第354話
宿に戻り、エヴラールに皆を食堂に集めるよう言った。アンガス達は相変わらず椅子を並べて寝ており、宿の者も気にせず掃除やら片付けやらをしている。
アキだけは俺が呼びに行き、リンは食堂で説明の準備をしている。リンは有能ではあるのだが、皆から『旅の途中で加わったクィーズスの農民の娘』という印象を拭えておらぬゆえ、俺の部下以外には馴染んでおらぬのだ。
部屋に入ると、アキは水差しを抱えて眠っていた。水差しの中の水によって、アキの服が濡れており、水はベッドにまで染み込んでいる。
掃除費用の請求が、パー・ダン傭兵団へ行くかもしれぬな。まあ、アンガス達の趣味やら交友関係やらで旅に遅れが生じた結果、今この宿に泊まっているわけで、当初の依頼通り案内人に徹していれば、このベッドが濡れるはずもなく、つまり、アンガス達は清掃費用程度、負担すべきであるのだ。
「ユキ、そろそろ起きよ」
俺はそう言い、水差しを回収してアキの体を起こした。風邪をひかせてはならぬから、水魔法を使って服を乾かしておいた。
「旦那様、今のはどうやった?」
「おぬしの不得意な水魔法だ」
「そんなこと言わなくてもいいだろ、ばか」
「すまぬな。そんな事より、ユキ。帰りは水路だ」
「おい、そんなに揶揄わなくてもいいだろ」
「そういう意図は無い。これから詳しく説明するゆえ、食堂に行くぞ」
「仕方ない。準備する」
「手伝おう」
俺はアキを立たせ、異空間から適当な服を三着ほど出し、アキに選ばせ、その一着を着せた。それから、折れた刀とラスイドを渡し、アキが帯びている間に装飾品を着け、口付けをして準備を終えた。
食堂に行くと、皆が集まっていた。どうやら俺達が最後であったようだ。
「待たせたな。帰路について説明しよう。アデラール、リン」
「は」
俺は空いていた二席にアキと並んで座り、エヴラールとリンに説明させた。わざわざ俺自ら説明してやる必要はないのだ。
エヴラールとリンの説明により、水路による帰還をパヴェル達が了承した。まあ了承せざるを得ぬので、当然なのだが。
それから、パヴェルの提案で、アンガスとスージーを解雇し、ライオネル傭兵隊に対して別の案内人を派遣するよう求める事となった。
「荷物を纏めてライオネル傭兵隊本部に行こう。宿で待てとは言われておらぬのだ。各自、準備をして食堂に集合だ。では」
俺はそう言い、とりあえず解散した。アンガス達は、このまま宿の食堂で眠り続けていれば良い。
その後、俺達は荷物を纏め、宿を出た。
この宿はパー・ダン傭兵団と契約しているそうで、傭兵団側が毎月定額を支払う代わり、傭兵団員は優先的に宿泊でき、その上宿泊費は無料であるため、俺達が宿に支払うべき金銭は無い。まあ、何らかの過失によって、営業に影響のある損失があった場合、パー・ダン傭兵団員であっても追加で支払わねばならぬそうだから、アキが零した水の清掃費用は請求されるだろう。
ライオネル傭兵隊本部に着くと、ちょうど遣いの者が出る頃であった。もう少し宿で待っていれば良かったか。
「キリオス参謀はいるか」
「小休憩をしております。おそらく仮眠をしているでしょう。夜番でしたから」
「そうか。ではおぬしに伝える。アンガスとスージーを、我が隊から解雇し、別の案内人を用意せよ、と」
「承知しました。であれば、パー総帥に代わり、このダヴン・トーヴが、案内人を務めます。トーヴとお呼びください」
「承知した。では、アンガス達に貸していた一角獣四頭に関しては、トーヴに一任する」
「それでは、騎兵三騎を護衛として随伴させます。私の護衛ですから、費用に関してはご安心ください」
「そうか。ではそのようにせよ」
「はは。こちらへどうぞ。キリオス参謀に代わって、説明します」
トーヴはそう言うと、俺達を第三軍議室と書かれた部屋に案内した。
遣いに出されるのだから末端の兵かと思ったが、このトーヴとやらはなかなか偉いようだな。まあ総帥であるアンガス自身が依頼を受けるような組織であるから、このトーヴが偉くても驚かぬが。
トーヴの説明を受けたが、概ねキリオス参謀のものと同じであった。唯一違うのは、船室の使用料は、アンガス達の無礼の詫びと、ドルミーレ奪還の礼を兼ね、アンガスの私費から支払われる事になった点だ。
