第361話
アシルが用意した馬車で王宮に来ると、陛下の私室に通された。陛下を中心にし、ジェローム卿とジュスト殿、ヴァーノン卿が集まり、話し込んでいた。
「ジル卿、久しいな」
「は。お久しぶりです、陛下」
「ジル卿には申し訳ないことをしたな。ちょっと掛けてくれ」
俺は陛下に言われるまま、指定された椅子に座った。アシルも隣に座った。
「ゼーエン作戦があったろう。本当はジル卿と奥方、あ、第一夫人が、我々に遠慮することなく新婚旅行に行くために用意した名目だったんだが、奥方が妊娠したと聞いて時期が悪かったな、と、まずは謝らせてくれ」
「なりませぬ、陛下。お心遣いいただいただけでも充分です。新婚旅行に関しては、情勢が落ち着けば正式に休暇を頂きますので、その時に申請を受理していただければ、と」
「そう言ってくれて気が楽になった。そうだ、ジル卿にはフェリシアを紹介していなかったな。今日の昼食が決まっていなかったら、一緒に食べよう」
「は。是非ご一緒させてください」
「うん。そうそう、フェリシアで思い出したんだが、サンドリーヌという人がいて、あ、フェリシアを保護してくれていた人で、これがかなり優秀なんだ。今は人手がいくらあってもいい時期だから、ぜひ部下にしたいんだが、断られてしまっていてな。ジル卿にも説得してほしいんだ。私が聞くところによると、クィーズス人の農民の娘を優秀だからといって、部下にしたそうじゃないか。状況は違うが、サンドリーヌも説得してくれ」
「陛下がそこまで仰るとは、かなり優秀な御仁でしょう。私も会ってみたく思います」
「うんうん。それはそうと、ジル卿、身内に貴族を増やしてもらいたいんだが、誰かいないかな。というのも…」
「陛下、一度に申されても、ジル卿は忘れてしまいます。会えて嬉しいのは私も一緒ですから、どうか落ち着いてください」
「そうだな。すまん。忙しい訳でもないし、ゆっくり話そう」
ジュスト殿に窘められ、陛下は氷の入った果実水を飲んだ。氷が手に入るようになったのか。まあ今は秋なので、夏ほど輸送に難があるわけでもないか。
落ち着いた陛下は、ゆっくりと話し始めた。やはり落ち着いてもらっていたほうが良いな。
身内に貴族を増やさないか、という誘いにはいくつか理由があった。
まず、武家貴族と公家貴族を統合し、王国貴族と称する。爵位については、公家のものを用い、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵とする。
公家貴族の爵位はそのままに、武家貴族のみ爵位の変更がある。現当主、先代、先々代の最終的な階級や功績などを考慮し、爵位が決められる。例えば、ジェローム卿は侯爵に、ジュスト殿は伯爵に、といった具合だ。
次に、ゼーエン作戦で調べた三国の国王に対し、新たな爵位を用意する。これまで王として君臨していた者が、単なる臣下である従来の爵位を名乗るのは、国王である三人の自尊心を傷つけるためである。
国王とは爵位ではないから、国王であった三人には、サヌスト王家に対する多大なる領地の獲得に関する功績に対し、大公に叙爵する、という名目である。ちなみに、大公とは魔王時代にあった称号で、魔王の親族が名乗ったそうだ。魔王に親族がいたのか。
国王を大公に叙する際、王族のうち爵位をもつ者は単なる貴族になってしまうため、旧王家としての枠組みを作る。名称は未定であるが、とりあえずは旧王家と呼んでいるそうだ。
この旧王家の定義は、色々あるが、同一の血族、それらの配偶者、配偶者の兄弟姉妹のうち指定した者、これらのうち爵位をもつ者が五名以上おり、かつその最上位者が公爵以上である貴族集団とするそうだ。つまり、本当の意味での旧王家ではない、ということだ。
この旧王家には、何らかの形で強い発言権を与える事が予定されおり、各地の貴族を纏める事が期待されているそうだ。となると、現在のサヌスト王国の貴族を纏める者がおらず、新サヌスト王国内での政争において不利になる可能性が高い、との事だ。
そこで、俺の一族を制度としての旧王家に指定し、現サヌスト王国地域の貴族を束ねてほしい、とのことである。ジェローム卿やジュスト殿、ヴァーノン卿ではなく俺が選ばれたのは、俺が最も長く生きそうだから、だそうだ。
そういう訳で、俺を制度としての旧王家に指定するため、武家貴族と公家貴族の統合による混乱に紛れ、俺の一族から数名を貴族当主に叙する、との事だ。後で皆と相談して決めよう。
それから、話は変わるが、三国を併呑した後の公的な組織について、である。公的な組織というのは、武官の組織も文官の組織も含まれている。
