第332話
メタクサリティ太守府を出ると、絨毯を積んだ、二頭立ての牛車を受け取ったエヴラール達が待っていた。
「これは…」
絨毯というものは基本的に畳んではならぬそうで、丸めて牛車に載せてある。つまり、約三十メルタの長さの牛車になっているのだ。指示を出したのは誰か知らぬが、その者は阿呆ではなかろうか。これではメタクサリティから出られぬではないか。
「とりあえず異空間にしまう。郊外に出て広げてみるぞ。修復が必要であれば、職人も雇って帰ろう」
「おい、また人数を増やすつもりか?」
「修復が必要であれば、だ」
「必要だろ。ま、とにかく行くぞ」
「ああ」
俺はそう言い、牛車と絨毯を異空間にしまった。牛はいらぬな。適当に売り払ってしまおう。
「リン、牛を売って来てくれ。その後は売った金で遊んでも構わぬゆえ、頼んだぞ」
「え、いいんですか?」
「ああ。まあ牛を処分できたら何でも良いのだ。ケリング、ついて行ってやれ」
「承知しました」
「ファブリス様、ありがとうございます。また夜会いましょう」
「変な言い方をするな、馬鹿者。旦那様が勘違いしたら、お前の舌を抜くぞ」
「勘違いなどせぬ。気にせず行くと良い」
リンは愛想笑いをしつつ、ケリングは一礼し、一頭ずつ牛を引いて歩いていった。
もしもの事があったとしても、ケリングであればリンを守れるであろうし、守れぬと判断すれば俺に念話で援護を要請すれば良い。いずれにしても、リンの安全は保証されているのだ。
「では俺達も行くぞ」
「こちらです」
俺はエヴラールの案内に従って、メタクサリティ太守府から離れた。
途中、工房が集まった通りを見学しつつ、メタクサリティの郊外に来た。
「早速広げるが、なるべく汚すでないぞ」
「旦那様、地面を石畳に変えてしまえ。そうすれば、あんまり汚れないぞ」
「それもそうか」
俺はアキの助言に従い、周囲の地面を石畳に変えた。街道から逸れた所にいるので、あまり目立たぬ。
「では始めよう」
俺は異空間から丸められた絨毯を取り出し、丁寧に置いた。なかなか重いな。まあ大きいゆえ仕方ないか。
俺達は三人で分担し、絨毯を広げた。これほど大変なのであれば、アンガス達を連れて来れば良かったな。いや、アンガス達には休んでもらわねばならぬから、ローザやシャーロットに来てもらうべきであったか。まあ過ぎたことはもう良い。
絨毯の柄であるが、エヴラールの言った通りである。
赤く縁取られ、その内側に無数の龍が織り出されている。その更に内側には、互いの尾羽を目掛けて羽ばたく四羽の不死鳥、それらに護られるよう内側に配された向かい合う二匹の竜が、見事に織り出されている。
不死鳥の翼幅は三メルタ程あるが、それでもこの絨毯の主役は二匹の竜であると分かるほど、竜は大きく織り出されている。
芸術の類に疎い俺であるが、それでもこれはなかなか素晴らしく思う。
「…こんな大きい絨毯、王宮でも敷ける部屋はないだろ。小さいのも買った方がいいんじゃないか?」
「確かにそうだな。後で見てみよう」
「で、補修はいるか?」
「ああ。さすがにこのまま献上するわけにはいかぬ。とりあえず悪化せぬよう、異空間にしまっておく」
俺はそう言い、広げたままの絨毯を異空間にしまった。さすがにわざわざ丸める気にはならぬ。
「エヴラール、良い職人は知らぬか?」
「申し訳ございませんが、存じません。ただ、太守より購入した絨毯を作った一門の工房が集まっている場所は知っています」
「そうか。では行ってみよう」
「こちらです」
俺はエヴラールの案内に従い、メタクサリティに戻った。むろん、石畳は元に戻しておいた。
メタクサリティをしばらく歩き、『ブランチャード家本流』やら『ブランチャード家免許皆伝』などと書かれた看板を掲げる工房や店舗がいくつか並んだ地区に来た。
「ここか?」
「はい。私も来たのは初めてですが、太守府のノヴァーク人に教えられました」
「そうか。適当に入ってみるか」
「おい、ワタシに選ばせろ。あの店がいい」
「ではそうしよう」
俺達はアキが定めた店へ入った。
店の中では喧嘩をしていた。親と子か師と弟子か知らぬが、頑固そうな白髪の老爺と小柄な若い男が、怒鳴り合いをしている。俺達に気付かぬほど熱中している。
