第402話
あれから、候補生を得意な属性ごとに分けたり、水路の敷設を手伝ったり、それなりに忙しい日々を過ごしていると、シュラハトール同盟への使節団から早馬が来た。二月二十四日、使節団の出発から十日目のことである。
深夜ではあったが、ジュスト殿から招集があったので、エヴラールのみを連れ、駆け付けた。シヴァコフ、グラシエット、ローゼンの五千騎長三名、偶然居合わせたプティジラール城副城守ヴァロワ一等帝国騎士を呼んだそうだが、まだ誰もおらぬ。まあ普通は休んでいる頃であるから当然であるが。
早馬として戻ってきたアベカシス十騎長は、息を切らしながら、胃に優しそうな食事をしている。少しでも早く伝えねばならぬ、という使命感から、昨日の昼過ぎに出発してから、一度も休まずに来たそうだ。
「アベカシス、落ち着いたらで構わんが、シャルパンティエ団長からの伝言を」
「は。失礼いたしました、コティヤール総帥閣下。まず、こちらはノヴァーク王国国王レイモンド陛下より賜りました親書です。そして、こちらがテイルスト王国国王スペンサー陛下より賜りました親書です。最後に、シャルパンティエ団長から預かった書状が、こちらです。お納めください」
「確かに受け取った。朝まで休んでもらって結構だ」
「は。失礼いたします」
なかなか用件を言い出さぬアベカシス十騎長に痺れを切らしたのか、ジュスト殿はそう言って書状を受け取り、アベカシス十騎長を退出させた。
「ジル卿、先に見てしまおう。どうせローゼン達はしばらく来ないんだ」
「ああ。どれから見る?」
「シャルパンティエ公だな。味方と確定してるんだから、気楽でいいだろう?」
「それもそうだ」
ジュスト殿はそう言い、シャルパンティエ公からと言って渡された書状を机の上に開いた。
具体的な内容であるが、簡単に言えば、条件次第で併呑を受け入れても良いとの事であった。ノヴァークとテイルストが提示した条件は、それぞれの親書に書いてあり、それ以外に記す事を禁じられたそうだ。
「どうやらこれを最後に読むべきだったようだな」
「ああ。公もアベカシスに伝えれば良かったろうに。それでジュスト殿、次は?」
「どっちでもいいさ。ジル卿が好きな方でいいぞ」
「ではテイルストから見よう。無茶は言うまい」
「そうだな。俺達が本気を出せば、このまま増援なしで落とせるからな」
ジュスト殿はそう言いながら、テイルスト国王からの親書を広げた。だが、おそらくテイルスト語で書かれたそれを、俺達は読めなかった。
「読めぬな」
「十人くらい送って、テイルスト人を拐ってくるか。ちょっとくらいなら気付かれんだろう」
「いや、俺の部下にテイルストを解する者がいる。リン…いや、トゥイードというのだが、呼んで読ませよう」
「ああ、クィーズスで拾ったという秘書官か」
「ああ。親書であるからには、内容を知る者が少ない方が良いとは思うのだが…」
「いや、呼んでくれ。内容が漏れるどころか、俺達だけだったら内容が分からんからな」
「承知した。エヴラール」
「は」
念のため、ジュスト殿に許可を得てからエヴラールにリンを呼びに行かせた。親書という重要な文書を読む者を、勝手に増やすのは良くなかろう。
「その間に、ノヴァーク国王の親書を」
「いや、五千騎長が来るぞ」
「なぜ分かる?」
「遅れて申し訳ありません、閣下」
俺がジュスト殿を制止すると、シヴァコフ、ローゼン五千騎長が幕舎に入ってきた。そして、その数瞬後には、グラシエット五千騎長とヴァロワ副城守も入ってきた。
「よく分かったな」
「ああ。盗聴でもされたら困るゆえ、天眼で周囲を見ていた」
「ジル卿、さすがに俺も歩哨くらい立てる。ま、ちょうどいいな。全員揃ったことだし、これを見ろ。ノヴァーク国王からの親書だ」
ジュスト殿はそう言って机の上に親書を広げた。今度はサヌスト語で書いてあった。まあノヴァークの公用語であるから当然であるが。
内容であるが、どうやらノヴァーク王は我が軍の状況を気遣ってくれたようで、それぞれが国内最強の戦士を派遣し、その一騎討ちを以て、併呑如何を決めるとの事であった。
むろん、無条件という訳ではなく、ノヴァーク王が派遣した戦士が勝てば、ノヴァーク全軍でサヌスト遠征をし、それはサヌスト皇帝の死まで終わらぬ、という事であった。
その他にも細かな条件はいくつかあるが、ヴォクラー神や我が国の意向に反するものは無かったので、気にする必要は無さそうである。だが、これを反故にした場合は、やはりノヴァーク全軍で蜂起するそうだ。
「この勝負、勝ったな」
