第353話
あれから宿に戻り、御前決闘裁判について振り返っていると、パヴェルからの伝言を、ローザが届けに来た。
「『今月中に戻らねばなりませんから、出立のご準備を』との事です。エヴェル様ご自身は、市街視察に関する報告書の作成、マルセル様はその補佐をなさっておりますので、私が報告に参りました」
「そうか。アンガスも承知しているはずだが、念の為伝えよ」
「承知しました」
「こちらも念の為だが、アンガスとスージーは酔っている」
「はい。話が通じないようであれば、パー・ダン傭兵団の本部を訪ねてみます。ライオネル傭兵隊の本部も確認しましたので、明朝までに手配を済ませ、報告をいたします」
「では頼んだ」
ローザが一礼し退室すると、アキが身を寄せてきた。
「にゃんにゃんだぞ、旦那様」
「にゃんにゃん?」
「気にするな。ワタシに身を任せていればいい」
「そうか」
「リン、いつまでワタシの部屋にいるつもりだ?」
「俺の部屋だが?」
「細かいことは気にするな。とりあえず出てけ」
「はいはい、出ていきますよ」
アキに言われ、リンは気怠そうに答え、書いていた報告書を纏めて出ていった。ちなみに、リンはアキが『両手で書くのを見せろ』と言ったため、俺の部屋で報告書を書いていたのだ。尤も、アキは早々に興味を失い、俺に甘えていたのだが。
「さて、旦那様。そこに立て」
「ああ」
俺はアキに言われ、ベッドを背後に立った。
「にゃんにゃんだ、旦那様っ!」
アキはそう言い、服を脱ぎながら俺に飛びつき、俺達はベッドに倒れた。
翌朝。にゃんにゃんを終えてそのまま眠ってしまったアキの寝顔を見ていると、ローザが訪ねてきた。
俺はアキを起こさぬようにベッドから出て、部屋の前で待たせていたローザを連れ、食堂に向かった。アンガスとスージーが、椅子を並べて寝ていた。
「酒臭いな」
「先ほどまで宴をしていましたから」
「そうか。まあ良い。本題に入ろう」
「はい。アンガス様は酔って話ができない状態でしたので、ライオネル傭兵隊の本部を訪ねました。深夜でしたが、全隊兵站参謀のティーガン・キリオス様が対応してくださいました」
ローザはそう言いながら、『ファブリス様御一行によるクィーズス、テイルスト、ノヴァーク外遊に関する計画立案書』と題した冊子を取り出した。ローザの説明を受けながら計画立案書を読むこととなった。
ノヴァーク王国の王都であるブラカーダから、サヌストとの国境まで、直線距離で約二百メルタル、最も近い街道で二百五十メルタルであるそうだ。これを、一角獣の速力で計算すると、三日を要する。
そこから、王都アンドレアスまで直線距離で四百五十メルタル、街道を通れば四百六十メルタルある。一角獣の速力で計算すると、五日間を要する。
ここでいう一角獣の速力とは、街道を行き交う人々を避けながら進める最大速度であり、全速力ではない。
「八日か…」
「はい。それも、あくまで順調に進めた場合です。十日は必要かと」
「そういえば、ガッド砦を出た翌日には国境を越えていたが?」
「恐れながら」
ローザはそう言い、指で文字を書き始めた。盗聴を警戒してのことであろう。
「あの時は幸運だったのでしょう」
『伯爵様のご命令で交通規制が』
「そうか。では教会に行って幸運を祈るか」
『今からでは間に合わぬか』
「宗派が違いますから何とも言えません」
『今から間に合いません』
「確かにそうであったな。何か良い案はないか」
「思いつきません」
「そうか。まあ何とかしよう」
『どうにもならねば、転移で帰る』
「承知しました」
「では、あとは俺が引き継ぐゆえ、おぬしは休んでいよ」
「ですが…」
「良い。いや、いつでも発てるよう皆に伝えた後で、おぬしもそのようにせよ。アンガスとスージーは、起きたら伝えよ。起きぬなら、兵站参謀とやらに言って、別の案内人を頼む。では」
俺はそう言い、計画立案書を持って食堂を出た。
別に、アンガス達に拘る必要は無いのだ。契約や報酬の関係で、パー・ダン傭兵団かその傘下組織であったほうが楽であるから、ライオネル傭兵隊から傭兵を出させれば良い。
一度部屋に戻ると、エヴラールが来ていたが、扉を叩いても反応が無いので、部屋の前で待っていた。まだアキは寝ているようだな。
「おはようございます、ファブリス様」
「ああ。何か用か?」
「ファブリス様は気付いてらっしゃるかと思いますが、そろそろ帰り支度をしませんと、間に合わないのでは?」
「安心せよ。今から手配に行く。ちょうど良い。おぬしも行くぞ」
「は。ユキ様はよろしいので?」
「わざわざ起こすのは悪かろう。では行くぞ」
「は」
「どこに行くんですか?」
エヴラールと出掛けようとすると、リンが来て道を塞いだ。
連れて行って欲しいのであろうか。エヴラールがいるのであれば、リンなどいてもいなくてもどちらでも良いのだが。
「ライオネル傭兵隊の本部だ」
「連れて行ってください。役に立ちます」
「アデラールがいるから良いのだが」
「分かっていませんね。後進の育成は、優秀な人の義務なんですよ。さ、行きましょう」
