第369話
俺はエヴラールを伴って王宮を出、王都の屋敷に戻った。
ロイクを呼び、十日ほど休暇を貰ったことと、それゆえに聖都に戻ることを伝えた。念のための連絡係として、エヴラールとケリング隊を残していくことにしたので、それも伝えた。
それから、リンとアルフォンスを呼び出して同じことを伝えた。アルフォンスには部隊を連れて帰るように言ったので、俺はリンを連れて転移で帰ることにした。ちなみに、アルフォンス隊はガッド砦を焼き払った上で引き払い、ゲリー・オヘアとその一味を放火魔として処理した。証拠を残さぬためである。
昼食後、俺はリンを連れて聖都の屋敷の庭に転移した。すると、アキが忠犬の訓練をしていた。球のようなものをアキが投げ、忠犬がそれを回収しているのだ。
俺が来たことに気付くと、球を持たぬ三匹が俺に向けて駆け、少し遅れて球を咥えていたアルゲニブも球を落とし、兄姉を追った。
「旦那様が来ると、練習にならんな」
「そうか。では王都に戻ろう」
「意地悪を言うな、ばか。旦那様に懐いているのは、犬どもだけじゃないんだぞ」
アキはそう言い、俺に近づいてきた。リンが気を遣ってか、俺から少し離れた。
距離の問題もあり、アキが忠犬より先に俺に抱き着いた。やはり落ち着くな。
「旦那様」
「何だ?」
「ちゃんと耐えろよ」
アキがそう言った直後、押し倒された。三匹の忠犬が俺とアキに飛びつき、その衝撃で倒されたのだ。そして、大きな舌で顔を舐め回されている。遅れてきたアルゲニブは、俺達の周囲を駆けながら吠えている。
前に見たときは中型犬程度の大きさだったが、既に大型犬より大きいし、力も強い。これで子犬か。
「おぬしら、大きくなったな」
「ワタシもびっくりしてる。爺様に聞いていたより成長が早い。もしかしたら、旦那様の魔力が多いからかもな」
「そういうものか」
「知らん。ワタシも犬を飼うのは初めてだ。忠犬なんて、見るのも初めてなんだぞ」
「それもそうか」
「あの、助けて…」
アキと顔を見合せて話していると、リンがアルゲニブに押し倒され、顔を舐められていた。リンに懐いているというより、リンを飴か何かだと思っているような舐め方だ。
「アルゲニブ、待て」
アキが特に大きい訳でもない声でそう言うと、アルゲニブはリンの傍らに座った。良く躾られているな。
「アルフェラッツ、マルカブ、シェアト、待て」
アキがそう言うと、俺達に覆い被さっていた三匹も座った。生後一ヶ月とは思えぬほど従順だな。
「旦那様、リン、とりあえず立て」
「ああ」
俺はアキに言われて立ち上がり、四匹の前に立った。座っていても大きいな。知らずに出会ったら、驚いて斬ってしまうかもしれぬほどだ。
「アルフェラッツ、マルカブ、シェアト、アルゲニブ、取ってこい!」
アキがそう言い、近くにあった石を遠くに投げると、四匹は争うように駆けていった。あのようなどこにでもありそうな石でも、忠犬は見失わぬのであろうか。まあ犬は嗅覚が優れているゆえ、匂いか何かで分かるのだろう。
「旦那様、頼みがある」
「言ってみよ」
「忠犬飼育係を作れ」
「承知した。各個体に専属の飼育係を、三人ずつ付けよう。それから、餌の管理など雑務係として三人ほど余分に加えておこう」
「犬を飼うためだけの係に、十五人もいりますか?」
「リン、お前の田舎ではどうだったか知らんが、農村の牛馬は大事な財産だろ。それと一緒だ」
「それはそうですけど、それでも専属の飼育係なんていませんよ」
「そうか。アキの例えが適切かどうか分らぬが、それだけ大切に扱わねばならぬ存在であるのだ」
「ワタシの爺様からの贈り物だからな」
「そうなんですか…」
リンは会話を終わらせたいような声色でそう言い、俺の背に隠れた。四匹が戻ってきたのだ。今度は、シェアトが石を咥えている。
「アルフェラッツ、マルカブ、ボールを取ってこい」
押し倒されぬように構えていると、アキの号令によって二匹が反転した。それから、シェアトは石をアキに返さねばならぬようで、俺の方に向かってくるのはアルゲニブただ一匹であった。
せっかくであるから、俺は両手を広げてアルゲニブを受け止めた。なかなか可愛らしいではないか。
「アルゲニブ、おぬしはなかなかに愛い奴だ。何か食べるか」
「旦那様、ダメだぞ。まだ離乳前だ」
「そうか。残念であったな」
「あとな、一匹だけ特別扱いするな」
「すまぬ。シェアト、アルフェラッツ、マルカブ、おぬしらも来てみよ」