「おぬしら、俺達が出ていってから喧嘩をせよ」
「黙れ。一見の客が出しゃばるな!」
白髪の老爺が俺の方を向いてそう叫んだ。老爺の唾液が俺の頬を掠めた。これがアキの頬であれば、この老爺は死んでいる。俺はそこまで短気でないとはいえ、良い気分ではない。
「知らぬな」
「お客さんよ、何を探してるんで?」
若者の方は意外と素直なようである。何か思惑があるようだが、別に俺は気にせぬ。
「とある貴族に雇われる気のある職人はおらぬか。それから、この店で最も自信のある絨毯、最も大きい絨毯を買わせてもらおう」
「俺っ、その貴族に雇われます。自信作はそれで、大きい絨毯は倉庫にあります。親方、そういうことなんで」
若者はそう言うと、店の奥へ俺達を案内した。親方と呼ばれた老爺は、唖然として固まっていた。
倉庫に案内されると、無数の絨毯がしまってあった。若者は俺達に待つように言うと、一人で探し物を始めてしまったので、俺達は適当に見て回ることにした。
「おい、これを買え。ワタシの部屋に敷く」
「分かった」
「こっちもだ。これは…どこに敷いたらいいと思う?」
「帰ってから合う場所を考えよう」
「そうだな」
「お待たせしました。これが一番大きい絨毯です」
アキと話していると、手押しの荷車に絨毯を載せた若者が戻ってきた。太守府にあったものと比べると小さく感じるが、これでも充分大きいはずだ。
「これも買わせてもらおう。ところで、おぬしを雇う貴族についてだが…」
「立ち話でするような話じゃないですから、こっちでお願いします」
「そうか」
俺は購入予定の絨毯をエヴラールと分担して持ち、若者の案内に従った。どうやら応接室に案内するようだ。
応接室に来ると、とりあえず絨毯を端の方に置いて、先に話を終わらせることにした。
「おぬしを雇う貴族であるが、テイルスト人ではない。サヌスト人だ」
「そりゃ分かりますよ。お客さん方、サヌスト訛りが凄いですから」
「そうか。承知の上か」
「はい」
「では次の話だ。しばらくはサヌストにいてもらう。良いな?」
「こちらこそお願いします」
「では次だ。その方はサヌスト国王の腹心であるゆえ、秘密が多い御方だが、その方の秘密は何者にも明かしてはならぬぞ」
「分かりました」
自分の事を国王の腹心などというのは小恥ずかしいものがあるが、俺は俺の間接的な部下という設定であるから、多少は褒めねばおかしいのだ。
「では決まりだ。おぬし、名は何と言う?」
「名乗ってませんでしたか。ハイウェル・ブランチャード・キューザックです。そちらは?」
「俺はファブリスだ。そして我が君主はジル・デシャン・クロード公爵だ」
「公爵様…そりゃ凄い」
「ああ。だが、忙しい御方であるゆえ、会えぬものと思え」
「分かってますよ。それじゃ、出発の準備をしてきます。しばらくしたら、さっきの爺さんが来ると思うんで、商品は爺さんから買ってください」
ハイウェル・ブランチャード・キューザックはそう言うと、早速部屋を出ていった。
ハイウェル・ブランチャード・キューザックの言った通り、しばらくすると、先程の老爺が来た。
「ハイウェルの奴を雇ってくださると聞いたんだが…」
「ああ。サヌスト王国貴族のジル・デシャン・クロード公爵だ」
「市井の職人が公爵様お抱えの職人になるとは、大出世だ。感謝する」
「ああ。ところで、おぬしから買えと言われたのだが」
俺はそう言いながら、部屋の端に置いてある絨毯を指した。
「これは失礼。ですが、お代はいりません。ハイウェルの持参金代わりに受け取ってください」
「そうか。だが、そんな事をしては、俺が公爵様に罰せられる。これだけでも受け取ってくれ」
俺はそう言い、サヌスト金貨百枚が入った革袋を机の上に置いた。絨毯代と比して、多かろうと少なかろうと、俺はどちらでも良い。
「それではありがたく頂戴します」
「ああ。俺達は明日の朝には発つ予定であるから、それまでに宿に来てくれ。では」
俺はそう言い、立ち上がって絨毯を担ぎ、退室した。後ろでエヴラールが慌てて宿を教えていた。そういえば、俺は宿の名も知らぬな。




