第379話
総報告会議を終えてから、昼間は王宮に通い、夜間は帰って一人で文献調査を行う日々を過ごし、ついに十二月三十一日となった。
俺は日が昇る前から王宮に来て、色々と装飾のありすぎる衣装を着せられている。普段から鎧を纏うことが多い俺であるから動けるが、神殿や教会に籠ってばかりの聖職者が着たら動けなくなるのではなかろうか。
教皇用の衣装を着た俺は聖王アンドレアス聖堂で陛下と合流した。
ちなみに、今日の俺は教皇として来ているので、名誉聖騎士の称号を得たエヴラールのみを伴っている。名誉聖騎士とは、聖堂騎士団長の指揮下にはないが、聖騎士としての権限を一部付与された者を指し、例えば貴族が聖なる試練によって聖職者となり、聖域に私臣を帯同させる場合などに付与される。
サヌストにおける月隠りの祈りは、聖王アンドレアス聖堂で、サヌスト国王と国内最高位聖職者によって執り行われ、この二人以外は見学することはできぬ。そのため、今は俺と陛下の二人きりだ。
「お待ちしておりました、教皇猊下」
「早速ではありますが、始めましょう」
ヴォクラー神の地上における代理人である教皇と、ヴォクラー教徒の代表者を自称するだけのサヌスト国王とでは、教皇の方が上席ではあるのだが、教皇もサヌスト国民であるからサヌスト王家は主家にあたるため、この二つは微妙な関係である。まあ俺達は本人同士に交流があるので、気まずくはならぬ。
月隠りの祈りは、国王が一年間の報告を、ヴォクラー神の代理人である教皇に対して行った後、聖書のヴォクラー神を讃える部分を分担して朗読し、最後にしばらく黙って祈りを捧げて終わる。
月隠りの祈りを終え、聖堂を出ると、ヴァーノン卿とニルス大司教が待っていた。俺は聖ソフィアン大聖堂に、陛下は年越しのパーティーに、それぞれ向かわねばならぬ。俺としては、貴族ばかりが集まるパーティーなど、参加したくもないので、教皇になれて良かった。
教会の紋章がついた、四頭の白馬が牽く馬車に乗り込み、王宮を後にした。どうやら、聖ソフィアン大聖堂の周辺は、聖堂騎士団によって立ち入りが禁じられているようだ。応援に来たのか、アラン殿の姿もあった。まあ互いに立場があるゆえ、挨拶などできぬが。
聖ソフィアン大聖堂に着き、教皇専用の祈祷室に通された。俺の教皇就任を機に、奥のほうに新設された部屋であり、元々は公開せぬ聖遺物の保管をしていたようで、今もいくつか残っている。
「教皇猊下、昼食後に始めますので、楽な格好でこちらへ」
俺はニルス大司教に言われ、幾人かの助祭に手伝われながら、上着を脱いだ。黄金やら宝石やらがついていたので、かなり重かった。上着だけでなく、指環やら頸飾やらの装飾品も外した。これらの品は、汚したり壊したりしてはならぬゆえ、外せて気が楽になった。
教皇専用祈祷室を出ると、歩哨の聖騎士が増えていた。どうやら外で西方教会の法皇によって送り込まれた者が十人ほど暴れたようで、念のために増やしたそうだ。
食堂につくと、エヴラールを挟んでアキとアシルが睨み合って待っていた。エヴラールには可哀想なことをしたな。連れて行けば良かった。
「何かあったか」
「最後に話をしに来ただけだ。家はワタシに任せておけ」
「最後?」
アキは最後の会話というが、どういう意味であろうか。まさか、俺が死ぬとでも思っているのであろうか。それとも、単なるヤマトワ語からの誤訳であろうか。
「もうちょっと今年が終わるからな。今年の旦那様は最後だ」
「なるほど」
「兄上、そのような戯言に耳を貸すな。俺の話を聞いてもらおう」
「焦らずとも、二人の話であれば聞く。それで、話とは?」
「おい、旦那様は朝から何も食べずに月隠りの祈りをしたんだぞ。まずは昼を食わせてやれ。お前の話は後だ」
「まあいい。兄上も立ってないで座れ」
「ああ」
俺がアシルに言われてアシルの正面に座ると、アキが隣に来た。
ニルス大司教が一礼してどこかに行くと、幾人かの助祭が昼食を持って来てくれた。
「アシルよ、話とは何だ?」
「ああ。法皇聖騎士団の刺客は聞いたか?」
「先ほど聞いた。十人ほどが暴れたが、聖騎士に制圧されたと」
「そのうちの一人を借り受けて、俺の部下が尋問した。聞きたいか」
「ああ。念のため聞いておこう」
「では話そう。何か質問があれば、すぐに聞かせる」
アシルはそう言い、説明を始めた。
今回の襲撃は、法皇の指示を受けた聖騎士二名が、聖騎士でない西方教会派八名を率いて、民衆を扇動しようとしたそうで、扇動できなかったために自らで暴れたそうだ。
