第380話
ふと目を開くと、かつて見た天界の景色がそのまま広がっていた。ここに来たということは、やはりお告げがあるのだろう。
「俺はこっちだ、魔天使族の」
背後でヴォクラー様ではない声がしたので、咄嗟に振り返り、抜剣しようとしたが、柄を掴むはずの右手が空を掴み、教皇用の法衣を着ていることを思い出した。
背後にいたのは、気配のみで姿が見えぬ奇怪な存在であった。
「警戒するでないわ、使徒如きが」
「…何者か」
「リャゴスティヤンだ」
「初耳であるが…」
「当たり前だ。使徒などという下級職に俺の存在が洩れて堪るか」
「下級職…」
「貴様の位などどうでもいい。お告げをくれてやる」
「お待ちを。ヴォクラー神はどこに?」
リャゴスティヤンと名乗った奇怪な存在は、お告げを言い始めようとしたが、ヴォクラー神のお告げは、使徒が神から直に賜るものである。どこの誰とも知れぬ者から聞くものではないのだ。
「非常事態だということが分からんのか。世界神オーギュスト様からの呼び出しだ。それも宗教神ギヨーム様が直々にお迎えに上がるほどの、非常事態だ」
「左様か。それで、貴殿は何者か」
「ヴォクラー神の代理、リャゴスティヤンだ。天使界の次席だ。お前は末席だ。敬意を表せよ」
「左様でありますか。代理であるなら、お告げを賜りたく」
ヴォクラー神の代理であるなら、なるべく早くお告げを貰って、なるべく早く帰してもらいたい。ヴォクラー神と違い、リャゴスティヤンと一緒にいても居心地が悪いだけだ。
「伝えよう」
『一つ。サヌスト王国は、サヌスト帝国へと国号を変え、サヌスト国王はサヌスト皇帝を称すること。
一つ。テイルスト、クィーズス、ノヴァークの三国を併呑し、文武各部門を統合すること。
一つ。白蓮隊員を各部門顧問として配置し、その意向に概ね従うこと。以上。』
リャゴスティヤンが言うと、お告げが記憶にねじ込まれた。忘れてしまわぬように、とアシルから紙を貰ったが、これでは忘れようもあるまい。レリアに関する記憶と同等以上に忘れ難き記憶となった。
「白蓮隊員とは誰です?」
「今から会わせてやる」
リャゴスティヤンがそう言い、指を鳴らしたような音が続くと、百名ほどの人型の天使族が整列していた。軍のような並び方であるが、軍のような規律正しさは感じられぬ。
「白蓮隊副長グスタフ・ルホタークであります、総隊長殿」
指揮官が立つべき場所に立っていた男がそう言って近づき、俺に握手を求めた。俺が総隊長なのか。初耳だ。
「ああ。ジル・デシャン・クロードだ」
「は…?」
俺が名乗り、ルホタークと名乗った者の握手に応じようとすると、ルホタークは眉をひそめ、差し出した手を引っ込めた。
「忘れていた。お前に改名を命じる。お前自身は『ヴィルジール・デシャン・トラヴィス・フォン・モレンク=ロード』を名乗れ」
「なぜ改名を?」
「神のご意志だ。貴様の弟妹にも改名を命じる。アシル=クロードを称する弟は『シルヴィン・クロード・フォン・モレンク=スタール』、ウルを称する弟は『ウルヒラム』、ルカを称する妹は『シャールカ』を名乗れ。以上だ」
リャゴスティヤンは俺の問いには答えず、指示のみを伝えた。なぜ改名せねばならぬのであろうか。
「質問は禁ずる。俺は貴様などと違って忙しい。副長に聞け」
リャゴスティヤンに対し、再度質問をしようとすると、俺が声を発する前にそう言い、気配が消えた。俺はリャゴスティヤン無しで帰れるのであろうか。
「総隊長殿、私が説明を」
「ああ。それは良いが、俺は帰れるのか?」
「はい。手配は可能です」
「ならば説明を」
「は」
ルホターク副長はそう言うと、色々と説明を始めた。
まず、改名について。
俺とアシル、ルカ、ウルの名は、本来は別の神の下に生まれる天使族につけられる名であったそうだ。その神というのが、上位神だそうで、かなりの問題となり、呼び出されているそうだ。
ちなみに、天使族には存命中は同名をつけてはならぬ掟があるそうで、この掟を破れば、同名の天使族に加え、かつて同じ名で死んでいった天使族の魂も破壊されるそうだ。これは、人間が水中で長時間の活動ができぬように、決して逆らえぬ掟だそうだ。
