第329話
掃除の女が奥に戻り、しばらくすると、先程の男が戻ってきた。今度は大陸の服を着て、カツラを脱いで、禿頭を晒している。本物のヤマトワ人に指摘されるのが怖いのであれば、最初から着なければ良いものだが。
「お待たせ致しました」
「改めて問おう。ユキ」
「表の看板は何だ?」
「隣国サヌストから海を渡った場所に国が発見されたそうで、その国の品々を扱っております。その国については、お客様方はお詳しいのでは?」
「ヤマトワだな。言っておくが、二千年以上前からヤマトワはあるぞ。ココ最近は鎖国をして、異国船は撃沈していたから、大陸人は近づかなくなり、存在を忘れたのだ。ま、大陸人の主観なんぞどうでもいい。商品を見せろ」
「こちらへどうぞ」
男はそう言うと、アキをヤマトワの品々が纏めて置かれた区画に案内した。こう見ると、真っ当な店主に思えるが、腰を抜かして失禁した場面が目に焼き付いてしまっているので、どうにも変わり者としか思えぬ。
「こちらです」
店主がそう言って指した方を見ると、ヤマトワの服や玩具、置物などが数十点程度並べられていた。
よく集めたように思うが、アキが欲するものは無かろう。服はトモエ達が連れてきた仕立屋や呉服商が用意するし、玩具などを必要とする年齢でもないし、置物などには興味を示すはずがない。
「旦那様、これが欲しい。ガラガラもあるぞ。お、これはこれは…服以外は全部買おう。ホスピティウムに届けろ。今日中だぞ」
「は…?」
「これとこれだけ持って帰るから、他はホスピティウムに届けろ。金はその時に払う。いいな?」
「承知しました」
「店主よ、この辺りは食べ物を売っている店が多いようだが、ヤマトワの食べ物はないのか?」
「食べ物…と言われて仕入れたものですが、とても食べられなさそうなものばかりで…こちらへ」
店主はそう言うと、店の奥に向けて歩いた。俺とアキは顔を見合わせ、後を追った。先程の掃除の女とすれ違ったので、店番を任せるのだろう。意外と手際が良いな。
店の裏口から出てすぐにある倉庫に案内された。倉庫の一角には、布で仕切られた区画があり、その中に入った。すると、ヤマトワ料理のような匂いがした。具体的な料理というより、ヤマトワ料理全般に共通する匂いだ。
「まずはこちらです。基本的なヤマトワ料理には用いられると言われて仕入れたのですが…」
店主はそう言い、木箱をこじ開けた。すると、匂いが強くなった。
「このような木を食べようとは思えず、かと言って捨ててしまうには勿体ないですから…」
「何も知らずに買ったのか。これはな、鰹節と言って、魚を煮詰めたり乾かしたり、色々やって硬くしたやつだ。このまま食べるんじゃなくて、削って出汁を引くのだ。ま、削りたてはそのまま食べても美味しいがな。旦那様、買え」
「ああ。これもホスピティウムに」
「承知しました。次はこちらでございまして…」
「これは味噌だな。豆に色々足して、しばらく放置するとこうなる。旦那様」
「これもホスピティウムに」
「はい」
店主が樽を開けると同時に、アキは答えた。アキからしてみれば、幼い頃より馴染み深い食材であろうから、見たり嗅いだりすれば、すぐに分かるのだろう。
それから、店主が壺や樽、木箱などを開ける度、アキは即答し、買い占めた。まあヤマトワの食材など、多くのクィーズス人は買わぬであろうし、そもそも普段から無いものが無くなったところで、クィーズス人の食卓に影響はなかろうから、買い占めを止めなかった。
その後、店を出た俺達は西街道を見て周り、北街道に来た。だが、日は沈みかけており、何より宿屋以外の看板を発見できなかったので、北街道を散策せずにホスピティウムに帰った。
ホスピティウムの俺の部屋には、所狭しと荷物が置かれ、廊下にまで溢れ出ていた。梱包が丁寧すぎたようである。まあ借り切っているので良いか。
夕食は抜き、寝る前に軽食を頼むことにした。アキの要望である。
西街道では、『サヌスト人とヤマトワ人の夫婦が買い占めをしている』という噂に釣られた商店主らが、俺達に商品を買わせようと、試食を用意して待っていたのだ。試食を出される度に、アキは全種類を食べていたので、アキは腹が減っておらぬのだ。
そういう訳で、俺はアキの部屋でひと休みした後、ローザとシャーロットを呼んだ。顔合わせをしておかねば、無関係の者がついてきていると勘違いしてしまうかもしれぬ。
「シャーロットでございます。ご挨拶が遅れましたこと、深くお詫びします」
「いや、良い」
シャーロットは、思っていたよりも若いように見える。十五歳に満たぬのではなかろうか。まあアシルの人選であるから、実力に不足はなかろうが。いや、それどころか、天眼で見てみると、かなりの魔力量を有していたので、期待して良かろう。
「何か御用でしょうか」
「アシルは何か言っていたか?」
「はい。エジット陛下からの私的な伝言だそうです。原文でお伝えします。『ジル卿がいない時に結婚を決めてしまって申し訳なく思う。ジル卿よりも早く結婚式を挙げるのも申し訳なく思う。このような立場で言うべきでないかもしれないが、フェリシアがメタクサリティ織の絨毯を欲しがっている。これを結婚祝いとしてくれないか』との事です」
「メタクサリティ織?」
「はい。メタクサリティという、テイルスト王国の北部にある村から発展した小さな町でのみ作られている、絹織物です」
「そうか。アンガスに言って旅程を変更させねばならぬな」
