第360話
帰宅した俺達が食堂に行くと、パーティの用意がされていた。
ユキがリンの歓迎会を今日企画し、カイがアキの帰還祝いの会を前々から計画していたそうだ。それから、俺が主役でない事を気遣ってか、サラ達が俺の教皇就任祝賀会という名目を用意したそうだ。これにより、壁には『ようこそ、カイラ・リン・トゥイードさん』『親愛なるアキお姉様、おかえりなさい』『ジル様、教皇就任決定おめでとう』という看板が並べられており、誰が本当の主役か分からぬ。
ヒナツも来ていたので、端の方で目立たぬよう一人で酒を飲んでいると、何を思ったのか、ルチアが横に座って食事を始めた。何も言わぬので、何を考えているのか一切分からぬ。
「おぬし、何か用か?」
「コンツェン軍と戦ったら、コンツェンの美女を亡命させて、クィーズスを旅したら、クィーズスの農民娘を攫って来て、今度はどこの誰を連れてくるんですか?」
「ヤマトワのアキを忘れているぞ」
「ルチアはそんな事を言ってるんじゃなくて…こうなったら、テイルスト人とか、ノヴァーク人とか…あ、ヴェンダース人もいますね。どうするんですか?」
「どうにもせぬ。そもそも俺はヴェンダース人に良い印象が無いのだ。堂々たる一騎討ちの末に討ち取った将軍の息子に、愛妻の命を狙われたのだぞ」
「あ、ミミの件ですね。あの時は、みんな大騒ぎでしたよ」
「…ミミと呼んでいるのか」
「仔猫なんて呼んでるのは、ジルさんだけですよ。せっかくいい名前なのに、何で呼んであげないんですか?」
「仔猫如きがレリアに名付けられるなど、図々しい事この上ない。レリアに頼まれておらねば、あのような猫、俺が斬っている」
「そんな事言ってたら、嫌われちゃいますよ」
「…気を付けよう」
用を聞いたら、説教が始まってしまったな。ルカがいれば途中で黙らせてくれそうなものだが、そういえば、最近はルカの監視が緩いように感じるな。まあ俺がいるので、ある程度の対処はできるのだが。
「ジル様、ちょっといいですか?」
再び黙って食事をしていると、俺とルチアの間にリンが座り、上目遣いでそう言った。酒臭いし、おそらく酔っているな。
「どうした、リン」
「教皇って、ヴォクラー神様の代理みたいな、そんな感じの人ですよね」
「うわ、酒臭い」
「わ、コンツェン人」
「ヤマトワ人だ」
リンとルチアが互いに指を差し合っていると、二人の間にアキが来た。アキも酔っているようだ。弟妹の前で…と思ったが、ユキやカイはもう帰ったようであるし、ファビオは寝転んでいたソファごとレノラが連れ帰った。
「大事な話をするのに、邪魔しないでくださいよ」
「そうか。では帰ろう」
「ジル様に聞いてるんです。どうなんですか?」
「その通りだ。ヴォクラー神の地上における代理人として、ヴォクラー教徒を導くという、おぬしの言った通りの教皇だ。まあ俺の場合は、枢機卿団なる顧問団が編成されるゆえ、これに聖務を代行させ、俺自身は武官としての任務を全うする」
「へ…?」
「もう一度言ってやろう。ヴォクラー神の地上における…」
「旦那様、ワタシが見込んだ奴を見縊るなよ。頭だけは優秀だからな」
「そうなんですけど…」
「謙遜しないんだ。ルチアだったら、ジルさんの前でそんな自信満々ではいられませんよ」
「私は農民ですからね。そんな学の必要そうな事はできませんよ、コンツェン人さん」
「侍女の権限で、このクィーズス人を解雇して、ここを出入り禁止にします」
「侍女に昇格したのか」
ルチアは侍女見習いであると聞いていたが、侍女に昇格したようだ。だが、侍女に人事権など与えておらぬから、ルチアによる解雇や出入り禁止の命令は無効である。
「してません。侍女見習いのままです、ジル様」
「そうか。サラ、明明後日、つまり十五日はエジット陛下の結婚式だ。俺とアキの用意をしておいてくれ。献上品は俺が用意する」
「承知しました」
背後に立ってルチアを否定したサラにそう言い、俺は立ち上がった。
自分で言っていて思い出したが、色々と用意する事は多いのだ。よく分からぬ宴会で、酔人の相手などをしている場合ではないのだ。
「絨毯の職人はどうした?」
「ハイウェル・ブランチャード・キューザック様でしたら、絨毯の用意を終え、既に工房の設計をしております」
「そうか。ならば、絨毯を持ち出せるようにしておいてくれ」