俺がそう呼びかけると、三匹が駆けてきた。アルフェラッツが球を咥えていたが、割れてしまった。割れるものなのか。
三匹は俺の周りに来ると、撫でよと主張するかのように頭や顎などを差し出し、シェアトに限っては体を俺に擦り付けている。
「旦那様、あんまり興奮させるな。あのボールも、無限にあるわけじゃないんだぞ」
「すまぬ。ところで、あの球は何であったのだ?」
「ナントカと言う魔物の膀胱だ。それに魔力と空気を入れて膨らませると、よく跳ねる球になる。人間の力じゃどうにもならんくらい丈夫なはずだが、コイツらは噛む力が強いからな」
「まだ幼体であろう?」
「旦那様、人間の赤ちゃんも、授乳のときに母親が痛いくらいに嚙みつくぞ」
「アキさん、あれは噛む力がどうとかいう話じゃなくて、吸う力が強くからなんですよ」
「詳しいな。もしかして、お前は子持ちの未亡人か?」
「どっちも違いますよ。赤ちゃんの面倒を見てるときに、その子の親から聞いたんです」
「…悪いことを聞いたな」
アキはそう言ってリンに謝った。
リンの故郷は賊によって壊滅させられ、一部の若い女以外は全て殺されているのだ。おそらく、リンの言った赤子とその親も死んでいるだろう。いや、母親は生きている可能性もあるが、村を出ていない限り、父親と赤子は殺されているだろう。
「私の思い出を、勝手に悲しいものにしないでください。楽しい思い出だって、いっぱいあるんですから」
「すまん」
「謝らないでくださいよ。気まずい感じになっちゃうじゃないですか」
「じゃあワタシは許されたんだな?」
「許すも何も、最初から責めてないですよ」
「ならいい。シェアト、マルカブ、この女を舐め回せ」
アキがそう言うと、シェアトとマルカブが俺から離れ、リンを押し倒して顔を舐め始めた。身振りによる合図がなかったので、もしかすると忠犬は言葉を理解してるのかもしれぬな。
「アキ、忠犬はサヌスト語が分かるのか?」
「ワタシが教えたからな。自分ときょうだいの名前、世話をするヤツの名前、簡単な命令は教えたし、ユキとかカイが二歳ぐらいの時に理解していた言葉も、なんとなく理解してるみたいだぞ」
「そうか。試しても良いか?」
「ああ。変なことを言うなよ」
二歳のユキやカイが理解していた言葉は分かるそうだが、ユキはかなり聡い子であるゆえ、基準が分からぬな。そもそも、二歳児と話したことなどないので、ユキが平均的であっても分らぬが。
「アルフェラッツ、白い猫、探す、行け」
俺がそう言うと、アキに対して許可を求めるような視線を送った。二歳児は第三者に対して許可を求めたりできるのであろうか。まあ二歳のユキであれば許可を求める選択肢もあるだろうし、二歳のカイであれば姉に許可を求めそうだ。
「やめ。白い猫は大事だ。放っておけ」
アキがそう言うと、アルフェラッツは一度だけ吠え、詫びるように体を摺り寄せてきた。謝罪という概念があるのか。なかなか賢いな。
「旦那様、別に片言になる必要はないぞ」
「そうか。分かり易く、と思ったのだが」
「気にするな。犬は聴覚も優れているらしいからな」
アキはそう言い、アルゲニブの頭を撫で、アルゲニブは気持ち良さそうに目を細めた。
「助け…て」
俺とアキが、アルフェラッツとアルゲニブを撫でていると、リンの助けを求める声がした。振り向くと、リンはシェアトとマルカブに埋もれ、この二匹の唾液に塗れている。
「シェアト、マルカブ、退け」
アキがそう言うと、二匹はリンの傍らに座った。本当に従順だな。
「リン、悪かったな。ワタシが直々に背中を流してやろう。裸の付き合いだ。もちろん、旦那様は抜きにしてやる」
「ありがとう…ございます。唾は乾くと臭くなりますからね」
「なにっ、もっと早く言え、馬鹿者」
「アキさん、なるべく早く行きましょう」
「アルフェラッツ、シェアト、マルカブ、アルゲニブ、水浴びしてから帰れ」
アキがそう言うと、忠犬四匹は池に向かって駆けていった。池があって良かったな。まさか犬の水浴び場になるとは誰も思っていなかったが、使わぬよりは良かろう。
「旦那様、アズラ卿が呼んでたぞ。今日中に領主館に行ってやれよ」
「承知した。忠犬飼育係も編成しておく」
「頼んだ。それじゃあ、またあとで」
「ああ」
アキは慌ただしくアズラ卿からの伝言を残していった。もっと早く教えて欲しかったな。まあ良いか。