「ええ。客将閣下が出れば、人間相手にはまず負けんでしょうからな。あいや、人選は皇帝陛下がなされるべきであるのに、一介の五千騎長が口を挟むべきではありませんな。失礼失礼」
「ローゼン、心の底からジル卿が適任と思うか?」
「は。客将閣下はこれまで無敗と聞いておりますゆえ、まず負けますまい」
「なら皇帝陛下に、自分の口で伝えるといい」
「は?」
「一角獣なら、四百メルタルは三日もあれば駆け抜ける。途中で休憩を挟んでも五日だ。十騎程度を連れ、日の出と共に帝都へ向けて発て」
「承知いたしました。それでは準備を…」
「そんな事は部下に任せればいい。テイルスト国王の親書とシャルパンティエ団長の書状をまだ見てないだろ」
「は。準備の指示だけ…」
「行ってこい。すぐに戻れよ」
ジュスト殿は少々強引に帝都までの急使にローゼン五千騎長を選んだ。腹心とは聞いていたが、思っていたよりも信頼しているようだ。
ローゼン五千騎長は言葉では不服そうであったが、慣れたように出ていった。
「俺達だけでは確実な事は言えんが、ジル卿が選ばれるだろうな」
「ノヴァーク軍には、化け物のような将軍がいたゆえ、おそらくその者が戦士として選ばれるだろう。戦象を素手で薙ぎ倒した男で、官職名をフェリックス・アーウィン左軍大将といい、馬に乗れぬほどの巨漢で、得物も人間用とは思えぬほど巨大な戦斧と大盾だ」
ここにいるのは先のゼーエン作戦を知っている者ばかりであるから、厄介そうな将軍は共有しておいた方が良かろう。まあ報告書で提出したので、知れ渡っているかもしれぬが。
「ジル卿は見たのか?」
「ああ。念のため言っておくが、もし俺が負けてノヴァーク軍攻め込んできたら、真っ先に討ち取ってもらいたい。個人としても強いが、指揮官としても強いそうだ」
「俺の手には負えんな。ジル卿がどうにかしてくれ」
「承った。まあ俺が選ばれるとは限らぬし、アーウィン将軍ではないかもしれぬ。仮定で悩むのはやめておこう」
「それもそうだ。しかし、それにしても、戦象を素手か。恐ろしいな」
「ああ。それも、去年の初秋であるから、まだまだ全盛期だ」
「…勝ってくれよ、本当に」
「ああ。まあ選ばれたら、であるが」
「それはそうだ」
俺がジュスト殿と話していると、エヴラールとリン、ローゼン五千騎長が一緒に入ってきた。当然ではあるのだが、リンは寝ていたようで、寝癖をつけたまま眠そうな顔である。
「…カイラ・リン・トゥイード客将軍秘書官、お呼びと伺い、参上しました…あ、おはようございます」
リンはそう言いながら蹣跚めいたため、エヴラールに支えられていた。これほど眠そうなリンは初めて見たが…誤訳でもされたら困るし、帰ってもらうべきであろうか。
「トゥイード秘書官、テイルスト語の翻訳を依頼したいのだが…誤訳をするくらいなら、しっかり休んでもらって結構だ。引き受けてくれるか?」
「しっかりやらせていただきます、コティヤール閣下。それで…どこにテイルスト語が?」
「これだ。テイルスト王からの親書だ。他言無用に願おう」
「承知しました。ロード様、何か書くものを」
「ああ」
俺はリンに言われて紙と筆を出してやった。
寝起きであったから心配していたが、ジュスト殿に話しかけられると、リンはいつものリンになり、しゃんとしたので、誤訳はないと思って良かろう。
リンは解説しながら、テイルスト王の親書をサヌスト語に訳した。
テイルスト王国は、ノヴァーク王国と運命を共にするそうだ。だが、細かい条件は別にあるようで、例えば徴兵制を敷く場合、代替役務を提示する事であったり、テイルスト王家の国政への関与を認める事であったり、帝都をテイルスト王都アポミナリアの近くに遷都する事であったり、まあ俺達が悩むべきことではない。
「これで完成です。間違いは無いと思いますが、念の為に別の方に確認してもらった方がいいと思います」
「いやいや、ジル卿が選んだ秘書官だ。信じるさ」
「恐縮です」
「ローゼン、これら一式を持って、アベカシス十騎長を連れ、帝都に行け。なるべく急いでいただくよう俺が嘆願書を書いたから、これも渡せ」
「は」
「それじゃ、朝になって準備が出来たら行け。荷馬含め、全騎一角獣で行けよ」
「御意」
「よし、解散だ。皆、深夜に悪かったな」
ジュスト殿がそう言うと、皆が礼をして解散した。皆も早く休みたかったようで、五千騎長達は雑談もせずに帰っていった。
幕舎を出てエヴラールとリンに休むよう言い、俺自身は候補生それぞれに対する助言を纏めておくことにした。