俺の名の意味であるが、『ヴィルジール』は『ジル』に代わるもので個人名、『デシャン』はそのままで中間名、『トラヴィス』は先々々代の天魔総長(今のオディロンの職)で中間名、『フォン』は白蓮隊が導入させる新貴族制度に関わる称号で中間名、『モレンク』は血閥制度を知って急遽用意された血閥名で家名の一部、『ロード』はモレンクと併せて『モレンク血閥の主』という意味の家名だそうだ。
自分の名であるのに、しばらくは覚えられそうにないな。アシルに貰った紙に書いておこう。
次に、白蓮隊について。
ヴォクラー神の指示により、リャゴスティヤンが編成した、元人間の各種天使族約百名からなる部隊だそうだ。戦闘要員だけでなく、技術者なども所属しているそうだ。
戦闘要員でも、天力や魔力などを魔法に変換する事はできぬそうで、剣術や体術などによる戦闘しかできぬそうだ。これは、白蓮隊のみに頼った戦争をせぬ為だそうだ。
ちなみに、白蓮隊は、リャゴスティヤンの趣味が前面に出ているそうで、たまに意味の分からぬ語が使われているそうだ。
白蓮隊の編制について。
一番隊は、戦闘要員であったり、軍事教官であったり、軍略家であったり、軍事に関する人員が揃えられている。
二番隊は、政治的な人員が揃えられており、お告げにあった『白蓮隊員の意向に概ね従うこと』というのは、この者達の意向を指す。
三番隊は、魔法技術に関する技術者が揃えられている。魔法技術とは、魔導具であったり、魔法術式であったりを管轄するそうだ。ルホタークもよく分かっておらぬ。
四番隊は、非魔法技術に関する技術者が揃えられている。これは、魔法を使わぬ技術全般で、今サヌストにある技術の大半はこれに属し、それらの上位互換を、この技術者達は作るそうだ。
五番隊は、いずれにも属さぬ者が集められているそうで、ルホタークによれば、『余り物の寄せ集め』だそうだ。
各隊は十五名強で構成され、組長が指揮し、伍長二人が補佐をするそうだ。理由は知らぬそうだが、『隊長』ではなく『組長』という語が使われている。
「それで、ルホターク副長、俺はお告げを今すぐにでも伝えたいゆえ、早く帰りたいのだが、おぬしらはどうする?」
「一番隊から、ドラホミール・オンドラークとアデーラ・オンドルフを、従卒としてつけます。彼らに申し付けてくだされば、すぐにでも到着します」
ルホタークがそう言うと、男女が一人ずつ前に出てきた。二人とも若く見える。まあ天使族であるから、見た目など年齢をはかる尺度としては信じられぬが。
「そうか。向こうに行き、事情を説明したら、すぐにでも呼ぼう。むろん、色々と手配せねばならぬゆえ、数日は要するであろうが」
「ええ。お待ちしております」
「ああ。では戻る」
俺がそう言うと、ルホタークが俺に手をかざし、視覚が失われる程その手が光り輝き、それが収まると、元の教皇専用祈祷室に戻っていた。
「ここがサヌストですか…」
「天界と同じですね」
「当たり前だ。聖堂内であるぞ」
「そうですか」
「ところで、おぬしらはどちらがどちらだ?」
従卒としてつけられた二人を、ルホタークは名のみ紹介したが、俺からすれば、どちらをどう呼べば良いか分からぬ。
「ドラホミール・オンドラークであります」
「アデーラ・オンドルフです」
男がオンドラークを名乗り、女はオンドルフを名乗った。地上では聞かぬ名だが、まあ天使族の掟に則れば珍しい名が付けられるのも仕方あるまいな。
「猊下、何事ですか」
急に扉が叩かれ、外の聖騎士がそう言った。いきなり話し声が聞こえたので驚いたようだ。そして、聖騎士の声に驚いたのか、従卒二人も剣の柄に手をかけている。
「お告げが下された。枢機卿を集めよ」
俺がそう言いながら扉に近づくと、従卒二人は警戒を解いて扉を開いた。二人の紹介もせねばならぬな。
「承知いたしました。ただちに」
聖騎士はそう言い、四名を残して枢機卿を呼びに行った。
今更であるが、お告げを初めに伝えるべきは、枢機卿ではなく陛下であるような気もするな…いや、宗教的な事であるから、まずは枢機卿に相談してからで良いか。陛下もご納得いただけるだろう。