今のサヌスト軍は、陛下が大まかな指示を出し、ジェローム卿が詳細を決め、中央軍と辺境軍の各部隊に命令が下されている。
しかし、三国を併呑した後は、概算ではあるものの、今のサヌスト軍の三倍〜四倍近くになる。これは推定される正規軍の兵数を足しただけであるから、例えばテイルスト軍の実働部隊であるノヴァーク傭兵などを加えれば、おそらく五倍は超えるそうだ。
さすがに、これではジェローム卿ひとりに任せる訳にもいかぬ。まあ各国の軍隊にも、それぞれ指揮官がいるわけであるから、その者達がどうにかするだろうが、全体を取り纏める者が必要となる。まあこれはジェローム卿がやる事になっているのだが、個人の才に頼り切った組織は脆弱であるため、制度を整えねばならぬ。
文官の組織であるが、これは各国で指揮系統が異なるため、組織の再編はかなりの手間がかかるそうだ。
サヌストでは、国王に直属する部門と、宰相を介して国王に属する部門に分かれており、前者は財政や人事、司法などがあり、後者は政策の立案や施行、領土の管理などがある。
クィーズスでは、サヌストと同じく国王に直属する部門と、宰相を介して国王に属する部門に分かれているが、各部門の内容は異なる。
テイルストでは、国王に直属する部門、国王から独立して副王に属する部門、宰相を介して国王に属する部門がある。国王から独立して副王に属する部門に関しては、国王も命令権を持たぬそうだ。
ノヴァークでは、全ての部門を宰相が統括し、国王は宰相に対して命令する。ノヴァークの宰相は武官であり、どちらかと言えば監査役なので、各部門の責任者が国王に直属しているようなものである。
武官も文官も、人数がかなり増えるので、この混乱もあるし、徴兵や徴税などに関しても、各国で制度が違うので、この混乱もある。
武力などによって征服する訳ではないから、一方的に押し付ける訳にもいかぬので、難しい問題だ。まあ俺は悩んでも仕方ないので、戦に備えるだけであるのだが。
陛下の話を聞いていると、昼食時になったので、王宮の食堂に向かった。
道すがら、陛下自らフェリシア様を呼びに行った。
「アシルよ、一つ良いか?」
「何だ?」
「俺が今から会うフェリシア様だが、敬称は…?」
「陛下だ。サヌストは国王と王妃による共同統治を採っているからな…共同統治は分かるな?」
「ああ。一緒に国を治めるのであろう?」
「そういう理解でいいが…兄上、ちょうどいい機会だ。ゼーエン作戦が終わったら、勉強するといい」
「俺を幼子のように扱うでない」
アシルは兄に対して無礼ではなかろうか。いや、そもそも大人が大人に向かって『勉強せよ』などと言うのは、礼を失するのではなかろうか。
「ジル卿、勉強するのは子供だけじゃないぞ」
「そういうものか、ジェローム卿」
「そういうものだ、ジル卿。日常に学びは溢れている。それを意識的に行えば、ジル卿の思うような勉強になる。私の負担をいくらか肩代わりしてもらいたいものだな」
「それは…」
「兄上には無理だ。兄上は事務仕事が遅い。読むのも書くのも遅い。そして字が下手だ。阿呆という訳ではないが、事務仕事は遅い」
「…誰からの報告だ?」
「ジル卿、普段の行動を見ていれば、誰でも分かる。だがまあ、全軍総帥閣下の言うように、勉強頑張れよ」
ジュスト殿はそう言い、俺の肩を叩いた。俺が勉強をするのは確定なのか。一緒にリンも学ばせよう。いや、リンが学ぶのであれば、リンが学べば充分ではないか。
「それはそうと、兄上」
「何だ?」
「クィーズスの農民の娘を拾ったそうだが、本当に優秀なのか?」
「言っておくが、拾ったのは俺ではない。アキだ」
「兄上、質問に答えろ」
「優秀だ。両手で同時に、違う事を書ける。その間、別の話題の会話もできる。つまり、俺の質問に答えつつ、その議事録も作れるし、同時に別の事務仕事を終わらせてくれる。優秀であろう?」
「話を聞く限り、器用なだけだな。だが、兄上の遅筆が解消されるだけでも、今よりはいい」
「そうか」
「ジル卿、拾った経緯は?」
「案内人として雇っていた傭兵が用意した旅宿を、賊が占拠していた。この賊によって捕らえられていたところを、俺が助けた。以上だ。単純であろう、ジュスト殿」
「故郷が滅んだ事は言わないのか?」
「どこでそれを…?」
「俺の部下を同行させたことを忘れているのか、全く…」
「確かにそうであったな。この者の故郷の村が賊によって滅ぼされていたゆえ、俺はこれを撃破し、生き残りを雇った。使用人にでもすれば良いだろう」
「ジル卿は大胆だな…」
「褒め言葉と思っておこう」
アシル達と話していると、食堂に着いた。結構な距離があったが、陛下は食事の度に移動しているのであろうか。王宮暮らしも大変だな。