「今朝、お伝えしました。変更してくださるそうです」
「そうか。以上か?」
「はい」
「では帰って良いぞ。呼びつけて悪かった」
「いえ。失礼します」
シャーロットはそう言い、ローザと退室した。すると、入れ替わるように、報告書と思しき紙束を抱えたリンが入室してきた。部屋の前で待っていたのかもしれぬな。
「纏めましたよ」
「そうか。礼を言う」
「リン、残念だったな。検閲だ」
「いや、なぜ?」
「そうですよ。いきなり何ですか?」
「いいから寄越せ。変な事が書いてなければそれでいい」
アキがまた変な事を言い始めた。アキの演じるユキは厄介だな。アキは妹のユキを守るため、変人を演じているのであろうが、そもそも二十歳以上も離れているので、誰も同一人物とは思わぬ。
「リン、言う事を聞いてやれ。ユキはユキである限り、言い始めたら聞かぬ」
「なんか…もういいですよ。どうぞ」
リンは機嫌を損ねつつも、アキに報告書を半分だけ渡した。さすがに一度に渡しては、検閲ができぬと思ったのか。
「こっちはファブリス様の分です。私が検閲を想定してないとでも思ったんですか?」
「お前…なかなかやるな。見直した。座って一杯飲んでけ」
「ありがたく頂戴しますよ、もう」
リンは俺の分の報告書を置き、ソファに座った。そして置いてあったアキの夜光杯を使い、林檎酒を飲み始めた。疲れているようだな。
俺はリンの報告書を取り、読み始めた。
現在、狭義の王族は二十七名。ここでいう狭義の王族とは公式に『殿下』と呼ばれる事が許可されている者を指すようだ。『殿下』と呼ばれる事が許されておらぬ者を含めた、広義の王族は、人によって定義が違うため断定はできぬが、五十名を超えるそうだ。
ちなみに王位継承権を有する者は、初代クィーズス王オレクシアクの子孫であらねばならず、例え王妃や王太子妃、王配や王女配であっても、王位継承権は有さぬ。逆に、オレクシアクの子孫であれば、今は王族でない者にも、王位継承権は付与される。まあそのような者の王位継承順位などは、かなり低いので、余程の事がない限り、即位はせぬ。
目次によると、リンが俺に特に知って欲しい者は、王妃であるエヴァンジェリン妃、王女配であるライトゥング子爵、王の従姪であるパムファイネッテ王女の三名であり、ライトゥング子爵以外の二名は、肖像画を模写したものがある。
まず、王妃のエヴァンジェリン妃について。
生家はブランカーティ伯爵家で、父であるブランカーティ伯爵リズワンは、今は引退したそうだが、中央防守軍最高将帥であり、鉄壁将軍の称号を有していたそうだ。ちなみに中央防守軍最高将帥は、クィーズス軍全体の首席の将軍だそうで、今のサヌスト軍でいえばジェローム卿のような立場であろう。
そのエヴァンジェリン妃であるが、この妃自身もなかなか優秀で、イライアス二世の政務の補佐をしており、前の宰相が引退してからは、その職務を引き継ぎ、事実上の宰相として君臨している。そのせいか、今のクィーズスに宰相は置かれておらぬ。
肖像画であるが、気の強そうな女である。まあ肖像画であるから、画家の主観が含まれているが、それにしても気が強そうである。おそらく俺は苦手だ。
ちなみに、この肖像画が出回った経緯であるが、宮廷画家の弟子が勝手に王妃を描き、それに気付いた宮廷画家が破門とし、破門された弟子は生活費を稼ぐため『高貴なる美女』という題で王妃を描き、数枚を売ったために、民間に出回った。その弟子は不敬罪で処刑された。
次に、ライトゥング子爵タイラーについて。
元々は平民出身であるが、文官として出世し、色々あってシャローム王女と恋仲になり、イライアス二世が子爵位を与えて貴族とし、さらにシャローム王女との婚姻を認め、王族に迎え入れた。
今でも文官として、国王や王妃の政務を補佐し、同時にいくつかの政策を担当しているそうだ。
シャローム王女との間には三人の子を儲けたそうだ。それぞれ、第一子たる長女ミーガン、第二子たる次女シャーリーン、第三子たる長男ダグラスであり、文官としての教育を受けているそうだ。
最後に、パムファイネッテ王女について。
イライアス二世の従弟である、フェッター侯爵ウィルフレッドの次女であり、イライアス二世の最大のお気に入りだそうだ。
フェッター侯爵は国王より二十歳ほど若く、パムファイネッテ王女は、国王にとって孫娘と言って良いほどの年齢だそうだ。そのせいか、十六歳であるのに、未だ婚約の話すら出ず、王宮の中庭で花の世話をしたり、街に出て遊んだりして過ごしているそうだ。
パムファイネッテ王女は、クィーズス王室一番の美女と呼ばれ、人によってはクィーズス王国一、大陸一とする程で、王女に対して求婚した武官や文官、貴族などが相次いで失脚したという噂もあるそうだ。
イライアス二世は、二千の騎兵からなるパムファイネッテ王女の親衛隊を編成したそうで、これは全て女性の騎兵で構成されるそうだ。この部隊は花園隊と名付けられ、構成員を花に例えるため、見目麗しい者のみが所属するそうであるが、『誰にとっての美しさか』と言われる程には審査が緩いそうだ。
肖像画であるが、俺でも美女と思うほどには美女であった。さすがにレリアには適わぬが、イリナには勝っているかもしれぬ。まあレリアやイリナ、それに王女の顔を比べるなど、全員に対して無礼であるのだが。
ちなみにこの肖像画は、花園隊結成の際、構成員募集に使われたそうで、多少探せば誰でも見つかるそうだ。




