第396話
その後、想定より少々の遅れはあったが、初日の野営予定地に到着した。
報告のため、ジュスト殿の幕舎に上層部が集まった。ジュスト殿は無論のこと、第三陣のシヴァコフ帝国騎士、使節団のファーブル公爵、シャルパンティエ公爵、フルガード侯爵、それから各隊の千騎長である。
「さて、早速だが、何か報告のある者は?」
皆が集まった頃、ジュスト殿がそう言った。おそらく俺を気遣っているようで、始まるまでは牛馬の暴走に関する話題は出なかった。
「第二陣より、ひとつ詫びねばならぬ。牛車の牛が暴走し、十頭の牛馬を失った。予備の牛馬で補充をしたが、行軍に少々の遅れが出た。申し訳ない」
「ジル卿、原因は?」
「証言のみであるゆえ、確かな事は言えぬが、紫色の蝶に気を取られた牛が突然倒れ、そこから暴走が始まった」
「紫色の蝶…冬なのに?」
「コティヤール総帥、越冬する蝶もいます。ただ、サヌストにいるとは聞いた事がありません。それともう一点、いくら蝶に気を取られたからと言って、訓練された牛が容易く倒れるでしょうか」
言われるまで気づかなかったが、シヴァコフ帝国騎士の言う通り、軍で使う牛が蝶に気を取られた程度で倒れるとは思えぬし、そもそも蝶に気を取られるとも思えぬ。
「確かにそうだ。ジル卿が外れくじを引くとは思えんし、そうでなければ平地で牛が転ぶ意味が分からん。不思議な事を全部魔法のせいにするつもりはないが、その線はないか、ジル卿」
「魔法による攻撃であると?」
「全くの素人の意見と受け取ってくれ」
「いや、考えもしなかった。今夜中に調べて来る」
「今から行くのか?」
「ああ。明日には報告しよう」
今から事故があった現場に戻り、魔力の痕跡などを調査すれば、朝には戻れるだろう。戻れぬ場合でも、出発までに戻って馬車で休むと言い、転移で調べに戻れば良い。
「魔法的な調査なら、候補生を数人連れていったらどうだ? 基礎の導入部分くらいは出発前に講義をやったんだろう?」
「ああ。魔力の観測を修得した者も幾人かいる」
「それなら、その幾人を調査に連れて行ってくれ。総指揮官としての命令だ」
「承知した。アニエス嬢も連れて行くが、それでも良かろうか」
「…俺達は別にそんな関係じゃない。一緒に住まわせてやってるだけだ。家賃も貰ってる」
「そうか。では遠慮なく連れて行こう」
アニエス嬢と夜を過ごすのであれば、ジュスト殿に悪いと思ったが、未だそういう関係になっておらぬなら、俺が気にする必要はない。
それにしても、新年会のアニエス嬢は少々強引に見えたが、同居を始めてからは意外と奥手であるようで、進展があったとは聞かぬ。
「他に報告は?」
「「「……」」」
「無いようだな。それなら、明日は予定通りに。解散だ」
ジュスト殿がそう言うと、皆が軽く一礼して幕舎から出ていった。俺も出ていこうとしたが、目線で呼び止められたような気がしたので残ることにした。
「さて、ジル卿」
「何だ?」
「俺からひとつ、個人的な頼みがある」
「アニエス嬢の事であれば任せよ。擦り傷すら負わさせぬ」
「違う。魔導教官の一人を個人的に貸してほしいのだ。俺は魔法を使うつもりはないが、魔法兵を指揮する可能性はある」
「承知した。ダレラックを貸そう」
「いや、彼は隊長だろう。兵卒でいいんだ」
「ではミッタークを貸そう」
「ありがとう。この借りは必ず返す」
「気負う必要はない。では」
「ああ。…アニエスを頼んだ」
「承知した」
俺はそう言い、幕舎を出た。先程まではアニエス嬢を気にかけぬ風を装っていたが、やはりジュスト殿はアニエス嬢の身を案じているようだな。
幕舎を出ると、待機していたアキとエヴラールに結果を伝え、アキには残していく魔導教官候補生の取り纏めを頼み、エヴラールにはミッタークの派遣と連れていく魔導教官候補生の召集を命じた。
ちなみに、ミッタークとは、アルテミシアに対する魔法教育を担当したと、フーレスティエの推薦を受け、今回の魔導教官隊の副長として連れてきたエルフである。魔法以外にも、その他の学問や芸術なども教えたそうで、万能である。それから、剣術や槍術、馬術などにも長けており、アルテミシアの護衛も兼ねていたそうだ。
しばらくすると、エヴラールが魔導教官候補生を連れて来た。魔力の観測を修得したのは六名のみであり、エヴラールはその六名を漏れなく連れて来た。
「本日の日中、我が第二陣にて牛馬の暴走が発生し、十頭を失う事となった。目撃者の証言によれば、本来はおらぬはずの蝶によるものであると言う。夜間のうちに調査し、明朝の出立までの帰還を目指す。おぬしらは、魔導教官候補生のうち、魔力の観測を修得した上位六名である。同行し、今後の糧とせよ。なお、これはコティヤール総帥の命令である。質問はあるか?」
「ひとつだけあります」
「言ってみよ、ダヌマルク」
「はい。昼間に移動してきて、夜間に調査して戻ったら、また移動と理解しましたが、間違っていませんか?」
