第358話
アナクレトの話を聞き終え、とりあえずアナクレトを自室に帰し、リンと共にノヴァーク人傭兵の聴取をするエヴラール達の所に向かった。ちなみに、天眼で確認すると、アキは自室に帰って眠っているようであった。
「そういえば、リンよ、もう体調は良いのか?」
「気遣ってくれるのはありがたいですけど、もう遅いですよ。港を出る前に言ってくれないと、意味ないじゃないですか」
「そうか。で、どうなのだ?」
「普段通り、可もなく不可もなくって感じですよ」
「そうか。ではもう少し付き合ってもらおう」
「言われなくても、そうしますよ」
リンはそう言い、俺を追い越して振り向き、先に歩いて行ったが、先ほど着いたばかりのガッド砦内部を把握している訳もなく、右に曲がるべきを直進し、結局俺の半歩後ろをついて来た。
エヴラール達が使っている部屋に行くと、先の傭兵が取り押さえられていた。エヴラールとアルフォンスには生傷があった。どうやら傭兵が暴れたようだな。
「何があった?」
「は。名前を聞いたところ、いきなり暴れ始めたので制圧しました」
「そうか。おぬしらは下がっていよ」
エヴラールの報告を聞いた俺は二人を下がらせ、傭兵の前にしゃがんだ。俺の背後では、リンがアルフォンスの背中に隠れた。
傭兵は抵抗する気がないようで、寝転んだまま俺の方を見た。
「おぬし、名は?」
「…」
「そうか、本当に名乗らぬのか。名が無ければ報告書が作れぬゆえ、殺してしまおう。リン、名もなき賊が砦内部に侵入し、我らの反撃を受けて死んだ旨の報告書を書いておいてくれ」
「え、でも…」
「仕方のない事だ。名乗らぬのであれば、名もなき賊としか言い表せぬ。それゆえ、殺してしまって無かった事にするのが最も良い。それに、名を聞き出す手間も省ける」
「そう…ですか」
「そんな脅しは効かんぞ。下手な茶番なぞ、さっさと終わらせて、殺すなら殺せ」
「そうか」
リンを使って脅してみたが、本人の希望であれば仕方あるまい。脅しの通り、確保してある賊を全て殺し、賊の侵入とその排除として処理しておこう。
いや、念のため首魁の名程度は聞き出しておいた方が良いかもしれぬな。使わぬなら使わぬで良いのだ。
「良い機会だ。エヴラール、アルフォンス、拷問の練習でもするぞ」
「は?」
「どうせ殺すのであれば、拷問しても問題あるまい?」
「私の前でやるつもりですか?!」
「嫌なら目を逸らせ。そういう訳であるから、傭兵崩れよ、協力せよ」
「ふん。冗談を…」
俺が拷問に使えそうなものを異空間から出して並べながら言うと、傭兵は焦りながら答えた。仮に自分から名乗った場合には楽に殺してやろう。
「エヴラール、おぬしはこれを。アルフォンスはこれを」
エヴラールに鋸を、アルフォンスに杭を渡し、俺自身は短剣を持った。傭兵が名乗ったら、すぐに殺してやるつもりであるから、なるべく恐怖感を与えてやったほうが互いの為である。
「俺、エヴラール、アルフォンスの順に交替しよう。殺してしまった者は負けだ」
俺はそう言いながら、傭兵の膝に短剣の切っ先を当て、傭兵の顔を見た。そして、ゆっくりと突き刺し、貫通させた。傭兵は先ほどまで強がっていたが、かなり大きな雄叫びを上げ、リンが驚いて持っていた書類を落とした。
「名乗れば許そう」
「名乗る。名乗りますっ。ゲリー・オヘアですっ!」
雄叫びの隙間を見計らって俺が尋ねると、簡単に名乗ったので、俺はすぐさま抜剣して首を刎ねた。リンが驚いて拾った書類を再び落とした。
「アルフォンス、ゲリー・オヘアの一味を鏖殺し、死体を適当に処理せよ」
「は。ただちに」
「エヴラール、第十五隊の者に事情を説明せよ。ゲリー・オヘアの一味は傭兵ではなく賊であったゆえ、俺が始末した、と」
「承知しました」
「リン、書類を拾っていくぞ。アナクレトに説明してやらねばならぬ」
「…はい」
俺がリンを伴って部屋を出ようとすると、アルフォンスの指示で死体の処理に来た兵とすれ違った。対応が早いな。
その後、アナクレトに事情を説明し、口裏を合わせた上で解散し、改めてアルフォンスに指示を出して、俺達は休むことにした。まだガッド砦に帰ってきたばかりであるから、アルフォンスが気遣ってくれたのであろう。
翌朝。俺達の本来の帰還予定日である今日は、各隊の帰還後の報告業務などを円滑に進めるための準備と、ゲリー・オヘア一味の事後処理に費やすことにした。
この間、トーヴ達はアルフォンス麾下の兵士と交流するように言っておいた。進入禁止区画にでも入られたら、互いのためにならぬゆえ、交流する兵士は監視役としても機能している。
ゲリー・オヘア一味の事後処理として、死体の処理と報告書の作成、ガッド砦周辺の警邏の命令をした。それから、第十五隊の隊長と副隊長、傭兵担当、会計担当には、賊を傭兵として雇った責任と傭兵に旅費を預けた責任、監督不行届の責任などを理由に、ゼーエン作戦終了後に三日間の謹慎を命じた。
翌朝。ついに十一月となった。俺はアキとトーヴ達を見送り、ゼーエン作戦の本格的な事後処理を開始した。