ライオネル傭兵隊総帥であるアンガスの私費をどうにかできるとは、トーヴは俺が思っているよりも偉いかもしれぬな。
その後、トーヴの用意した騎兵三騎と、水兵七十名弱と共に、ノヴァーク軍民共同河川港ナーヴィス港へ向け、王都ブラカーダを発った。
水兵は徒歩であるため、街道を駆け抜け、すぐに到着という訳にはいかぬ。水兵は小走りであるが、俺や一角獣にしてみれば、歩きと変わらぬゆえ、遅く感じてしまった。
ブラカーダを出て、昼食休憩を挟み、ナーヴィス港に着く頃には夜になっていた。
プロートン号に乗ると、船内に備えられた厩舎に一角獣を収め、俺達は甲板に出た。乗船した時から騒がしいとは思っていたが、宴会中だったようだ。
俺とアキ、エヴラール、パヴェルは船長室に呼ばれた。トーヴが船長なのかと思ったが、船長室には別の女がいた。鬼のような仮面を被っているので顔は分からぬが、背は俺と同程度で、筋肉に包まれた逞しい身体をしている。
「プロートン号船長にして、ライオネル傭兵隊水上総隊長グウェネス・オグレディ提督です」
「……・……。………。………。……………?」
トーヴの紹介で、船長は何かを言ったが、仮面をつけているせいで、声が籠って何を言っているか分からぬ。
「提督、仮面を取ってください」
「失礼。グウェネス・オグレディだ。貴殿がファブリス殿だな。オグレディと呼んでくれたらいい。船の移動は初めてか?」
トーヴに言われて仮面を取ったオグレディ船長は、顔にいくつも傷があった。傷を隠していたようだが、トーヴに言われると躊躇いなく取ったので、いきなり萎縮させてしまわぬよう、気を遣ったのかもしれぬな。まあ鬼の仮面をつけている方が、子供などは怖かろうが。
「いや、とある御方について、ヤマトワという島国まで行った事がある。俺は単なる客として、船旅を楽しませてもらっただけだが」
「いやいや、それで結構。お偉方は船旅を嫌うやつが多い。途中で、やっぱり陸路が良いなんて言われたら、泳いで陸まで行ってもらうことになるからね」
「そうか。水路を了承した者しかおらぬゆえ、安心せよ」
「なら安心だ。そうそう、ダヴンのことだから、どうせ自己紹介もしてないんだろう。プロートン号副船長にして、ライオネル傭兵隊陸戦総隊長ダヴン・トーヴだ」
「改めて、よろしくお願いします」
オグレディ船長に改めて紹介されたトーヴはそう言い、一礼した。
偉いのではないかと思っていたが、旗艦の副船長であったか。それに、陸戦隊を率いているとも言っていたな。乗馬術を習得している水兵は珍しいと思ったが、陸戦隊であれば乗馬術を習得していても変ではないか。
オグレディ船長から航河についての説明を受けたが、適当に聞き流し、宴会に加わった。
翌朝。聞いていた通り、日の出頃に出港した。夜間の出入港は禁じられているので、朝一番に出港したのだ。
ちなみに、昨夜の宴会では、水夫の飲酒が禁じられていたので、航行に問題は無い。
俺は甲板に出て、港を見た。結局、ノヴァークでは街の散策は出来なかったな。ヴァーノン卿を責める訳ではないが、一ヶ月間で三カ国も廻ろうとしたのが、そもそもの間違いであろう。
しばらく沿岸を眺めていると、アキとリンが起きてきた。昨夜は酔ったアキが、リンを部屋に連れ込んだので、俺は一人で寝ていたのだ。
「おはようございます、ファブリス様」
「…宿酔か?」
「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません」
体調の悪そうなリンはそう言い、手摺から身を乗り出し、吐いた。船を汚さぬよう気を遣ったようだな。
「馬鹿者っ」
アキはそう言うと、リンの隣に並んで吐いた。宿酔になるほど飲んでいたのか。俺の記憶では、いつもより少し控えめであったような気もするが…
「ワタシの前で吐くなと言ったのに…」
「ついてきたのはユキさんでしょう…」
二人はそう言い、座り込んでしまった。
部屋に戻ってから飲んだのかもしれぬが、さすがに両方が酔い潰れるまで飲むとは思えぬ。とすると、宿酔ではなく、船酔かもしれぬな。いや、それにしては早いな。出港したばかりであるぞ。