「ああ。明日の出立までに戻った場合には、各人に馬車と世話役を支給する。むろん、演習が終わり、帝都に帰還するまでの間だ。不満か?」
「いえ、感謝します」
「他に質問が無ければ、ただちに準備せよ。では」
俺がそう言うと、候補生達は一礼してそれぞれ支給した一角獣のもとへ駆けていった。
魔導教官候補生には、幕舎の用意や一角獣の支給、食事の優先、護衛の帯同などの特権を与えている。だが、さすがに五十二台の馬車を別で用意するのは大変であるゆえ、日中は騎馬での移動が基本である。
「エヴラール、おぬしは俺の幕舎で待機せよ。俺に用がある者がいた場合には、念話で仲介せよ」
「アキ様をお連れに?」
「いや、アキには副客将軍として、幕舎が用意されているゆえ、そちらで休むだろう。いつもは、俺の幕舎に入り浸っているだけだ」
「承知しました。それでは失礼します」
エヴラールはそう言い、俺の幕舎に向かっていった。
ヌーヴェルに乗って待っていると、アニエス嬢が候補生を引き連れて来た。ちなみに、今のところアニエス嬢が最も優秀である。
候補生達は、それぞれ松明を持って来ている。それから、夜であるからか、厚着したり毛布を持ったりしている。
「では行くか」
俺はそう言い、先頭を駆け始めた。特に指示をせずとも、ヌーヴェルが一角獣達に命令を出し、最も良い隊列を組んでいる。
松明を持たぬ俺が先頭であるが、まあ俺は夜目が利くし、ヌーヴェルも何らかの方法で周囲を観測しているようであるから、心配は無い。
しばらく駆け、牛馬が暴走した場所に着いた。昼間は歩兵や牛車を気遣ってゆっくり進んでいたが、今は馬より速い一角獣で駆けたゆえ、十分の一程度の時で着いた。
「ここだ。まずは各自で調べてみよ。俺も調べる」
俺はヌーヴェルから降り、そう言った。俺も何も分からぬので、講義を優先していては、調査自体が進まぬ。あくまで、優先すべきは調査なのだ。
天眼を使って周囲を調べると、覚えのある魔力の痕跡があった。
「スヴェイン…」
魔力の主は尊主翼賛軍総帥を称する、老ダークエルフであった。だが、アルフレッド軍と尊主翼賛軍は共に海上へ逃げたはずであり、ここにいるはずは無い。
魔力の痕跡を辿っていると、候補生達が集まる場所へ着いた。せっかく各人が松明を持っているのに、同じ場所を調べているのか。
「これをご覧ください、閣下」
「これは…」
次席のムサ・ジェゴフがそう言って俺を呼び止めた。ちなみに、この男は五十騎長となった後で退役し、その後は傭兵をしていたそうだ。
ジェゴフが指したのは、街道の石畳に突き立てられた白旗である。白旗にはサヌスト語とヤマトワ語で『僭王とこれを擁する謀反人に告ぐ。我々ダークエルフが魔物狩りから撤退したからには、数年のうちに魔物が溢れ、農民から死んでいく。全力を以て、アルフレッド王が支配すべき民を保護し、魔物を撃退せよ。アルフレッド派連合軍副帥・尊主翼賛軍総帥スヴェイン』と書いてある。
「閣下、スヴェインとは誰でしょうか」
「我ら帝国軍の宿敵である。ダークエルフの首領だ。今は魔王軍の残党を招集し、尊主翼賛軍を編成し、アルフレッドに従っている」
「ダークエルフ、ですか」
「ああ。魔王によって改造され、肌が黒くなったエルフだ。大半が魔王に忠誠を誓っているゆえ、耳の長い黒人を見たら警戒せよ」
「肝に銘じます」
「では俺はもう少し詳しく調べるゆえ、おぬしらも各自で調べてみよ」
俺はそう言い、再び天眼を使い始めた。
白旗がある場所以降は魔力の痕跡が途切れていたので、発動された具体的な魔法をラヴィニアに調べさせる事にした。
ラヴィニアによれば、洗脳系魔法の一種であるそうで、蝶と目が合った生物を昏倒させる効果のみの、どちらかといえば低位の魔法である。
それから、もう一つ同時に発動された魔法に、時空間魔法があった。洗脳魔法の蝶のみを転移させたのだろう。そして、俺達が過ぎ去った後、白旗を転移か直接か知らぬが、設置したのだろう。
「集合せよ」
俺がそう言うと、すぐに集まってきた。こうも簡単に指示が通じると、かなり楽であるな。まあ従順過ぎてもつまらぬが。
「では俺の見解を伝えよう。今回の牛馬の暴走は、皇帝陛下の兄であるアルフレッドに与する、ダークエルフのスヴェインによるものである。この者は、ダークエルフの首領であり、アルフレッド派連合軍副帥であり、魔王軍の残党を招集し編成した尊主翼賛軍総帥である。まあ簡単に言えば敵だ。魔力を覚え、接敵した場合には撤退せよ」
魔力を観測できる者のみを連れてきて良かった。これで、スヴェインを知る者が増え、我が軍が被るべきでない損害を被る可能性が減る。まあダークエルフは基本的に敵であるゆえ、魔力を覚えても、個人の特定にしか役に立たぬが。
その後、候補生達の質問を受け付け、日の出直前特有の光が拡がるまで、俺の講義は続いた。




