第392話
フルガード侯爵やダヌマルク男爵と別れ、一人で会場を歩いていると、背後から気配を消したつもりであろうリンが近づいてきた。
「ロード様ッ! 生まれて初めて、アベック誕生の瞬間を見ました」
「そうか」
俺が驚くと思って話しかけたのか、リンは俺が普通に返事をして少々驚いている。素人が気配を消したところで、俺には分かる。
「ロード様、あの二人はどうなると思います?」
「俺はジュスト殿を応援する。特に何かしてやる訳ではないゆえ、本人達の良いようになるだろう」
「意外と冷たいですね。もっと積極的に応援してあげたらいいじゃないですか」
「俺もジュスト殿に恋を応援してもらった覚えはない。であるなら、ジュスト殿も応援を望んでおらぬのだろう。結婚となれば祝うが、積極的に関わろうとは思わぬ」
「じゃあ、私も話題にしません」
「そうせよ。話は変わるが、リンよ、ジェローム卿、いや、ラモリエール侯爵を見たか?」
「あっちにいましたよ。案内しますか?」
「いや、必要ない。明日以降も会うのだ。それよりも、先のダヌマルク男爵のように、普段出会わぬ者と話していた方が良い」
「集めてきましょうか?」
「それも必要ない。俺は誰かに取り入る必要もなければ、縁談を欲するわけでもない。勝手に楽しませてもらう」
「…リンもお供しますよ」
「自らをリンと呼ぶとは、どういう心境の変化だ?」
「知りませんよ、もう」
「そうか」
なぜか不機嫌になったリンを伴い、俺は会場を歩き始めた。
会場全体を見ていると、料理は温かいうちに次のものと交換され、常に温かい料理を食べられるようになっているようだ。武家貴族らしからぬ気遣いであるゆえ、ヴァーノン卿あたりの助言があったのかもしれぬな。
その後、幾人か挨拶に来たが、大して面白い話もなかった。ジェローム卿やヴァーノン卿も、それぞれ武官と文官の頂点として、挨拶に来る者が多く、ほとんど身動きが取れなかったようで、俺は二人と話せなかった。
日が暮れると、新年会が終わったので、ジュスト殿に軽く挨拶して自邸に戻ると、アキが忠犬と忠犬飼育係を連れてきていた。
「旦那様ッ!」
アキがそう言い、こちらに駆け始めると、忠犬達が走り始め、アキを追い越した。忠犬達の鎖を、それぞれ担当の人狼が握っていたが、マルカブ担当のヴェラ以外は鎖を手放し、ヴェラはマルカブに引き摺られている。
俺が下馬しようと、右足を鐙から外した瞬間、アルゲニブが俺に飛びつき、次いでシェアト、アルフェラッツが突進して俺を押し倒し、最後にヴェラを引き摺るマルカブが尻尾を振りながら俺の顔を舐め回した。
「おぬしら…」
「おい、旦那様から離れろ、バカども!」
アキがそう言うと、忠犬達は一度ずつ鳴き、並んで座った。その時、走ってきた方とは反対に座ったので、マルカブに引き摺られたヴェラが俺の上に横たわった。血塗れではないか。
「無事か、ヴェラ」
「旦那様ッ!」
アキは俺が起き上がろうとするのを押さえ込み、俺の顔を舐め始めた。どういうつもりであろうか。
「アキ、そういう事は人前ですべきでない」
「それもそうだ。アイツらを見てたら、旦那様が美味しそうに見えたのだ」
「そうか。冗談は置いておいて、ヴェラ、無事か」
「はい、上に乗っかってしまって、申し訳ありません」
「いや、良い」
俺がヴェラを案じていると、アキがヴェラを助け起こし、追いついて来たルイーゼ達がヴェラを心配するように囲んだ。ヴェラが動じぬところを見て、血塗れになるのは日常茶飯事かと思ったが、ルイーゼ達の反応を見る限り、単にヴェラが動じておらぬだけであろう。
「ヴェラ、顔を見せてみよ」
「はい」
「すまぬな。治しておこう」
「ありがとうございます」
ヴェラに回復魔法をかけて分かったが、全身に真新しい傷があった。この屋敷の庭は、表面上は綺麗に見えるが、二メタも掘れば小石などがあり、ヴェラの通った所を見ると、三メタほどが抉れているので、ヴェラはどうにかマルカブを止めようと全身で踏ん張ったようである。