「ならばトゥイード、ファブリス様に書類など持たせるな」
「そうですね。預かります」
エヴラールに言われ、リンが俺の持つ冊子を持った。
エヴラールは後進の教育をしているようだな。そういえば、ブラカーダに来た時はリンの報告書をエヴラールが預かっていたのだったな。そういう繋がりがあったのか。
その後、地図を見たリンの案内で、ライオネル傭兵隊本部に来た。
ブラカーダでは、他の王都にあるような貴族街は規模が小さく、その代わりに傭兵街の規模が大きい。公認傭兵とその傘下組織の本部は、王宮の近くにあり、本部内には各組織が半官半民の訓練兼閲兵場を所有し、正規軍と共同で使用している。
また、金払いの良い傭兵を主な客とする隊商も訪れ、かなり賑やかである。
そのような場所にあるライオネル傭兵隊本部は、他の傭兵組織本部と同様、城塞となっている。
本部に入ると、まず受付があった。形こそ城塞だが、役所のような作りだな。
「俺はファブリスという。全隊兵站参謀のティーガン・キリオス殿はいるか?」
「キリオス参謀ですね。少々お待ちください」
受付嬢はそう言うと、部下を確認に行かせた。
しばらく待っていると、長身ながらも細身の女が来た。黒人にしては珍しく、金髪である。
「ティーガン・キリオスだ。貴殿がファブリス殿か」
「ああ。今月中にはサヌストに帰りたいのだが」
「聞き及んでいる。こちらへ」
ティーガン・キリオスはそう言い、俺達を奥へと案内した。俺とエヴラールは帯剣しているので何か言われるかと思ったが、何も言われなかった。
ティーガン・キリオスの執務室に来ると、色々と散らかっていた。地図や街道の情報などが多いな。
「失礼。少々調べものをしていたもので」
「構わぬ。早速本題に入りたいのだが、今月中にサヌストに帰れるか?」
「理論上は可能と言えるが…」
ティーガン・キリオスはそう言い、地図を拡げて説明を始めた。
そもそも、街道とは利便性や安全性を考え、ある程度の遠回りをしている状態である。つまり、直線に最短距離を進めば、多少の不便や危険はあるが、日数の短縮ができる。その上、街道と違って人がおらぬから、街道より速く走っても問題は無い。
以上の事を踏まえ、五つの経路を提案された。
まず、ブラカーダからアンドレアスまで、二つの王都間を直線に進む経路。途中、賊が多い地域と沼地を通らねばならぬし、山越えや渡河も何度かある。
二つ目、安全を確保した上で、なるべく直線に進む経路。途中、沼地の通過と渡河は必要だが、山越えなどは無い。
三つ目、パー・ダン傭兵団とその傘下組織の支部を直線で結び、これを辿る経路。不便や危険は少ないが、今月中には帰れぬ。この経路であれば、全ての食事は出来たてが用意されているし、連絡の無い遅延があれば、捜索隊も派遣できる。
四つ目、三つ目と同様、今月中の帰還は諦め、街道を辿る経路。ローザに提案した、八日間を要するものだ。
五つ目、これが本命だそうだが、川下りを軸とした経路。ブラカーダから半日足らずの距離にある、ノヴァーク軍民共同河川港から、サヌスト方面へ向けて進む。これが最も早く着くが、最も金銭を要する。
五つ目について、詳しく聞いてみた。
この計画で使う川は、ブラカーダの南西にあるズーヴェス山から、東に向かって流れているシュランク川といい、最終的にサヌストの海に流れ出る。
計画ではブラカーダ近郊の河川港ナーヴィス港で乗船し、アンドレアスの北二十メルタル程にある河川港ジェレミ港で下船し、そこから騎馬で帰還する。ちなみに、これは当たり前の事であるが、ジェレミ港はレリアの弟とは無関係であり、このジェレミとは開港に功績ある提督の名だ。
幸運な事に、御前決闘裁判の関係で、ライオネル傭兵隊旗艦プロートン号がナーヴィス港に停泊しているそうで、その乗員も近くにおり、召集をかければ明日の昼には出港できるそうだ。
日数であるが、三十日の朝までにはジェレミ港に到着し、その朝から王都アンドレアス、正確にはガッド砦に向けて駆ければ、今月中の帰還は叶う。
料金については、サヌスト通貨で計算してもらった。軍船が金貨五十枚、水兵三百名が銀貨千枚、船室使用料が銀貨二枚、その他経費が金貨五枚である。全て一日分で、船室使用料に関しては一人分である。
四日分で計算すると、金貨二百六十枚、銀貨八十八枚であるが、ドルミーレ奪還の礼として銀貨の分を差し引いてくれたので、サヌスト金貨二百六十枚だそうだ。
「水路で頼む」
「であれば、ただちに手配を始める。ファブリス殿らは、宿にて出立の用意を」
「承知した。いつ頃出る予定だ?」
「今日の昼過ぎには出てもらう。ナーヴィス港の宿を取らせるが、最悪の場合は船で寝てもらうかもしれん」
「いや、最初から船で良い」
「であれば、そのように手配を」
「では俺は帰って皆に伝える」
「案内人を兼ねた遣いを出す」
「承知した。では」
俺はそう言い、ティーガン・キリオスの執務室を出た。
水路など考えていなかったが、確かに言われてみれば陸路に拘る必要は無いな。ヌーヴェル達一角獣が優秀であるゆえ、これを使わぬ手を思いつかなかった。