襲撃の目的であるが、『偽の神を崇める邪教の長による偽のお告げを防ぐため』だそうだ。端的に言えば、俺の暗殺である。
枢機卿団としては今回の件に関し、聖堂騎士団に対して法皇の暗殺命令を出す方向で協議を進めているそうだ。襲撃があったばかりであるのに、もう協議を始めているのか。枢機卿というのも意外と暇なのかもしれぬな。
西方教会はクィーズスとテイルストとの国境近くのサヌスト国内に拠点を構えており、基本的にはこの三国の国民が信者となっている。現在の法皇はルーファス・グラハム・マーレイというテイルスト人で、この人物に代わってから妨害やら暗躍やらが増えたそうだ。
このマーレイという人物は、元々はテイルスト軍の士官であるそうで、テイルスト軍からの情報提供によると、攻撃型の士官で、賊を追ってクィーズス領まで入り込み、農地を荒らしてまで賊を討伐し、クィーズス王を怒らせて、開戦寸前まで緊張感を高め、それが原因で軍を追われたそうだ。ちなみに、その時はテイルスト王の尽力によって、開戦は避けられたようである。
「その武闘派教皇を殺すなら、ワタシに依頼しろ。最近は体が鈍っているのだ」
「法皇だ。それに、何かあった時に傍にいてもらわねば、俺が困る」
「旦那様…もっと言え」
「いや、もう言わぬ。聖騎士を派遣して法皇を殺す。ついでに西方教会の法皇聖騎士団を壊滅させる。これはおぬしだけでは達成できまい?」
「旦那様、ワタシは褒められながら止められたいのだ。ワタシの不可能を理由に止められたくない」
「そうか」
しばらくはアシルの説明を黙って聞いていたアキであるが、説明が終わった途端に、アシルが存在せぬかのように話し始めた。
「おい、あんたの意見はどうでもいい。何なら先頭に立って討死してくれても構わん」
「お前、不敬だぞ。伯爵風情が、公爵夫人で教皇夫人でもあるこのワタシに対して…」
「それは俺が言うべき言葉だ。ヤマトワ人風情が、サヌストから追い出さんだけでもありがたいと思え。文句があるなら失せろ」
「貴様ッ…ワタシは怒った。旦那様が祈り始めたら、お前を殺す。安心しろ、ここは教会だから、すぐに埋めてやる」
「ここは聖堂だ。改宗したばかりの異教徒め。俺が異端審問にかけてやる」
「エヴラール、二人を近づけるでないぞ」
「は。善処いたします」
二人が口喧嘩を止めぬので、俺はエヴラールに仲裁を頼んでおいた。
だが、エヴラールは『承知』ではなく『善処』と言った。有り得ぬと思いたいが、二人が殴り合いや殺し合いなどを始めた場合には、エヴラールではどうにもならぬ。
「言い忘れていたが、二人とも、エヴラールに何かあれば、分かっておろうな?」
「何の話だ?」
「いや、エヴラールに仲裁役を頼んだのだ」
「兄上、仲裁役などいらん。代わりにこの女の飼い主が必要だ」
「貴様ッ!」
「俺の話を聞け。エヴラールに仲裁を頼んだゆえ、揉めた時にはエヴラールの指示に従え。分かっているとは思うが、俺が戻った時にエヴラールが傷ついていれば…」
「いれば?」
「おぬしらの負担が倍になる。承知しておけ」
俺はそう言い、立ち上がった。二人とも他に大した用事は無いようであるから、勝手に争っていれば良い。わざわざ止めてやるほど、今の俺に余裕は無いのだ。
「兄上、待て。これを渡しておく」
「何だ?」
「お告げがあれば、忘れないうちに、走り書きでもいいから書け。兄上が一言間違えれば、幾万の同胞が神の意に叛く事になる」
「確かにそうだ。礼を言う」
アシルに呼び止められ、十枚程度の紙と筆記用具一式を渡された。おそらく教皇専用祈祷室にも用意してあろうが、こういうものは多くても困らぬゆえ、ありがたく受け取った。
「旦那様…ワタシは何も渡すものはないが、帰ったら『あけましておめでとう』と言わせてくれ」
「…勘違いしているようだが、俺は今から危険な事をする訳ではない。祈りを捧げるだけだ。それゆえ、必ず帰る」
「待ってるぞ」
「ああ。では」
俺はそう言い残し、護衛の聖騎士を伴って食堂を後にした。
教皇専用祈祷室に戻り、先ほど脱いだ上着を着せられると、ニルス大司教が来た。
「教皇猊下、どうかよろしくお願いします」
「ああ。貴殿らも祈れ」
俺がそう言うと、ニルス大司教は一礼して扉を閉めた。変な事でも言ったかもしれぬな。
俺は祭壇に向けて跪き、目を瞑って祈りを捧げ始めた。




