第351話
ノヴァーク水軍史を読み終えたが、まだ舞台の準備が終わっていなかったので、次の判事の紹介を読むことにした。
メリッサ・エッジレイ右軍大将。
国王親衛隊から右軍に連絡将校として出向していたが、時の右軍大将補の退役を機に、右軍大将の要請で右軍に移籍し、右軍大将補となり、そのまま副将を経ずに大将に昇格したそうだ。
エッジレイ大将は、ノヴァーク人にしては重武装である。自身は薄片鎧を纏い、愛馬にも馬鎧を着せているそうだ。国王親衛隊に属していた時、流れ矢などから護衛対象を庇って死ねば、戦力の低下に繋がるし、弔慰金や新規兵力確保など、王家に無駄な出費を強いる事になると考え、重武装になっていったそうだ。ちなみに、ノヴァーク軍では、上官の許可を得た場合、甲冑などの防具、剣や弓矢などの武器は現物支給か現金支給かを選択できる。これは、特別な部隊でない限り、許可される場合が多いが、例えばデュポール右軍大将補のように、上官が完全に指定する場合もある。
エッジレイ大将は要人警護の専門家でもあり、テイルスト国王のノヴァーク訪問ではテイルスト国王一行の護衛を担当しているそうだ。これは、右軍に連絡将校として出向していた頃であっても、国王親衛隊に戻って指揮を担当し、テイルスト国王が帰ると、自身も右軍に戻ったそうだ。そのためか、テイルスト国王自身から『テイルスト王国軍総統括最高武官』という役職を作るから、と勧誘されたことすらあるそうだが、一切の遠慮なく断ったそうだ。
エッジレイ大将の紹介を読んでいると、舞台の準備が整ったようである。
「判事、副将メリッサ・エッジレイ右軍大将」
「罪人、副将集団」
グローヴァ―大将とポリフ公がそう言うと、エッジレイ大将と二十名の罪人が舞台に出た。エッジレイ大将は薄片鎧に加え、赤いマントを纏っている。もう十月下旬であるが、暑くはないのであろうか。
「先程と同様、主宰者と同格の大将級であるため、制約の解除を許可し、全ての采配をエッジレイ右軍大将に任せる。エッジレイ右軍大将、要望があれば今のうちに」
「イーガン水軍大将と同様、一騎討ちの原則の解除を」
ポリフ公の問いに対し、エッジレイ大将は片手を上げると、国王席付近に控えていた兵士の一人がそう言った。代弁者であろう。
「槍兵は撤収せよ。撤収が完了次第、エッジレイの判断で始めて構わん」
グローヴァ―大将が応える前に、国王がそう返答した。グローヴァ―大将は何も言わず、片手を上げて槍兵を撤収させた。
エッジレイ大将は槍兵が完全に撤収するまで待ち、罪人にだけ聞こえる声量で『開廷だ』と言い、抜剣した。全ての罪人が抜剣する時間的猶予を与え、それが終わると、ゆっくりと歩き始めた。
駆ける訳でもないエッジレイ大将を不気味がってか、罪人の中には後退る者もいた。
最初の一人がエッジレイ大将に切りかかったが、全く意に介さぬように剣を薙ぐと、罪人の首が飛んだ。
呆気に取られた罪人達であったが、次の罪人の首が刎ねられると、混乱に陥って逃亡を始めた。エッジレイ大将は、この時初めて走り出した。罪人の背後から近づいて首を落とすと、マントを翻して次の罪人に向かった。
なぜか分からぬが、罪人達は強い恐怖感によって混乱に陥っており、エッジレイ大将から逃げ惑っている。観客席から見る分には、一切の恐怖を感じぬが、相対すると必要以上に恐怖を感じるのであろうか。
結局、エッジレイ大将が七名を殺した頃には、逃亡を図った罪人が槍兵に殺されており、エッジレイ大将の裁判は終わった。
「罪人副将集団七名に対する死刑執行及び同集団十三名の狂乱による殺処分を確認した。エッジレイ右軍大将は退場し、清掃隊は死体を片付けよ」
グローヴァー大将がそう言うと、エッジレイ大将は国王席に向けて一礼し、退場した。
エッジレイ大将が殺した罪人の死体は、全て一撃で首を刎ねられており、それ以外の死体は槍で突かれて死んでいるので、片付けは早く終わりそうだ。そもそも、今回のような舞台を使い回す試合において、戦棍や狼牙棒などを使う方がおかしいのだ。
死体が片付けられると、水が撒かれて清掃を終えた。
「判事、主将フェリックス・アーウィン左軍大将」
「罪人、主将集団」
二人がそう言うと、アーウィン大将と二十名の罪人が舞台に出た。罪人はコンツェン軍の士官であるから、平均以上には屈強であるはずだが、アーウィン大将が大きすぎて、子供と大人ほど体躯に差がある。