まず、第三十一隊の報告書を受理し、同隊に解散の許可を与えた。これにより、作戦本部に属さない者の帰宅が許可されたわけだ。まあケリングとローザ、ドロテアはアキについて先に帰ったし、この四名以外は作戦本部に属しているため、あまり意味はないのだが。ちなみに、リンは俺の補佐として、作戦本部の業務を手伝っている。
第十五隊の報告書も受理し、同隊にも解散の許可を与えた。作戦本部に属する隊長と副隊長、謹慎を命じた傭兵担当と会計担当の隊員以外は、明日より十騎長の任務に復帰する。
各隊から集められた報告書を、国別に纏め、それを『ゼーエン作戦に関する総報告書』とする。これにはリンの速筆が役に立ち、すぐに終わった。
各隊を出迎え、報告書を受理する日々を過ごし、十一月十日となった。王宮から、ガッド砦に滞在する廷臣に対し、エジット陛下の婚姻が伝える使者が訪ねてきた。我が隊以外に属する者は初耳であったようで、任務に多少の支障が出た。
十二日。遂に正式に婚姻が発表され、王都では陛下の誕生日と婚姻を記念し、庶民まで食事や酒が振舞われているそうだ。
ゼーエン作戦本部に属する者にも、申請をした上に受理された場合に限り、外出を認めると通達した。すると、帰還していた全ての者が外出許可を申請したので、俺はゼーエン作戦本部の業務を一時停止し、再開は十一月二十日とした。
ガッド砦をアルフォンスの隊に任せ、俺も久しぶりに帰ることにした。エヴラールとリンを連れ、街道を逸れた人気のない郊外に行き、そこから自宅の庭に転移した。すると、四頭の黒い犬が駆け寄ってきた。
「野犬か」
俺はそう言い、念のために弓矢を取り出したが、黒犬の後ろにアキがいたので、弓矢をしまった。忙しすぎて忘れていたが、忠犬の孵化のためにアキを先に帰したのであった。
「アキ、戻ったぞ」
「見たら分かる。さすが旦那様、もう終わったのか」
「いや、陛下の誕生日と婚姻を祝うため、作戦を停止してきた。ところで、この犬が忠犬か?」
「そうだ。昨日の昨日の昨日の…五日ぐらい前に孵ったばっかりだ」
「十一月の五日でしょ、お姉ちゃん」
「そうだったような気もするな」
アキを追ってきたのか、アキの後ろにいたユキが訂正した。
十一月五日に孵ったのであれば、この犬は生後七日ということか。それにしては大きいな。既に中型犬程度の大きさはある。成長が早い種族であるのか。
それに、明らかに俺に懐いている。普通、生まれたての子犬は視覚や聴覚が上手く機能しておらぬと聞いたが、明らかに俺を見て俺に懐いている。初対面の俺に懐く理由は分らぬが、悪い気はせぬ。仔猫を追い払わせるのに役立ちそうだ。
「ジル様、私は席を外します。領主館にいますので、ご用があればお呼びください」
「ああ。すまぬな」
エヴラールがいなくなってしまったので、リンがどうすべきか迷っていたが、まあ好きにすれば良いのだ。今の俺は、この忠犬に興味があるのだ。
「ところでアキよ、もう名付けたのか?」
「抱卵の前から決めてあったぞ。まず、青い目の雄がアルフェラッツ、黒い眼の雄がアルゲニブ、緑の目の雌がマルカブ、黄色い目の雌がシェアトだ。生まれる前に決めた名前だから、雄も雌も関係ないぞ」
「そうか」
「ちなみにだがな、アルフェラッツ、シェアト、マルカブ、アルゲニブの順に生まれた」
「一度に言われても分からぬ。それはまあ良いとして、なぜ俺に懐いている?」
「旦那様の魔力で孵ったからな。赤ん坊が母親に懐くのと一緒だろ」
「そういうものか」
「いや、知らん。適当に言った」
「…そうか」
俺はアルフェラッツとマルカブを撫でながらアキの話を聞いていたが、やはり俺に懐き過ぎではなかろうか。これが親に対する情というものであろうか。
「お義兄さん、さっきから気になってたんだけど、その人は誰?」
「お義兄…さん?」
「え?」
「え?」
「だってファビオのお兄さんだし、お姉ちゃんの旦那様だし…もしかして、おかしなサヌスト語だった?」
「いや…イリナ以外にそう呼ばれたのが初めてであったゆえ…」
ユキに『お義兄さん』などと呼ばれるとは想定外であった。イリナとユキ以外には、カイと…ジェレミとイリスにそう呼ばれる可能性があるのか。覚えておこう。
「そんなことより、誰ですか?」
「俺の部下だ。おぬしの姉がクィーズスで拾った」
「カイラ・リン・トゥイードです。よろしくお願いします」
「ユキです。お姉ちゃん、あ、アキの妹で、ジルさんの弟の許嫁です」
「あなたが本物の…」
「本物?」
「あ、いえ、何でもないんです」
リンがゼーエン作戦で用いた偽名のことを明かしそうになったが、何とか堪えたようだ。そもそも、アキはユキに許可をとっておらぬので、なるべく秘密にしておきたい。
「自分より賢そうな敵を作ってどうするの、お姉ちゃん」
「もしもの時は斬る。ワタシの方が強いからな」
アキとユキがこちらに聞こえるほどの小声でそう言い交わした。今の会話を聞く限り、ユキの方が大人びているように感じる。