「俺が近くにいる時は、無理に鎖を握っている必要は無い。ここが岩場であれば、ヴェラ、おぬしは死んでいるぞ」
「はい。申し訳ありません」
「謝罪を求めているのではない。忠犬を信じ、その世話をする自らを粗末にするでない、と言いたいのだ」
「はい。次から気をつけます」
「ああ」
ヴェラを含め、忠犬飼育係の人狼に欠員が出た場合、その補充には面倒がかかる。そうでなくても、自らの身を案ずるのは、世話をする忠犬の身を案ずるのと同等である。その事を徹底させねばならぬな。
「旦那様の言う通りにしろよ。じゃあ、この話は終わりだ。リン、クック達との再会を喜べ。忠犬はルイーゼ達に任せて、遊んで来ていいぞ」
「遊んで来てって、もう夜ですよ」
「知らん。旦那様の権限で、忠犬飼育係の全員に、休暇を与える。忠犬はワタシ達に任せて、しっかり休め」
アキがそう言うと、ルイーゼ達は一礼した。俺の権限で、と言うのであれば、俺の許可を得てから言うべきではなかろうか。そもそも、忠犬に関してはアキに任せているので、アキの権限で休暇を与えれば良いのである。
「エヴラール、一角獣を帰したら、お前も休んでいいぞ」
「…分かりました」
エヴラールが俺の顔を見たので、俺が頷いてやると、アキに返事をして一角獣の手綱を引いて行った。
「旦那様、ここの屋敷は、動物を入れていいのか?」
「構わぬ。だが、王宮から預かっている物がいくつかあるゆえ、それに触れさせてはならぬ」
「じゃあ談話室だけならいいな?」
「ああ。目を離すでないぞ」
「目を離しても、どうせ旦那様についてくる。懐かれ過ぎだ」
「そうか。では行こう」
「来い」
アキがそう言うと、忠犬達は立ち上がり、俺を囲むように歩き始めた。囲まれるのは構わぬが、尻尾を振るのをやめて欲しいな。まあ本能的なものであろうから、止めるよう命じたりせぬが。
談話室に着くと、アキは忠犬と共に、一組を残し、他の机と椅子を片付けた。片付けたとはアキの言葉であるが、俺からして見れば、薙ぎ倒して端に寄せただけである。だが、壊れたような音はしておらぬので、片付けたと言っても良いのかもしれぬ。
忠犬は、暖炉の傍らで待機するよう、アキに命じられ、大人しく伏せている。
「旦那様、ラスイドを返す」
アキは立ち上がってそう言い、ラスイドを机に置いた。戦がないとはいえ、ラスイドを俺に返して良いのであろうか。
「良いのか?」
「ああ。ワタシの刀が完成した。見ろ」
アキはそう言い、帯びていた大小二本の刀を鞘ごと抜いた。
確か、一ヶ月か二ヶ月ほど前、ドウダヌキなる組織に注文に行ったような気がする。すっかり忘れていた。
「銘は、こっちがナルカミ、こっちがデンテイだ」
アキは長い方をナルカミ、短い方をデンテイと呼んだ。銘があるということは、それなりに良い刀なのだろう。まあドウダヌキなる組織に頼んだ時点で、名刀になるのは確実と言っていたので、名刀である事に違いはあるまい。
「それで旦那様、頼みがあるんだが、頼まれてくれるな?」
「試し斬りであろう?」
「そうだ。新年早々、死体を用意するのは嫌だからな。斬っても死なない旦那様は、生き試しにちょうどいい」
「そうか。褒められたと思って、上衣を脱ごう」
俺はそう言い、上衣を脱いだ。新年会のために正装をしていたので少々手間取ったが、武官服たる絹服であるゆえ、教皇用の衣装に比べたら脱ぎやすい。
「じゃあ、ナルカミからやるぞ」
「ああ」
アキはそう言い、長い方の刀を鞘から抜いた。刀身はアキの魔力によるものか、真紅に染まっている。
アキはナルカミを大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろした。ナルカミの刃は俺の左肩から入り、右の腰から出た。俺の半身は滑り落ち、俺から流れ出た血溜まりに落下した。
「斬れ味もいいが、ナルカミの真髄はこれからだ。痛いが、我慢しろよ」
「やってみよ」
「『天鼓』」