アーウィン大将は、先程の武装に加え、巨大な戦斧を担ぎ、こちらも巨大な盾を持っている。
距離があるので正確には分からぬが、戦斧の柄は百三十メタ程あり、その先には四十五メタ程ある諸刃の斧刃がついている。盾の方は、アーウィン大将の上半身全てを隠せるほどの大きさで、アンガスの情報では鋼鉄製であるそうだから、振り回すだけでかなりの威力となろう。
「先程と同様、アーウィン左軍大将の采配に任せる。要望は?」
「一騎討ちの原則の解除を!」
「承認した」
ポリフ公の問いにアーウィン大将が応え、それをグローヴァー大将が承認して片手を上げ、槍兵を退かせた。
「開始!」
槍兵が退いた事を確認したグローヴァー大将の合図で、アーウィン大将は駆け出した。罪人も、敵将としてのアーウィン大将を知っているのか、互いに協力する姿勢を見せた。
密集隊形を取り、前面のみ針鼠のように剣を突き出した罪人集団に対し、アーウィン大将は盾を前に構えて突撃し、隊形を崩すと、戦斧を振るった。二人の首が飛び、三人の胴が両断され、四人の腕を切り落とした。
アーウィン大将の一撃で、半数が戦闘不能となり、混乱に陥った罪人集団は、アーウィン大将に背を向けて逃げ始めた。だが、舞台から出るには警備の槍兵を倒す必要があり、こちらは個々人は強くないが数が多い上に互いに連携する事を知っている罪人は、舞台上を廻るように走っている。
アーウィン大将が殺し損ねた四人に戦斧と盾をそれぞれ振り下ろして絶命させた。
「槍兵、撤退しろ!」
アーウィン大将がそう叫ぶと、槍兵が慌てて撤収し、全ての出入口が完全に封鎖され、アーウィン大将と罪人十名は、舞台上で孤立した。
アーウィン大将の意図が分からぬ罪人達は、立ち止まり、再び密集した。すると、アーウィン大将は笑みを浮かべ、罪人集団に向けて盾を投げつけた。
罪人集団に吸い込まれるように飛んだ盾が直撃した罪人五名が死に、直撃を免れた残りの罪人は、飛来した戦斧によって死んだ。
「罪人に対する死刑執行を確認した。アーウィン大将は武器を回収し、退場せよ」
グローヴァー大将の指示で、アーウィン大将は武器を回収してから退場した。アーウィン大将以外では、あれほど軽々と持てぬのだろう。
「旦那様、コンツェンの伯爵はどこにいた?」
「俺に聞かれても分からぬ」
「そういえば、いませんでしたね。強調されるかと思って待ってたんですけど」
「まあノヴァーク人からしてみれば、諸侯も単なる士官も、侵略してきたコンツェン人という意味では同じなのだろう」
「それなら、下級の士官とか兵士とかがいてもいいだろ。区別するということは、区別するということだろ」
「区別するということは、区別するということだろ?」
リンがアキの言葉を理解できぬかのように復唱した。ちなみに、アキは『高級士官と、下級士官以下を区別するということは、コンツェン人でも地位や身分よって区別するということだろう』と言いたいのであろう。
「ま、ワタシはどっちでもいいんだがな」
「じゃあ言わないでくださいよ。私が気になっちゃうじゃないですか」
「リン、旦那様を見てみろ」
「ずっと見てますよ」
「え?」
「ごめんなさい、冗談です」
「旦那様を見ろ。愛妻の事で頭がいっぱいで、伯爵がいなかった事に気付かんし、気付いても別に気にしてない。そういうものを、お前も手に入れろ」
「私の旦那様になってくれたら、私もファブリス様の事で頭がいっぱいになりますよ」
「殺すぞ、お前」
「ファブリス様、ちゃんとユキさんの手綱を握っててくださいよ。気軽に冗談も言えないですよ」
「ユキ、俺がリンなどに惚れるはずがなかろう。俺を信頼せよ」
「ワタシという前例がありながら、よくもそんな事が言えるな。ま、妻の追加はワタシが最後だと約束するなら、リンを許す。約束しないなら、今後のためにもここに置いていく」
「約束しよう。リン惜しさではなく、俺の本心だ」
「ならいい。帰ったら、にゃんにゃんだぞ」
「にゃんにゃん?」
「気にするな。その時になれば分かる」
「そうか」
「あっ!」
アンガス達の迎えを待つ間、アキとリンと雑談をしていると、リンが舞台を指して声を上げた。舞台を見ると、先程までの罪人と同じ扱いを受ける五人と、グローヴァー大将がいた。