「承知しました」
「頼んだ。俺はもう休むゆえ、後の事は任せる。使用人寮にリンの部屋を用意してやって欲しいが、今夜は客室にでも泊めてやれ。アキが俺を探し始めたら、寝室にいると伝えよ。それから…そういえば、ルカはどうした?」
「ルカ様は…日中はルチアの監視をしていますので、いつも早く寝てしまいます。ルチアには我々がついていますので、ルカ様に対するご指示を訂正なさってはいかがでしょうか」
「そうしよう。相性の問題とはいえ、幼子にさせる事ではないな。これからはオディロンを監視役としてつけよう。礼を言う」
「いえ。明日の朝、ルカ様にお伝えします」
「ああ。では」
「旦那様…ワタシを連れて行け」
俺がサラと簡単な打ち合わせを終え、食堂から出ようとすると、ルチアを押し倒したアキがそう言った。サラと話している間に、揉めていたようだな。
「アキ、酒を飲みすぎるでないぞ。三日もせぬうちに、陛下の結婚式がある事を忘れてはならぬぞ」
「……ワタシも行くのか?」
「行かぬつもりであったか」
「外国人だからな。顔見知りはともかく、他の貴族も来るなら、あんまり良くないだろ。たぶん騒ぎになる」
「そうか。では一人で行こう」
「ベッドには連れて行けよ」
「ああ」
「ん」
アキはそう言い、両手を広げた。アキがこれほど分かりやすく甘えるなど、珍しいな。応えてやらねばなるまい。
俺はアキを抱き抱え、寝室に向かった。食堂ではルチアとトモエが騒いでいた。
翌朝。俺は隣で眠るアキを起こさぬようベッドから出て、とりあえず食堂に向かったが、途中でリンに呼ばれたのでそちらに向かった。
「おはようございます、ジル様」
「ああ。何か用か?」
「外国人がいると騒がれるって聞いたので、私はジル様に頼まれていた事を調べようかと思います」
「そうか。では頼んだ」
「でも、知らない人ばっかりなので、一筆書いてください。『このクィーズス人は部下だから、それなりの権限を』みたいな感じで」
「承知した」
リンに言われるまで気付かなかったが、リンにとってここは初めての地であり、つまり顔見知りと言えば、俺に近しい者しかおらぬということだ。これでは、領主館に行っても、怪しげな異国人として排除されてしまうだろう。
俺は適当な紙を出し、『カイラ・リン・トゥイード。ジル・デシャン・クロード本人の庇護下にあり、その補佐を務めるゆえ、それなりの権限を』と書き、署名したものをリンに渡した。
「アメリーという侍女がこの屋敷にいるはずだ。その者を伴って行動せよ」
「分かりました。ありがとうございます」
「ああ。では頼んだぞ」
「はいっ!」
リンは嬉しそうに答えると、紙を受け取って出掛けていった。アメリーを連れて行くよう命じたはずだが…まあ良いか。
リンを見送った俺が庭に出て、アルフェラッツ達を構っていると、サラが来た。
「ジル様のご用意が整いました」
「そうか」
「僭越ながら、献上予定の絨毯についても、牛車に載せてあります」
「そうか。礼を言う。ではエヴラールを」
「はい。談話室でお待ちください」
俺はサラに言われるまま、談話室に向かった。ちなみにアルフェラッツ達は、飼育係に任命された者に呼ばれ、駆けて行った。今から朝食らしい。
談話室で待っていると、エヴラールが来た。
「ジル様、もう王都に?」
「ああ。絨毯が大きいゆえ、先に知らせておかねばなるまい」
「確かにそうでした」
「では行くぞ」
「アキ様はよろしいので?」
「行かぬと言っていた。リンもここに残って色々するそうだ」
「そうでしたか」
「では行こう」
俺はそう言い、エヴラールを伴って庭に出て、絨毯を積んだ牛車と、礼服やらを載せた荷車と共に、王都の屋敷に転移した。すると、アシルがロイクと話していた。
「ちょうどいいところに来た。兄上、王宮に…メタクサリティの絨毯か?」
「ああ。大きい方が良いかと思って、太守府にあったものを貰ってきた。ちゃんと補修してあるゆえ、安心せよ」
「それならいいが…」
「ところで、おぬしはここで何を?」
「兄上が来たら、参内するよう伝えに来たが、ちょうどいい。俺と来い」
「ああ」
俺はアシルに連れられ、屋敷の門の前に停めてあった馬車に乗った。エヴラールは俺に一礼し、ロイクと何やら話し始めていた。