アキがそう呟くと、轟音が鳴り響くと同時に滅紫の稲光が走り、切断面を焼いた。落雷と同程度以上の威力があるが、落雷の半分以下の魔力反応しか感じられなかった。
「どうだ?」
「一発だけか?」
「いや、同時に百発まで撃てる。ナルカミに斬られた生き物の魔力を使って発動するのだ。だから、ワタシの消耗はほとんど無い」
「なるほど。天眼で調べても良いか」
「逆にこっちから頼みたいくらいだ。だが、まずは元の体に戻れ。死体と喋ってるみたいで気持ち悪い」
「そうか。ではそうしよう」
俺はそう言い、立ったままの半身から右上半身を再生し、斬り落とされた半身と流れ出た血液を魔力に還元した。
「では改めて」
俺はアキからナルカミを受け取り、天眼で詳しく見た。
ナルカミで斬った箇所には、先の滅紫の稲光を誘導する魔力の刻印が付与され、アキが『天鼓』と唱えるか発動を念じるかすると、周囲の魔素を雷魔法に直接変換し、それをナルカミ自体に蓄えられた魔力で強化した上で、付与された刻印に向かって放たれる術式が刻まれている。
一度『天鼓』を発動すると、付与された刻印は消滅し、もう一度付与せねばならぬ点や、刻印を個別に選んで発動できぬ点など、いくつか欠点はあるが、それでも充分な強さである。
『天鼓』の威力であるが、雷と同程度であり、これは標的が一人でも百人でも変わらぬ。
刻印を付与する条件は、血液に含まれる魔力とナルカミの刀身が直接触れる事である。つまり、髪に掠ったり、鎧のみを切ったとしても、『天鼓』の標的にはならぬ。
ナルカミの素材には、元々アキが愛刀として使っていたが折れた刀が用いられているため、アキとの融和性が高く、アキが使用する場合、アキの消耗はほとんど無い。例えナルカミが欠けたり折れたりしても、鞘に収めてアキが帯びているだけで徐々に修復されるほどである。
それから、アキが握っている場合に限り、自動で魔闘法が発動するので、基本的に何でも斬れる。それゆえ、間合いさえ気をつければ、刻印を付与できるだろう。
「なかなかに強いな」
「だろ?」
「ああ。アキが使ってこそ、だが」
「それでいいのだ。ワタシの武器だからな。じゃあ次はデンテイだな」
「やってみよ」
アキはそう言い、ナルカミを置き、デンテイを抜いた。
デンテイの腹が俺の体に押し当てられると、先の『天鼓』より若干弱い威力の雷魔法が発動し、全身が痺れた。こちらは無音であるし、滅紫の稲光も無い。
アキは満足したのか、次は俺の腹にデンテイを刺した。すると、全身を雷撃が巡り、雷撃が巡った箇所にある俺の魔力を勝手に雷魔法に変換され、全身を焦がした。
「どうだ?」
「俺でなければ、刺された時点で即死だ」
「じゃあ結構強いな」
「ああ。詳しく見ても?」
「頼んだ」
アキからデンテイを受け取り、天眼で詳しく見た。
デンテイはアキが握っている状態で、アキ以外の肌にデンテイの腹が触れると、攻撃対象の体表を雷魔法が駆け巡る。威力は、人間が相手であれば、気絶するか死ぬかは運次第という程度の強さである。
デンテイをアキが握っている状態で、刀身の半ば以上を生物に刺すと、攻撃対象が肉体の表面から内部へと変わり、体内を雷撃が走る。この雷撃には、血液に含まれる魔力を雷魔法に変換する効果があり、余程の魔力量か魔法制御能力がない限り、体内で雷魔法が暴走して死ぬ。
デンテイの素材にも、ナルカミと同じ割合で、アキの旧愛刀が使われており、こちらもアキとの融和性が高い。
アキ自身が、ナルカミと同時に帯びている場合に限り、デンテイは修復される。これは、ナルカミの修復能力を流用しているからだ。
それから、ナルカミと違い、デンテイは魔闘法を自動で発動せぬ。魔闘法の自動発動ができる方が、高性能すぎるのである。
デンテイはあくまで予備武器である脇差であり、ナルカミが使用不可となった場合の、護身のための性能しか備えておらぬ。それゆえ、デンテイは対個人を想定した術式のみが刻まれている。まあ護身には過剰な性能ではあるのだが。




