦那様と呼ぶが、なぜこいつまで同室なんだ?」
「申し訳ありません」
「俺の世話役とでも思ったのだろう」
「それは聞いた。ワタシが言ってるのは、なぜ断らなかったのか、ということだ」
「護衛隊は男ばかりであるゆえ、女のナスターシャを一人にしては可哀想と思っただけだ。ここであれば、アキがいる」
「なるほどな。おい、ナーシャ、旦那様の気遣いに感謝しながら、ゆっくり寛げ。寛いだら、働く時はよく働け」
「はい、ありがとうございます」
アキはナスターシャと同室である事を不満気に言ったが、少なくとも愛称で呼ぶ程度には仲が深まっているので、心配する必要はあるまい。
アキが布でナスターシャ用に部屋を区切っていると、フレイザー副将が給仕を伴い、夕食を運んできた。
「死にゆく戦士よ、最後の願いを聞き届けよう」
「フレイザー央軍副将とお見受けする。俺の願いは、残念であるが、おぬしには叶えられぬ」
「…それではせめて、最後くらいは豪華な夕食を」
「俺からしてみれば、質素な夕食だ。それから、おぬしはどうやら勘違いをしているようだが、俺はアーウィン左軍大将には負けぬ。そう本人にも伝えよ」
「そう。せいぜい残りの生を満喫することね」
「ああ。おそらく半年もせぬうちに、我が愛妻は子を産む。おぬしの言う通り、俺は残りの人生を満喫できるだろう」
俺の返事を聞き終えるより早く、フレイザー副将は勢いよく出ていった。残された給仕も、慌てて料理を並べて出ていった。
どうやら、ノヴァーク人として当然の事であるが、俺が負けると思って落ち込んでいて欲しかったようである。
「何だ、あいつらは」
「私、抗議してきます」
「気にするでない。勝つのは俺だ」
「それもそうだな。勝った後で、あいつを辺境の兵卒に更迭してやればいい。何なら、適当な理由をつけて、ワタシが斬ってやる。そっちのがいいな。客将様、許可をくれ」
「許可せぬ。無駄な面倒事を起こさぬために、俺が決闘をするのだ。使節団の努力を無に帰する事になるぞ」
「それもそうだな。我慢してやる。ナーシャも忘れろよ」
「はい」
ナスターシャはアキに賛同して抗議を言い始めたはずだが、なぜかアキはナスターシャを宥めた。まあいつものことである。
翌朝。昨夜は一晩中軟禁状態にあり、しかも深夜に何度かテイルスト人の士官が面会に来たせいで、アキ以外は眠れなかった。まあ俺にとって睡眠とは、食事や読書などと同じく娯楽であるから、一切問題はない。
面会に訪れた複数の士官によれば、日の出とともに闘技場に入場し、エイシカ砦守の合図で決闘を始めるそうだ。この際、見届け人であるジュスト殿、フレイザー副将、エヴァンス侍従武官と、それぞれの側近など、合計五十名程度の観客があるだけで、ほぼ秘匿される。
表向きには、敗者への気遣いということになっているが、俺は勝利すら隠蔽しようとしているのではないかと疑っている。数のみでいえば、シュラハトール側はサヌスト側の倍以上いるので、もしもの場合はどうにでもなると思っているのだろう。それゆえ、俺達は精鋭のみを観客に選んだ。
戦士控室に通されると、アキとナスターシャは観客席に案内された。何を疑っているのか知らぬが、慎重すぎるのではなかろうか。まあ小細工を弄したところで、俺には意味がないのだが。
しばらくすると、朝食が運ばれてきた。決闘を前にした戦士が必ず口にするもので、これを食しておらぬ者による決闘は決闘と認められぬそうだ。
そう言われては断れぬので、全て食べた。ラヴィニアが何度か毒が入っていることを報告したが、俺は気にせず食べた。俺に毒は効かぬし、そもそも殺害用の毒ではなく、単なる体調不良を引き起こすだけの軽微な毒であったからである。
アーウィン大将を信頼しておらぬのか、俺を警戒しているのか、いずれか分からぬが、よほどの慎重派がいるようだ。まあ愛国心によるものであろうから、俺は抗議などせぬ。
食事を終えると、テイルスト人が迎えに来た。俺が完食した上に元気そうであるから、少々驚いていた。
舞台に出ると、中央にエイシカ砦守アルバート・アンホルトが立っていた。どうやら、アーウィン大将はまだ来ておらぬようだ。
客席を見回すと、ジュスト殿の隣にエヴラールがおり、その周囲にジュスト殿の側近、両端にアキとナスターシャが座っていた。武官の正装は甲冑姿という理屈で、皆が武装している。何かあった場合には、アキを先頭、ナスターシャを殿に退避できるような配置である。
「改めて名乗りを」
「…アーウィン将軍がおらぬようだが?」
「名乗りの後、入場します。これは、屈服の儀の作法です。さあ、名乗りを」
「我が名はヴィルジール・デシャン・トラヴィス・エクエス・フォン・モレンク=ロード公爵客将軍、サヌスト帝国皇帝エジット陛下の代理戦士である」
俺はそう言って名乗りを上げた。屈服の儀とは何であろうか。名前からして、主従の方向を決めるものであろうが、作法が定まるほどには繰り返される儀式なのだろう。
「ノヴァーク王国国王レイモンド陛下の代理戦士、フェリックス・アーウィン左軍大将は入場を」
アンホルトがそう言うと、俺が入ってきた入口の反対側にある入り口から、アーウィン大将が入場してきた。
百七十メタを優に超えそうな身長に、俺の倍ほどはありそうな肩幅の巨漢が、その体躯の七割を超える柄の巨大な諸刃の戦斧、上半身全てを覆う大盾を装備しているのであるから、並の戦士であれば、目が合っただけで戦意喪失しそうなものだ。
「長き名の戦士よ、同胞が失礼をしたようで」
「児戯に過ぎぬ。貴殿は気にすることなく、全力を尽くされよ」
「ありがたい。情報通のつもりだったが、貴殿の情報だけは見つからなかったので不安に思っていたが、武のみを誇る悪人でなくて良かった」
「それはそれは。我が国では年が変わるとほぼ同時に、家名を導入し、俺は同時に改名もしたゆえ、見つからぬのも無理はなかろう。正体は決闘後に明かそう」
「左様か。互いに死んではならぬ理由ができましたな」
「ああ。言い忘れたが、俺も貴殿が脳筋でなくて良かったと思う」
「褒めの言葉として受け取りましょう」
アーウィン大将が脳筋の戦闘狂ということであれば、今後のためにも殺しておこうと思っていたが、なかなかに聡明そうであるので、部下に欲しいな。併呑して軍の統廃合をする時に手配しよう。




